学位論文要旨



No 217666
著者(漢字) 曺,承睦
著者(英字)
著者(カナ) チョ,スンモク
標題(和) カジメと甘草の睡眠誘導効果とその作用機構に関する研究
標題(洋) Studies on hypnotic effects and GABAergic mechanism of kajime (Ecklonia cava) and licorice (Glycyrrhiza glabra)
報告番号 217666
報告番号 乙17666
学位授与日 2012.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17666号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 特任教授 加藤,久典
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

睡眠は健康を維持する上で最も重要な生理現象のひとつである。睡眠不足または睡眠障害は免疫力、心血管機能、認知機能および心身の安定を低下させ、生活の質にも影響を与える。このように睡眠が重要であるにもかかわらず、世界中で不眠症の人は約30%にも上ると言われている。2011年に行われた米国国立睡眠財団のアンケート調査によると、米国成人の87%が少なくとも数日間に一度は睡眠障害を経験している。睡眠障害は国民の健康の低下だけでなく、社会的にも大きな経済的損失を生み出すので、睡眠は国民の保健の中で最も重要な問題と認識されている。

不眠症の治療のために様々な睡眠剤が開発されているが、その中で代表的な睡眠剤としてγ-aminobutyric acid type A-benzodiazepine(GABAA-BZD) receptorをターゲットとしたものがある。また、世界的に有名な製薬会社らは、副作用がなく効果の高い理想的な睡眠剤の開発のために努力をしている。最近は睡眠剤の副作用と依存性のために睡眠の天然サプリメントが愛用されているが、この天然サプリメントの代表的なものとしてはvalerian、St. John's wort、kava-kavaなどがある。米国およびヨーロッパでは睡眠の天然サプリメントが数多く市販されており、植物および食品成分の睡眠誘導効果に対する研究が活発になされている。

日本や韓国を始めとするアジアでは、不眠症の治療のため、伝統的に利用されてきた数多くの生薬があるが、これらの活性成分と作用機構に対する研究は欧米に比べればそれほど多くはない。そこで本研究では、日本と韓国の植物資源から睡眠誘導効果を持つ新たな植物を探索するとともに、それらから活性成分を同定し、その作用機構を明らかにすることを目的とした。睡眠を誘導する新たな天然物を発見し、その作用機構を明らかにすることは、副作用のない睡眠剤の開発の出発点になると思われる。

本研究では抽出物バンクから購入した30種類の陸上植物と30種類の海藻類の抽出物について、睡眠誘導作用の分子ターゲットであるGABAA-BZD receptorに対する結合活性をまず調べた。特に、海藻類および海洋天然物の睡眠誘導効果に対する研究はまだ行われておらず、本研究が最初の研究例である。

それぞれ30種類の海藻類および陸上植物の抽出物を調べた結果、海藻類ではカジメ(Ecklonia cava; IC50: 0.392 mg/mL)、陸上植物では甘草(Glycyrrhiza glabra; IC50: 0.093 mg/mL)が最も高い結合活性を示した。カジメからのエタノール抽出物(ECE)および甘草からのエタノール抽出物(GGE)は1000 mg/kgの濃度でマウスの入眠時間の減少と睡眠時間の増加を示し、既に良く知られている睡眠剤であるdiazepam(DZP; 2 mg/kg)および天然の睡眠サプリメントであるvalerianからの抽出物(1000 mg/kg)とほとんど同じ効果を示した。

次に、ECEおよびGGEについてもっと詳しく調べるために睡眠誘導効果および睡眠構造の変化に及ぼす影響を検討した。産業的活用と活性成分探索を目的としてresponse surface methodology(RSM)による最適化を行い、睡眠誘導活性が最大になる抽出条件を設定した。ECEおよびGGEの活性成分はGABAA-BZD receptorに対する結合活性試験により追跡分離し、動物および神経細胞を用いた活性測定実験より睡眠誘導効果と作用機構を明らかにした。

ECEとGGEは濃度に依存して(100-1000 mg/kg)マウスの睡眠時間の増加と入眠時間の減少を誘導した。特に、睡眠を誘導しない濃度(30 mg/kg)のpentobarbitalで処理したマウスに、ECEとGGEを投与することで睡眠時間を増加させ、睡眠を誘導する役割を示すことが明らかになった。

RSMにより得られた、睡眠誘導効果を最大化するカジメおよび甘草の抽出条件は次のようである。<カジメ(ECE)>: エタノール濃度 81.6%、抽出時間 52.2hr、抽出温度 43.7°C。<甘草(GGE)>: エタノール濃度 79.8%、抽出時間 12.0hr、 抽出温度 48.0°C。

最適の条件下で抽出されたECEとGGEは、500 mg/kgの濃度でラットの睡眠誘導時間が其々130.3および118.2 minとなり、既存の抽出物バンクの条件で製造された抽出物より高い睡眠誘導効果を示した。

Flavonoidを含めたphenol成分は睡眠を誘導する代表的な植物成分の一つであることが知られている。本研究の結果でも、甘草の場合はtotal flavonoid content(TFC)、カジメの場合はtotal phenol content(TPC)成分が、ECEおよびGGEの予想の活性成分として示された。すなわち、ECEとGGEの睡眠誘導効果はTPCとTFCに比例する傾向があり、これらが活性成分である可能性を示した。

ECEおよびGGEが睡眠の構造および質に及ぼす影響をマウスの脳波(electroencephalogram, EEG)および筋電図(electromyogram)を計ることにより調べた。ECEおよびGGEは濃度に依存し、NREMS(non-rapid eye movement sleep)を増加させた。ECEおよびGGEは共に500 mg/kgの濃度で、対照群であるDZP 2 mg/kgを投与したものとほとんど同じ効果を示したが、REMS(rapid eye movement sleep)の変化には影響を及ぼさなかった。ECEは投与後2時間の間、効果的にNREMSを誘導したが、その後は対照群と類似した睡眠構造を示した。睡眠剤であるDZPは、睡眠の質を表すEEG powder densityのdelta wave(0.5-4 Hz)の活性を有意的に減少させたが、これはDZPの一般的な特徴としてよく知られている。しかし、ECEは一般対照群のdelta活性とほとんど同じ水準を示し、睡眠の質の低下がなく、正常状態の生理的睡眠を誘導することが示唆された。

GABAA-BZD receptorに対する結合活性試験によって見出されたECEおよびGGEが睡眠効果を示したので、これらは生体中でもGABAA-BZD receptorに直接作用する可能性があると思われた。そこで、GABAA-BZD receptorの抑制剤であるflumazenil(FLU)を利用し、ECEとGGEのin vivo実験を行った。GABAA-BZD receptorのagonistであるDZPの睡眠誘導効果はFLUよって抑制される。ECEとGGEもDZPと同様にFLUを投与したマウスで睡眠誘導効果が認められなかったので、DZPと同じGABAA-BZD receptorのagonistとしての作用していることが明らかになった。

一方、GABAA-BZD receptorの結合活性の分析により、次のような6種のECE phlorotanninと3種のGGE flavonoidを活性成分として分離同定した。<ECE>: eckstolonol(ETN)、 triphlorethol A(TPRA)、 eckol、fucodiphlorethol G、6,6'-bieckol、dieckol。<GGE>: glabridin(GBD)、isoliquiritigenin(ILTG)、glabrol。ECEおよびGGE中に見出されたこれらの活性成分は、すべて5-50 mg/kgの範囲で濃度依存的に睡眠誘導効果を示した。またFLUによってその効果が抑制されたことから、これらの成分はGABAA-BZD receptorを活性化させ、睡眠を誘導することが確認された。次に、睡眠効果が最も高かったECE中のETNとTPRA、およびGGE中のGBDとILTGが睡眠の構造と質に及ぼす影響について調べた。これらの全ての活性成分は50 mg/kgの濃度で有意にNREMSを増加させたが、REMSの変化は認められなかった。特に、ETNとTPRAはECEと同様にdelta活性には変化のないNREMSを誘導した。

活性成分のこれ以外の機能を調べるために神経細胞のGABA-induced currentに対する影響をfull agonistであるDZPと比較しながら実験を行った。ETN、TPRAおよびILTGは、DZPに比較して各々27.1%、42.8%および30.7%の活性を示し、GABAA-BZD receptorに対しpartial agonistとして作用することを分かった。GBDの場合はDZPに比べて200%の高い活性を示すなど、特別な薬理学的な特徴を示した。

以上、本研究ではカジメおよび甘草の睡眠誘導効果とその有効成分を明らかにするとともに、これらの活性成分の作用機構についても検討した。見出された活性成分のうち、睡眠誘導効果を表す活性成分であることが認められたETN、TPRAおよびILTGは、副作用がなく、長期間摂取できる天然睡眠サプリメントとして利用できる可能性を示した。特に、海洋天然物であるETNおよびTPRAは褐藻類のみに含まれている特殊なphenol成分であり、本研究により始めて睡眠誘導効果があることが明らかになった。本研究により得られた結果は、副作用のない新たな睡眠剤の開発に役立つものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

睡眠は健康を維持する上で最も重要な生理現象のひとつであり、その障害は免疫機能、認知機能などを低下させ、生活の質に影響を与える。不眠症の人は世界中で約30%にも上ると言われており、社会的にも大きな経済的損失を生み出す睡眠障害は、国民の保健の中で最も重要な課題の一つと認識されている。

不眠症治療に用いられる代表的な睡眠剤としてγ-aminobutyric acid type A-benzodiazepine 受容体(GABAA-BZD R)を標的としたものが開発されているが、欧米では睡眠剤の副作用と依存性を避けるために、Valerian, St. John's wortなどの天然サプリメントが近年好んで利用されるようになっている。本研究は、日本や韓国で利用されている植物資源から睡眠誘導効果を持つ植物を新たに探索するとともに、活性成分を同定し、その作用機構を明らかにすることを目指して行われたもので3章からなる。

序論に続く第1章では、睡眠誘導作用の分子標的であるGABAA-BZD Rに対する結合活性を指標に、30種類の陸上植物と30種類の海藻類の抽出物の中から睡眠誘導活性をもつ可能性のあるものを探索している。その結果、海藻類ではカジメ(Ecklonia cava)、陸上植物では甘草(Glycyrrhiza glabra)に最も高い結合活性が見出された。カジメのエタノール抽出物(ECE)および甘草のエタノール抽出物 (GGE)はマウスの入眠時間の減少と睡眠時間の増加を誘導し、その効果は睡眠サプリメントとして利用されているValerian抽出物とほぼ同等であった。

第2章では、カジメ抽出物ECEの睡眠誘導効果および睡眠構造に及ぼす影響を検討している。睡眠を誘導しない濃度のpentobarbitalで処理したマウスにECEを投与した結果、ECE濃度に依存して睡眠時間の増加と入眠時間の減少が観察された。そこで、response surface methodを用いて活性成分抽出条件の最適化を行った。睡眠誘導効果を最大化する抽出条件(エタノール濃度81.6%、抽出時間52.2hr、抽出温度43.7℃)で調製したECEは、既存の抽出物バンクで製造されたものよりも高い睡眠誘導効果を示した。次に、ECEが睡眠の構造および質に及ぼす影響をマウスの腦波(EEG)および筋電図を計ることにより調べたところ、ECEは濃度依存的にノンレム睡眠(NREMS)を増加させ、500 mg/kgの濃度で、睡眠剤であるdiazepam(DZP) 2 mg/kgとほぼ同じ効果を示した。ECEの投与は、睡眠の質を表すEEG powder densityのdelta波の活性を有意に減少させた。ECEのdelta波活性の観察から、ECEは睡眠の質を低下させることなく、正常状態の生理的睡眠を誘導することが示唆された。

ECE中の睡眠誘導物質がGABAA-BZD Rに直接作用することを確認するために、GABAA-BZD Rの抑制剤であるflumazenil(FLU)を利用したin vivo実験を行った。FLUを投与したマウスではECEは睡眠誘導効果を示さなかったので、ECEはDZPと同じくGABAA-BZD Rのアゴニストとして作用しているものと考えられた。GABAA-BZD Rとの結合活性を指標に活性成分の単離・分析を進め、eckstolonol(ETN)など6種のphlorotanninが活性成分として同定された。単離成分の効果はFLUによって抑制されたことから、これらはGABAA-BZD Rのアゴニストとして作用することが示唆された。

第3章では、甘草抽出物であるGGEの睡眠誘導効果、睡眠構造について同様に検討している。GGEについても活性成分抽出条件の最適化を行い、最大の睡眠誘導効果を与える抽出条件(エタノール濃度79.8%、抽出時間12.0hr、抽出温度48.0℃)を見出した。GGEは睡眠の構造および質についてもECEとほぼ同じ効果を示した。また、FLUを用いた実験の結果、活性成分はGABAA-BZD Rのアゴニストとして作用しているものと考えられた。GGEからはglabridinなど3種のフラボノイドが活性成分として単離・同定され、それらの成分はGABAA-BZD Rを活性化させ、50 mg/kgの濃度で有意にNREMSを増加させた。

以上、本研究はカジメおよび甘草の睡眠誘導効果とその有効成分を明らかにするとともに、これらの活性成分の作用機構について検討したものである。特に海藻類からの睡眠誘導物質の発見は初めて報告されたものであり、学術的、応用的に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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