学位論文要旨



No 217670
著者(漢字) 益田,勝吉
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,カツヨシ
標題(和) 質量分析法による免疫グロブリンGの糖鎖解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 217670
報告番号 乙17670
学位授与日 2012.04.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17670号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 金井,求
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 特任准教授 加藤,大
内容要旨 要旨を表示する

近年、世界的にバイオ医薬品の研究開発が活発になってきている。バイオ医薬品は従来型の低分子医薬品では治療が困難ながんや自己免疫疾患などの疾病でも対応できる可能性が高く、またバイオテクノロジー技術の発展に伴い、改変型タンパク質や融合タンパク質などの非天然型タンパク質医薬品の開発が進んでおり、その重要性がますます増してきている。

バイオ医薬品の多くは、有効成分が変化しやすいタンパク質製剤であるため、その構造や品質・有効性・安全性については多角的な特性解析が求められている。さらにタンパク質製剤は、糖鎖が付加した糖タンパク質であることが多く、糖鎖の構造や存在様式は製品の安定性や機能に大きく影響する。従って、糖鎖の不均一性やその分布などの構造情報は、製剤の品質保証やより有効なバイオ医薬品およびバイオ後続品の開発を推し進めるためにも必要不可欠である。

一方、抗体医薬品は治療薬としてすでに多くが上市され、今後の最も有望なバイオ医薬品である。抗体医薬品で多く使われている免疫グロブリンG(IgG)には、重鎖の297番目(Fc部分)のAsn残基に一対の複合型糖鎖が結合しており、これら糖鎖はFcレセプターとの結合や補体活性化といった様々なエフェクター機能の発現に不可欠であると同時に、IgGの安定性に寄与していることが知られている。従って、新規抗体医薬品の開発をタンパク質工学的手法により行う場合、IgGの糖タンパク質医薬品としての安定性を保障することは極めて重要であり、糖鎖の均一性などの品質管理を含めた高感度、高精度、簡便な分析法の確立が必要不可欠となってきている。

今般、質量分析(MS)法による生体高分子の構造解析は、FAB、ESI および MALDI などのイオン化法の開発により飛躍的に進展している。特に、プロテオミクス研究においてアミノ酸配列や糖鎖配列を解析する「シークエンス解析」技術の確立により、タンパク質などの生体高分子の高感度・ハイスループットな解析が可能となってきている。従って、MSはバイオ医薬品の様々な特性解析の重要なツールとなりうる。

以上の背景から、本研究では様々なIgGを研究の対象とし、MSを用いてIgG分子の糖鎖を含めた高感度、高精度、簡便な分析法を確立することを目的とした。

MALDI-QIT-TOFMSによるIgGの遊離オリゴ糖のシークエンス解析

糖鎖は多くの構造異性体が存在するため、枝分かれなどの複雑な構造では従来のMS/MS法により得られる情報のみではシークエンス解析を行うことは困難である。そこで、より積極的にフラグメントイオンを生成させることが可能なMALDI-QIT-TOFMSによる多段階質量分析(MSn)法を用いて、IgGから遊離されたPA化オリゴ糖の高感度なシークエンス解析を試みた。

まずオリゴ糖の高感度分析を検証するため、100 fmolレベルでのMS、MS/MSおよびMS3測定を行った。その結果、得られた[M+H]+イオンはピリジルアミンから誘導した還元末端上に電荷が局在化する結果として断片化し、主として一連のY断片を生成した。それとは対照的に、アルカリ金属イオンを利用したNa付加イオンである[M+Na]+イオンは、断片化により若干のクロスリング 0,2A断片と共にBおよびY断片イオンが複合的に生成することが判明した。ほとんどすべての断片イオンは、MSnスペクトル間の関係を考慮することにより同定できた。さらに、[M+Na]+イオンのMS/MSスペクトル中の各断片イオンの強度比率を求めることができた。これらの結果は、[M+Na]+イオンのMSn分析が[M+H]+イオンのMS/MS分析よりも感度が高く、また構造情報がより豊富であるために複雑なオリゴ糖シークエンス解析に有用であることを示している。さらに、2種類の構造異性体のオリゴ糖は、分岐構造は異なるものの[M+Na]+イオンからなるMS3スペクトルにおける断片イオンの相対的ピーク強度を比較することにより識別することができた。本研究により、IgGに由来する遊離オリゴ糖の構造は、MALDI-QIT-TOFMSを用いたMSn技術により同定できることを実証した。

nano ESI-Q-TOFMS によるIgGのFc糖型の定量解析

これまで、タンパク質中の糖鎖の存在割合などの構造情報を得るためには、タンパク質から切り出した糖鎖の還元末端をPA化誘導体に調製し、HPLCを用いて高感度に分析する方法があるが、誘導体化に時間を要することや一分子中に複数個の糖鎖結合部位が存在する場合は、従来の方法での解析は極めて困難となる。そこでIgGのFcから直接糖鎖の構造情報を得るために、nano ESI イオン化法を適応してIgGのFc糖型の存在様式について解析を試みた。

Fc糖型のグライコシレーションプロファイル解析

IgGのFc/2フラグメントを用いて、遊離オリゴ糖のHPLC溶出プロファイルとnano ESI-MSを詳細に比較解析した結果、Fc/2フラグメントのnano ESIマススペクトルは、HPLC溶出プロファイルから得られる糖鎖の個々の割合を忠実に反映していることが明らかとなり、nano ESI-MSを用いることにより、IgGのFcから直接糖型の個々のグライコシレーションプロファイルの割合を定量的に求めることができることを見出した。本研究により、これまで多くのバイオ医薬品の構造特性解析のボトルネックとなっていた糖鎖分析の時間が大幅に短縮できるようになり、今後迅速且つ簡便な手法として広く利用されていくものと思われる。

Fc中の糖鎖のペアリングに関するグライコフォーム解析

IgG Fcフラグメントを用いて、FcフラグメントとFc/2フラグメントのnano ESI-MSを詳細に比較解析した結果、Fcに結合している糖鎖のペアは同一な糖鎖構造の組み合わせが存在する場合と、異なった糖鎖構造の組み合わせが存在することが明らかとなった。すなわち、IgGには糖鎖が対称な構造をもつ分子種と非対称な分子種とが混在していることを見出した。また、それぞれの糖鎖の組み合せの比率は、ランダムな組み合わせで期待されるものとは有意に異なったグライコフォームの分布を示しており、それぞれの分子種はノンランダムな組み合わせで存在していることが明らかとなった。本研究により、IgG Fc糖鎖の一分子中の完全なグライコフォームの存在様式を正確に求めることに成功した。本研究のように糖鎖の存在様式を詳細に観察することは、ある特定の治療目的に最も有効なFc糖型を利用することを意図とする抗体医薬品の開発や製剤の安定した品質の管理を行う上で大変重要であり、今後は抗体医薬品のみならず他のバイオ医薬品や後続品などの開発においても、より有用な構造情報を提供するものと思われる。

MSによるIgGの変異に伴う翻訳後修飾の構造解析

CH1ドメインが欠落したマウスIgG変異体の翻訳後修飾解析

近年、抗体工学技術の進歩に伴い改変型抗体を用いた新薬の開発が進んでおり、Fv抗体を例に分子の小型化や低価格化を目指したドメインの削除による種々の変異体作製が行われている。そこでCH1ドメインが欠落したマウス IgG2a変異体(以下IgG2a(s)変異体と略す)を研究の対象とし、ドメインの欠落に伴う影響についてMSを用いた解析を試みた。

IgG2a(s)変異体を様々な酵素を用いてフラグメント化を行い、MSによる詳細な解析を試みた結果、重鎖の約14 % がThr220AにGal とGalNAcからなる2糖を結合していることを見出した。本研究により、IgG2a(s)変異体はCH1ドメインの欠落の結果として、ヒンジ領域(Thr220A)に Oグルコシル化されることが明らかとなった。

糖鎖を欠落したマウスIgG変異体の翻訳後修飾解析

糖タンパク質医薬品において、糖鎖はタンパク質の安定性や血中でのクリアランスなどにおいて重要な役割を果たしている。従って、バイオ医薬品開発において糖タンパク質糖鎖の有無による活性確認は重要な課題の一つである。そこでIgG 糖鎖の結合部位であるAsn297を遺伝子工学的にAlaに置換したIgG2b変異体(以下N297A変異体と略す)を研究の対象とし、糖鎖の欠落に伴う変化についてMSを用いた解析を試みた。

N297A変異体のFc/2フラグメントのnanoESI-MS及び野生型とのペプチドマッピングによる詳細な解析を試みた結果、Tyr296の約80%が硫酸化されていることを見出した。本研究により、 N297A変異体は糖鎖の欠落の結果として、Fc中の本来の糖鎖結合部位のN末端に隣接するTyr296が1箇所硫酸化されていることが明らかとなった。

本研究結果は、ドメインや糖鎖の欠落に伴う変異は翻訳段階後の予期しない変異を誘発し、そのタンパク質の機能性、免疫反応性さらには薬剤性などの性状に影響を及ぼす可能性があることを示している。今後このようなMSを用いた詳細な解析は、構造特性や品質管理を行う上でますます必要不可欠になると思われる。

本研究により、MSを用いて様々なIgGから糖鎖の微視的ならびに巨視的不均一性などのグライコフォームに関する情報を得ることに成功した。今後はすべての糖タンパク質の生物学的活性を、単に遊離された糖鎖組成よりもこのような糖タンパク質分子丸ごとのグライコフォームと関連づけることが必要であり、疾病解明や治療、診断などを目的としたバイオ医薬品開発において、本研究により確立した迅速且つ高精度・高感度分析法は重要な役割を果たすものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

質量分析法による免疫グロブリンGの糖鎖解析に関する研究と題する本論文は、MSの手法により、様々なIgG分子の糖鎖を含めた高感度、高精度、簡便な分析法を確立することを目的として詳細な構造解析を行った研究に関するものである。本論文は、全6章から構成されており、第1章に序論、第2章ではIgGの遊離オリゴ糖のシークエンス解析、第3章ではIgGのFc糖型の定量解析、第4章および第5章においてはIgGの変異に伴う翻訳後修飾の構造解析に関する研究成果を記述している。そして第6章では、総括と今後の展望について述べている。

第2章では、MALDIイオン化法とQIT-TOFMSによる多段階質量分析(MSn)を用いて、IgGから遊離されたPAオリゴ糖の高感度なシークエンス解析を試みている。糖鎖は多くの構造異性体が存在するため、枝分かれなどの複雑な構造では従来のMS/MS法により得られる情報のみではシークエンス解析を行うことは困難であった。これに対し、本論文では積極的にフラグメントイオンを生成させ多くの構造情報を得るために、アルカリ金属イオンを利用するとともに多段階質量分析(Msn)を用いて、[gGから遊離されたPAオリゴ糖のMsn解析を行っている。

まず、アルカリ金属イオンを添加したNa付加イオンである[M+Na]+イオンは、断片化により若干のクロスリング(0.2)A断片と共にBおよびY断片イオンが複合的に生成することを見出し、[M+Na]+イオンのMsn分析が、従来の[M+H]+イオンのMS/MS分析よりもより感度が高く、また構造情報がより豊富であるために複雑なオリゴ糖シークエンス解析に有用であることを示していた。さらに、2種類の構造異性体のオリゴ糖は、分岐構造は異なるものの[M+Na]+イオンからなるMS3スペクトルにおける断片イオンの相対的ピーク強度を比較することにより識別可能であることを示していた。以上より、これまで解析が困難であった1gGに由来する遊離オリゴ糖の構造は、MALDI-QIT-TOFMSを用いたMSn解析により簡便に同定できることを実証していた。

第3章では、nanoESIイオン化法とQ-TOFMSを用いて、IgGのFG糖型の精密な定量解析を試みている。これまで、タンパク質中の糖鎖の存在割合などの構造情報を得るためには、タンパク質から切り出した糖鎖を誘導体に調製し、HPLC法を用いて分析していたが、誘導体化に時間を要することや一分子中に複数個の糖鎖結合部位が存在する場合は、従来の方法で解析するのは極めて困難であった。これに対し、本論文ではIgGのFcから直接糖鎖の構造情報を得るために、nanoESIイオン化法を適応してIgGのFc糖型の存在様式について解析を行っている。

まず、Fc糖型のグライコシレーションプロファイルを解析するために、IgGのFc/2フラグメントを用いて、遊離オリゴ糖のHPLC溶出プロファイルとnano ESI-MSを詳細に比較解析している。この結果、Fc/2フラグメントのnano ESIマススペクトルは、HPLC溶出プロファイルから得られる糖鎖の個々の割合を忠実に反映していることが明らかとなり、IgGのFcから直接糖型の個々のグライコシレーションプロファイルの割合を定量的に求めることができることを示していた。これにより、これまで多くのバイオ医薬品の構造特性解析のボトルネックとなっていた糖鎖分析時間が大幅に短縮できるようになり、今後迅速且つ簡便な手法として広く利用されていくものと期待できる。

次に、Fc中の糖鎖のペアリングに関するグライコフォームを解析するために、IgGFcフラグメントを用いて、FcフラグメントとFc/2フラグメントのnano ESI-MSを詳細に比較解析している。この結果、Fcに結合している糖鎖のペアは同一な糖鎖構造の組み合わせが存在する場合と、異なった糖鎖構造の組み合わせが存在することを示していた。また、それぞれの糖鎖の組み合せの比率は、ノンランダムな組み合わせで存在していることを明らかとしている。本研究はIgG Fc糖鎖の1分子中の完全なグライコフォームの存在様式を正確に求めた最初の例である。このような糖鎖の存在様式を詳細に観察することは、ある特定の治療目的に最も有効なFc糖型を利用することを意図とする抗体医薬品の開発や製剤の安定した品質の管理を行う上で大変重要であるため、今後より有用な手法となることが期待できる。

第4章及び第5章では、MSを用いてIgGの変異に伴う翻訳後修飾の構造解析を試みている。

第4章では抗体工学技術による改変型抗体としてCH1ドメインが欠落したマウスIgG 2a変異体を研究の対象として、ドメインの欠落に伴う影響についてMSを用いた構造解析を試みている。lgG2a変異体を様々な酵素を用いてフラグメント化を行い、MSにより詳細に解析を行った結果、重鎖の約14%がThr 220AにGa1とGalNAcからなる2糖を結合しており、[IgG 2a変異体はCH1ドメインの欠落の結果として、ヒンジ領域(Thr220A)が0一グルコシル化されることを示していた。第5章では糖タンパク質糖鎖の有無による活性確認を目的としたIgG糖鎖の結合部位であるAsn297を遺伝子工学的にAlaに置換したIgG2b変異体を研究の対象として、糖鎖の欠落に伴う影響についてMSを用いた構造解析を試みている。IgG2b変異体のFc/2フラグメントのMS及び野生型とのペプチドマッピングによる詳細な解析を行った結果、Tyr296の約800%が硫酸化されていることを示していた。これにより、IgG2b変異体は糖鎖の欠落の結果として、Fc中の本来の糖鎖結合部位のN末端に隣接するTyr296が1箇所硫酸化されていることを明らかとしていた。

このように本論文では、ドメインや糖鎖の欠落に伴う変異は、翻訳段階後の予期しない変異を誘発し、そのタンパク質の機能性、免疫反応性さらには薬剤性などの性状に影響を及ぼす可能性があることを示していた。

本研究では、MSを用いて様々なIgGから糖鎖の微視的ならびに巨視的不均一性などのグライコシレーションプロファイルやグライコフォームに関する情報を簡便に得ることが可能であることを示していた。本研究成果は、今後はすべての糖タンパク質の生物学的活性を、単に遊離された糖鎖組成よりもこのような糖タンパク質分子丸ごとのグライコフォームと関連づけることが重要であることを示唆しており、本研究により確立した迅速且つ高精度・高感度分析法は、疾病解明や治療、診断などを目的とした抗体医薬やバイオ医薬品の開発に大きく貢献すると期待されることから、これを行った学位申請者は博士(薬学)の学位授与に値すると判断した。

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