学位論文要旨



No 217672
著者(漢字) 中村,泰
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,タイ
標題(和) 逐次パラメータ推定による微小重力下での静電浮遊炉実験試料の位置・加速度制御
標題(洋)
報告番号 217672
報告番号 乙17672
学位授与日 2012.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17672号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 岩崎,晃
 東京大学 教授 橋本,樹明
 東京大学 准教授 土屋,武司
 東京大学 准教授 矢入,健久
内容要旨 要旨を表示する

スペースシャトルを利用して宇宙での実験が頻繁に行われるようになって30年が経ち,近年はこれに加えて国際宇宙ステーションを利用した大規模な科学実験も行われるようになってきた.宇宙で科学実験を行う最大の利点は,微小重力と呼ばれる無重力に近い実験環境を利用して,地上では見ることのできない物理現象や生命科学現象を発現させて研究できることである.しかしながら実験によっては,スペースシャトルや国際宇宙ステーションが発生する微小な外乱加速度さえも妨げになる場合がある.静電浮遊炉は,クーロン力を利用して実験試料を電気炉内に浮遊させることでこのような環境外乱の影響を緩和できるユニークな実験装置である.

静電浮遊炉を使用した地上での実験はこれまでも数多く行われてきており,実験試料の浮遊技術もほぼ確立しているが,宇宙での実験に適した浮遊制御技術の研究はまだほとんど報告されていない.宇宙では重力の影響を受けずに浮遊制御が行えるため,比重の大きな物質を溶融したり過冷却からの核発生を観察することができ,これまで不明だった物性値の取得や新機能材料の創生などの新たなブレークスルーが期待される.しかし,そのためには宇宙機の環境外乱と実験試料の帯電量変動という2つの課題を克服し,試料の位置制御と印加加速度に対する宇宙での実験条件を満足できる浮遊炉制御システムが必要である.

本研究では,PID制御を基本とした「ピンポイント制御」とバンバン制御による「フリードリフト制御」という異なる制御ロジックを提案し,これらを実験内容に合わせて選択することで,位置制御の正確性か短時間の無重力かのいずれかを実現できるようにした.一方,実験試料の帯電量変動に対処する方法として逐次パラメータ推定による適応制御を導入し,上記の制御ロジックと組み合わせることで実験の全期間を通して安定した浮遊制御が行えるシステムを実現した.設計した制御システムの有効性については,小型ロケットでの飛行試験,数値シミュレーション,及び解析等により検証・評価した.

一般に浮遊炉実験では,レーザによる加熱フェーズで試料を炉の中心付近に保持し,その後の凝固フェーズにおいて試料に印加する制御力を極力抑えることが重要である.このような実験条件を満足するために本研究では,以下に述べる統計的手法を用いて最適な制御システムの設計を行った.

まず,宇宙での科学実験の成立条件となる温度揺らぎに対する考察をもとに,浮遊炉実験における位置制御と印加加速度に対する許容値を数値化した.次に想定される外乱加速度を駆動力として浮遊炉制御システムの伝達関数に入力し,そこで生じる位置変化と加速度がこの許容値を満足するようなシステム角周波数を探索した.具体的には,周波数領域でこの外乱加速度のスペクトル密度とシステム伝達関数を二乗したものとの積を求め,その平方根の3倍(3σ値)をシステム角周波数に関してプロットしたものが,位置と加速度の許容値を満足する範囲を読み取る方法を考案し実行した.

設計した浮遊炉制御システムの成立性と制御ロジックの有効性を検証するために行った,小型ロケットによる飛行試験の結果から,次のことが明らかになった.

・「ピンポイント制御」を実験試料の溶融フェーズで,「フリードリフト制御」を凝固フェーズで使用した結果,これらの制御ロジックの有効性が確認できた,また,実験要求に合わせて制御ゲインを調節することで,様々な実験に対応できる見通しを得た.

・溶融フェーズで実験試料の帯電量が大きく低下する現象が発生し,実験試料の位置制御が一時的に不安定になった.このことから,固定ゲインでは帯電量の変動の大きさに対応できないことが確認された.

この結果から,浮遊制御においては帯電量変動に対する対策が不可欠なことが明らかになったため,帯電量の大きさに合わせて制御入力を調整するセルフチューニング型の適応制御を導入することにした.また,帯電量を直接計測する手段がないことから,位置制御の入出力データから帯電量をリアルタイムに推定する逐次パラメータ推定アルゴリズムを考案した.これは未知パラメータの推定計算に最小二乗法を使用するもので収束が早いうえに観測ノイズに対するフィルタリング効果もあり,宇宙用の比較的低速なプロセッサの処理能力に合ったコンパクトなソフトウェア設計の見通しを得た.

逐次パラメータ推定アルゴリズムにおいては,更新ゲインと呼ばれる過去の予測値の重み付け関数が重要な役割を担っている.その設定いかんによって,推定計算の応答性と安定性が決まってくる.しかしながら,最適な更新ゲインを解析的に求めることは一般的には困難なことから,本研究では制御信号と帯電量変動を模擬したシミュレーションケースを設定し,パラメトリックな手法により「ピンポイント制御」と「フリードリフト制御」のそれぞれに適した更新ゲインを決定した.

こうして設計した適応制御システムを用いて,浮遊制御実験の数値シミュレーションを行った結果は良好で,目標とする制御精度を実現するとともに,実験によって異なる様々な制御要求を満足できる見通しを得た.

本研究を通して,静電浮遊炉による宇宙での浮遊制御実験の実現性についての目処が立ったものと考える.同時に,考案した制御方式には様々な応用の可能性があり,軌道上の環境加速度の計測や実験試料の特殊な操作など,静電浮遊炉を利用した新たな実験技術の発見も期待される.

審査要旨 要旨を表示する

工学修士 中村泰提出の論文は,「逐次パラメータ推定による微小重力下での静電浮遊炉実験試料の位置・加速度制御」と題し,7章からなっている.

静電浮遊炉を使用した地上実験はこれまでも数多く行われてきており,実験試料の浮遊制御技術もほぼ確立しているが,宇宙での実験に適した制御方法の研究はまだほとんど報告されていない.宇宙では重力の影響を受けずに浮遊制御が行えるため,地上では浮かすことができない比重の大きな物質を溶融させたり,静かな環境で過冷却からの核発生が観察できたりするなど,これまで不明だった物性値の取得や新機能材料の開発等において新たなブレークスルーが期待される.しかしながらそのためには,浮遊炉が搭載される宇宙機の環境外乱下で,試料に作用する加速度を抑えながら試料の位置を正確に制御するという,実験からくる要求を満足することと,発生する制御力を変えてしまう大幅な試料の帯電量変動に対抗して安定した制御を行うことという2つの課題を解決する必要があった.

本論文は,その課題の解決を目指すことを目的としている.PID制御を基本とした「捕捉制御」,「ピンポイント制御」,及び「フリードリフト制御」という3種の制御ロジックを考案し,これらを目的に合わせて使い分けることで,位置制御の正確性,あるいは短時間の無重力状態の維持の特性を選択できると主張している.このうち「捕捉制御」と「ピンポイント制御」は,実験試料を浮遊炉の中心に固定しようという制御で,それぞれ,実験試料の放出フェーズとレーザによる加熱フェーズに適している.「フリードリフト制御」は,試料が自由に運動できる範囲を炉内に設けて,その中にいる限り力を加えないというもので,溶融後の凝固フェーズに適している.さらに,実験試料の帯電量変動に対応するために,逐次パラメータ推定による適応制御を導入し,上記の制御ロジックと組み合わせることで,実験期間を通して一定した精度で浮遊制御が行えると主張している.

また、微小重力環境におけるこれらの制御ロジックの有効性を,小型ロケットによる実際の飛行試験で検証している.帯電量変動に対応するための逐次パラメータ推定には,計算機の負荷が小さく収束性のよい最小二乗法を用いている.上記の制御ロジックに,最小二乗法による推定アルゴリズムを組み込んだ適応制御モデルをMATLABで作成し,宇宙ステーションで予想される擾乱環境をモデル化した数値シミュレーションにより、要求される制御精度が維持できることを検証している.

第1章は序論であり,静電浮遊炉を使用する目的と,実験試料の浮遊制御に関するこれまでの研究動向を紹介し,本研究の位置づけを行い、目的を明確化している.

第2章では,宇宙ステーション用の浮遊炉の特徴と静電浮遊方式の原理について述べ,開発中の静電浮遊炉の基本的な機器構成を説明し、制御の対象となるシステムの特徴を明確化している.

第3章では,浮遊溶融実験における制御要求と宇宙ステーションの環境条件を示し,制御要求を満たすために「捕捉制御」,「ピンポイント制御」,「フリードリフト制御」等の制御ロジックを提案し、解説するとともに,実験試料の帯電量変動に対応するための逐次パラメータ推定を利用した適応制御の基本概念を示している.

第4章では,小型ロケットによる飛行試験を中心に,搭載ハードウェアの機器特性を示すとともに,制御ソフトウェアの設計方法について詳しく述べている.また,飛行試験での試料の運動を分析し,ハードウェア性能及び制御ロジックの妥当性を評価している.その結果,実験中の帯電量の変動幅が明らかになり,固定ゲインでは全実験期間を通して安定した制御を行うことが困難であるという見解を得ている.

第5章では,適応制御を実現するための,最小二乗法による逐次パラメータ推定アルゴリズムを定式化し,浮遊炉制御において使用すべき最適な更新ゲインを決定している.前述の制御ロジックにここで設計した推定アルゴリズムを組み合わせた,浮遊炉制御系の統合システムモデルを用いて,宇宙ステーション等の環境加速度を模擬した条件下で数値シミュレーションにより適応制御の妥当性を検証している.また,比較のために,最適レギュレータに同じ適応制御を適用した場合についても数値シミュレーションを行い,PID制御の優位性を明らかにしている.

第6章では,設計した浮遊炉制御系の,国際宇宙ステーションでの実利用に向けた考察として,帯電量の自動推定機能を生かした運用面での貢献,特殊な装置を使わなくとも環境加速度が計測できることによる軌道上作業の効率化,及び実験中の試料の帯電量の同定により新たに帯電量変動の研究が可能になること等のメリットを示している.また,考案した制御ロジックにさらに工夫を加えることにより,溶融状態の実験試料の固有振動数や粘性が調べられることにも言及している.

第7章は結論であり,提案した制御方法と検討の結果得られた知見をまとめ,今後の課題と展望を述べている.

以上要するに,本論文は,宇宙で静電浮遊炉を活用するための制御方法を提案し,解析および飛行試験やそれをベースにした数値シミュレーションを通じて,その有効性と適用範囲を検証したものであり,宇宙工学、制御工学上貢献するところが大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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