学位論文要旨



No 217673
著者(漢字) 山添,賢治
著者(英字)
著者(カナ) ヤマゾエ,ケンジ
標題(和) 行列表記による部分コヒーレント結像理論と半導体露光装置における超解像方法への応用
標題(洋)
報告番号 217673
報告番号 乙17673
学位授与日 2012.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17673号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 教授 古澤,明
 東京大学 特任教授 三尾,典克
 電気通信大学 教授 武田,光夫
 東京工芸大学 教授 渋谷,眞人
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、部分コヒーレント結像式の行列表記理論に関しており、それを用いた部分コヒーレント結像計算の高速化、及び、部分コヒーレント結像理論の構築、さらに、部分コヒーレント結像における干渉効果を利用して半導体露光装置における超解像手法の提案すること、を主たる研究目的としている。

行列表記を用いた部分コヒーレント結像計算の高速化

部分コヒーレント結像式の表記には、相互透過係数(Transmission Cross Coefficient; TCC)を用いたTCC法に代表されるように関数表記が広く用いられている。本論文では、瞳シフト行列を用いた部分コヒーレント結像式の行列表記を新たに提案する。瞳シフト行列は、本論文の根幹をなすアイデアで、部分コヒーレント結像式を明示的に離散化することで導入される。以下、図1を用いて導入過程を説明する。

部分コヒーレント光源を互いにインコヒーレントなN点の点光源に分割し、それぞれの点光源の入射角度に応じて離散化した瞳関数をシフトする。N種類のシフトされた瞳関数を積層することで瞳シフト行列を得る。瞳シフト行列による光学像計算を本論文ではP-Decompositionと呼ぶ。P-Decompositionは、関数を離散化する必要があるコンピューター計算と相性が良く高速計算向きである。従来は、計算速度の観点から、1回の光学像計算には光源積分法、光学条件は変えず物体を変えて繰り返す光学像計算にはTCC行列の固有関数を用いるTCC分解法と計算手法を切り替える必要があった。瞳シフト行列による光学像計算は、TCC分解法と同じ精度で、どちらに目的に対しても従来よりも高速な光学像計算を実現する。例えば、近似を使わない場合に対して10-4のオーダーの精度で計算を行うと、光源積分法よりも約10倍高速で光学像計算可能である。計算時間の例を図2に示す。

瞳シフト行列は物理的にも重要である。なぜなら、瞳シフト行列の転置共役行列と瞳シフト行列の積がTCC行列になるからである。この関係により、従来証明されていなかったTCCに関する複数の性質が明らかになる。まず、TCC行列がpositive semi-definiteであることがわかる。加えて、TCCの固有値が非負で瞳シフト行列の固有値の2乗に一致し、TCCの固有関数は瞳シフト行列の固有関数と一致する。さらに、TCC、もしくは、瞳シフト行列の固有値と固有関数の数は、スカラー理論では光源内に分布する互いにインコヒーレントな点光源数Nに、偏光照明時は3Nに一致する。従来からTCCが部分コヒーレント結像という物理現象において支配的な役割を担うと考えられてきたが、そのTCCを構成する瞳シフト行列が部分コヒーレント結像においてTCCよりも原理的な役割を果たすことが明確になる。

行列表記による部分コヒーレント結像理論の構築

瞳シフト行列は、部分コヒーレント光源と瞳関数だけから導出される。部分コヒーレント結像では物体を考慮しないと光学像が計算できない。そこで、瞳シフト行列を用いた行列理論を発展させ、部分コヒーレント光源、物体、そして、瞳関数の効果を考慮した行列を導出し、部分コヒーレント光学系の特徴を全て含んだ包括的行列を導出する。照明光の入射角度に応じて回折光をシフトさせる場合と瞳関数をシフトさせる場合で2種類の包括的行列を得ることができる。それら2種類の行列を固有関数の点から比較することで、回折光をシフトさせることと瞳関数をシフトさせることは物理的に異なる意味をもつことを明らかにする。この結果は、両行列から得られる光学像は一致するが、部分コヒーレント結像による光学像は物理的に異なる2種類の正規化直交関数系で記述できることを示している。照明光の入射角度に応じて回折光をシフトさせることで得られる包括的行列は、部分コヒーレント結像系のコヒーレンス度の定量化に利用することができ、包括的行列のエントロピーがコヒーレンス度に対応していることをvan Cittert-Zernikeの定理から得られる複素コヒーレンス度との比較で明らかにする。エントロピーと複素コヒーレンス度の対応関係は図3に載せた。さらに、部分コヒーレント結像系におけるコヒーレンシー行列という新たな概念を提案し、コヒーレンシー行列と単位行列の差分行列のHilbert-Schmidt距離が部分コヒーレント光学系のコヒーレンス度に比例することを明らかにする。結果は図4のようになる。

半導体露光装置における超解像手法の提案

部分コヒーレント結像による光学像は瞳シフト行列の固有関数で展開できる。同様に、部分コヒーレント結像において物体間の干渉を表す項も瞳シフト行列の固有関数で展開できる。瞳シフト行列の固有関数で展開された干渉項を解析すると、固有関数と物体を畳み込み積分した関数が部分コヒーレント結像における干渉を表すことが明らかになり、部分コヒーレント結像における任意のふたつのパターンがどのように干渉するのかを定式化することができる。この定式化により、部分コヒーレント結像の物体面において、ある点と干渉する場所、もしくは、干渉を打ち消す場所を求めることができる。以上のアイデアを原理として、部分コヒーレント結像系を採用している半導体露光装置による超解像方式を提案した。与えられた有効光源から露光すべき目標パターンと干渉する位置を求め、その位置に解像しない大きさの補助パターンを配置することで、回路パターンを露光するためのマスクデザインを最適化する超解像方法(2D-TCC法)を提案する。100nmのコンタクトホールが疎密に配置された擬似NOR FLASHメモリー用マスクパターンを2D-TCC法により最適化したところ、光源波長が248nm、開口数が0.86の露光装置を用いてベストフォーカス時に全幅260nm以上の焦点深度で露光できた。さらに、通常マスクを用いたときよりも少ない露光量でパターンを解像することもできた。通常マスクと最適化されたマスクによる露光結果を図5に示す。実験結果はシミュレーション結果と良く一致した。

まとめ

本論文で新たに提案した瞳シフト行列を用いて、どのような目的に対しても統一的に使用可能な高速部分コヒーレント結像計算方法P-Decompositionを構築した。瞳シフト行列の概念を拡張することで部分コヒーレント結像系における光源、物体、そして、瞳関数の効果を全て含む包括行列を提案し、部分コヒーレント結像系のコヒーレンス度を定量化した。なお、コヒーレンス度の定量化には、従来から用いられているエントロピーのみならず、本論文で新たに提案した部分コヒーレント結像におけるコヒーレンシー行列を用いた。瞳シフト行列を用いれば、部分コヒーレント結像系の物体面において干渉する位置を導出することができ、その原理を半導体露光装置における微細パターン形成に応用し新規超解像方法2D-TCC法を提案した。2D-TCC法の効果は実験で確認し、シミュレーション結果と良く一致した。瞳シフト行列をベースに考案された方式のシミュレーション結果と実験結果が良く一致したことにより、瞳シフト行列による部分コヒーレント結像理論の正当性を確認できた。

図1: 瞳シフト行列の各行

図2: 光学条件を変更せず物体を変えて光学像計算を繰り返した時の計算時間の比較

図3: エントロピーと複素コヒーレンス度の対応関係

図4: コヒーレンシー行列のHilbert-Schmidt距離と複素コヒーレンス度の関係

図5: 通常マスクと2D-TCC法により最適化されたマスクによる露光結果の比較

審査要旨 要旨を表示する

半導体露光装置は極限的な結像特性が要求される最先端光学機器である。機能は写真の露光装置と同じであるが,最新の装置では数十nmオーダーの解像力が要求される。このような結像系では,光源,照明光学系,マスク,結像光学系,感光材料の全てを含む結像シミュレーションが不可欠となる。この基礎となるのが部分コヒーレント結像理論である。この理論に基づく像計算法には,主に二つの方法が実用になっている。一つは,システム理論の伝達関数に相当する相互透過係数(Transmission cross coefficient,以下TCCと略記)を用いるTCC法で,もう一つが,光源を有限個のインコヒーレントな点光源に分解しそれぞれの点光源による像を足し合わせる光源積分法である。TCC法ではあらかじめTCCを計算するが,その定義式は多重積分で与えられており,計算に時間がかかる。ただし,一度TCCを求めておくと,マスクパターンを変えた時の像は比較的短時間で計算できる。一方,光源積分法ではマスクパターンを変えるたびにはじめから計算し直すことになるから,少数のマスクパターンの計算にはこの方法が有利になるが,多数のマスクパターンに対して計算するときはTCC法のほうが高速になる。このような状況の中で,論文提出者は結像特性を高速に計算する瞳シフト行列法と呼ぶ画期的な方法を考案した。この方法によると,計算に時間のかかるTCCが,実は非常に簡単に構成できる二つの行列(瞳シフト行列)の積の形に書けることが判明した。こうして,TCCそのものも,また,その固有値展開(特異値分解)も高速に計算できるようになった。本論文は,この成果をまとめたもので,6章の本文と参考文献,および,AからMまで13項目の付録からなる。

第1章「序論」では,本論文テーマの背景と,論文の概要が述べられている。

第2章「従来の部分コヒーレント結像式」では,部分コヒーレント結像の従来理論を整理し,具体的な計算法と,その問題点をまとめている。

第3章は「瞳シフト行列による部分コヒーレント結像の行列理論:光源と瞳関数を含んだ行列」と題し,本論文の中核をなす瞳シフト行列の構成法と基本的な性質が詳しく述べられている。光源を有限個の互いにインコヒーレントな点光源の集まりと考えると,像は各点光源による像の強度和で与えられる。ところが,異なる位置の点光源の像は,点光源位置を固定して瞳をシフトしたときの像と位相項を除いて一致するから,有限個の点光源が作る像は,1個の点光源で瞳をシフトした像の強度和に等しくなる。この事実を数学的に表現したのが瞳シフト行列である。瞳シフト行列によりTCCの計算が高速で行えること,特に,数値計算に必要な行列の固有値展開が高速になることが具体例を挙げて述べられている。

第4章「部分コヒーレント結像の包括的行列表記:光源,物体,そして,瞳関数を含んだ行列」では,前章で得られた瞳シフト行列を用いて,部分コヒーレント結像理論を再構築し,部分コヒーレント結像の数学的,物理的な意味を論じている。すでに述べた二通りの数値計算法,光源積分法とTCC法,それぞれに準じた結像理論が構築できること,これらは,数学的には異なりそれぞれ異なる物理モデルを表すこと,しかし計算結果は当然一致することなどが述べられている。

第5章「部分コヒーレント結像における干渉」では,部分コヒーレント結像において任意形状物体中の分割された部分物体が,互いにどのように干渉するかを,瞳シフト行列の固有関数を用いて論じている。この干渉性を考慮し,目標となる像パターンを達成するために最適なマスクパターンの設計法を考案した。具体的には,解像限界以下の微小なパターンを補助的に付け加え,干渉効果により,像を目標パターンに近づける効果的な方法を提案し,モデル実験で有効性を実証した。

第6章「まとめ」は本論文全体のまとめである。この後に,主に数学的な事柄を補足する付録が付けられている。

以上に述べた通り,本論文は半導体露光装置の結像シミュレーションを高速に実行するアルゴリズムを開発するという実践的研究から始まったものであるが,その考え方は,部分コヒーレント結像理論の中心概念であるTCCに新たな知見を加える重要な結果を生み出した。この成果は半導体露光装置設計の効率化に大きく寄与するものである。よって,本論文は物理工学に対し寄与するところ大であり,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク