学位論文要旨



No 217677
著者(漢字) 澤入,要仁
著者(英字)
著者(カナ) サワイリ,ヨウジ
標題(和) カリヨンのひびき : ロングフェローの詩とアメリカの文化
標題(洋)
報告番号 217677
報告番号 乙17677
学位授与日 2012.04.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17677号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,健
 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 准教授 佐藤,光
 東京大学 准教授 矢口,祐人
 上智大学 教授 飯野,友幸
内容要旨 要旨を表示する

19世紀アメリカの詩人、ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow, 1807-1882)は、広く国民に敬愛され、知識人に深く崇敬された。その作品は、飛ぶように売れただけでなく、多くのイラストレーションに描かれ、数々の歌曲としてうたわれた。けれども死後、その地位は一気に凋落する。あってはならぬ過去の象徴として、厳しい批判を受けたのである。それは、一時代を画した流行の静かな終焉ではなかった。ロングフェローをアメリカの歴史から追放しようとする、力強い意識的な一斉攻撃を浴びたのである。

本研究の目的

そこで本研究では、アメリカにおけるロングフェロー受容の変遷を解明するため、ロングフェローの詩とアメリカの文化との関係を考察する。

その目的は大きく三点に分けられる。まず第一に、ロングフェロー作品の精読を通して、その特徴を明らかにすることである。なぜロングフェローは19世紀の読者に愛されたのか。同じロングフェローがなぜ20世紀初頭の研究者たちの反感を買ったのか。それらのヒントをテクストのなかに見いだす。第二の目的は、第一の目的から示されたロングフェロー詩の特徴をふまえ、ロングフェロー詩と、19世紀の様々な文化との間の交流を考察することである。当時のアメリカでは、詩は単なる文学の一形式ではなかった。それは文化の中心にあって、音楽や美術などの周囲の文化と密接に結びついていたのである。そして本研究の第三の目的は、19世紀末から20世紀初頭に起こったロングフェロー排斥の背景を探ることである。上で示した第一の目的と第二の目的から明らかになったロングフェローの作品とその影響を把握したうえで、なぜロングフェローが、かつては彼を愛読した国民によって蔑まれるようになったのかを検討する。

本研究の方法

本研究では、ロングフェロー作品の特徴を明らかにするという第一の目的のために、イクスプリカシオン・ド・テクストを用いる。これは、文章を細かな要素に分解しながら、それらのイメージや音などがどのように機能しているのかを探る技法だ。さらに、イクスプリカシオンによってテクストの内部を探るだけでなく、同時代の他の作家と横断的に対比させたり、前後の時代の作家と縦断的に対比させたりすることも積極的に行う。

また本研究では、文化への影響を解明するために、当時の大衆文化の背後に隠されている技術や慣習に留意する。たとえば本や雑誌の挿絵は、19世紀初頭までの素朴な板目(いため)木版や面倒な凹版の銅(鋼)版が、19世紀中期には、精緻な刻印が可能で活字と一緒に版を組むことができる便利な木口(こぐち)木版をへて、のちには、光化学的に凸版を作りだすことによって彫師を不要にするライン・ブロックや、光化学的に凹版を作りだして濃淡の再現を可能にするグラヴィア版へ移りかわっていた。

さらに本研究では、世紀転換期のロングフェロー批評を分析するに当たって、ふたつの思想を重視する。ひとつは、イギリスの詩人・批評家マシュー・アーノルドが唱えたカルチャーである。これは「この世で考えられ語られてきた最上のもの」をカルチャーとして神聖視する思想だ。もうひとつはアングロサクソン主義である。これは、19世紀後半以降、非アングロサクソンの移民が増えることによって危機を感じた、在来のアングロサクソン系アメリカ人が抱いた自己防衛の思想だ。ロングフェローは、カルチャーを有しない人々や非アングロサクソンの人々にも愛読されていた詩人だった。

本研究の構成

本研究ではまず、ロングフェローのテクストから、「村の鍛冶屋」(1839)、「イクセルシオ」(1841)、『ヒアワサの歌』(1855)、「雪ひら」(執筆1859)の四作品を取りあげる。

「村の鍛冶屋」を分析するのは、平明な表現で鍛冶屋の日常をうたったこの詩が19世紀にはロングフェロー詩のひとつの典型として人気を得ただけでなく、20世紀には教訓臭ただよう道徳詩として斥けられるようになったからである。次の「イクセルシオ」も同様だ。それは命をかえりみず理念に燃える若者をうたった詩として、19世紀には愛唱されていたが、20世紀になるや、ナンセンスな、あるいは滑稽な物語と考えられるようになっていた。『ヒアワサの歌』を論じるのは、それがアメリカに過去を提供し、アメリカ人の想像力を搔きたてたものの、のちにはその過去が荒唐無稽の過去とみなされたからだ。他方、小品「雪ひら」を取りあげるのは、その詩法のゆえである。それは、新しい韻律をひそかに使って、読者に詩の魅力を伝える作品になっていた。

本研究では上記の第二の目的のために、音楽への影響例として、19世紀のファミリー・コーラス・グループ、ハッチンソン・ファミリーを探る。美術との関係として、『エヴァンジェリン』の挿絵の系譜をたどり、加えて、風景画家トーマス・モラーンの、未完におわった版画集の下絵を掘りさげる。文学への影響例として、女性詩人フィービー・ケアリーによるパロディを検討する。そして読書文化との交流として、ロングフェローの作品に描かれた音読や朗読の効用を明らかにする。

さらに本研究では、上記の第三の目的のため、まず世紀転換期のアメリカ文学教育に注目する。イギリス文学教育の一環として成長してきたアメリカ文学教育が、この時期に停滞するからだ。続けて、1897年竣工のアメリカ議会図書館を考察する。そこには豪華な装飾が施されていたが、ロングフェローをモチーフにした装飾がほとんど見られなかった。また、1900年に『アメリカ文学史』を著した研究者バレット・ウェンデルを取りあげる。ウェンデルはニュー・イングランドの伝統を信奉し、新しいアメリカ人を軽侮していた。さらに、20世紀初頭を代表する批評家ヴァン・ワイク・ブルックスを論じる。ブルックスは『アメリカ成人に達す』(1915)によって、ロングフェローに対して致命的な一撃を加えたが、のちには『花開くニュー・イングランド』(1936)によって、詩人の名誉を挽回しようと試みたからである。最後に、哲学者・詩人のジョージ・サンタヤナを分析する。サンタヤナは「お上品な伝統」という造語によって、同時代の批評家たちの攻撃目標を明確にした。

本研究で明らかになったこと

本研究では、以下の三点が明らかになった。まず第一に、ロングフェローは広く人々と関わった詩人になろうと、その詩作に多様な工夫をこらしていたことである。たとえば、自由や独立、信仰、労働のようなアメリカ人の根底にある特徴をひとりの鍛冶屋に凝縮させた。理念の共和国の市民として、多くのアメリカ人の心根でひそかに燃えている理想的精神を「イクセルシオ」の若者に代弁させた。あるいは、インディアンの歴史をアメリカの過去と連結させることによって、アメリカの過去を神話時代まで延長した。ロングフェローは以上のような工夫によって、読者たちの心をつなぎ合わせていたのである。

第二に明らかになった点は、広く人々をつなごうとしたロングフェローの意図によって、多様な読者が多彩な反応を示したことである。たとえば、ロングフェローの語るアメリカの起源の物語が、風景画家の想像力を刺戟し、アメリカの風景の起源を描かせていた。ロングフェローがうたった、現実を越えようとする情熱が、社会改革運動を推進していた歌手によって、理想主義を説く歌曲になっていた。ロングフェローの唱える気高い精励が、パロディストの諧謔心を刺戟して、現実的な結婚を求める卑俗な精神に改められていた。そして、広く人々と関わろうとしたロングフェローは、コミュナルな読書法である音読や朗読を前提にしていただけでなく、それによって読者たちの一体化を図ろうともしていた。

第三に明らかになったことは、さらに三つの段階に細分することができる。(1)まず、19世紀アメリカ文学の没個性の象徴という現代的なロングフェロー像は、本研究の第一の目的で示されたロングフェロー詩の特徴や、第二の目的で明らかにされた文化的影響とは、ほとんど無縁のところで生まれた、ということ、すなわち、詩に内在する特徴も、画家や音楽家への感化という影響力も大きな問題にはならなかった。むしろ、ロングフェローの大衆的人気という外的現象が最大の問題だった。(2)次に、ロングフェロー批評の転回は、新しい文学を創りだそうとしていた、世紀転換期の若い批評家たちによって引きおこされたものではなく、ロングフェローを生んだ伝統に育まれてきた、19世紀末の保守的な紳士階級のなかから起こった、ということである。(3)したがって、20世紀初頭のブルックスら若い批評家たちの反逆は──ロングフェローを育てた上品なアメリカに対する反逆は──じつは彼らが目の敵(かたき)にしていた19世紀後半の上品な保守的知識人たちの変質の延長にすぎない、ということ、いいかえれば、1920年代前後の若い批評家たちがもたらした「文化革命」は、新興の民衆が引きおこした、いわば下からの革命であったのではなく、ヘゲモニー内部から発生した、いわば内からの革命であったということである。

本研究で示したように、同時代の文化に広い影響を与え、後世には過去の象徴ともなったロングフェローの作品は、詩であって同時に詩以上のものだった。すなわちそれは、19世紀という時代と表裏一体だった。したがって、ロングフェローの詩のみを歴史から抹消することはできない。ロングフェローを排除せんとすれば、その作品だけでなく、19世紀という時代そのものもアメリカの記憶から閉め出してしまうことになるからである。

審査要旨 要旨を表示する

澤入要仁氏の「カリヨンのひびき――ロングフェローの詩とアメリカの文化」は、19世紀アメリカの詩人、ヘンリー・ワズワース・ロングフェローのアメリカにおける評価激変の過程をたどりつつ、ロングフェロー詩とアメリカ文化との関係を再考しようとするものである。ロングフェローの詩作品は同時代の国民に広く愛され、知識人の深い崇敬を勝ち得た。その詩作品は飛ぶように売れただけでなく、挿絵として描かれ、歌曲として歌われるなど、ジャンルの枠を超えて広く伝播していった。だが、ロングフェローの地位は、死後、一気に凋落し、過去の遺物の象徴として厳しい批判を受けるに到る。本論文は、ロングフェロー作品の精読を経て、ロングフェロー詩と19世紀アメリカにおける様々な文化領域との交渉の諸相を考察し、さらに、19世紀末から20世紀初頭にかけて起きたロングフェロー文学排除の動向の文化的背景を探ることで、ロングフェロー詩が、どの同時代文学者の作品よりも深く、19世紀という時代そのものと結びつくものであることを示して、その再評価を目指さんとするものである。

本論文は、本論三部と序章および終章から成る。以下、本論文の構成に従って、その概略を述べる。まず、序章「ロングフェローとアメリカ」に続いて、ロングフェローの作品分析をおこなった第一部「カリヨンの音色――ロングフェローとその作品」は、第一章「一九世紀前半のアメリカと詩人たち」、第二章「「村の鍛冶屋」とアメリカの神話」、第三章「「イクセルシオ」と詩人の理想」、第四章「「雪ひら」と新しい詩学」、第五章「『ヒアワサの歌』とアメリカ史の創造」の計5章から成り、エクスプリカシオン・ド・テクスト(explication de texte)の手法に依拠しつつ、「村の鍛冶屋」(1839)、「イクセルシオ」(1841)、『ヒアワサの歌』(1855)、「雪ひら」(1859)の4作品が考察される。「村の鍛冶屋」と「イクセルシオ」はともに19世紀に愛唱された作品だが、20世紀に入ると、前者はその教訓臭・道徳性ゆえに斥けられるに到り、理想に燃える若者を歌った後者は、むしろ滑稽な物語として受けとめられるようになった。『ヒアワサの歌』においてロングフェローは、「インディアン」の歴史と白人の歴史とを融合し、アメリカの過去を有史以前に延長させることによって、アメリカの起源、アメリカ人の起源の再創造を試みた。だが、企図の大胆さゆえか、それは後に荒唐無稽な発想として斥けられてしまうのである。小品「雪ひら」を取りあげた章では、平明で大衆的な詩風によって特徴付けられるロングフェローが、韻律の技法に意識的な、技巧的、実験的な詩人でもあったことが指摘される。

ロングフェローの詩作品の、文化領域を横断する、クロスジャンル的影響の諸相を検証する第二部「カリヨンの共鳴――ロングフェローとアメリカの文化」は、第六章「ハッチンソン・ファミリーと詩歌の共振」、第七章「『エヴァンジェリン』と挿絵の美学」、第八章「フィービー・ケアリーとパロディストの異論」、第九章「トーマス・モラーンと『ヒアワサの歌』の風景」、第十章「朗読の文化史と「一日のおわり」」の計5章から成り、ロングフェローと同時代文化との交流の多様な相が、一次資料を綿密に駆使して詳細にたどられる。そこから浮かび上がってくるのは、広範に読まれ、大衆の想像力の内に根を張った詩人、ジャンルの壁を越えた多様な波動の震源として機能した詩人ロングフェローの形姿である。音楽への影響例としては、19世紀のファミリー・コーラス・グループ、ハッチンソン・ファミリーが、美術への影響例としては、『エヴァンジェリン』の挿絵の系譜が、あるいは、風景画家トーマス・モラーンの、未完におわった版画集の下絵が分析対象とされ、ロングフェロー詩の語るアメリカの起源の物語が、風景画家の想像力を刺戟して、アメリカの風景の起源を描かせたこと、ロングフェロー詩に横溢する、現実を越えようとする情熱が、社会改革運動を推進していた歌手によって、理想主義を説く歌曲に変容していく様が活写される。

第三部「カリヨンの余韻――ロングフェローと二十世紀」は、第十一章「カルチャーとアメリカ文学研究事始」、第十二章「エインズワース・ランド・スポフォードと議会図書館」、第十三章「バレット・ウェンデルとニュー・イングランドの伝統」、第十四章「ヴァン・ワイク・ブルックスと過去への反逆」、第十五章「ジョージ・サンタヤナとお上品な伝統」の5章から成り、19世紀末から世紀転換期にかけての、ロングフェロー批評、ロングフェロー受容の流れが解析される。ロングフェロー評価がネガティブなものに転じていく背景には、イギリスの詩人・批評家マシュー・アーノルドが提唱した、「カルチャー」を至高視する思想や、移民の増加という現実が掻き立てた、アングロサクソン系アメリカ人の危機意識などがあった。「カルチャー」を有しない人々や非アングロサクソンの人々にもなお愛読された詩人ロングフェローは、まさにそれゆえに否定すべき対象となったのである。こうした基本認識に基づいて、第三部では、世紀転換期のアメリカ文学教育、1897年に竣工したアメリカ議会図書館、バレット・ウェンデルの著した『アメリカ文学史』(1900)が分析対象とされ、ロングフェロー否定の構図が成立していく過程が、逐一、検証されていく。ブルックスは評論『アメリカ成人に達す』(1915)によって、ロングフェロー排除の流れを決定づけた。哲学者・詩人のジョージ・サンタヤナは、「お上品な伝統」という批評概念を創り出すことで、ロングフェローに代表される19世紀中葉アメリカ文化に否定的なイメージの烙印を押す役割を果たした。

終章「ロングフェローと二十一世紀――詩の生命」は、大衆の心を捉え、広範な読者たちを結び合わせる効力を発揮し、同時代文化にあまねく行き渡ったロングフェローの詩が、否定すべき対象と化していったのは、それが19世紀という時代と表裏一体の、詩でありながら同時に詩以上の存在であったからだ、と結論づける。

本論文は、研究対象としては、本国アメリカにおいてさえ長らく冷遇されてきたロングフェロー文学を、19世紀アメリカ文化の文脈の内にあらためて位置づけ、芸術と大衆文化とを架橋するものとして、その再評価を試みている。さらに、20世紀への転換点にロングフェロー評価が一変した理由を、思想史、文化史、批評史的観点から詳細に明らかにした。テクスト分析、受容史、文化研究、クロスジャンル研究を組み合わせ、一次資料に徹底して当たることによって、「国民的詩人」ロングフェローの実相を余すところなく明らかにした功績は大であると言わねばならない。本論文に対しては、三部相互の関連性が弱い、比較・対比の対象が同時代を越えて恣意的に広がりすぎる、主観的・印象的評語がみられる等、構成面、方法面、記述面の問題点があげられた。ロングフェロー詩が様々に分析できることが、ただちにその再価値を保証することにはならない、本論文の出発点たる、ロングフェローの評価が不当に低いという立脚点そのものを問い直すことができるのではないか、などの指摘もあった。ただし、以上は、本論文が達成した優れた学問的成果を本質的に損なうものではないことも同時に確認された。

よって本審査委員会は、澤入要仁氏の論文が、博士(学術)の学位を授与するに相応しいものであると認定することに、全員一致で合意した。

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