学位論文要旨



No 217679
著者(漢字) 夏目,賢一
著者(英字)
著者(カナ) ナツメ,ケンイチ
標題(和) ファラデーの電磁気学研究における力・力能・粒子
標題(洋) Forces, Powers and Particles in Faraday's Researches in Electromagnetism
報告番号 217679
報告番号 乙17679
学位授与日 2012.04.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17679号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 岡本,拓司
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 教授 信原,幸弘
 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 准教授 廣野,喜幸
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、19世紀イギリスの自然哲学者マイケル・ファラデーの電磁気学研究を対象とした歴史研究である。具体的には、ファラデーがおこなった「誘導」現象を中心とする電磁気学研究について、その目的や方法、実際の過程、あるいは彼が導入した「力線」や「場」といった概念について、「力(force)」「力能(power)」「粒子(particle)」に象徴されるいくつかの論点から歴史的な分析を進めた。

これまで先行研究の多くは、遠隔作用を批判するファラデーを近接作用説の代表者として位置づけることで「力線」や「場」といった彼の特徴的な概念の分析を進めてきた。ただし、それらの研究の多くはファラデーの独自性を強調しがちであり、彼の概念形成の歴史的要因については十分な説明ができていなかった。ボスコヴィッチ原子論やドイツ自然哲学、キリスト教・サンデマン派の影響を分析した研究もあるが、いずれも概念形成についての説明に関しては十分な歴史的事実や具体性を与えられていない。

本論文では、この課題に取り組むべく、電磁気現象を研究する上で生じていた本質的な問題点をあらためて分析し、そこに新しい論点を求めた。そして、研究対象としての粒子と力(物質と力)の関係、研究で求められた「表現」と「説明」についての方針の違い、およびそれらの方法と当時の学問分類との関係などに注目することで分析と考察を進めた。

第1章では、電磁気学の歴史を踏まえて近接作用説と遠隔作用説の問題点について論じた。まず、作用の原因が可感ではないという、近接作用説における物質的な説明の限界を示した。そして、その限界についての分析を進めるために、物質の性質と可感性との関係について論じ、そこから力を本質とみなす物質観が支持されるようになった経緯を示した。さらに、電磁気現象は可感な運動と可感ではない運動に分けられ、それぞれ力学と化学の研究対象として位置づけられていたことを指摘した。そして、遠隔作用説はニュートンの万有引力の法則を応用する力学的・数学的な表現方法であったことを示すとともに、近接作用説と遠隔作用説にはそれぞれの限界が存在し、電磁気現象の研究を進めるためにはそれらの限界を何らかの方法で克服する必要があったことを明らかにした。

第2章では、19世紀前半における研究方法の変化と当時の学問分類について論じた。実証主義では、可感ではない原因を知ることはできないとして、科学の目的は因果関係における作用のあり方を表現・記述することであるとされた。こうして、実証主義は「説明」のあり方に対する認識の変更を迫った。この変化が力学を相対化するとともに、方法としてのアナロジーの重要性を高めることになった。さらにこの章では、電磁気学の研究方法を考察するために、当時の学問分類をとくに力学との関係において分析した。

第3章では、ファラデーが化学を基礎として研究活動を始めた経緯を論じた。そして、ファラデーの電磁気理論との関連性について論じていくために、イギリス経験論における物質観や学問分類における力学的方法との関係に注目し、さらに力と粒子についてのデーヴィーの理論の特徴を示した。その中でもとくに、デーヴィーが化学親和力を「粒子」に対する選択的作用であると考えており、「粒子」に働く力と「質量/かたまり(mass)」に働く力を区別していたことを指摘した。

第4章と第5章では、電磁気の誘導現象について、ファラデーがその作用を粒子に帰着させて説明していく過程を論じた。そして、力と粒子についての彼の理解が変化していく過程についての分析を進めることで、電気や磁気の作用を引き起こす「緊張の線」は作用を表現する方法に過ぎず、その根拠を物質的な粒子に求めていたことを示すとともに、その理論化にあたっては電気分解の研究が重要な基礎になったことを明らかにした。また、その理論形成におけるモソッティの分子論の影響も指摘した。一方、ファラデーは遠隔作用説を棄却して近接粒子の理論を導入したが、その理論では可感ではない距離での遠隔作用が暗黙的に仮定されており、真空に近づくと結局は可感な距離でも遠隔作用を許すことになるという問題を含んでいた。本論文では、この本質的な問題点がファラデーの物質観に起因していたことを示すとともに、ファラデーに関しては、遠隔作用は近接作用を否定するものではないし、近接作用も遠隔作用を否定するものではなかったと考えられることを明らかにした。そして、遠隔作用説は作用の原因と対象の間の力を直線作用に帰する数学的な表現方法であり、近接作用説は作用の原因として物質を仮定する説明方法であるという理解を得た。

ファラデーは、力線という考え方を展開することによって、この遠隔作用/近接作用の図式から脱却しようとした。第6章では、まず、力線という表現を物質的に説明するためのファラデーの原子論について論じた。ファラデーは、物質を「力」で一元的に説明することで、物質と力の区別を排除しようとしたのである。このファラデーの考え方は、コモン・センス学派の物質観と共通性があり、ボスコヴィッチやモソッティについてはあくまで場合に応じて言及していたことを示した。さらに、光磁気効果や磁性についてのファラデーの考察を分析し、力線は物質に帰属する線であり物質の力能の空間的な作用を表現するものであって、空間そのものの性質を表現するものではないことを示した。そして、ファラデーにおいて「場」とは力線の補助的・便宜的な表現方法であり、その概念が導入されたのは、反磁性体の研究を通じて新しい表現方法が必要になった1845年のことであったという結論を得た。

第7章と第8章では、ファラデーの力線を数学・力学研究を通じて評価・応用していったトムソンとマクスウェルの研究について、第2章で論じた実証主義と学問分類の議論と関連づけながら論じた。トムソンやマクスウェルは物質的原因を問わないという実証主義的な立場から研究を進め、それを補うためにアナロジーやモデルという方法を導入していった。ただし、トムソンの力学的方法では電磁気現象についての十分な表現と体系的な理論を与えることができず、それらはアナロジーやモデルを最終的に放棄したマクスウェルによって与えられることになった。その一方で、ファラデーは、研究において現象の物質的原因を求めており、これがファラデーの電磁気学研究の限界になったことを指摘した。

第9章では、以上で得られた分析結果を踏まえながら、ファラデーの電磁気学研究における力と粒子の関係について論じた。そして、「場」や「力の保存」、「力の変換可能性」といったファラデーに特徴的な概念の包括的な説明を与えるとともに、ファラデーが「力」の特徴を次の4点として理解していたことを明らかにした。(1)自然界の諸力は共通する起源を持っており、その形式の違いにおいて区別される。(2)力は創造されることも破壊されることもない。(3)力は力能として物質に帰属している。(4)力は緊張状態であり、線としてはたらく。さらにこれらの点に加えて、粒子とは化学において物質の構造を説明するための基本要素であり、質量とは力学において物質の運動を説明するための基本要素であると位置づけられていたことを示し、ファラデーの力と粒子の概念は、力能を本質的な問題とする化学的な理解を基礎として展開されていたという結論を得た。

ファラデーの電磁気学研究は、力学と化学という二つの学問分野の中間領域において化学を基礎として展開されたものであった。ファラデーは、電磁気現象を「力(力能)」と「粒子」の関係として理論化しようと試みており、この「力」と「力能・粒子」という研究テーマは、それぞれ「力学」と「化学」という既存の学問分野と結びついていた。そして、ファラデーの学問的な貢献とは、この中間領域において、電磁気学という新しい学問分野そのものの形成に必要となる方法を開拓したことにあったと言える。このように本論文では、複数の論点から歴史的要因についての分析を進めることで、ファラデーの電磁気学研究における概念形成とその展開についての包括的な説明を与えた。

審査要旨 要旨を表示する

夏目賢一氏の「ファラデーの電磁気学研究における力・力能・粒子」は、19世紀のイギリスにおいて、電磁気学の特に実験研究で優れた成果を挙げた自然哲学者、マイケル・ファラデーを取り上げ、力(forces)、力能(powers)、粒子(particles)という概念に注目することにより、彼の電磁気学研究の特徴や変遷についての一貫した理解が得られることを示そうとした論文である。ファラデーが電磁気学の確立に関して果たした役割を明確にするため、彼を前後の電磁気学研究の流れの中に位置づけようと試み、前史・後史についても詳細な記述を行った点にも特徴がある。本論文の主要な論点は以下の通りである。

従来、ファラデーは、遠隔作用説を否定して力線の概念を展開したことから、近接作用説の代表的な論者であると理解されることが多かった。夏目氏は、電磁気学史全体を詳述することにより、近接作用説においては具体的に作用が発生する機構が説明できない点が限界であったこと、および遠隔作用説においては直線的な作用の説明は可能であっても曲線的な作用が説明できないという点が限界であったことを明らかにした。その上で夏目氏は、ファラデーが、実在する粒子の力能による現象の説明を試みて近接作用説の限界を克服しようとしたこと、また数学的な表現によらず力線の導入に基づいて曲線的な作用の説明を行おうとしたことを指摘した。粒子と力線に与えられた意味は、誘導現象の研究が進展するにつれて変化していったこと、および粒子の具体的な像については、従来指摘されてきたボスコヴィッチの原子論よりも、モソッティの分子論の方が強く影響を与えていることも明らかにされている。

夏目氏はまた、物理学や化学における物質の性質と可感性に関する議論に注目し、ファラデーが可感でない運動についての研究として電磁気現象の研究を進めたこと、その背景にはファラデーが力学ではなく化学に学問的な基礎をおいていたという事情があったことを指摘した。ファラデーが化学に依拠したのは、直接的には師のデーヴィーに倣ったためであるが、さらに、おそらくはデーヴィーを介して、イギリス経験論のコモン・センス学派の物質観や学問観が影響を与えていたことも示されている。

科学においてはアナロジーの活用が重要な時期や局面があるが、電磁気現象の研究においては、ウィリアム・トムソンやマクスウェルが、それぞれ独自の方法でアナロジーを利用している。ファラデー自身は必ずしもアナロジーに強く依存する研究を行っていたわけではないが、トムソンやマクスウェルがファラデーの成果を発展させる際には、アナロジーを用いた研究が重要な役割を果たしている。夏目氏はアナロジーに関するウィリアム・ヒューエル以来の議論を整理し、電磁気現象の研究におけるアナロジーの役割を明らかにした。

以上のような成果をもとに、夏目氏は、ファラデーは、力学と化学という二つの領域の間にあって電磁気現象の研究を進め、力と粒子という概念をもとに理解を行おうとしていたこと、具体的にはファラデーにおける「力」は化学的な「力能」と密接に結びつく概念であり、この力能は物質である「粒子」の性質として理解されていたこと、そのために力学に基づく方法のみでは充分に記述することが容易ではなかった曲線的な作用を含む電磁気現象の研究に新たな貢献を行いえたことなどの結論を導いている。

審査においては、実証主義やイギリス経験論に関する議論がファラデーに直接関わるものではないように見えること、前史・後史の記述が充実している点は評価できるがそのためにファラデー自身に関する記述が追跡しづらくなっていることなどが指摘された。また、実験ノートなどの私的な記録と論文などの公的な刊行物との間に記述の違いがあるかどうか、電磁気現象の研究において問われ続けたエーテルの意味についてファラデーがどのような見解を抱いていたか、思想・研究上の影響関係を主張する場合の判断基準はなにかといった点を明確にするための質問も提出された。電磁気学が力学に匹敵する基礎理論として成立したのは、トムソンやマクスウェルの理論的・数学的な研究に先だってファラデーの研究の貢献があったためであると考えられるが、ファラデーが力学からの影響から離れてそのような貢献をなしえた理由については、実験研究の内容に即した分析が必要ではないかとの指摘もなされた。

審査委員会全体としては、夏目氏が、従来、場の概念の提唱者として理解されることの多かったファラデーについて、その真意を理解するための手がかりが実際は「力」・「力能」・「粒子」および「力線」といった概念であることを明らかにし、力学とは異なる新たな原理論としての電磁気学の成立への道を切り開いたファラデーの貢献はそのような概念をもとに理解されるべきものであることを示した点を高く評価した。また、ファラデーの残した資料の精密な検討と、ファラデー前後の歴史や同時代の学問状況に関する詳細な記述に基づく夏目氏の論文は、研究の細部や学説の推移に目を向けることの少なくなった現在の科学史研究全般の流れの中では貴重な貢献であることも注目に値するとの指摘もなされた。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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