学位論文要旨



No 217681
著者(漢字) 村田,麻里子
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,マリコ
標題(和) ミュージアムとは何か : メディア論的考察による転回
標題(洋)
報告番号 217681
報告番号 乙17681
学位授与日 2012.04.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 第17681号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水越,伸
 東京大学 教授 佐倉,統
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 西野,嘉章
 東京芸術大学 准教授 毛利,嘉孝
内容要旨 要旨を表示する

本稿の目的と先行研究

本稿は、ミュージアムをメディア論的視座から考察することによって、ミュージアムとはなにかを再定義しようとする試みである。

通常ミュージアム(museum)とは、博物館、美術館、動物園など、資料を蒐集・保存・公開する公共文化施設であり、非営利組織の総称である。それは明確な施設(ハコ)と組織を持ち、教育機関という法的根拠を持ち、人とモノとカネとが循環する現場を運営してゆかなければならないものである。そのため、ミュージアムを巡る研究や議論の大部分は、一方では運営論・経営論や教育論として、他方ではそうした現場と接合しない純粋な歴史研究として扱われてきた。

たとえば、ミュージアム活動の根幹を為すのは、モノを方々から蒐集・購入し、それをコレクションとして整理・保管・研究し、その一部を公開して人々に提示することである。こうした一連の作業は、高度に専門化された知識として、あるいは運営のための方法論としての研究に収斂されていくのが常である。どのような手順と選択方法でモノを蒐集し、どのように記録して管理し、どのような技術と方法で展示をするべきなのかという議論は、博物館学という学問分野の根幹を為す。また、どのようなサービスによって来館者=お客様を増やしうるかといったマーケティング的・観光学的な視点や、どのようにすれば展示空間で来館者が「学習」してくれるのかといった教育学的視点からのミュージアム研究も多くみられる。これらに共通しているのは、専らミュージアムを運営するための視点から為された研究という点だ。

こうした現場に根付いた知見が重要でないということではない。しかし一方で、こうした蓄積がミュージアムという空間でのコミュニケーションや、ミュージアムを取り巻く社会との連関について、より包括的・構造的に考えることを妨げてきたことは否定できない。その結果、日本のミュージアムの多くが、来館者数の減少や予算の減少などに悩みながらも、それらを来館者の文化的関心の低さや、「お上」が予算をつけてくれないことへの不満という即時的な形に回収してきた。運営という組織内部の論理で完結するような目線だけでは、ミュージアムを社会的な文脈や、社会の構造の中に位置づけることができないからである。

こうした現状を踏まえ、本稿では、ミュージアムをメディア論という視座から問い直すことを目指す。そのために、ミュージアムをメディア空間として捉え、ミュージアムの活動をコミュニケーションとして捉えることを基本とする。

本稿の視座と方法論

そもそもメディア論とは、テレビや新聞などのマスメディアや、携帯電話やインターネットなどのデジタルメディアに関して、そのコミュニケーションの在り方や社会との連関を広く論じる学問である。とりわけ、現在の社会システムの根幹がつくられた近代に特有の時間と空間が編成されていく様を、メディアの生成や流布の過程からつまびらかにし、20世紀以降のメディア社会の構造をダイナミックに可視化しようとするところに核心がある。すなわち、メディアをたとえば「テレビはテレビ、新聞は新聞」というように「動かすことができない固定的なもの」として捉えるのではなく、メディアと人間の「関係性の形成過程を動的にとらえていくこと」が肝心となる(水越、2003:31)。それは単純な産業論や技術決定論とは異なり、メディアを我々の文化や社会の欲望と関連付けて意味づけていく営みといえる。

本稿において重要なのは、メディア論を「視座」として援用することである。この「視座としてのメディア論」は、メディア研究という、どちらかといえば扱う「対象」を指す傾向の強い言葉とは、便宜的に分けて使用している(マスメディアやデジタルメディアを扱うのと同じ方法でミュージアムを扱うわけではないことを強調する意味で)。ミュージアムをメディアとして捉えた場合に、その形もまた固定的ではなく、社会との「関係性の形成過程を動的にとらえていくこと」ができるはずである。ミュージアムという空間を、社会と隔絶した真空管のような存在として捉えられることに甘んじるのでなく、専門家という送り手と、来館者という受け手の間に生起する複雑なコミュニケーションが重層する場を捉えていく必要がある。

何よりも、これまでのミュージアム研究は、ミュージアムを所与のものとして扱ってきた。ミュージアムとはそもそも何かを問う想像力は、ミュージアムに関する専門的で具体的な研究が蓄積すればするほど、かえって失われてしまう。メディア研究で言えば、テレビや新聞に関する研究が、テレビや新聞そのもののメディア性を問うことなく、即座にその内容やコンテンツや業界の話へと移行するのとまさに同じである。しかし、マクルーハンの「メディアはメッセージ(The medium is the message.)」という言葉が示しているように、テレビ(新聞)研究では、そもそもテレビ(新聞)とはいかなるメディアか、あるいはなぜ他のメディアではなくテレビ(新聞)なのかをこそ問うべきであり、同様に、ミュージアム研究では、ミュージアムという存在そのものをこそ問い続けるべきである。

ミュージアムをメディアとしてみることで、「関係性の形成過程を動的にとらえていく」こと、そしてミュージアムをメディア論的な視座によって転回させ、それによってミュージアムが自閉しないための視野を獲得すること――本稿がメディア論という視座にこだわるのは、まさにこの点においてである。

本稿では、三つのアプローチからの研究を総合的に行うことによって、それを目指す。文化研究的アプローチ、歴史社会学的アプローチ、そして実践研究的アプローチの三つである。文化研究的アプローチにおいては、主にフーコーの「まなざし」の概念を中心に、ミュージアム空間の権力構造を描き出すことを目的とする。歴史社会学的アプローチにおいては、文字通りミュージアムの歴史性や記憶の問題に迫り、それがどのように現在のメディア空間を形成しているのかを考える。そして、実践研究においては、そうした歴史的背景や権力構造と地続きにある場としてのミュージアムを可視化するようなワークショップ実践を目指す。この三つのアプローチは時系列にもなっており、それぞれミュージアムの現在(=文化研究)、過去(=歴史社会学)、未来(=実践研究)を考える方法論であるともいえる。

本稿の構成

第1章は、ミュージアムという組織の根幹を支えるパラダイムについて、文化研究的なアプローチから詳細にみていく。ミュージアムの蒐集および展示という主たる活動がどのような営みであるのかを考える中で、ミュージアムという空間の権力作用について考える。とりわけミュージアムが視覚偏重の装置であることから、歴史的に形成されてきた近代的な「まなざし」の在り方について論じていくことで、ミュージアムを存在させている思考様式を解き明かし、その空間の特性を考える。

第2章では、第1章で論じたミュージアムの思考様式を日本がどのように受容したのかという経緯を、歴史社会学的なアプローチから探る。つまり、「ミュージアム」はいかにして「博物館」という空間になったのかについて考える。

第3章からは、いよいよ現在(現代)に焦点をあてる。90年代からミレニアムにかけて、欧米および日本のミュージアムは新たな段階に入る。ミュージアムは記号消費の一環として受容されはじめ、その結果、空間の配置にも大きな変化が現れる。この劇的な変化を、ポストモダン時代におけるミュージアムの拡張現象として捉え、これまでの歴史の延長線上に位置づけることを試みる。ポストモダンの潮流は、欧米と日本とでほぼ同時期に押し寄せたにもかかわらず、それぞれ別の現象として立ち現れてくるのであるが、この点をうまくハイライトさせ、第1章・第2章の作業を現在へとつなげたい。その意味でもこの章は文化研究的アプローチと歴史社会学的アプローチが交錯する章である。

続く第4章では、やはり現代にみられる特徴のひとつとして、ミュージアムが〈ポピュラー文化〉化するという現象について文化研究的観点から考えたい。ポピュラー文化とミュージアムといえば、欧米では対立する二つの軸と考えられているが、日本に限って言えば、「ポピュラー文化ミュージアム」なるものがあっさりと成立しうる。この相反する2つの文化圏に属するものが、一つに融合している日本のミュージアムの特性が、さらにはっきりと表れてくるであろう。

そして第5章は、この論文を書くにあたってきっかけとなり、また今後目指すべき地点でもある実践研究という方法について、詳細に述べてゆく。具体的には過去に筆者が行った実践をみていくことで、ミュージアムの現場におけるコミュニケーションの在り方や構造を可視化することの意味を考えると同時に、ミュージアムの来館者、すなわち「受け手」と向き合う実践の在り方も探る。

さいごに論文全体を振り返りながら、今後の展望を示す。

メディア論には、メディアの生々しくベタな現場と、より俯瞰的・理論的な枠組みを接合させて考える手立てが内包されている。先の三つのアプローチを併せて用いることで、ミュージアムの(1)理論と実践、(2)送り手を受け手、(3)歴史と現在という、どれも通常のミュージアム研究では乖離しがちな側面を、つなげて考えるような視点や器を提示したい。

※引用―水越伸「メディア・プラクティスの地平」『メディア・プラクティス――媒体を創って世界を変える』水越伸・吉見俊哉(編)、せりか書房、2003年。
審査要旨 要旨を表示する

本論文『ミュージアムとは何か:メディア論的考察による転回』は、ミュージアムをメディア論の視座から総合的、かつ動的にとらえなおすことで、公共機関の財政危機、グローバル化、商業化がもたらす諸問題など、ミュージアムが現在陥っている袋小路と、歴史・思想的研究と実務的研究が乖離してしまっているミュージアム研究が陥っている閉塞状況を打開するための視野を獲得することを目的として書かれている。

メディア論の三つのアプローチ、すなわち歴史社会学的アプローチ、文化研究的アプローチ、実践研究的アプローチを、それぞれおおまかに近代ミュージアムの歴史(1章、2章)、現代ミュージアムの諸現象(3章、4章)、それらをふまえた新たなミュージアムの模索のための諸活動(5章)に対応させて援用している。

■構成と概要

序章と終章を含む7章で構成されている。

序章で、ミュージアム、およびミュージアム研究が現在抱えている問題状況を浮き彫りにした後、先行研究の綿密な検討をおこない、メディア論という視座、およびメディア論の三つのアプローチを用いた方法論を提示している。

1章では、ミュージアムという組織の根幹を支えるパラダイム(蒐集・保存・展示のための権力的空間)を文化研究的アプローチによって明らかにしている。

2章では、1章で論じた視覚偏重のミュージアムのパラダイムと思考様式が、日本にどのように輸入され、「ミュージアム」が「博物館」へと変容したかについて歴史社会的アプローチから探っている。なお、2章のあとにはミュージアム空間における物語の生成に関する歴史社会的な補論が入っている。

3章では、これまでの2章をふまえつつ、1990年代以降のポストモダンにおけるミュージアム・イメージの拡張現象について、欧米と日本の共通点と相違点を、文化研究的、歴史社会学的アプローチを交錯させて論じている。

4章では、3章と横並びのかたちでミュージアムの「ポピュラー文化」化現象を文化研究的アプローチからとらえなおしている。欧米ではおしなべてミュージアムは「ポピュラー文化」と対立的にとらえられる一方、日本では「ポピュラー文化ミュージアム」があちこちで成立している状況を、足立美術館などの実証研究を通して明らかにしている。

5章では、ミュージアムと病院をはじめとする社会的組織と結びつけ、相互のコミュニケーションを育むための実践的ワークショップ「ホスピタルリーチ・プロジェクト」の概要と評価分析を通して、ミュージアムを社会に開いていくことでその存在意義をミュージアム関係者が再帰的にとらえなおすと同時に、来館者がミュージアムをめぐるメディア・リテラシーを涵養していく具体的な方法を提示している。

終章では、ここまでの論述をふり返ると同時に、ふたたび日本のミュージアムの現場とミュージアム研究が陥っている問題に立ち返り、本論の知見をもとに問題状況を俯瞰し、それらに対応していくために歴史社会学、文化研究と密接に結びついたかたちでのメディア・リテラシーを基軸とする実践研究の新たなあり方を提示している。

■評価と議論

審査委員のあいだでおおむね合意された本論の評価は次の通りである。

まず、これまでのミュージアム研究は、フーコーの「まなざしの近代」に触発された歴史的、思想的な研究群と、一方できわめて実務的な展示学、経営学、教育学的な研究群のあいだの乖離が著しく、かつ固定化され、それらのいずれかの枠組みの中できわめて専門特化した、あるいはミクロな問題意識を持った研究がなされてきていたのに対し、この論文は総合的、学際的な知識と観点においてずば抜けており、またミュージアム、およびミュージアム研究の全体的な困難を一手に引き受けるような痛烈な問題意識に貫かれていることは、大いに評価できる。

また、そうした問題意識に対応した、具体的で実践的なミュージアム・コミュニケーションのためのワークショップを生みだし、プログラム化している点には高いオリジナリティが認められる。

一方で、ミュージアムを、いわば力業で総合的にとらえようとするあまり、キメの粗い議論が散見されると指摘された。一つには、日本に輸入された「博物館」の制度化をとらえる際に、日本近代史における天皇制の象徴的役割と国民国家の形成とが抜きがたく結びついているという歴史的理解が十分ではない。また、本論でいうメディア論はいわゆるオーディエンス空間論、あるいはコミュニケーション論といいかえた方がよい部分があり、その部分を整理した方が後半のミュージアムの来館者研究やメディア・リテラシー論をより豊かに発展させられたであろう、というものであった。

しかし、全体としてはミュージアムをめぐる歴史社会的状況、文化的諸現象、そしてそれがはらむ諸問題と可能性を十分に理解しており、高い次元の学問的問題意識でこれからのミュージアムのあり方を研究していく意志と実践力を持つものと判断し、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

UTokyo Repositoryリンク