学位論文要旨



No 217686
著者(漢字) 中村,修子
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ノブコ
標題(和) ケニヤサンゴ記録による熱帯西インド洋長期気候変動の復元
標題(洋) Reconstruction of the Long-term Climate Variability in the Tropical Western Indian Ocean from Kenyan Coral Record
報告番号 217686
報告番号 乙17686
学位授与日 2012.05.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第17686号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 中村,尚
 東京大学 准教授 横山,祐典
 東京大学 教授 芧根,創
内容要旨 要旨を表示する

インド洋の気候変動は,これまで太平洋のENSOとインド・アジアモンスーンとの関係で説明されてきた.しかし,1999年Saji, 山形らにより新しいインド洋の気候モードであるダイポールモード現象(Indian Ocean Dipole: IOD)が発見された.正のダイポールモード (positive IOD) の年は, 最盛期の9–11月にインド洋東西に高い水温と降水の偏差が現れる. すなわち西インド洋および東アフリカ沿岸では高水温・高降水が観測されケニヤやタンザニアなどに洪水などの被害が,東インド洋では湧昇により低水温,乾燥が観測されインドネシア周辺に山火事などが多発する. さらにIODは,インド洋のみならず世界各地の気候に大きな影響を及ぼす.IOD発見の後, 東アフリカ降水や夏季のインドモンスーン降水へのENSOの影響について,それまでとは異なる描像が観測・モデル研究で明らかになってきた.しかしながら,IOD は過去40年程度の観測記録から明らかにされたもので,10年スケールでの変調は不明であった.モデルの検証・将来予測のためにも過去のIOD長期変動記録が求められていた.

熱帯浅海域に広く生息する造礁サンゴ (ハマサンゴ属)は数100年の長寿命で骨格に年輪を形成する.炭酸カルシウム骨格の同位体比や微量元素分析は様々な海洋環境情報を提供し観測記録以前の長期気候復元に有用である.このうち酸素同位体比(δ(18)O)は海水温(SST)や降水量の指標とされ, また紫外線照射で見られる蛍光バンドは河口付近のサンゴによく見られ, 降水や洪水の指標とされる.熱帯インド洋のサンゴ年輪を用いた長期の気候復元研究もいくつか報告されている.しかしながらそのほとんどが太平洋のENSO と関連した海水温上昇・降水量増加の議論に終始していた.また多くのサンゴ年輪研究は,同位体比から得られた周期をNINO 指数と比較して関係を主張するのみで, 個別のENSOとIODイベントやその季節進行を特定する研究はなかった.

こうした点をふまえて,本研究では西インド洋ケニヤのサンゴ年輪を用いて,月単位酸素同位体比(δ(18)O)解析から IODの長期復元を行った. ケニヤでは正のダイポールの年には9-11月にかけて高い降水量(Short Rain)が観測され,これがpositive IODのpureシグナルとされる。本研究では, (1) 1887-2002年の115年分の年輪をおよそ月単位で δ(18)O解析し, 骨格密度・蛍光バンドの分析結果と合わせて年輪に季節の時間軸を導入する(Age model). このδ(18)O変動から (2) ダイポールシグナルであるShort Rainアノマリーを抽出し, coral IOD indexを作成する. (3) 作成したcoral IOD indexを観測記録と評価し,全サンゴ記録に適用して115年間のIODを復元し,過去のIOD変動を解明する.最後に (4) インド洋熱帯域の他のサンゴ研究にIODやENSOのシグナルが現れているかを本研究と同様の解析手法で検討して,インド洋の気候変動とそのモード変調を考察した.

(1) Age model およびcoral IOD index

独立した指標である骨格密度・蛍光バンド・coral δ(18)Oを同一年輪上で解析し, coral δ(18)Oの最高値を低水温の8月, および骨格の低密度から高密度バンドの明瞭な境界を11月とするage model を作成した. するとcoral δ(18)Oの年変動は水温の季節サイクルに対応するが, 1月に相当する同位体比に前年のShort Rainアノマリーを反映していることを見出し, このδ(18)O値を抽出してcoral IOD indexとした.作成した coral index は観測のダイポール指標である Mombasa rain (9–11月平均)とよく一致した (1986–1999 年r= -0.77).この相関は 1959-1999年の40年間ではr= -0.58と弱まるが,indexから観測IOD年のみを抽出するとMombasa rainとr= -0.83と高い相関を示し, IOD シグナルの高降水・低降水をよく表していた. coral δ(18)Oから1月の水温を差し引いた残差δ(18)Oは, 降水量をより表すと期待されたが, 実際にはMombasa rainとの相関がcoral indexよりも低くなったため, coral index をIOD indexとした.

(2) 1887–2002年の Coral IOD変動

こうして得られたcoral IOD indexによって,過去115年間のIOD変動の復元に成功し, 15回のpositive IOD, 8回のnegative IOD event を特定した.その結果, 1924年以前には10年に1回程度だったダイポールモードの周期が1924年以降短くなり,1990年代以降は約2年に1回と頻発し規模も大きくなっているモードシフトが起きていることが確認された.これは西インド洋の水温上昇と対応しており,この水温上昇が最近のIODの頻発の引き金になっていると考えられる.

IODの活発化に伴って,インド洋でのENSO・インドモンスーン降水との関係も変化した. IODが10年周期であった20世紀前半には太平洋の ENSO がモンスーン降水と強くカップリングし,インド洋と周辺の気候に優勢であった. しかし20世紀後半にはIODが頻発化してモンスーン降水と強くカップリングし, その陰にENSOの影響が隠れる結果を示した.

(3) ENSO 季節シグナル

このケニヤのサンゴ年輪が太平洋のENSOシグナルを記録しているかを検討した.115年間の酸素同位体比記録について, IOD・ENSO・通常年に分けて季節変化を重ね合わせる手法により, δ(18)Oピークの出現パターンを比較した.太平洋のEl Ninoの影響は1シーズン(約4ヶ月) 遅れでインド洋に現れるとされており[Xie et al., 2002], El Ninoのシグナルがケニヤのサンゴに現れると期待される季節は発生翌年(year +1)の3−5月と仮定した. またシグナルとしては, Basin mode SST warming と Long Rain anomalyを仮定した.

この結果, ENSOの影響が西インド洋に現れると仮定した発生翌年 (year +1) の3-5月には El Nino およびLa Ninaに特異なパターンは見いだせず, SST上昇・降水(Long Rain)偏差の変化といったENSOの影響は現れなかった.

しかしながらEl Nino発生の前年から直前まで, δ(18)Oが重くなる傾向が見られた. これはNegative IODと類似の低水温の状態を示し, El Nino発生前の低水温の状態は19世紀末に顕著であり, 20世紀を通して減衰する. これらの結果は, 前年から直前のケニヤでの低水温状態が太平洋のEl Nino発生に何らかの影響を与える可能性, またこのconditionが20世紀の温暖化により弱まってきたことがEl Ninoの発生と性質を変えてきている可能性も示唆している.

(4) 熱帯インド洋の他海域からのサンゴ記録

Cole et al. [2000]と同様に, ケニヤサンゴの年平均δ(18)Oデータを用いて, NINO3.4とのcross coupling 解析を行った. この結果は 4-5年周期でのごく弱いcoherence を見せたが, 既に季節解析においてケニヤサンゴにはEl Ninoシグナルが現れないことが示されており, このcoherence はpre- El Ninoシグナルとの一致を表す可能性がある.

Abram et al. [2008]は 西インド洋 Seychelles と東インド洋 Mentawai の長期サンゴ記録を用いて, 東西の水温差をベースにした IOD indexを作成した.東インド洋ではpositive IOD年は湧昇によるSST低下がシグナルとされる.このindexからも 20世紀中頃にIODが強まり頻度が高まっている結果を得ている.ケニヤのcoral IOD index の結果と比較すると, 20世紀後半(1950-1960年代) でのモードシフトが共通であるがシフトは穏やかである.また 20世紀前半(1924)のシフトはケニヤでのみ確認された.

Seychelles とMentawai の月別coral δ(18)O変動を個別にケニヤと同じ季節シグナルの重ね合わせの方法により比較した. この結果, Seychellesではpositive IOD の水温上昇を認めたが, negaive IODのシグナルは出なかった. ENSOについては, basin-mode SST warming を確認するが, pre-El Ninoシグナルは見られない. 一方、Mentawai では明確なpositive/negative IODシグナルが見られず, 115年間で特に強い3回のposiive IOD年(1961, 1994, 1997年) の強い湧昇を捉えるのみだった.代わりにbasin-mode SST warmingがSeychellesよりも強く現れた. またpre-El Nino signal はケニヤと同じcool SST condition となった.これらの結果から, ENSOの影響がインド洋東部から西部にかけて広まるがケニヤ沿岸には及ばないこと, 一方IODの影響はインドネシア側よりも西インド洋・東アフリカで優勢であることが示された. またインド洋東西の両サンゴ記録から20世紀を通したモードシフト(ケニヤサンゴIOD, Mentawaiサンゴの湧昇記録の時系列変化)を示した.

この研究では, 気候モードの議論にはその季節性が重要であり,サンゴ年輪の月単位の解析を行い季節シグナルを指標として用いることで, 年毎に気候モードを特定・復元することが可能であることを示した.こうしたアプローチによって,気候ダイナミクスと古気候研究をつないで,長期的な気候モードの変調の復元や気候モデルの検証・予測に活用することができる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,1999年に発見されたインド洋ダイポールモード現象(Indian Ocean Dipole: IOD)の過去115年間の変動を,この現象に伴って降水のアノマリーが現れるケニヤから採取したサンゴ年輪の酸素同位体比から復元して,IODが20世紀を通じて強化し,ENSOに代わってインド洋の気候変動を支配する要因になっていることを明らかにしたものである.

本論文は7章からなる.第1章の序論では,熱帯インド洋の気候変動を支配する要因として,これまで太平洋のENSO が支配要因とされていたが,インド洋ダイポールモード現象(IOD)が発見され,その再検討が必要となったこと,しかしIODの長期変動の記録がなかったため,長期変動の記録者としてサンゴ年輪に着目したという本研究の背景を紹介している.第2章では,IODの長期記録の復元のために選んだ,ケニヤのサンゴ年輪試料とその解析手法をまとめ,降水量の代理指標としての骨格の酸素同位体比の有効性を検討している.第3章では,サンゴ年輪に沿って周期変動する酸素同位体比のカーブから,年輪に月単位の時間軸を導入し,さらにこの酸素同位体比変動からIODのシグナルである東アフリカショートレインに対応するIOD指標を抽出している.第3章ではさらに,こうして設定した年代軸とサンゴIOD指標の妥当性についても,定量的に評価している.

第4章は,こうして得られたサンゴIOD指標によって,過去115年間(1887−2002年)のIOD変動の復元を行った.その結果,1924年以前には10年に1回程度だったIOD周期が,1924年以降短くなり,1990年以降は約2年に1回と頻発し,規模も大きくなっていること示した.さらに,こうした気候モードのシフトがインド洋の水温上昇に伴って起こっていることを明らかにし,IODの活発化に伴って,20世紀前半にENSOに支配されていたインドモンスーンが,IODに支配されるようになったことも示した.

第5章ではさらに,このサンゴ年輪にENSOのシグナルが現れているかを検討した.その結果,これまで広く信じられていたケニヤのサンゴ年輪に ENSOの影響が現れているという結果を否定し,エルニーニョ発生の前年に通常年より低水温のシグナルが現れていることを見出した.

第6章では,本研究の結果に基づいてインド洋でこれまでに報告されたサンゴ年輪による気候変動復元を再解析している.その結果,インド洋東部のインドネシアでは,エルニーニョに伴う高水温が見られるが,明確なIODシグナルは見られないこと,20世紀後半になって強いIODに伴う湧昇が見られることから,ケニヤで見出されたIODの強化に伴うモードシフトが,インド洋東部にも及んでいたことを明らかにした.

観測記録が及ばない過去の気候変動の復元は,サンゴや木の年輪,氷床や堆積物コアなど地質試料に含まれる様々な代理指標の解析によって行われてきた.本研究は,そのうちサンゴ年輪によって,過去数10年の観測記録から見出されたIOD変動を長期にわたって復元し,そのモードが20世紀を通じて変化したことを,インド洋の温暖化との関係で議論した初めての成果である.地質試料解析の時間分解能は年以上のものが多く,たとえ月スケールで分析しても,気候モードの復元の際には,周期解析などによって他の気候モードとの相関を議論するだけであった.本研究は,代理指標を月単位で解析して,気候モードの季節進行まで含めて明らかにすることができることを示した.こうしたアプローチによって,古気候学のアプローチによって観測記録の及ばない長期的な気候変動を復元し,気候モードの長期変調とそれに関わる要因を理解し,気候力学的にそのメカニズムを明らかにする道が拓かれた.

なお本論文のうち,第3,4,5章の1部は,茅根 創,飯嶋寛子,Timothy R. McClanahan, Swadhin K.Behera,山形俊男との共同研究(Geophysical Research Letters 誌に印刷公表済み)であるが,いずれも論文提出者が主体となって解析を行なって論文をまとめたもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

上記の点を鑑みて,本論文は地球惑星科学,とくに地球システム科学の発展に寄与するものと認め,博士(理学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク