学位論文要旨



No 217689
著者(漢字) 若森,みどり
著者(英字)
著者(カナ) ワカモリ,ミドリ
標題(和) カール・ポランニー : 市場社会・民主主義・人間の自由
標題(洋)
報告番号 217689
報告番号 乙17689
学位授与日 2012.05.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第17689号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 教授 小幡,道昭
 東京大学 教授 柴田,德太郎
 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 教授 山脇,直司
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、二〇世紀の激動の時代に生きた社会科学者、カール・ポランニー(Karl Polanyi:一八八六~一九六四)の歩んだ軌跡を一九二〇年代から最晩年に至るまで追跡し、その社会科学の全体像を描くことである。第一次世界大戦、ロシア革命、一九三〇年代の世界恐慌、ファシズム、ニュー・ディール、福祉国家の誕生といった二〇世紀前半の激動の時代を<大転換>と名づけたポランニーの思想は、これまで経済人類学者や市場原理主義批判者として部分的に受容されてきた。しかし、ポランニーの社会科学は、社会哲学・政治学・経済学という三領域から構成されている。社会科学者ポランニーは、一九二〇年代に、人間の自由と共同体について研究する社会哲学者として誕生したが、不安定化する市場システムと政治的危機が相次ぐに戦間期に、国際政治の動向と経済史に関心を持つようになる。ポランニーの経済学――経済史、経済人類学、経済社会学を中核とする――は、社会哲学と政治学から「切り離された」経済学的思考に対峙するなかで形成されたものである。

ポランニーが生前に完成させて刊行した書物は少なく、主著『大転換――われわれの時代の政治的経済的起源』(一九四四)と小冊子『今日のヨーロッパ』(一九三七)にとどまる。彼は、その未完成な理論や思想を、膨大な未刊行の著作――多くの論説、草稿やメモ、研究計画書、講演用の原稿や講義のレジュメ、読書ノート、私的な手紙――として残していた。本論文は、そうした資料を用いながら、ポランニーが一九二〇年代、三〇年代、四〇年代、五〇年代、そして最晩年のそれぞれの時期において (1) 社会科学の課題をどのように認識していたのか、(2) 倫理学と政治学に「埋め込まれた」経済学のあり方をどのように探っていたのか、描写するよう努めた。

ポランニーにとって経済学は社会科学の一つの領域にすぎないが、本論文は、経済学史・経済思想史研究のスタイルをとっている。そして、従来のポランニー研究では欠けていた、アーカイブを参照し引用や解釈に基づいて再構成する経済学史・思想史研究の方法を用いた。本論文は全体として、ポランニーの論敵や彼が批判的に継承したかった思想家などについての諸論点を解明し、資料と文献と草稿の解釈を積み重ねていくことによって徐々にポランニーの全体像を解明する、という研究スタイルを重視する。さらに、二一世紀の新しい国際的なポランニーの研究動向を踏まえて主著『大転換』の思想的起源やその後の展開を辿り、人間の自由と社会の現実、経済と社会、といった対極的な<ポランニー的思考>把握に努めている。

各章の概要は以下のとおりである。

序章では、カール・ポランニー政治経済研究所の設立以降に進展したアーカイブ研究の動向、およびその集大成である『大転換の年代記』(二〇〇二~二〇〇五、ドイツ)および『ポランニー論文集』(二〇〇八、フランス)の刊行によってポランニー研究が新段階に達し、新たなポランニー像が生み出されようとしていることを論じた。

第1章では、ポランニーの生涯をハンガリー時代(一八八六~一九一九)、ウィーン時代(一九一九~一九三三)、イギリス時代(一九三三~一九四七)、北アメリカ時代(一九四七~一九六四)の四つの時期に区分し、ポランニーが立ち会った時代状況や研究生活、思想形成に影響を与えた決定的な出会いや思想的特徴について論じた。大陸ヨーロッパ出身の亡命知識人として生きたポランニーの生涯と世代的使命を理解することは、市場社会に対する彼の批判的な洞察の根源や、第二次世界大戦後の彼を非市場経済の研究に導いた動機、そして産業社会における人間の自由という最晩年の研究の意義を理解することでもある。

第2章では、ポランニー社会哲学の核心である自由論および社会主義的思考の源流をウィーン時代に辿って「自由論」(一九二七)を詳しく検討し、責任に基づく人間の自由という彼の「社会的自由」の考え方を明らかにした。これによって、『大転換』の市場社会批判の社会哲学的命題が一九二〇年代のポランニーの社会的自由についての考え方に由来していることを確認した。この時期のポランニーの思想形成にとって、オーストリア学派の主観主義やミーゼスの社会主義批判に触発されながら社会主義経済の実行可能性をめぐる論戦にしたことが決定的であった。ポランニーは「社会主義経済計算」(一九二二)および「機能的社会理論と社会主義の計算問題」(一九二四)において、大きな分業社会の複雑さは社会主義共同体によって処理できないと主張したミーゼスに対して、機能的(アソシエーションに基づく)民主主義によって経済的諸関係を透明化することで社会主義的経済計算が可能である、と反論した。本章では、ポランニーの社会主義的思考の思想的・知的源泉としてコールのギルド社会主義、オットー・バウアーの機能的社会主義、そしてマルクスの物象化論が位置づけられることを示した。

第3章では、「経済と民主主義」(一九三二)、「ファシズムの精神的前提」(一九三三)、「ヒトラーと経済」(一九三三)などの記事や「ファシズムとマルクス主義的用語」(一九三四)および「ファシズムの本質」(一九三五)を取り上げ、ポランニーがファシズムの起源を市場経済の調整機能の麻痺と普通選挙に基づく民主主義の無力化に求めたことを解明した。ファシズムとは、民主主義と人間的自由の領域を否定した協調組合主義(コーポラティズム)的形態の資本主義である。さらに、「キリスト教と経済生活」と「共同体と社会」(一九三六)を取り上げ、マルクス主義とキリスト教社会学を批判的に総合する過程で1)共同体と社会の概念的区別、および2)制度主義的方法を獲得するに至った、一九三〇年代後半のポランニーの新しい思想展開の契機を示した。

第4章では、九二〇年代と三〇年代のポランニーの軌跡を確認しながら、主著『大転換』の世界を総合的に読み解いた。市場社会が新たな貧困観をともなって人為的に創出されたという論点や、市場社会に対するさまざまな抵抗や取り組み、民主主義と自由の危機をもたらす市場社会の構造的弱点や不安定なダイナミズム、そして、市場社会の通貨と財政の領域に顕在化する国際的な政治力学にかかわる『大転換』の中心的諸命題を明らかにした。市場による自己調整とそれに介入する社会の自己防衛との絶えざる衝突と緊張のダイナミズムとしての二重運動、という『大転換』のロジックは、市場社会における不自由の命題(第2章)、および、市場経済と民主主義との衝突というポランニーの思考軸(第3章)のうえに築かれていること、も明示した。

第5章では、『大転換』後のポランニーが従事した「社会における経済の位置とその変化」という研究テーマとそのプロジェクト(一九四七~一九五七)が、英米のウェーバー受容の論争に関連するものだったことを明らかにした。ウェーバーの『一般経済史』の英語版を批判的に検討したポランニーは、ロビンズやナイトやハイエクなどの経済的自由主義者との闘いの場を経済社会学と経済人類学の領域に見出した。ウェーバーが提起した形式的合理性と実質的合理性という二つの合理性の問題や、メンガーが初版から大幅に書き換えた遺稿『経済学原理』の第二版、そしてアリストテレスの政治学や経済学には、市場社会の経済制度を相対化する視座が埋め込まれているがゆえに、経済的自由主義者がそれらの知的遺産を否定している。こう認識したポランニーは、遺稿集『人間の経済』(一九七七)に収録された、経済社会学や古代社会における経済制度の研究のなかに、ウェーバー、アリストテレス、メンガーの洞察を意識的に盛り込んだ。

第6章では、原子力が産業的に利用される戦後のアメリカで最晩年のポランニーが挑戦した社会哲学が、一九二〇年代、三〇年代、そして『大転換』最終章に続く四度目の自由論であった、ということを明らかにした。ポランニーは、技術文明に依存したゆたかな社会に忍び寄る「順応主義」の問題を、「自由と技術」という研究プロジェクトとして立ち上げたが、彼の闘病と死によってそれは未完に終わった。だが、関連する多数の草稿や「ウィークエンド・ノート」には、『大転換』最終章の人間の意識改革に関する哲学的命題、経済を社会のなかに埋め込むという命題、そして産業文明の順応主義的傾向のなかで個人の自由をいかに保障するのかという「ルソー・パラドックス」、といったテーマが描かれている。それらは、アリストテレスと同様にルソーが批判され嫌悪される戦後の思想的状況を逆手にとって、制度的調整の自由のさまざまな可能性や民主主義の新しい定義をルソーの思想のなかに探るものであり、産業社会における自由の可能性を問うポランニーにとって、ルソーはアリストテレスと並んで希望の源泉であった。

終章では、市場社会の限界に関するポランニー経済学の中心命題を総括し、市場システムを人間の自由や政治的民主主義や国際平和を維持・発展させる唯一可能な方法として信じる態度について、彼が「経済決定論」として批判したことを明らかにした。さらに、社会の限界に関するポランニー社会哲学の中心命題を総括して、自分の行為や選択の意図せざる諸帰結に責任を持つことを彼が人間の自由の課題として考えていた、ということを確認した。そして本論文の結論として、社会法則や経済法則、経済決定論や経済的自由主義の論法と闘い続けたポランニーの生涯が、現実に対する責任を人間の側に取り戻すための知的格闘であったことを改めて強調した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近年のカール・ポランニー研究の世界的展開を踏まえ、ポランニーの主要著作および、彼の遺した膨大な未定稿やメモを読み解く作業をとおして、ポランニー経済学の全体像を明らかにすることを課題としている。従来の日本のポランニー研究は、『大転換』に代表される歴史家としてのポランニーや、経済人類学者としてのポランニーなど、専門家としてのポランニー像を解明したり、マルクス、バタイユ、ベルグソンなどとの比較を通してポランニー像を照らし出したりする手法が主流であったが、本論文はこうした研究とは一線を画して、ポランニーが最晩年に到達した思想を手掛かりに、多岐にわたったポランニーの生涯の思索に統一的な意味を与えようと試みた労作である。

本論文の構成は以下のとおりである。

序章 ポランニーへのアプローチ

第1章 ポランニーの思想と人生―曲がりくねった一筋の道

第2章 ポランニーの社会哲学の源流―責任、見通し、自由

第3章 市場社会の危機とファシズム分析―マルクス主義とキリスト教との対話

第4章 『大転換』の世界―市場ユートピアの試みと挫折

第5章 「経済社会学」の誕生―『大転換』から『人間の経済』へ

第6章 産業文明と人間存在―最晩年のポランニーの自由論

終章 ポランニーの知的遺産

まず、本論文をその構成に従って要約しよう。

序章では、本論文が経済学史、経済思想史の分野の研究に属していることを明確にし、1980年代半ばに「カール・ポランニー政治経済研究所」が設立されたことによって利用可能になったポランニーの膨大なメモや草稿、およびここ10年ほどで飛躍的発展を遂げた国際的なポランニー研究の成果に基づいて、これまで断片的にしか理解されていなかったポランニーの学問の全体像を解明することを主題としていることを示す。

第1章は、ポランニーの生涯を、ハンガリー時代、ウィーン時代、イギリス時代、北アメリカ時代の4期に区分し、それぞれの時代ごとにポランニーが影響を受けたそれぞれの地域での知的状況とポランニーの知的活動との相互関係を俯瞰する。以下、ウィーン時代に取り組んだ社会主義と自由の問題(第2章)、イギリス時代の前半に取り組んだファシズム分析(第3章)、イギリス時代後半に取り組んだ『大転換』の執筆(第4章)、北米時代に取り組んだ経済人類学(第5章)、そして北米時代に同時に試みていた『大転換』の続編への取り組み(第6章)を中心に、詳細な分析を行うことが予示される。

第2章は、1920年代前半の社会主義経済計算論争に参加した際のポランニーの機能的社会主義モデルが、社会的公正を追求するコミューン、最大生産性を追求する生産者アソシエーション、そして財・サービスの価格と質を追求する消費者アソシエーションの三者から構成されていることを明らかにし、コミューンの存在を無視した通説的なポランニー理解が誤りであることを指摘する。次いで、1920年代後半の自由論を取り上げ、個人の行為が引き起こす意図せざる社会的結果に責任を持つことによって、物象化された社会から自由になるという、ポランニー独自の社会主義の倫理観を提示する。著者はこうした認識の根底に、マルクスの『資本論』における「商品の物神的性格とその秘密」にみられる物象化論の影響があったことを強調する。

第3章は、ポランニーが1930年代に台頭したファシズムを民主主義的資本主義の否定ととらえ、物象化された社会を極限まで推進する協調組合主義的資本主義とみていたことを明らかにする。その際に著者は、ポランニーが個人間の直接的な人格的関係である共同体と、商品や制度に媒介された非人格的関係としての社会を区別し、後者のような社会の現実を受け入れながら、社会制度の改革を通して自由と共同体の領域を漸進的に拡大することの重要性を訴えるに至ったことを強調する。著者は、こうしたポランニーの認識の変化が、キリスト教左派の人々とマルクスの『経済学・哲学草稿』をめぐって討論したことに起因していることを指摘する。

第4章は、1944年に刊行されたポランニーの主著『大転換』の分析を行う。著者は、『大転換』が両大戦間期の大変動を、経済的自由主義のユートピア的企てと、自己調整市場の破壊的影響から社会を守る自己防衛との二重運動によって説明している点に注目する。そして、経済的自由主義が、権力や強制を含む社会の現実を拒否したがゆえにファシズムを許したとポランニーが認識していた点を重視する。ポランニーは、社会の現実を認識することをresignationと表現するが、著者はこれを「諦念」ではなく「覚悟して受け入れること」と訳すことで、自らが非意図的に関与している社会の現実を引き受けつつ、新たな自由の実現をめざす、というポランニーの真意が明らかになるとしている。また著者は、こうしたポランニーの思考の根底に、ロバート・オーウェンの協同の原理があったことを強調する。

第5章は、1940年代後半から1950年代にかけて行われたポランニーの経済人類学(著者はこれを経済社会学の一部分をなすものとみなす)に関する研究について分析する。著者は、この時期が英語圏におけるウェーバー研究の興隆期と重なっていた点に注目し、ポランニーがウェーバーの経済社会学を批判的に継承して、新古典派による経済の形式的定義に対抗する経済の実体的(substantive)定義を打ち出したと理解する。そして、『大転換』では、社会から離床した市場経済を商品擬制に基づくユートピアとして捉えていたのに対し、経済社会学においては、非市場経済と並んで市場経済もまた、制度化された過程としての経済の一類型と捉えた上で、その問題点を明らかにするような制度的アプローチを採用するに至った点を確認する。

第6章は、『大転換』の続編として企図された「自由と技術」をめぐる論考を検討する。著者は、産業社会の現実を「覚悟して受け入れる」ことを通して新たな自由をめざそうとしたポランニーの主たる関心が、『大転換』では制度的改革であったのに対し、「自由と技術」では意識改革にシフトしたとみる。そして、著者は、自由を制度化する担い手として、ポランニーが大衆でも貧民でもなく、ルソーのいわゆる「普通の人々」に着目し、民衆の文化を媒介にして自由と平等の共存が多様な形で可能になると考えていたことを明らかにする。

終章は、ポランニーが終始一貫して、人間の自由を制約する市場社会の限界を問題として取り上げ、その克服をめざして思索を深めていった過程を振り返り、経済的自由主義者が葬り去ろうとした知的遺産の再評価とその創造的な継承を行った点を強調して、本論文全体を締めくくる。

本論文の最大の特長は、従来、断片的にしか見えていなかったポランニーの経済に関する思索の全体像を、初めて明らかにしたことである。たしかに、近年の欧米におけるポランニー研究の進展は著しく、著者も各所で彼らの著作(たとえばGareth DaleやMichele Cangiani)を参照しているが、第1次世界大戦で負傷する中で芽生え、死に至るまで貫き通したポランニーの立場、すなわち、産業社会の現実を「覚悟して受け入れる」立場を導きの糸として、彼の主要著作や未刊行のノート、草稿類を読み解いたのは、著者の功績である。

本論文は、従来のポランニー研究に多くの点で反省を促すものであるが、その最大のものは、ポランニーの経済人類学の位置づけに関してである。特に日本の経済人類学は、未開社会、伝統社会の中に現代に生かせる教訓を読み取ろうとする傾向が強いが、それはポランニーの誤読に基づくものであり、ポランニーが最も避けようとした時代錯誤的アプローチに汚染されている。本論文は、第5章で明らかにされたように、現代の市場経済の制度的分析に必要な方法を明らかにするものとして経済人類学を位置づけている。

次いで本論文は、ポランニーの社会主義論に関する詳細な検証を通して、ポランニーを社会主義者として位置づける通説的理解に疑問を投げかける。著者は、ポランニーの主要な意図が「物象化された社会からの自由」にあり、結局、この問題意識が晩年まで持続して、「民衆=普通の人々」の生活文化の中に自由の制度化を生み出す潜在力を求める独自の境地に達したことを強調するのである。著者によれば、それは市場社会の否定でもなく、専門家による構造改革でもなく、人間の意図せざる結果として生じた社会の現実を自覚しつつ、他者への意図せざる支配や抑圧を縮減しようと努力する民衆の知恵に連なるものである。

さらに本論文は、自由主義と市場原理を自明の前提とする場合に見落とされる知的遺産をポランニーが積極的に再評価した点に光を当てることによって、学説史、思想史研究の新展開を促していることでも高く評価することができる。

しかしながら、本論文にも不満が残らないわけでもない。

まず、ポランニーにおいては、マルクスの啓蒙主義批判が踏まえられておらず、物象化論と個人の意識改革との相違が明確になっていない点、したがって、制度化のレベルの違い(商品・貨幣・資本のレベルと労働・国家・法のレベル)も不明確なまま残されている点が、本論文では十分に検討されていない。

また、生産要素の市場化がもたらす帰結について、ポランニーがいかなる経済モデルを持っていたのか、その理論的解明がなされていない。民主主義による市場の制度化が「大きな社会」においては隷従をもたらすことになるというハイエクの警告を、ポランニーは果たして乗り越えることができたのか、この点の解明もなされていない。

さらに、本論文では、最新の政治哲学、とりわけ参加型民主主義と共通善(公共の利益)を重視する共和主義やコミュニタリアニズムに関する言説との関連性、またポランニーから多大な影響を受けたとされるイヴァン・イリイチなどへの言及がなく、ポランニーの知的遺産がどのように受け継がれ、様々な批判や誤解を乗り越えて21世紀社会に生かされることになるのか、明確なビジョンが示されていない。

最後に、ポランニーの全体像を忠実に描き出すことに主眼が置かれたために、著者自身がポランニーをどのように評価するのか、肝心な点が必ずしも明確にされていない。

とはいえ、これらの問題点は本論文の学術的価値をいささかも損なうものではない。したがって、審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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