学位論文要旨



No 217699
著者(漢字) 森川,美絵
著者(英字)
著者(カナ) モリカワ,ミエ
標題(和) 労働としての介護 : 福祉多元主義下の制度化と評価のメカニズム
標題(洋)
報告番号 217699
報告番号 乙17699
学位授与日 2012.06.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17699号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 教授 佐藤,俊樹
 東京大学 教授 市野川,容孝
 東京大学 教授 武川,正吾
 北海道教育大学 教授 笹谷,春美
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、個々の高齢者の生活をローカルな場で包括的に支えるという現代日本社会の重要課題をふまえ、介護保険制度が依拠する福祉多元主義のパラダイムを、「労働としての介護の可視化」とその評価をめぐる問題性という地平から、制度創設以前の展開を含めた通史的視点による社会学的分析を通じ、総括したものである。

介護の労働としての制度化の局面と、理念としての介護モデルや手段としての供給システムとの関連づけ、構造と介護実践主体との関係の複眼的な取り扱い、評価をめぐる問題系の検証における介護の関係性という要素を含む理論枠組みの設定など、それ自体で独自性のある分析作業を通じ本論文が明らかにしたのは、介護保険制度の内部において流通する介護労働観の、制度的文脈に制約された「二重の擬制」という特殊性と、それが故に生じる担い手と行為の価値の再生産における限界性である。それらは、労働の価格の有無や水準の位相をこえ、行為の価値規範という位相を射程にいれて初めて明らかになる。こうした理解は、介護および介護労働をめぐる課題解決を、介護保険制度への包摂や拡張すなわち制度内部の視点により図る従来の議論に変更を迫る。

論文は、序章、第I~IV部、終章からなる。序章により本論文の問題意識を提示し、第I部(第1章、第2章)は「労働としての介護」をめぐる先行研究の整理、本論文の位置づけと方法論の提示を行った。第II部~第IV部は実証分析部分にあたり、第II部(第3章、第4章)は介護保険制度以前(1990年代後半まで)、第III部(第5章~第7章)は介護保険制度の構想・開始段階(1990年代末~2000年代初頭)、第IV部(第8章~第10章)は介護保険制度の再編期(2000年代半ば以降)を扱った。各章の議論は以下の通りである。

第1章では、欧米のケア政策分野の先行研究を整理し、福祉国家におけるケアの不可視化状況に対するケアのワークとしての概念化を通じた問題提起とあわせ、既存の労働概念にあてはめたケアの可視化や、可視化の対象となる内容の変質や内容を統制する規範的文脈に関する批判的考察の重要性を示した。

第2章では、日本の先行研究を整理し、ケアに代表される対人労働の評価や意味づけを制度がならしめる労働観と係らせて議論することの重要性、さらに、介護保険制度が介護労働の可視化において拓いた評価の地平に関する検討の不十分性を指摘し、本論文の方法論・理論枠組みを提示した。

本論文では、労働としての介護の意味づけが、一般的・家事的な日常生活の遂行・維持管理活動との関係において問われる「訪問介護」領域に分析範囲を定め、介護保険制度を通じた「労働としての介護」の可視化の様態を、前史からの制度的文脈、制度内部と外部との関連をふまえて通史的に分析することとした。時期区分に応じた3つの規範的介護モデルの設定と、「労働としての介護の可視化の文法」という視点の導入により、介護の労働としての制度化を政策理念や供給システムと関連づけること、構造と主体との関係を複眼的に取り扱うことを可能にした。また、評価をめぐる問題系の検証では、介護行為の価値のパターン変数の設定により(「範囲:限定性-包括性」「評価の適用基準:標準化-無定型化」「行為の利益の基準:個別利益志向-集団志向」「担い手の評価の基準:専門性-一般性」「態度の基準:感情中立性-感情性」)、介護の対人・関係性という要素を含む理論枠組みとした。

第3章では、高齢者介護に対する社会認識が形成される初期(1970年代および80年代)の、在宅福祉領域における介護労働の制度化の歴史的経緯を、基本的な政府の施策表明の場(『厚生白書』)における記述から読み取った。それにより、介護という行為領域の構成の起源において、政治性をおびて組み込まれた行為領域と行為属性の制度化の相互関連、そこでの評価軸のねじれを明らかにした。

第4章では、1990年代の「参加型」福祉社会モデルのサービス供給システムのもと、在宅介護労働の認知や労働ではない介護との関係が、如何に構造的に規定されたのか、「住民参加型組織」の活動推移、実践事例、供給システムへの組み込み過程の検討により明らかにした。それにより、非-市場的価値にもとづく活動の「経済評価への翻訳」や、社会サービスとしての介護に対する「無限定性」や「感情性」の期待の正当化が、介護保険制度の直前期における「既成事実」を形成していたという、労働としての介護の評価に関する歴史的・制度的な文脈の重要性を、明らかにした。

第5章では、介護保険制度というマクロな政策変動に大きく寄与した「介護の社会化」という政策理念の問題構制が、「労働としての介護」の評価の枠組みに与える影響、そうした問題構制から捉えた90年代末の状況、介護保険制度の設計から読み取れる「社会化」の課題を整理した。「介護の社会化」論は、家族内部に閉じていた介護を労働としての「代替性」と「費用化」という観点から捉えうる言説空間を生み出したが、家族の外部として想定されていたのは市場であり、「労働としての介護」は、介護サービス市場に相応しいものとなるよう標準化の対象とされたことが示された。この点にかかわり、介護保険制度における介護労働の経済評価の標準化については第6章で、労働内容の標準化については第7章で、詳細に検討した。

第6章では、介護労働の経済評価の有力ツール「介護報酬」に焦点をあて、それが労働としての介護を「いかなる評価の枠組み」に即して標準化するのか、評価枠組みの理論的整理と介護報酬の基本構造の検討により明らかにした。介護報酬は、「活動のパフォーマンスに対する適切な評価設定」「報酬のカバー範囲の設定」という評価枠組みと親和的だが、「介護労働者の社会的市民権の保障」「労働力再生産可能な対価設定」という枠組みとは非親和的なこと、介護労働の経済評価をその担い手の生活と切り離された<活動>評価の次元に移し替えて標準化することを、示した。

第7章では、介護保険制度が規範的に要請する介護労働の行為内容を捉えるため、ホームヘルパーの実態調査、行政や専門職集団の提示した業務指針の検討、制度外でのサービス提供活動との比較等を行った。それにより、業務の範囲の正当性を利用者と共有することの困難、背景要因としての「個別利益志向」の顕在化、地域での生活実感と異なる基準による「限定化」、「感じられた必要」の表明やそれへの応答に対するサンクションの発動を、明らかにした。介護保険制度の訪問介護として提供される家事援助サービスの行為の価値は、制度の外側の住民参加型活動のそれとは対照的であること、介護保険制度のサービス標準化の内実は、個別利益志向の市場関係を前提に全国標準化された供給システムを構成するにふさわしい内容の限定化・基準化であること、感情性指向への負のサンクションを伴った労働対象との関係再編という内実を伴うことが、明らかにされた。

第5章~第7章を通じ、介護保険制度の開始以降の潮流を、介護保険制度のもとで立ち現れた「特殊な」サービスの供給が、「地域生活における相互扶助に根差したサービス交換」から離脱し、ケア関係を規定する主要なサービス供給システムとして発展するプロセスとして理解することが可能となった。

第8章では、介護保険制度の施行後、「包括ケア」の理念と並行し、社会保障給付としての給付範囲が限定化される2000年代半ば以降について、限定化の背景となる介護保険の費用・給付の実績を、OECD諸国との国際比較の視点から整理した。それにより、日本は介護保険制度を通じ、大国のなかで相対的に大規模な社会的介護費用の確保に成功しているが、在宅介護サービスの「広く薄い」供給構造は、サービスへのアクセス権と介護労働への支払水準との矛盾関係の上に成立していた可能性を明らかにした。さらに、こうした状況が給付の合理化・効率化の背景となり、「重度」要介護者への専門的対応への給付重点化が、制度変更の有力な選択肢になりやすくなることを確認した。

第9章では、給付の限定化が制度内部で正当化されるプロセスを、給付管理機関へのヒアリング調査から明らかにし、それが「何が公的ケアに値するニーズか」の変更を行政から利用者やその家族に促す過程であること、「感じられた必要」への応答にこれまで以上に距離が置かれること、サービスが、高齢者が遂行できない具体的な作業を埋める単位化された作業行為として制度化され、そうした基準で捉えきれない必要の充足は制度外活動の構成要素として認知される文脈が強化されていたことを、明らかにした。

第10章では、制度内での限定化に伴い必要性が高まる制度外での包括性の担保に関わる活動をどのように意味づけうるのか、困窮高齢者への支援をビジネスとするNPO法人Aを事例に検討した。Aの実践の価値指向として、「一般性」としての「包括性」「無定型性」が確認され、こうした特徴をふまえたサービス評価の指標設定の可能性とあわせ、劣悪サービスとの差異化や、適正な労働対価の根拠という観点から、評価に関する大きな課題が残されていることも明らかにされた。

終章では、各章の要約、規範的介護モデルごとの「労働としての介護の可視化の文法」の特徴と課題の整理の上で、本論文をまとめた。本論文の知見を、介護保険制度がならしめる介護労働観の「労働としての擬制」と「商品としての擬制」からなる「二重の擬制」の析出として提示し、その含意として、介護保険制度の拡張やそれへの包摂を前提にした介護労働や福祉多元主義パラダイムの限界性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

「介護保険制度」が2000年(平成12年)4月1日から施行されて以来、10年余りの時を経ている。施設給付の見直し(平成17年10月実施)をはじめとして、地域包括ケア体制の整備、医療と介護の連携・機能分担、サービスの専門性の向上、事業者規制の見直し、第1号保険料の見直しなどこの間に様々な制度改革を経つつも、日本で初めての介護保険制度はこの10年余りの時間を経て、津々浦々の国民の生活に着実に定着した。

本論文は、このような大きな制度の創設と定着の過程を、それ以前あるいは同時代の様々な経緯にさかのぼりつつ明らかにしている。ドイツの社会保険制度を見本とした制度ではあるが、日本における経緯と定着の特異な様相を、通時的共時的な文脈の中から浮き上がらせ、大局的な観点から俯瞰した社会学研究の労作である。

論文は序章、第1章から第10章、および終章の第11章から構成されている。内容は以下の通りである。

序章および第I部の第1章・第2章では、論文全体の問題設定がなされる。基本的な視点は、表題の通り、「労働としての介護」である。福祉多元主義の制度設計に基づいて、介護が(閉じた家族内の奉仕ではなく)市場を経由して供給される、開かれた「労働」として見なされ(定義され)た。それと一体となって介護の「保険制度」が導入され定着した。本論文は、こうしたきわめて大きな制度改革の導入と定着の実態を、ミクロとマクロの両面に及ぶ豊富な量的・質的データを用いて明らかにしている。

福祉多元主義(welfare pluralism)とは、福祉・保健サービスが、行政(国家)、ボランタリー(非営利民間)、市場(営利)、インフォーマル(家族や地域)の4つの異なった部門から提供されるとする福祉国家のモデルであり、1970年代にイギリスで提唱され、90年代の新自由主義の影響もあって世界中に広まった概念である。日本で急速な高齢化の進行とともに、介護保険制度が議論され始めた1990年代の論議の基調はこれであり、税か保険かなどの議論を経て、介護保険制度の骨格が形成されていった。

本研究はこうした介護保険の制度設計のもうひとつ下にある層、すなわち、介護(ケア)という行為を社会が認知し、評価する「認知・評価の枠組み」の変遷(再編成と制度化)に注目する。介護保険制度導入以前は介護(ケア)はどういう活動として誰が担うべきものとされていたのか? 実際に誰が担っていたのか?(例えば嫁や家政婦) 制度の導入によって、それは例えば家事(労働)や医療とどのように区別される領域として切り出されて(境界設定されて)いったのか? ケアには在宅介護と施設介護の2種類があるとされるが、それぞれの介護の現場で保険事業の対象となる介護活動(ケアワーク)はどのように運用されているのか? 特に介護保険制度が力を入れている在宅介護の現場で見られる業務上の葛藤の調整や補完性の確保はどのようになされているのか? 介護保険創設以来10年余りの時を経て、現代の検討課題は何か? 今後の制度設計はどうあるべきか? こうした極めて切実な問いを切り口として、1970年代から2000年代半ばまでの福祉制度の展開を分析していくことが述べられる。

第II部以降は時代ごとの実証分析を行っている。

第II部(第3章・第4章)は、1970年代~90年代後半の「措置・供給多元化の段階」を扱い、「参加型福祉社会モデル」の検討を行っている。

第3章「在宅介護労働の制度化過程における公的言説空間(1970年代~80年代)」では、高齢者介護に対する社会認識が形成される初期(1970年代および80年代)の、在宅福祉領域における介護労働の制度化の歴史的経緯を、基本的な政府の施策表明の場(『厚生白書』)における記述から読み取る。それにより、介護という行為領域の構成の起源において、政治性をおびて組み込まれた行為領域と行為属性の制度化の相互関連、そこでの評価軸のねじれを明らかにする。

第4章「『参加型』福祉社会における在宅介護労働の認知構造(1980年代~90年代)」では、1990年代の「参加型」福祉社会モデルのサービス供給システムのもと、在宅介護労働の認知や労働ではない介護との関係が如何に構造的に規定されたのかを、「住民参加型組織」の活動推移、実践事例、供給システムへの組み込み過程の検討により明らかにしている。それにより、非-市場的価値にもとづく活動の「経済評価への翻訳」や、社会サービスとしての介護に対する「無限定性」や「感情性」の期待の正当化が、介護保険制度の直前期における「既成事実」を形成していたという、労働としての介護の評価に関する歴史的・制度的な文脈の重要性を示している。

第III部(第5章~第7章)は、1990年代末~2000年代初頭の「介護保険制度の構想・開始段階」を扱い、当時の「介護の社会化モデル」の検討を行っている。

第5章「『介護の社会化』論を通じた介護の費用化と代替性の問題化」では、介護保険制度というマクロな政策変動に大きく寄与した「介護の社会化」という政策理念の問題構制が「労働としての介護」の評価の枠組みに与える影響、そうした問題構制から捉えた90年代末の状況、介護保険制度の設計から読み取れる「社会化」の課題が整理される。「介護の社会化」論は、家族内部に閉じていた介護を労働としての「代替性」と「費用化」という観点から捉えうる言説群を生み出したが、家族の外部として想定されていたのは市場であり、「労働としての介護」は介護サービス市場に相応しいものとなるよう標準化の対象とされたことが示される。

第6章「『介護報酬』を通じた労働評価の枠組み」では、介護労働の経済評価の有力ツール「介護報酬」に焦点をあて、それが労働としての介護を「いかなる評価の枠組み」に即して標準化するのかを、評価枠組みの理論的整理と介護報酬の基本構造の検討により明らかにする。介護報酬は、「活動のパフォーマンスに対する適切な評価設定」「報酬のカバー範囲の設定」という評価枠組みと親和的だが、「介護労働者の社会的市民権の保障」「労働力再生産可能な対価設定」という枠組みとは非親和的なこと、介護労働の経済評価をその担い手の生活と切り離された<活動>評価の次元に移し替えて標準化することを示される。

第7章「介護保険制度開始に伴う『仕事』と『活動』の境界:関係性の再編」では、介護保険制度が規範的に要請する介護労働の行為内容を捉えるため、ホームヘルパーの実態調査、行政や専門職集団の提示した業務指針の検討、制度外でのサービス提供活動との比較を行っている。それにより、業務の範囲の正当性を利用者と共有することの困難、背景要因としての「個別利益志向」の顕在化、地域での生活実感と異なる基準による「限定化」、「感じられた必要」の表明やそれへの応答に対するサンクションの発動の実態を明らかにする。訪問介護として提供される家事援助サービスの行為の価値は制度の外側の住民参加型活動のそれとは対照的であること、介護保険制度のサービス標準化の内実は、個別利益志向の市場関係を前提に全国標準化された供給システムを構成するにふさわしい内容の限定化・基準化であること、感情性指向への負のサンクションを伴った労働対象との関係再編という内実を伴うことが示される。

これらの章の分析を通じて、第II部は介護保険制度の開始以降の潮流を、制度のもとで立ち現れた「特殊な」サービスの供給が「地域生活における相互扶助に根差したサービス交換」から離脱し、ケア関係を規定する主要なサービス供給システムとして発展するプロセスとして理解できることを可能にしている。

第IV部(第8章~第10章)は、2000年代半ば以降の「介護保険制度の再編段階」を扱い、「地域包括ケアモデル」の検討を行っている。

第8章「介護保険制度再編期における介護給付パフォーマンス:OECDデータによる国際的・相対的評価」では、介護保険制度の施行後、「包括ケア」の理念の導入と並行して、社会保障給付としての給付範囲が限定化される2000年代半ば以降について、限定化の背景となる介護保険の費用・給付の実績をOECD諸国との国際比較の視点から整理した。それによって、日本は介護保険制度を通じ、先進国のなかで相対的に大規模な社会的介護費用の確保に成功しているが、在宅介護サービスの「広く薄い」供給構造はサービスへのアクセス権と介護労働への支払水準との矛盾の上に成立していた可能性が明らかにされる。さらに、こうした状況が給付の合理化・効率化の背景となり、「重度」要介護者への専門的対応への給付重点化が制度変更の有力な焦点になりやすいことが確認される。

第9章「介護保険制度再編に伴う『公的供給に値するケア』の変容」では、給付の限定化が制度内部で正当化されるプロセスを給付管理機関へのヒアリング調査から明らかにし、それが「何が公的ケアに値するニーズか」の変更を行政から利用者やその家族に促す過程であること、「感じられた必要」への応答にこれまで以上に距離が置かれること、サービスが被介護者の具体的作業行為を基準にその穴を埋める個別化された行為として制度化され、そうした基準で捉えきれない必要の充足は制度外活動の構成要素として認知される傾向が強化されていたことが示される。

第10章「地域包括ケアにむけた労働実践の可能性と課題:NPO法人Aによる介護保険制度外部での支援ビジネス実践」では、制度内での限定化に伴い必要性が高まる制度外での包括性の担保に関わる活動をどのように意味づけうるのか、困窮高齢者への支援をビジネスとするNPO法人Aを事例に検討される。Aの実践の価値指向として、「一般性」としての「包括性」「無定型性」が確認され、こうした特徴をふまえたサービス評価の指標設定の可能性とあわせ、劣悪サービスとの差異化や適正な労働対価の根拠という観点から、評価に関する大きな課題が残されていることも明らかにされる。

終章の第11章では、上記の3つの時期区分ごとの規範的介護モデルの「労働としての介護の可視化の文法」の特徴を整理し、論文全体が要約的に概括される。さらに、K.ポランニーの擬制商品の概念を借りて、介護を労働と見なす制度の本質的な困難を指摘し、介護保険制度がならしめる介護労働観を、「労働としての擬制」と「商品としての擬制」からなる「二重の擬制」という視点でとらえることによって、その論理的な構成をより明確にする。そして、その含意として、介護保険制度の拡張やそれへの包摂を前提にした介護労働や福祉多元主義パラダイムの限界が示唆される。

本論文は、以上のように、1970年代から現在に至る長期的な期間を視野に入れ、通時的(期間間の経緯の分析および比較)と共時的(同時代のせめぎあい、競合や補完)という縦横の分析枠組みからする包括的な社会学的分析の業績となっており、この意義は大いに評価される。

労働としての介護の意味づけが、一般的・家事的な日常生活の遂行・維持管理活動との関係において問われる「訪問介護」領域に分析範囲を定めることで、介護保険制度を通じた「労働としての介護」の可視化の様態を、前史からの制度的文脈、制度内部と外部との関連をふまえて通時的に分析している。時期区分に応じた3つの規範的介護モデルの設定と、「労働としての介護の可視化の文法」という視点の導入により、「労働としての介護」の制度化を政策理念や供給システムと関連づけること、構造と主体との関係を複眼的に取り扱うことが可能にされている。

著者は(高齢者)ケアの社会学に1990年代に着手したこの分野のパイオニアであり、社会学・行政学・福祉学などの分野を横断しつつ、制度の設計と介護の現場の双方の視点から分析を進めてきた。その20年間以上に亘る研究成果の集成として、本論文が福祉、特にケアの社会学にもたらす貢献は大きい。さらに、本論文は、介護保険制度の「次世代モデル」が幅広く議論される今日の状況にあって、今後の改革の指針を示唆しており、学術だけではなく、その外部の社会に対して重要な意義をもつ。その点では一層高い評価に値する。

他方で、残された課題もある。介護保険制度の焦点が在宅介護にあったことは確かだが、施設介護についての言及に乏しく、介護の制度の総体的な吟味という点では課題を残している。また、同時代の議論からの制約もあって、介護(ケア)・介護活動(ケアワーク)を論ずる際に家事労働との区別に主に注目した分、医療や看護などの専門職との関連の議論がやや浅いものになっている。介護保険制度と障害者施策との関連づけが今度の制度改革の焦点になりうることをふまえると、この点の不備は惜しまれるが、これらはあくまでも部分的な問題点に留まっており、本論文の学術的な成果を損なうものでは全くない。

したがって、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認める。

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