学位論文要旨



No 217701
著者(漢字) 寺井,琢也
著者(英字)
著者(カナ) テライ,タクヤ
標題(和) 生物応用を目指した希土類発光プローブの合理的開発
標題(洋)
報告番号 217701
報告番号 乙17701
学位授与日 2012.07.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17701号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 内山,真伸
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 准教授 杉田,和幸
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

希土類とはランタノイド15元素にScとYを加えた17元素の総称であり、触媒や磁性材料、発光材料への応用が広くなされている。希土類を発光物質として利用する場合、単体での励起は困難なことから、通常は近傍に芳香環(アンテナ)を導入した錯体を形成させエネルギー移動による間接励起によって発光を得ることが多い。希土類の発光は、通常の有機分子やタンパク質の蛍光と比較して非常に長い寿命、鋭い発光ピークなどの特徴を有している。その発光機構は基本的に、アンテナの励起―重項状態(S1)から三重項状態(T1)を経た希土類へのエネルギー移動によるとされている。希土類錯体は長い発光寿命を有することから、励起光照射後一定の時間をおいて発光測定を開始する「時間分解発光測定」によって測定のSINを大きく向上させることができる。

希土類錯体は新薬候補化合物のスクリーニングや細胞イメージングにおける発光標識物質としてだけでなく、最近では生体分子を認識して発光が変化するプローブとしても利用されているが、蛍光プローブと比較してその範囲は限定的である。そこで本研究では、希土類錯体を基盤とする発光プローブの分子設計法を確立し、生物学的に重要な標的分子に対する発光プローブを開発するとともに、希土類錯体の特性を活かした応用を行うことを目的とした。具体的には、以下の3つの項目について研究を行った。

【アンテナの構造変化を利用したレシオ型発光プローブの開発】

最初に取り組んだ研究は、アンテナ構造変化を利用したレシオ型発光プローブの開発である。励起または発光波長が異なる二点の発光強度比が変化するレシオ型プローブは、プローブの濃度や光退色、励起光強度などの影響を受けにくい点で優れた性質を有している。希土類発光プローブについてはこれまで、FRETやイオンの併用、Eu(3+)の配位環境変化を利用したものがレシオ型として報告されているが、一般性のある設計方法は少ない。そこで私は、酵素反応等によってアンテナの構造が変化を受けることで錯体の吸収(および励起)波長が変化する新たなプローブ設計法を考案した。これを実現するためには、アンテナとなる分子は反応点になり得る置換基を有する、構造修飾に拠らず一定の発光性を持っなどの条件を満たす必要がある。条件を満たすアンテナとしてサリチル酸(SA)に注目した。先行研究によりSA誘導体はTb(3+)に対してアンテナとして機能することなどが知られていた。そこで、SAの置換基変換によって励起波長変化型プn一ブを開発できるのではと考え、まずは4種類のモデル錯体を合成し吸収・発光特性を調べた。その結果、励起波長や発光量子収率に違いが認められた。

この知見を活かして、アルカリホスファターゼ(ALP)活性を検出するプローブ開発を行った。ALPは広範なリン酸基を加水分解する酵素であり、レポーター酵素や臨床検査にも用いられている。開発したプローブは330皿1励起においては酵素添加によって発光強度が約5倍に上昇し、励起スペクトルの形状にも変化が認められた。280n皿励起と330nm励起の比を測定したところ時間依存的な上昇が確認され、96穴プレートを用いたアッセイでもこのレシオ測定が可能であることが示された。

【光誘起電子移動を利用した発光プローブの開発】

次に光誘起電子移動を用いて3種類のプローブ開発を行った。アンテナの構造変化を利用したプローブはレシオ測定を可能とする点では有用であるが、官能基変換による光学特性の変化を十分に予測できないなどの短所も有しているため、幅広い標的分子に対応するためには更に合理的なプローブ開発手法が求められると考えた。そこで注目したのが、光誘起電子移動(PeT)である。PeTとは光励起状態における電子の移動のことで、一般に蛍光団に対してPeTが起こると蛍光発光が消失することが知られている。

さて、希土類錯体に対してPeTによる発光制御を適用する揚合、電子を受容できる励起状態は複数存在する。ここで私は、アンテナの近傍に発光on/0ffスイッチとして電子供与部位を導入することで、アンテナのSlに対する電子移動を引き起こすことを狙った。具体的には、代表的な希土類錯体の一つである[cs124-DTPA-Ln]に対して様々な置換基を有する芳香環を導入し、その発光特性を精査した。その結果、Tb(3+)、Eu(3+)錯体共にスイッチ部位のHOMOエネルギーの上昇に伴う消光が観察され、PeTによって錯体の発光強度が制御できることが明らかとなった。

続いてプローブ開発へと研究を進めた。標的分子としては、ペプチドのN末から疎水性アミノ酸を切り出すプロテアーゼであるluecine aminopeptidase(LAP)を選択した。LAPは肝疾患において活性が増加することが知られており、臨床検査にも用いられている。LAP活性を検出するプローブとして[L-BCD-Tb]を設計した。酵素によりLeuが切断されると酸化電位が低いアニリンが露出しPeTによる消光が生じると考えた。【L-BCD-Tb】と生成物標品である【NH-BCD-Tb】の吸収・蛍光特性を調べたところ、スペクトルの形状自体には大きな変化がない一方、発光量子収率には数百倍の差が認められ、PeTによる発光制御が支持された。また、【NH-BCD-Tb】ではアンテナ蛍光の消光も認められ、設計どおりS1に対する電子移動が生じていることが示唆された。また酵素反応の結果、発光変化はLAP特異的かつ経時的に観察された。酵素およびプローブの濃度が低い条件で既存の蛍光プロー一ブと感度比較を行ったところ、明らかにTb(3+)錯体の方が優れたS/Nを示した。最後にヒト血清サンプルを用いた実験を行った。Tb(3+)錯体を用いた場合には癌患者における血液中LAP活性の亢進を明確に検出できたが、既存の蛍光プローブを用いた場合にはバックグラウンドのシグナルが高く有意差が認められなかった。

次に、PeTを用いてプロテアーゼ以外の標的分子に対するプローブ開発を行った。まずはpHを認識するプローブ[AC-Ln]の開発を行った。これらのプローブは(弱)酸性環境でアニリンがプロトン化されることで発光強度が大きく上昇すると期待された。実際に測定したところ、設計通り酸性条件で大きな発光の増大が見られ、そのpKaは窒素原子上のアルキル基に依存していた。これまでにも希土類錯体を用いたpHプローブはいくつか報告されているが、本プローブはこれらと比較して優れた性質を示した。

更に芳香族アミンアセチル転移酵素(NAT)に対するプロ一ブ開発も行った。NATは薬物代謝酵素として有名である他、最近では発がんとの関連も指摘されている。プローブである[NH-BCD-Tb]に対する酵素反応の結果、プローブはNATと反応して発光上昇を示し、阻害剤の効果も測定可能であった。96穴プレート上で既存の蛍光プローブとの比較を実施したところ、開発したプローブは最も高いSINを示した。また細胞ライセートを用いた実験を行ったところ、NAT2高発現細胞において高い活性が認められた。

【近赤外発光プローブの開発】

最後に近赤外発光プローブの開発に取り組んだ。ここまで開発してきたTb(3+)やEu(3+)の錯体は発光強度が大きい反面、紫外光励起(<400nm)が不可欠という欠点を有している。そこで近年では、700nm以上の近赤外領域(NIR)に発光を有し可視光励起のアンテナが利用できるNd(3+)やYb(3+)等のイオンが注目されつつある。NIR発光錯体は特に2000年以降に多く報告が存在するが、500nm以上に吸収を持ち水中で安定に発光を示すものは未だ少ない。これらの錯体を用いたプローブは更に数が少なく、数例に留まる。その原因の一つに、プローブの設計原理に一般性が乏しいことが挙げられる。そこで私は、新たな設計原理としてフルオレセイン系蛍光プローブからの変換を考案した。フルオレセインは可視光蛍光プローブの基本骨格として汎用されている一方、その誘導体であるcalceinはYb(3+)に対する良好なアンテナとして報告されている。即ち、フルオレセインを基盤とする蛍光プローブに配位子部分とYb(3+)を導入すれば、得られた錯体はNIR発光プローブとして機能すると期待される。

プローブの標的分子には、血管弛緩等の生理作用を有するNOを選択した。当研究室ではこれまでに様々なNO蛍光プローブを開発しており、その中にはcalcein骨格を有するプロ一ブも含まれる。そこで設計法の原理検証を行うため、DAFのcalcein体を合成した後にYb(3+)錯体を形成させ、NOプローブとして機能するかを検討した。基本となる錯体およびNOとの生成物標品は発光を有していたが、プローブ錯体はほぼ無発光であった。実際にプローブにNOを添加したところ発光強度が約50倍に上昇し、PeTを用いた初のYb(3+)発光プローブとして機能した。またNOに対する選択性は良好であり、検出限界は90nMと求められた。

【まとめと展望】

私は、希土類錯体の発光機構に注目することで、発光プローブ開発に有用な独自の分子設計を考案した。更に上記の設計に基づき、生理活性分子を標的とする発光プローブを複数開発した。そして、時間分解発光測定と併用することで、特に生化学実験における長寿命発光プローブの優位性を明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

寺井は希土類錯体を基盤とする長寿命発光プローブの開発と応用に関する研究を行った。

希土類とはランタノイド15元素にScとYを加えた17元素の総称であり、触媒や磁性材料、発光材料への応用が広くなされている。希土類を発光物質として利用する場合、単体での励起は困難なことから、通常は近傍に芳香環(アンテナ)を導入した錯体を形成させエネルギー移動による間接励起によって発光を得ることが多い。希土類錯体は通常の有機分子やタンパク質の蛍光と比較して非常に長い寿命、鋭い発光ピークなどの特徴を有していることから、励起光照射後一定の時間をおいて発光の測定を行う「時間分解発光測定」によって測定のS/Nを大きく向上させることができる。現在までに、希土類錯体は新薬候補化合物のスクリーニングや細胞イメージングにおける発光標識物質として利用されているが、通常の蛍光プローブと比較してその範囲は限定的である。

本研究は、希土類錯体を基盤とする発光プローブの分子設計法を確立し、生物学的に重要な標的分子に対する発光プローブを開発するとともに、希土類錯体の特性を活かした応用を行うことを目的に行われた。

1.アンテナの構造変化を利用したレシオ型発光プローブの開発

はじめに、アンテナ構造変化を利用したレシオ型発光プローブの開発を行った。励起または発光波長が異なる二点の発光強度比が変化するレシオ型プローブは、プローブの濃度や光退色、励起光強度などの影響を受けにくい点で優れた性質を有している。本研究で、寺井は酵素反応等によってアンテナの構造が変化を受けることで錯体の吸収(および励起)波長が変化する新たなプローブ設計法を考案した。具体的には、アンテナとなる分子に、(1)反応点となる置換基を有する、(2)構造修飾に拠らず一定の発光性を持つ、などの条件が求められる。この条件を満たすアンテナとしてサリチル酸(SA)に注目し、SAの4種類のモデル錯体を合成し、吸収・発光特性を調べた結果、励起波長や発光量子収率に違いが認められ、励起波長変化型プローブ開発に成功した。この知見に基づいて、アルカリホスファターゼ(ALP)活性を検出するプローブ開発を行った。ALPは広範なリン酸基を加水分解する酵素であり、レポーター酵素や臨床検査にも用いられている。開発したプローブは96穴プレートを用いたレシオ測定アッセイにも応用可能であることを示した。

2.光誘起電子移動を利用した発光プローブの開発

次に光誘起電子移動を用いて3種類のプローブ開発を行った。アンテナの構造変化を利用したプローブはレシオ測定を可能とする点では有用であるが、官能基変換による光学特性の変化を十分に予測できないなどの短所も有しているため、幅広い標的分子に対応するためには更に合理的なプローブ開発手法が求められる。そこで注目したのが、光誘起電子移動(PeT)である。PeTとは光励起状態における電子の移動のことで、一般に蛍光団に対してPeTが起こると蛍光発光が消失することが知られている。

さて、希土類錯体に対してPeTによる発光制御を適用する場合、電子を受容できる励起状態は複数存在する。寺井は、アンテナの近傍に発光On/Offスイッチとして電子供与部位を導入することで、アンテナのS1に対する電子移動を引き起こすことを狙った。具体的には、代表的な希土類錯体の一つである[cs124-DTPA-Ln]に対して様々な置換基を有する芳香環を導入し、その発光特性を精査した。その結果、Tb(3+)、Eu(3+)錯体共にスイッチ部位のHOMOエネルギーの上昇に伴う消光が観察され、PeTによって錯体の発光強度が制御できることを明らかにした。

続いてプローブ開発へと研究を進めた。標的分子としては、ペプチドのN末から疎水性アミノ酸を切り出すプロテアーゼである1uecine aminopeptidase(LAP)を選択した。LAPは肝疾患において活性が増加することが知られており、臨床検査にも用いられている。LAP活性を検出するプローブとして[L-BCD-Tb]を設計した。酵素によりLeuが切断されると酸化電位が低いアニリンが露出しPeTによる消光が生じる設計である。検討の結果、LAP特異的かつ経時的に発光変化が観察された。酵素およびプローブの濃度が低い条件で既存の蛍光プローブと感度比較を行ったところ、明らかにTb(3+)錯体の方が優れたS/Nを示した。ヒト血清サンプルを用いた実験も行い、Tb(3+)錯体を用いた場合には癌患者における血液中LAP活性の亢進を明確に検出できたが、既存の蛍光プローブを用いた場合にはバックグラウンドのシグナルが高く有意差が認められなかった。

次に、PeTを用いてプロテアーゼ以外の標的分子に対するプローブ開発を行った。まず、pHを認識するプローブ[AC-Ln]の開発を行った。これらのプローブは酸性環境でアニリンがプロトン化されることで発光強度が大きぐ上昇する設計である。実際に合成し、測定したところ、設計通り酸性条件で大きな発光の増大が見られ、そのpkaは窒素原子上のアルキル基に依存していた。

更に芳香族アミンアセチル転移酵素(NAT)に対するプローブ開発も行った。NATは薬物代謝酵素として有名である他、最近では発がんとの関連も指摘されている。プローブである[NH-BCD-Tb]に対する酵素反応の結果、プローブはNATと反応して発光上昇を示し、阻害剤の効果も測定可能であった。96穴プレート上で既存の蛍光プローブとの比較を実施したところ、開発したプローブは最も高いS/Nを示した。また細胞ライセートを用いた実験を行ったところ、NAT2高発現細胞において高い活性が認められた。

3.近赤外発光プローブの開発

最後に近赤外発光プローブの開発に取り組んだ。ここまで開発してきたTb(3+)やEu(3+)の錯体は発光強度が大きい反面、紫外光励起(〈400nm)が不可欠という欠点を有している。そこで、水中で安定であり、500nm以上に吸収を持ち700nm以上の近赤外領域(NIR)に発光を有するNd(3+)やYb(3+)等に注目した。寺井は、新たな設計原理としてフルオレセイン系蛍光プローブからの変換を考案した。フルオレセインは可視光蛍光プローブあ基本骨格として汎用されている一方、その誘導体であるcalceinはYb(3+)に対する良好なアンテナとして報告されている。即ち、フルオレセインを基盤とする蛍光プローブに配位子部分とYb(3+)を導入すれば、得られた錯体はNIR発光プローブとして機能すると期待される。プローブの標的分子には、血管弛緩等の生理作用を有するNOを選択した。当研究室ではこれまでに様々なNO蛍光プローブを開発しており、その中にはcalcein骨格を有するプローブも含まれる。そこで設計法の原理検証を行うため、DAFのcalcein体を合成した後にYb(3+)錯体を形成させ、NOプローブとして機能するかを検討した。基本となる錯体およびNOとの生成物標品は発光を有していたが、プローブ錯体はほぼ無発光であった。実際にプローブにNOを添加したところ発光強度が約50倍に上昇し、PeTを用いた初のYb(3+)発光プローブとして機能した。またNOに対する選択性は良好であり、検出限界は90nMと求められた。

以上、寺井は、希土類錯体の発光機構に注目することで、発光プローブ開発に有用な独自の分子設計を考案した。この設計に基づき、生理活性分子を標的とする長寿命発光プローブを複数開発し、時間分解発光測定と併用することで、これらの発光プローブの優位性を明らかにした。これらの業績は博士(薬学)の学位の取得に値する優れた研究と評価された。

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