学位論文要旨



No 217706
著者(漢字) 松島,健一朗
著者(英字)
著者(カナ) マツシマ,ケンイチロウ
標題(和) 醤油麹菌Aspergillus sojaeにおけるアフラトキシン生合成不全に関する研究
標題(洋)
報告番号 217706
報告番号 乙17706
学位授与日 2012.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17706号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 堀内,裕之
 東京大学 准教授 有岡,学
内容要旨 要旨を表示する

Aspergillus sojaeはA. flavus, A. oryzae, A. parasiticusとともにFlavi節に分類される糸状菌である。このうちA. flavusとA. parasiticusは強い発ガン性をもつマイコトキシンであるアフラトキシンを生産する。アフラトキシンは、呼吸中に生産されるAcetyl-CoAから酵素的に生産される(図1)。これらの反応を触媒する酵素活性はアフラトキシン生合成条件下で特異的に誘導される。またアフラトキシン生合成には20以上の遺伝子が関与していると考えられているが、それらは染色体中でクラスターを形成している。一方A. sojae, A. oryzaeは東アジアにおいて麹菌として酒・味噌・醤油などの食品製造に利用されている。アフラトキシン生産を行わないA. sojae及びA. oryzae の一部においてもこのクラスターの存在が確認されている。これらの麹菌が何故アフラトキシンを作らないのかを探ることは、食品製造の安全上重要な課題である。近年アフラトキシン生産菌において、その生合成経路に関する研究が進展してきた。我々はその知見に基づき、醸造用麹菌におけるアフラトキシン生合成遺伝子ホモログの研究を行った。

始めにアフラトキシン生合成に関与する酵素のひとつVHA reductaseの単離、精製を試みた。VHA、VOAc、VOH、VHOHはアフラトキシン生合成経路の途中でmetabolic gridを形成している(図1)が、VHAとVOAcの間及びVHOHとVOHの間の変換はいずれもアフラトキシン生合成条件下で誘導されるVHA reductaseが触媒していると推測されている。本研究ではアフラトキシン誘導培地で培養したA. parasiticusの細胞質画分からアフラトキシン生合成に関与する2つのVHA reductaseの精製を行い、それらの諸性質について検討した。

VHAからVOAcへの変換を触媒する酵素は、DEAE陰イオン交換カラムで分離されるVHA reductaseI及びVHA reductaseIIの2種類が存在した。いずれの非変性タンパク質の分子量も390kDaで、およそ10個程度のモノマーから形成されるホモオリゴマーとして機能していた。基質の2つの光学異性体に対する光学特異性も同じであった。これらの事から2つのVHA reductaseはアイソザイムであると推定した。VHA reductase活性はアフラトキシン生産菌をアフラトキシン誘導条件下で培養した時発現誘導され、活性が40倍に上昇した。アフラトキシン生合成は培地中の炭素源などの誘導条件によって発現が制御されており、VHA reductaseもそのシステムに則って発現制御される酵素であると考えられた。

アフラトキシン生合成制御についてさらに調べるため、醸造菌A.sojaeと比較しながらそのメカニズムを検討した。まずA. sojae 10株を選定し、それらを形態的・生理的特徴から再分類を試みた。分生子の大きさ、色、表面の形状についてA.parasiticusと比較して、いずれもA. sojaeであることを確認した。さらにブレオマイシン感受性の違いも確認した。アフラトキシン生産性を調べるためアフラトキシン生合成誘導培地(YES培地)および醤油麹におけるアフラトキシン生産を調べたところ、A.parasiticusに分類されるアフラトキシン生産菌はYES培地および醤油麹においてアフラトキシンを生産したのに対し、A.sojaeに属する菌を培養してもアフラトキシンは検出されなかった。以上のように選択されたA.sojae菌株は分類学的にA.parasiticusとは別種であるとともに、これらはアフラトキシンを生産しないことを確認した。

次にA. sojaeのアフラトキシン生合成停止がアフラトキシン生合成経路を触媒する個々の酵素の不活性化によるものかどうかを調べるため、各段階の酵素活性を測定した。試験には醤油麹菌として当社保存菌株であるA. sojae strain477を、アフラトキシン生合成菌としてNRRL2999の変異株NIAH-26を使用した。YES培地で培養したNIAH-26の無細胞抽出物はアフラトキシン生合成の全てのステップの酵素活性を示したのに対し、strain477の無細胞抽出物からは上記の酵素活性は認められなかった。唯一VOAc esterase活性が認められたが、これは構成的な活性と考えられ、アフラトキシン生合成に特異的なesteraseの発現はA. parasiticusをYES培地で培養した時に限られていた。以上のようにアフラトキシン生合成誘導条件下においても生合成に必要な酵素群はA. sojaeでは発現していないことが分かった。

次にノーザン解析で転写レベルの遺伝子発現が行われているかどうかを調べた。プローブにはAcetyl-CoAからNAを合成する途中のpolyketide synthaseをコードするpksA、NAからAVNを生産するreducataseをコードするnor-1、アフラトキシン生合成の調節因子をコードする遺伝子aflRを用いた。YES培地で培養したNIAH-26ではpksA、 nor-1はいずれも転写されていたが、strain477ではこれらアフラトキシン生合成に関係する遺伝子の転写産物は検出されなかった。また同様に種々の醤油麹由来のA. sojaeのaflRの転写発現を調べたところ、いずれもaflRは検出されなかった。このことからA. sojaeではアフラトキシン誘導条件下において生合成を促進する機能になんらかの欠損があり、そのために遺伝子の転写が行われず、アフラトキシン生合成酵素が生産されないと考えられた。また調べた全ての醤油麹由来のA. sojaeのaflRの転写産物が検出されなかったことから、これらの菌株においてもアフラトキシン生合成関連遺伝子はすべて発現が停止していることが示唆された。

AflRはアフラトキシンクラスター中の遺伝子にコードされたZinc Fingerタンパク質で、GAL4タイプ因子の転写因子であり、アフラトキシン生合成遺伝子の上流域の結合領域に結合してアフラトキシン生合成を正方向に調節する。A.sojaeのaflR遺伝子の塩基配列を決定したところ、ふたつの変異があることがわかった(図2)。ひとつは111-114残基目に渡るヒスチジンとアラニンの重複(HAHA モチーフ)で、もう一つが385残基目のアルギニンが停止コドンになったプレターミネーションである。そのためにA. sojaeのaflR遺伝子の翻訳産物(AflRas)はA. parasiticusのもの(AflRap)に較べてカルボキシル末端の62アミノ酸を失っている。この変異はA. sojae特異的なもので、全てのA. sojaeのaflRで存在するのに対し、A. oryzaeや他のFlavi節の種ではみられなかった。本研究ではこのA. sojae特異的な変異を持つAflRに着目し、その機能について検討した。酵母中においてGAL1::lacZ遺伝子の発現システムを利用して、AflRタンパク質の転写活性化部位のGAL4転写活性を測定した結果、AflRasはAflRapに比べて転写活性が15%にまで低下していることがわかった。またin vivoでのAflRasの機能を検証するため、アフラトキシン生産菌にaflR遺伝子を導入しその影響を調べた結果、AflRapを過剰発現するとアフラトキシン生合成が促進されるのに対し、AflRasを過剰に発現してもアフラトキシン生合成に影響はなかった。すなわちA. sojaeにおいては転写因子AflRがその特異的な変異のために、機能を失っており、そのためにアフラトキシン生合成経路は機能しないと思われる。

今後は麹菌の二次代謝について、特にさらに上流域の制御について明らかになることが期待される。Aspergillus属菌において様々の菌種、菌株においてゲノム解析が終了しており、それらの比較ゲノム研究、メタボロミクス研究が進行することによって麹菌の二次代謝生産の誘導、シグナル伝達系についてのメカニズムが明らかとなることが期待される。

図1. Biosynthetic pathway of Aflatoxins in Asparagillus parasiticus.

NA, norsolorinic acid: AVN, averantin: HAVN, 5'-hydroxyaverantin: AVR, averufin: VHA, vcrsiconal hemiacetal acetate: VHOH, versiconal: VOAc, versiconol acetate: VOH, versiconol: VA, versicolorin A: VB, versicolorin B DMST, demethylsterigmatocystin: ST, sterigmatocystin: OMST, O-methylsterigmatocystin: DHDMST, dihydrodemcthylsterigmatocystin: DHST, dihydrosterigmatocystin: DHOMST, dihydro O-methylsterigmatocystin: AFB1:G1: B2 : G2, aflatoxin B 1:G 1: B2: G2

図2. Comparison of the nucleotide and deduced amino acid sequences of the afIR genes of A. parasilicus and A. sojae.

A. The atilt gene of A. sojac contains a duplication of six nucleotides (underlined), forming a duplicated HA at His113 and Ala114. B. The transition in the codon ofArg385 (double-underlined) results in the pre-termination of A flR; the truncated protein lacks 62 amino acids, including the transcription-activating domain, at the carboxy-terminal end.

審査要旨 要旨を表示する

醤油麹菌Aspergillus sojaeはA. flavus、 A. oryzae、 A. parasiticusとともにAspergillus属Flavi節に分類される糸状菌である。このうちA. flavusとA. parasiticusは強い発ガン性をもつアフラトキシンを生産する。A. sojaeとA. oryzaeは東アジアにおいて麹菌として酒・味噌・醤油などの食品製造に利用されている。本論文は、A. sojaeが何故アフラトキシンを生産しないのかを分子レベルで明らかにしたものであり、6章からなる。

第1章の序論に続き、第2章では、アフラトキシン生合成に関与する酵素のひとつVHA(Versiconal Hemiacetal Acetate) reductaseの単離、精製を行った。アフラトキシン誘導培地で培養したA. parasiticusの細胞質画分からアフラトキシン生合成に関与する2つのVHA reductaseの精製を行い、それらの諸性質について検討した。DEAE陰イオン交換カラムで分離されるVHA reductaseI及びVHA reductaseIIの2種類が存在した。基質の2つの光学異性体に対する光学特異性も同じであった事から、2つのVHA reductaseはアイソザイムであると推定した。

第3章では、アフラトキシン生合成制御について調べるため、醤油麹菌A. sojaeと比較しながらそのメカニズムを検討した。まずA. sojae 10株を選定し、それらを形態的・生理的特徴から再分類を試みた。アフラトキシン生産性を調べるためアフラトキシン生合成誘導培地(YES培地)および醤油麹におけるアフラトキシン生産を調べたところ、A. parasiticusはアフラトキシンを生産したのに対し、A. sojaeに属する菌を培養してもアフラトキシンは検出されなかった。以上のように選択されたA. sojae菌株は分類学的にA. parasiticusとは別種であるとともに、これらはアフラトキシンを生産しないことが確認された。

第4章では、醤油麹菌株であるA. sojae strain477と、アフラトキシン生合成菌として A. parasiticus NRRL2999の変異株NIAH-26を用いて、アフラトキシン生合成経路を触媒する個々の酵素の活性を調べた。YES培地で培養したNIAH-26の無細胞抽出物はアフラトキシン生合成の全てのステップの酵素活性を示したのに対し、strain477からは上記の酵素活性は認められなかった。次にノーザン解析で転写レベルでの遺伝子発現が行われているかどうかを調べた。プローブにはアフラトキシン生合成遺伝子であるpksA、nor-1、aflRを用いた。YES培地で培養したNIAH-26ではpksA、 nor-1はいずれも転写されていたが、strain477ではこれらアフラトキシン生合成に関係する遺伝子の転写産物は検出されなかった。また、同様に種々の醤油麹菌A. sojae由来のaflRの転写発現を調べたところ、いずれもaflRは検出されなかった。このことからA. sojaeではアフラトキシン誘導条件下において生合成を促進する機能になんらかの欠損があり、アフラトキシン生合成酵素が生産されないと考えられた。

第5章では、アフラトキシン生合成を正に調節する転写因子であるAflRの解析を行った。A. sojaeのaflR遺伝子の塩基配列を決定し、385残基目のアルギニンが停止コドンになっていることを見いだした。これにより、A. sojaeのaflR遺伝子の翻訳産物(AflRas)はA. parasiticusのもの(AflRap)に較べてカルボキシル末端の62アミノ酸を欠失していた。酵母中においてGAL1::lacZ遺伝子の発現システムを利用して、AflRタンパク質の転写活性化部位のGAL4転写活性を測定した結果、AflRasはAflRapに比べて転写活性が15%にまで低下していることがわかった。すなわちA. sojaeにおいては転写因子AflRがその特異的な変異のために機能を失っており、そのためにアフラトキシン生合成経路は機能しないと推定された。第6章では、総合考察を行っている。

以上、本研究は、醤油麹菌A. sojae におけるアフラトキシン生合成不全に関して詳細な解析を行なうとともに、これらの知見をもとに醤油醸造におけるA. sojaeの安全性を確立したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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