学位論文要旨



No 217710
著者(漢字) 中村,吉孝
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ヨシタカ
標題(和) 乳幼仔期の食餌成分が腸管の分泌型抗体産生に与える影響とその機構の解析
標題(洋)
報告番号 217710
報告番号 乙17710
学位授与日 2012.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17710号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 准教授 八村,敏志
 東京大学 准教授 戸塚,護
 北海道大学 准教授 園山,慶
内容要旨 要旨を表示する

乳児向け人工乳は母乳代替食品であり、歴史的には栄養機能を母乳に近づけることを目的として開発され、現在では母乳で育った児と乳児向け人工乳で育った児の成長指標に差は無くなっている。しかしながら、この様な表面上の指標だけでは観測されない生体調節機能については、未だ人工乳の機能は母乳の機能に遥かに及ばないのも事実である。

母乳には種々の生体調節機能が知られており、その代表的なものとして児の生体防御・免疫系の調節機能が挙げられる。母乳中の免疫物質の一つである免疫グロブリンA(immunoglobulin A;IgA)は特異的に病原微生物やウイルスの増殖を抑制あるいは不活性化する作用を有し、乳児の腸管において受動免疫により病原体が体内に侵入し感染することを防いでいる。

これまでに乳児向け人工乳にIgAを配合し、その生体調節機能を母乳に近づける研究が行われているが、この試みは技術的ハードルの高さから実用化には至っていない。一方、IgAによる受動免疫に代わる生体防御の方法として、機能性の食品成分により児の腸管免疫系を活性化する方法が挙げられる。

そこで本研究では、乳児向け人工乳および乳幼児向け食品に生体防御調節機能を付与することを目的とし、そのための基盤研究として、腸管免疫系において生体防御の中心的役割を担う分泌型IgA(secretory IgA;SIgA)の産生とその細胞内輸送タンパク質である多量体免疫グロブリンレセプター(polymeric immunoglobulin receptor;pIgR)の発現調節における乳幼仔期の食餌成分の関与と作用機構を検討した。

第2章では、まず、腸管のSIgA産生およびpIgR発現調節における乳幼仔期の食餌成分の関与と作用機構を明らかにするための端緒として、離乳後の若齢ラットへの食物繊維欠乏食投与の影響を検討した。糖質源としてショ糖のみを配合した食物繊維欠乏食または食物繊維欠乏食に天然の混合型食物繊維であるビート食物繊維を配合した食物繊維含有食を幼若ラットに2週間投与したところ、24時間糞便中のIgA含量が有意に低下した。この時、小腸および大腸組織中のIgA含量に差は無かったことから、食物繊維の欠乏による糞便中IgA含量の低下は腸管粘膜固有層の形質細胞による多量体IgA(polymeric IgA;pIgA)産生の低下に起因したものでは無いと考えられた。一方、小腸および大腸の免疫組織染色およびウェスタンブロッティングによる分析から、食物繊維の欠乏により遠位大腸におけるpIgRタンパク質発現が有意に低下することが確認された。したがって、食物繊維の欠乏は若齢ラットの大腸におけるpIgR発現を抑制し、このことが糞便中IgA含量の減少に関与する可能性が考えられた。食物繊維の欠乏は大腸組織中のpIgR mRNA発現に影響しなかったことから、食物繊維の欠乏によるpIgRタンパク質の発現低下は、mRNAの転写後調節の影響を受けて生じていることが示唆された。これまでに若齢ラット腸管のpIgR発現に影響する食餌成分としてタンパク質の摂取が知られていたが、本研究により食物繊維の摂取も若齢ラット腸管のpIgR発現の調節に重要な因子であることが確認された。現在のところ、乳幼児向け食品への食物繊維の配合は一般的ではないが、腸管免疫系の調節機能を付与する点で乳幼児向け食品への食物繊維の配合を積極的に検討することが有効であると考えられた。

第3章では、食物繊維と同様、発酵性の食品成分であるフラクトオリゴ糖について、離乳期の仔マウスを用いて腸管のSIgA産生およびpIgR発現調節への影響を評価した。離乳期の仔マウスに5%のフラクトオリゴ糖を配合した試験飼料または対照飼料を投与した際の影響を検討した。その結果、離乳期の仔マウスへのフラクトオリゴ糖の投与は小腸および大腸のpIgR発現とIgA産生の両者を促進し、糞便中IgA含量を増加させる可能性が示された。このことは、フラクトオリゴ糖を投与した仔マウスの回腸におけるIgA分泌速度の増加からも裏付けられた。腸管組織中のpIgR発現増加の作用機構として、フラクトオリゴ糖の投与により仔マウスの腸管において産生された酪酸が関与する可能性が挙げられた。また、24時間糞便中のIgA含量の増加については成熟マウスおよび成熟ラットへのフラクトオリゴ糖投与効果を検討した過去の報告と一致する結果であった。その作用機構としてマウス小腸パイエル板(Peyer's patch;PP)におけるIgA産生能の増加が関与することに加えて、小腸PPでのIgA+B細胞へのクラススイッチの促進が関与する可能性が新たに示された。フラクトオリゴ糖の投与効果はその発酵部位である大腸のみならず、遠隔の小腸組織においても発揮された。このことは、フラクトオリゴ糖の投与により大腸を起点として乳幼児の未発達な腸管免疫系全体を活性化できる可能性を示唆するものであった。フラクトオリゴ糖は代表的なプレバオティクスであり、乳児向け人工乳および乳幼児向け食品に広く利用されていることから、これら食品を摂取する乳幼児の腸管において腸管免疫系の調節作用が発揮されていることが期待された。

第2章および第3章での検討結果を踏まえ、第4章では乳児向け人工乳および乳幼児向け食品に利用可能なSIgA産生誘導能の高いプロバイオティクスを得る目的で、マウス小腸PP細胞のIgA産生に加えてヒト腸管由来の株化上皮細胞のpIgR発現を増強する新規ビフィズス菌株の選抜を試みた。マウス小腸PP細胞からのIgA産生を指標として予備選抜を行ったところ、Bifidobacterium bifidumに属する菌株にIgA産生の高い株が認められた。次にこれらの菌株を用いてヒト腸管由来の株化上皮細胞のpIgR発現に与える影響を検討したところ、Bifidobacterium bifidum OLB6377およびBifidobacterium bifidum OLB6378(BB6378)にpIgR発現の増強効果が確認された。pIgR発現増強の評価に用いた死菌体はいずれも殺菌後に洗浄したものであることから、本現象の活性本体は生菌に由来する分泌性の成分では無いと考えられた。これまでグラム陰性の腸内細菌が腸管におけるpIgRの発現調節に重要であることが報告されていたが、本研究により、グラム陰性細菌だけでなくグラム陽性の腸内細菌によっても腸管pIgRの発現調節が生じる可能性が示唆された。これら菌株は健康なヒト乳児由来のものであり、プロバイオティクスとして乳児向け人工乳または乳幼児向け食品に配合した場合、腸管のSIgA産生を促進する可能性が考えられた。

第5章では、上記の可能性をより明確に示すことを目的として、マウス胎児由来の腸管組織片を用いたin vitroの検討によりBB6378による刺激が、腸管組織片のpIgR発現量に与える影響を検討すると共に、BB6378によるpIgR発現量増加の作用機構を詳細に検討した。ヒト腸管由来の株化上皮細胞による検討結果と同様、マウス胎児由来の腸管組織片を用いた本検討においてもBB6378によるpIgR発現の増強が確認された。BB6378による腸管組織片のpIgR発現増加は回腸および大腸において認められたが、空腸では認められなかった。その理由としてBB6378 は大腸のToll様受容体2(Toll-like receptor 2;TLR2)陽性細胞に対してより強く認識され、pIgR産生を促進している可能性が考えられた。DNA マイクロアレイ解析によりBB6378の刺激により増加するIL-1αの関与が示唆されたが、IL-1α KOマウスによる検討からBB6378により誘導されるIL-1αがpIgR発現増加に直接関与する可能性は低いと結論した。一方、MyD88 KOマウスを用いた検討から、BB6378によるpIgR mRNAの発現増加にはMyD88を介したTLRシグナルが関与していることが確認された。これらの結果はBB6378をプロバイオティクスとして乳児向け人工乳または乳幼児向け食品に配合した場合、腸管のSIgA産生を促進する可能性が高いことを示すものであった。

以上のように、本研究では乳児向け人工乳および乳幼児向け食品に生体防御調節機能を付与することを目的とし、そのための基盤研究として、動物モデルを用いたin vivoの検討により腸内発酵性の食品成分である食物繊維またはフラクトオリゴ糖の欠乏または投与が腸管のSIgA産生およびpIgR発現に与える影響を検討すると共に、ヒト株化上皮細胞およびマウス胎児由来の腸管組織片を用いたin vitroの検討により腸管のpIgR発現を増加させる新規プロバイオティクス菌株の選抜とその作用機構の解明を試みた。結果として、乳幼児向け食品への食物繊維の積極的な配合を提案すると共に、既に広く実施されている乳児向け人工乳および乳幼児向け食品へのフラクトオリゴ糖配合の有用性を裏打ちすることができた。さらに、将来的に乳児向け人工乳および乳幼児向け食品に利用可能なSIgA産生誘導能の高いプロバイオティクス菌株としてBB6378を選抜するに至った。本研究では、これら食品成分の生体調節機能の作用機構についても情報を取得したことから、それぞれの作用機構の違いを踏まえた上で、これらの食品成分を組み合わせて利用するなど、今後、乳児向け人工乳および乳幼児向け食品の改良に活用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

乳児向け人工乳(調製粉乳)は、栄養機能を母乳に近づけることを目的として長年かけて開発されてきた。現在では、乳児向け人工乳で育った児と母乳で育った児の成長指標には差は無くなったとされている。しかしながら、このような表面上の指標だけでは観測されない機能、例えば生体防御調節機能については、人工乳の機能は未だ母乳の機能に遥かに及ばないのも事実である。

本研究は、腸管免疫系において生体防御の中心的な役割を担うことが知られている分泌型免疫グロブリンA(secretory immunoglobulin A;SIgA)とその細胞内輸送タンパク質である多量体免疫グロブリンレセプター(polymeric immunoglobulin receptor;pIgR)の2種のタンパク質に着目し、腸管における両タンパク質の産生や発現調節に及ぼす乳幼仔期の食餌成分の影響、さらにはその調節メカニズムについて検討したもので6章からなる。

第一章の緒論に続く第二章では、腸管のSIgA産生およびpIgR発現調節における乳幼仔期の食餌成分の関与とその作用機構について検討している。まず、離乳後の若齢ラットに対する食物繊維欠乏食投与の影響を調べ、食物繊維の欠乏が若齢ラットの大腸におけるpIgR発現を抑制すること、その結果として糞便中のIgA含量が減少することを見出した。また、食物繊維の欠乏によるpIgRタンパク質の発現低下のメカニズムについて検討し、この現象にはmRNAの転写後調節が関わっている可能性を示した。

第三章では、食物繊維と同様に腸内で発酵性を示す食品成分であるフラクトオリゴ糖について、離乳期の仔マウスを用いて検討している。腸管のSIgA産生およびpIgR発現調節への影響を評価した結果、離乳期の仔マウスへのフラクトオリゴ糖の投与は小腸および大腸でのpIgR発現とIgA産生の両者を促進し、糞便中IgA含量を増加させることが示された。また、腸管組織中のpIgR発現が上昇するメカニズムとして、フラクトオリゴ糖の投与により仔マウスの腸管において産生された酪酸が関与する可能性を示すとともに、マウス小腸パイエル板でのIgA+B細胞へのクラススイッチの促進が腸管組織中のIgA含量の増加に関与する可能性を新たに示した。

第二章および第三章での研究結果を踏まえ、第四章では乳児向け人工乳および乳幼児向け食品に利用することが可能な、SIgA産生誘導能の高いプロバイオティクス候補株の選抜を行っている。マウス小腸パイエル細胞のIgA産生に加えて、ヒト腸管由来の株化上皮細胞におけるpIgR発現を指標として菌を選抜した結果、Bifidobacterium bifidum OLB6377およびBifidobacterium bifidum OLB6378(BB6378)が得られた。これまでグラム陰性の腸内細菌が腸管におけるpIgRの発現調節に重要であることは報告されていたが、本研究により、グラム陰性細菌だけでなくグラム陽性の腸内細菌によっても腸管pIgRの発現調節が誘導される可能性が示唆された。

第五章では、マウス胎児由来の腸管組織片を用いたin vitroの実験系によって、BB6378の作用機構の検討を行っている。まずBB6378による刺激がpIgR発現を増強すること、その効果の大きさは腸管の部位により異なることを確認した。さらに、DNA マイクロアレイ解析およびノックアウトマウスを用いた検討から、BB6378によるpIgR mRNAの発現増加には腸管上皮細胞でのMyD88を介したToll様受容体シグナルが関与していることを確認した。これらの結果は、プロバイオティクスとして乳児向け人工乳または乳幼児向け食品に配合したBB6378は、腸管でのpIgR産生を促進する可能性が高いことを示すものと考えられた。

第六章は以上の結果を総合的に考察した総括となっている。

以上、本研究は、プロバイオティクス乳酸菌やプレバイオティクスが乳幼仔の腸管での感染防御を担うタンパク質である分泌型IgAやpIgRの産生を増進することを見出し、さらにそのメカニズムの一端を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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