学位論文要旨



No 217711
著者(漢字) 西川,智美
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,サトミ
標題(和) 高脂肪食給餌によって誘発されたBALB/cマウスの脂肪肝の性状
標題(洋)
報告番号 217711
報告番号 乙17711
学位授与日 2012.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17711号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 准教授 大野,耕一
 東京大学 准教授 内田,和幸
 東京農工大学 准教授 渋谷,淳
内容要旨 要旨を表示する

非アルコール性脂肪肝とは,アルコール非摂取者においてアルコール性脂肪肝と同様の病態を示す肝臓の病態のことである.発生率は10~24%であるが,肥満者においては75%と高く,肥満と密接な関係にあると考えられている.食生活の欧米化に伴い肥満は増加傾向にあり,それに伴って非アルコール性脂肪肝の発生も増加している.また,非アルコール性脂肪肝は脂肪肝炎や肝癌に進展することもあり,近年とくに注目されている.脂肪肝に至るプロセスを解明するため多くの臨床研究がなされてきたが,脂肪肝の発生・進展には長い月日がかかるために均質なデータをとることが困難である.そのため,動物における脂肪肝モデルの作製とそれを用いた脂肪肝発生における機序解明を目指した実験的研究が遂行されている.

非アルコール性脂肪肝のモデルとしては,食事性あるいは遺伝子変異性肥満に伴う脂肪肝,脂質代謝関連遺伝子の欠損による脂肪肝などがある.これらのうち,ヒトの肥満に伴う脂肪肝をよく反映しているのは,高脂肪食給餌によって作出された肥満動物の脂肪肝と考えられる.しかし,これまで高脂肪食誘導性肥満動物の脂肪肝についてヒト脂肪肝のモデルとしての詳細な検討はなされていない.

肥満に影響する因子にはマウスの系統,性別,年齢が考えられ,脂肪肝の発生も同様に系統,性別,年齢の影響を受けることが考えられる.系統については,高脂肪食給餌により肥満になりやすい系統(C57BL/6J,DBA/2J)と抵抗性の系統(SWR/J,A/J),およびこれらの中間の系統(BALB/cByJ,C3H/HeJ)があり,現在では肥満モデルとしてC57BL/6Jが多く使用されている.また,性別については,げっ歯類では高脂肪食給餌による肥満の特徴が雄と雌で異なるという報告がある.さらに,老化に伴ってエネルギー消費が減少しエネルギー摂取調節能力が衰えてくるので,肥満は年齢の影響も受けることが報告されている.

本研究では,肥満に伴う脂肪肝の発生機序について調べるために,高脂肪食を給餌したマウスを用いて,脂肪肝発生における系統・性別・年齢の影響,エネルギー状態の影響,給餌期間の影響を,遺伝子発現解析および病理組織学的検索によって比較した.

第1章では,高脂肪食給餌による肥満と脂肪肝の特徴について,マウスの系統,性別,週齢による差異を検討するため,5週齢のC57BL/6Jマウス(B6)雌雄,5週齢のBALB/cAマウス(BALB/c)雌雄,および54週齢のB6雌雄を用いて9週間高脂肪食給餌を行った.その結果,5週齢から給餌を行ったBALB/cの雄とB6の雄では,高脂肪食群で摂取エネルギー,体重,体脂肪量,血中コレステロールの増加,肝の脂肪滴増加が認められた.BALB/cの雄とB6の雄の高脂肪食群での体脂肪量の増加は同程度であるのに対して,肝の脂肪滴増加は,B6に比べBALB/cで顕著であり,系統差があることが示された.また,性差については,BALB/cの雌では摂取エネルギーの増加が認められず,雄で認められた体重増加,体脂肪量の増加,耐糖能の悪化や肝の脂肪滴増加は程度が低いかあるいは認められなかった.週齢差については,54週齢から高脂肪食給餌したB6の方が5週齢から給餌したB6より体脂肪量の増加の程度が大きく,肝の脂肪滴増加も顕著であった.肝の脂肪滴増加について系統差,性差,週齢差が認められたが,性差と週齢差については,肥満の程度の違いに伴って脂肪肝の程度も変化したと考えられた.一方,B6とBALB/cでは肥満の程度が同じであったことから,肝の脂質代謝に違いがあることが考えられた.これまではB6マウスが肥満モデルとして一般的に使われていたが,むしろBALB/cの脂肪肝について注目すべきと思われた.

次いで第2章では,空腹・満腹といったエネルギー状態の違いが9週間高脂肪食給餌したBALB/cとB6の肝での脂質代謝にどのような影響を与えるかを明らかにするために,絶食時と非絶食時の肝における遺伝子発現および肝への脂質蓄積の程度を比較した.その結果,BALB/cは絶食・非絶食時とも顕著な肝の脂肪滴沈着を示したのに対し,B6では非絶食時には著しい肝の脂肪滴沈着を示したが,絶食すると脂肪滴は減少した.RT-PCR法による遺伝子発現解析の結果,BALB/cでは絶食によって減少すると考えられているacetyl-Coenzyme A carboxylase alpha(Acaca),malic enzyme,fatty acid synthase(Fasn)などの脂肪酸合成関連遺伝子や,これらの転写因子であるsterol regulatory element binding factor 1(Srebp1)の減少がB6に比べて軽度であった.また,B6ではトリグリセリド合成関連遺伝子であるglycerol-3-phosphate acyltransferase, mitochondrial (Gpam)の発現が減少したが,BALB/cでは変動しなかった.以上のことから,高脂肪食給餌したBALB/cでは,通常は絶食によって抑制される脂肪酸合成やトリグリセリド合成が,絶食しても亢進することが明らかになり,このことがB6とBALB/cの肝の脂肪滴増加の差に関連していると考えられた.

第3章では,高脂肪食によるBALB/cの脂肪肝進展機序を詳細に検討するため,高脂肪食あるいは通常食を1週間,4週間,9週間給餌したBALB/cおよび9週間給餌したB6について,マイクロアレイ解析によって遺伝子発現の変化を調べた.その結果,1週間または4週間給餌したBALB/cでは肝の脂肪滴増加はごく軽度であった.1週間の高脂肪食給餌ではケトン体の合成関連遺伝子の発現が増加,脂肪酸合成関連遺伝子の発現が減少しており,脂肪酸異化の亢進,脂肪酸合成の抑制が起こっていると考えられた.これに対し,4週間の高脂肪食給餌では遊離脂肪酸の取り込みに関連する遺伝子の発現増加が認められたが,軽度であった.9週間高脂肪食を給餌したBALB/cは,顕著な肝の脂肪滴増加を示し,遊離脂肪酸の取り込みに関連する遺伝子であるCd36,および脂肪酸合成関連遺伝子であるAcaca,ATP-citrate lyase(Acly),Fasnの発現が増加していた.また,これらの転写因子であるperoxisome proliferator actibated receptor γ(PPAR γ)やSrebp1の発現も増加しており,Acaca,Acly,Fasn,Cd36の発現増加との関連が考えられた.一方,9週間給餌したB6では肝の脂肪滴増加はごく軽度であり,遺伝子発現においては高脂肪食群と通常食群で著しい差は認められなかった.よって,BALB/cの脂肪肝発生の一因としては,遊離脂肪酸の取り込みおよび脂肪酸合成の亢進が重要であることが示唆された.

以上の結果から,マウスの高脂肪食給餌による脂肪肝発生においては,系統差があり,BALB/cは絶食の有無に関わらず脂肪肝が維持されるのに対し,B6では絶食により脂肪肝が改善することが明らかになった.BALB/cでは,絶食状態でAcaca,Me,Fasnの発現減少が軽度であったこと,およびGpamが減少しなかったことから,絶食による脂肪酸合成やトリグリセリド合成の減少が生じないことがB6との系統差の一因と考えられた.また,1週間,4週間,9週間給餌したBALB/cと9週間給餌したB6の肝組織像,および遺伝子解析の結果から,BALB/cの高脂肪食給餌脂肪肝では通常食給餌肝に比べてCd36などの遊離脂肪酸の取り込み関連遺伝子およびAcaca,Acly,Fasnなどの脂肪酸合成関連遺伝子の発現が上昇していることが示され,脂肪酸の取り込みと合成の亢進が脂肪肝発生の一因と考えられた.

本研究の成果は,通常は肥満の実験モデル動物としては用いられないBALB/cが,これまで用いられてきたB6よりも脂肪肝になりやすいこと,およびその脂肪肝発生機序として肝での脂肪酸合成関連遺伝子の発現異常が関連することを指摘した点で非常に重要であると考えられた.

審査要旨 要旨を表示する

申請者は本研究において、高脂肪食(HFD)給餌マウスの脂肪肝発生における系統・性・年齢の影響、エネルギー状態の影響を検索し、脂肪肝モデル系の確立を行なった。

第1章では、HFD給餌による肥満と脂肪肝の特徴について、マウスの系統、性、週齢による差異を検討した。5週齢のC57BL/6Jマウス(B6)雌雄、5週齢のBALB/cAマウス(BALB/c)雌雄、および54週齢のB6雌雄を用いて9週間HFD給餌を行い、通常食群と比較した。その結果、5週齢のB6とBALB/cの雄では、HFD給餌による体脂肪量の増加はB6とBALB/cは同程度であるのに対して、肝の脂肪滴増加はB6に比べBALB/cで顕著であり、系統差があることが示された。また、性差については、BALB/cの雌では雄で認められた様な摂取エネルギーの増加、体脂肪量の増加、肝の脂肪滴増加は軽度であるかあるいは認められなかった。週齢差については、54週齢からHFD給餌したB6では5週齢から給餌したB6より体脂肪量の増加の程度が大きく、肝の脂肪滴増加も顕著であった。肝の脂肪滴増加について系統差、性差、週齢差が認められたが、性差と週齢差については、肥満の程度の違いに伴って脂肪肝の程度も変化したと考えられた。一方、B6とBALB/cでは肥満の程度が同じであったことから、肝の脂質代謝に違いがあると考えられた。

次いで、第2章では、空腹・満腹といったエネルギー状態の違いがHFD給餌したB6とBALB/cの肝で脂質代謝にどのような影響を与えるかを明らかにするために、絶食時と非絶食時の肝における遺伝子発現および肝への脂質蓄積の程度を両系統で比較した。その結果、BALB/cは絶食・非絶食時とも顕著な肝の脂肪滴沈着を示したのに対し、B6では非絶食時には著しい肝の脂肪滴沈着を示したが絶食時では脂肪滴沈着はわずかであった。遺伝子発現解析の結果、BALB/cでは絶食によって減少すると考えられている脂肪酸合成関連遺伝子や、それらの転写因子の発現減少がB6に比べて軽度であった。また、B6ではトリグリセリド合成関連遺伝子の発現が減少したが、BALB/cでは変動しなかった。以上のことから、HFD給餌したBALB/cでは、通常は絶食によって抑制される脂肪酸合成やトリグリセリド合成が、絶食しても亢進したままであることが明らかになり、このことがB6とBALB/cの肝の脂肪滴増加の差に関連していると考えられた。

第3章では、HFDによるBALB/cの脂肪肝進展機序を詳細に検討するため、HFDあるいは通常食を1週間、4週間、9週間給餌したBALB/cおよび9週間給餌したB6について、マイクロアレイ解析によって肝における遺伝子発現変化を調べた。その結果、1週間または4週間給餌したBALB/cではHFDによる肝の脂肪滴増加はごく軽度であった。1週間のHFD給餌ではケトン体の合成関連遺伝子の発現が増加、脂肪酸合成関連遺伝子の発現が減少、さらに4週間のHFD給餌では遊離脂肪酸の取り込みに関連する遺伝子の発現が軽度に増加しており、脂肪酸異化の亢進、脂肪酸合成の抑制、軽度の遊離脂肪酸取り込み亢進が起こっていると考えられた。9週間HFDを給餌したBALB/cは、顕著な肝の脂肪滴増加を示し、遊離脂肪酸の取り込みや脂肪酸合成に関連する遺伝子の発現が増加していた。一方、9週間給餌したB6では肝の脂肪滴増加はごく軽度であり、遺伝子発現においてはHFD群と通常食群で著しい差は認められなかった。以上より、BALB/cの脂肪肝発生の一因としては、遊離脂肪酸の取り込みおよび脂肪酸合成の亢進が重要であることが示唆された。

以上の結果から、マウスのHFD給餌による脂肪肝の発生には系統差があり、BALB/cでは絶食の有無に関わらず脂肪肝が維持されるのに対し、B6では絶食により脂肪肝が改善することが明らかになった。さらに、遺伝子発現解析の結果から、BALB/cでは絶食による脂肪酸合成やトリグリセリド合成抑制が生じない、あるいは軽度であることがB6との系統差の一因と考えられた。また、1週間、4週間、9週間給餌したBALB/cと9週間給餌したB6の肝組織像、および遺伝子解析の結果から、BALB/cの肝ではHFDによって脂肪酸の取り込みと合成が亢進していることも脂肪肝発生の一因と考えられた。

本研究の成果は、通常は肥満の実験モデル動物としては用いられないBALB/cが、これまで用いられてきたB6よりも脂肪肝になりやすいこと、およびその脂肪肝発生機序として肝での脂肪酸合成関連遺伝子の発現異常が関連することを指摘し、脂肪肝モデルとして有用であることを示した点で非常に重要であると考えられた。こうした成果は、ヒトの非アルコール性脂肪肝研究ための新たな実験モデル系を提案するものであり、今後の同分野の研究に貢献することが大いに期待される。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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