学位論文要旨



No 217712
著者(漢字) 藤原,雄二
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,ユウジ
標題(和) 新規キラルホスフィンの開発とその触媒的不斉合成反応への応用研究
標題(洋) Development and applications of a new chiral phosphepine for catalytic asymmetric reactions
報告番号 217712
報告番号 乙17712
学位授与日 2012.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17712号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金井,求
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 内山,真伸
 東京大学 准教授 花岡,健二郎
内容要旨 要旨を表示する

有機リン化合物は1950年頃からの有機金属化学の発展において重要な役割を果たし、多くの研究者が配位子としてのホスフィンの研究に携わり、今日でも盛んに改良がおこなわれている。しかしながらホスフィンの求核性を利用した反応の開発の歴史は浅く、キラルホスフィンを用いた触媒的不斉合成反応については1990年代になって報告されたのが初めてである。本論文は、有機リン化合物の求核性を利用した触媒的不斉合成反応の開発研究の成果である。

1.ヘテロ原子置換四級炭素を有する高度に官能基化されたシクロペンテン化合物の触媒的不斉合成反応の開発

電子吸引基によって活性化されたアレンとオレフィンのいわゆる[3+2]環化付加反応の歴史は浅く、1995年に初めてLuらによって報告された。この反応はZhangらが独自に開発したキラルホスフィンを用いることで1998年に初めての触媒的不斉合成が達成されている。その後、Fu、Miller、Marinetti、Lohらが独立してこの[3+2]反応に有効な触媒を見出し報告している。しかしながらこれらの報告は全て炭素で置換されたオレフィンを用いたものであった。

一方でヘテロ原子置換オレフィンによる触媒的不斉[3+2]付加反応の例は2例のみであり、いずれも30%ee程度と満足すべき不斉収率ではなかった。すなわち、ヘテロ原子を含む4級不斉炭素を構築する[3+2]付加反応において活性の高いホスフィン触媒は知られていなかった。ヘテロ原子を含む4級不斉炭素を有するシクロペンテン骨格は天然物にも多く見られる。また、一般的に医薬品には複数のヘテロ原子が含まれていることがほとんどであることから、ヘテロ原子置換シクロペンテン化合物を効率良く合成する反応の開発は、新規医薬品の探索研究において有用であると考えられる。ヘテロ原子置換オレフィンを用いた[3+2]環化付加反応のラセミ体での研究はPyneらによってメチレンヒダントインをオレフィンとして用いた検討が報告されている。そこで、私は彼らと同じ基質を用いて初期の検討を開始することとした。

種々のキラルホスフィンを用いて本反応を行ったところ、Fu らが報告したBinol 由来のホスフェピンは中程度の選択性を示した。さらに効率の高い触媒を求めて、Binol 骨格の3,3'位にフェニル基を有する触媒1 を用いたところ極めて高い光学収率で反応が進行することを見出した (Scheme 1)。新規な触媒1 を用い、種々のγ置換アレンとメチレンヒダントインを反応させたところ、上記の通り高いエナンチオ、ジアステレオ、位置選択性で高度に官能基化されたシクロペンテン化合物が高収率で得られた。メチレンヒダントイン以外にもフタルイミドとして保護されたデヒドロアミノ酸、ビニルホスホン酸エステル、酸素、硫黄原子を有するオレフィン(Figure 1)も同じキラルホスフィンによって対応するヘテロ原子置換4 級炭素を有するシクロペンテン化合物を高いエナンチオ、位置、ジアステレオ選択性で与えた。いずれのヘテロ原子置換オレフィンにおいても高い効率で進行する反応の報告は初めてであり、リン原子、酸素原子置換オレフィンとアレンのこのタイプの反応はラセミ体でも報告されていない。

本反応によって得られた高度に官能基化されたシクロペンテン化合物は脱保護および二重結合のジヒドロキシル化等によって、さらに有用な化合物に変換可能であった。

これまで触媒的不斉[3+2]付加反応についての詳細な反応機構解析は報告されていなかった。ここではメチレンヒダントインによる反応における反応機構についての検討を実施した。本反応の反応速度はアレンと触媒の濃度に比例し、オレフィンの濃度には影響を受けなかった。31P-NMR で反応を追跡したところフリーのホスフィンのみが検出され、ホスフィン‐アレン付加体等の中間体は認められなかった。反応途中で未反応のアレンの光学純度を測定したところ速度論分割が確認された。これはホスフィンによる[3+2]付加反応におけるラセミのアレンの速度論分割の初めての報告である。最後に、生成物の光学純度はホスフィンの光学純度に比例した。これらの実験結果からキラルホスフィンのアレンに対する付加反応がこの触媒反応の律速段階であり、かつ付加逆反応であると結論付けられた。

2.アリールチオールのアレンに対するγ付加反応の開発

電子吸引基によって活性化されたアルキン化合物へのγ付加反応が1994 年にTrost らによって報告され、1998 年には同反応でδ位に不斉中心を生じる触媒的反応がZhang らによって報告された。この反応はFu らによって展開され、ニトロメタン、マロン酸エステル、アルキルチオールが高いエナンチオ選択性でγ付加体を与えることが報告された。ところで、この研究の途上でアルキルチオールγ付加反応条件下ではアリールチオールは期待される生成物を低い収率、エナンチオ選択性で与えるのみであった。このことから、アルキル-アリールチオールの違いによる反応性の差に興味を持ち、アリールチオールでこのγ付加反応を効率良く触媒するホスフィンを見出すべく研究を行った。これまでFu らによってγ付加反応に有用であることが示されていたBinol 由来のホスフェピンは中程度の選択性を示した。前述の不斉[3+2]付加反応に有効な触媒1 はより高い選択性(90%ee、収率81%, Scheme 2)で生成物を与えることを見出した。なお、本反応にはピバル酸の添加が必須であり、ピバル酸を添加しない条件下では72%ee、収率28%でγ付加体を与えた。

添加物の種類によってエナンチオ選択性、収率が大きく変動した。傾向として、強酸(TFA、スルホン酸)はγ付加体を与えず、フェノール、カルボン酸程度の酸が良好な結果を与えた。最も適した添加物は脂肪族カルボン酸であったが、その立体的な効果でエナンチオ選択性が若干変動した。これらの検討結果からピバル酸が添加物として最良であると結論付けた。

本反応の官能基許容性について検討し、アレンのγ置換基としてはメチルからイソプロピルまでのアルキル基、官能基としてはオレフィン、シリル基で保護されたアルコール、エステル、アルキルクロリドが許容された。アリールチオールのベンゼン環上の置換基としては、2,3,4 位の置換基として電子供与性のメトキシ基、電子吸引性のハロゲン原子が許容であり、無保護のアミノ基を有するアリールチオールも良好なエナンチオ選択性および収率で生成物を与えた。

本反応についても反応機構の解明のために検討を実施している。反応次数はアレン、ホスフィン触媒に関して1 次であり、チオール、ピバル酸について0 次であった。反応混合物を(31)P-NMR で分析したところフリーのホスフィンのみが検出された。本反応においても中程度のラセミ体アレンの速度論分割が見られた。一方、すでに報告されているアルキルチオールによるγ付加反応においては、反応混合物の(31)P-NMR ではホスフィン‐アレン付加体と推察される化合物が認められており、未反応アレンの速度論分割は認められていない。

Figure 2 にTrost らによって提唱された反応機構を示す。本反応はキラルホスフィンのアレンに対するベータ付加反応によって開始される。ホスフィン‐アレン付加体が酸(ピバル酸)によってプロトン化されてC となり、生じたホスホニウム中間体にチオールが付加してD となる。プロトン移動によってE となり、ホスフィンがベータ脱離することで触媒を再生し、触媒サイクルが完結する。前述の反応機構に関する検討の結果から、この反応の律速段階は触媒サイクルの最初のホスフィンのアレンへの付加反応であり、この付加反応は付加逆であることが示唆された。一方、アルキルチオールにおいては反応次数の測定は困難であり、31P-NMR において、ホスフィン‐アレン付加体と推定される化合物が検出されている。本反応において添加する酸の種類、構造によって生成物の光学純度が変化したが、その原因は次のように考えている。すなわち、酸は中間体B をプロトン化した後、本反応機構の中間体C のカウンターアニオンとしてリン原子近傍に存在することでその立体的環境に影響を与えているためではないかと推定している。

今回開発した触媒1 の初期の合成法は低収率かつ精製が煩雑であった。そこで収率および操作性の改善検討を行い、Scheme 3 に示した新規合成法を確立した。本合成法にて3g スケールで触媒を合成可能であった。

3.総括

まず、ヘテロ原子置換四級炭素を有する高度に官能基化されたシクロペンテン化合物の触媒的不斉合成反応の開発を行った。ヘテロ原子として窒素、リン、酸素、硫黄原子に適用可能であり、いずれも高いエナンチオ、位置選択性で環化付加体を与えた。いずれのヘテロ原子においても効率的な触媒的不斉合成反応は初めての報告であり、リン、酸素原子の基質についてはラセミ体でも初めての報告である。本研究によってBinol 由来のホスフェピンにおける3,3'位の置換基が触媒の効率を大きく向上させた初めての報告である。

次にアリールチオールによる触媒的不斉γ付加反応を開発した。アルキルチオールのガンマ付加反応と触媒の構造は大きく異なり(ビスホスフィンとモノホスフィン)、その反応機構解析においても異なる挙動が見られることを明らかにした。

合わせて今回報告した新規な触媒1 の大量合成に耐えうる合成法を確立し、3 g スケールでの実績を示した。以上の成果によって、近年その研究が増加してきたキラルホスフィンによる触媒的不斉反応の発展に、ひいては天然物化学、創薬化学の発展に寄与できるものと考えている。

Scheme 1

Figure 1

Scheme 2

Figure 2

Scheme 3

審査要旨 要旨を表示する

藤原は、「新規キラルホスフィンの開発とその触媒的不斉合成反応への応用研究」というタイトルで、キラルホスフィンを有機分子不斉触媒として用いて、電子不足アレンの反応性を利用した以下の2 種類の不斉触媒反応の開発を行った。

(1)ヘテロ原子置換四置換炭素を有する官能基化されたシクロペンテン化合物の触媒的不斉合成反応の開発

図1の4 に示すような、ヘテロ原子を含む不斉4 置換炭素を有するシクロペンテン骨格は、天然物を含めた医薬リード化合物に数多く見られる分子構造である。アレニックエステル2 とメチレンヒダントイン3 との[3+2]環化付加反応によるシクロペンテン骨格のラセミ体合成研究は、Pyne らによって報告されていた。キラルホスフィンを触媒とすることで、本反応を不斉化できるものと想定して研究をおこなった。種々のキラルホスフィンを用いて本反応を行ったところ、Fu らが報告したBinol 由来のホスフェピンが中程度の選択性を示した。さらに効率の高い触媒を求めて、Binol骨格の3,3'位にフェニル基を有する触媒1 を用いたところ極めて高いエナンチオおよびジアステレオ選択性で反応が進行することを見出した(図1)。3 以外にも、フタルイミドとして保護されたデヒドロアミノ酸5、ビニルホスホン酸エステル6、酸素、硫黄原子を有するオレフィン7,8 を基質として用いても、1 を触媒とすることで対応するシクロペンテン化合物を高い選択性で与えた。本反応によって得られた高度に官能基化されたシクロペンテン化合物は、脱保護および二重結合のジヒドロキシル化等によって、さらに有用な化合物に変換可能であった。

反応機構解析実験の結果、本反応の反応速度はアレニックエステルと触媒の濃度のみに比例し、オレフィンの濃度には影響を受けなかったことから、アレニックエステルに対するキラルホスフィンの付加反応がこの触媒反応の律速段階であることが分かった。また、反応途中で未反応のアレンの光学純度を測定したところ速度論分割が確認された。

2.アリールチオールのアレンに対するγ付加反応の開発

Fu らは、アレニックエステルに対するアルキルチオールのγ付加反応がキラルホスフィン触媒により効率的に促進されることを報告していた。しかしこの従来法は、アリールチオールを基質とすると対応する生成物11 を低い収率、エナンチオ選択性で与えるのみであった。アルキルとアリールチオールの違いによる反応性の差に興味を持ち、アリールチオールでこのγ付加反応を効率良く触媒する条件を見出すべく研究を行った。その結果、不斉触媒1 を10%用い、反応系に50%のピバル酸を添加することで、幅広い基質に対応できる反応条件を確立した(図2)。ピバル酸添加効果の原因について詳細は不明であるが、添加するカルボン酸の立体的かさ高さによりエナンチオ選択性が若干変動したことから、エナンチオ選択性を決定するチオールの付加の段階で添加したカルボン酸あるいはカルボキシラトイオンが反応点近傍に存在していることが示唆された。

3.触媒1 の実用的合成ルートの開発

今回開発した触媒1 の初期の合成法は、低収率かつ精製が煩雑であった。そこで収率および操作性の改善検討を行い、図3に示した新規合成法を確立した。本合成法により、3 g スケールで触媒を合成可能であった。この合成法の確立により、今後、1 を用いた新たな不斉触媒反応の開発にも貢献できるものと期待される。

以上の業績は、創薬の基盤となる不斉触媒分野の進展に有意に貢献するものと評価され、博士(薬学)の授与に値するものと判断した。

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