学位論文要旨



No 217723
著者(漢字) 平井,研一
著者(英字)
著者(カナ) ヒライ,ケンイチ
標題(和) SiFRPアブレーション現象の解明とモデル化
標題(洋)
報告番号 217723
報告番号 乙17723
学位授与日 2012.09.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17723号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 横関,智弘
 東京大学 教授 武田,展雄
 東京大学 教授 青木,隆平
 東京大学 教授 嶋田,徹
 宇宙航空研究開発機構 主幹研究員 小笠原,俊夫
内容要旨 要旨を表示する

近年、ロケットエンジンには比推力向上といった性能面だけでなく、高信頼性と低コスト化が求められている。アブレータ方式液体エンジンは再生冷却方式よりも高信頼性/低コスト化の潜在可能性はあるものの設計難度が高く国内適用は少ないが、欧米では研究開発が進行中である。本論文は、液体エンジン用アブレータ方式燃焼室の熱設計を行う上での基礎となるアブレーション現象の整理とその定量化研究を行ったものである。こうした研究は液体エンジン設計上重要にも関わらず、国内外の定量的研究報告例は非常に少ない。

一般に、ロケットには (炭素繊維強化フェノール樹脂)と (シリカ繊維強化フェノール樹脂)のアブレータ2種が広く用いられている。本研究では、耐熱限界温度こそ劣るが、耐酸化性/断熱性に優れる を研究対象とした。強化繊維は強度・剛性向上/炭化層形状保持の役割を担っており、 は 繊維が軟化・溶融に至ると変形、欠損が生じ形状保持できずリセッション(表面後退)開始に至るのに対して、 は炭化層を構成する炭素が酸化性気流アタックで消費されるとリセッションする。このように両者のリセッション機構は異なる。液体エンジンは固体モータに比べると、燃焼ガスの酸化性の高さ(酸化性ガス成分の モル分率が倍以上)、長時間燃焼性から酸化環境としては厳しい反面、燃焼室壁面を指定温度以下に保持する壁面冷却法が適用可能(フィルム冷却等)のため、表面リセッションの人為的抑制が可能である。この理由により、液体エンジン燃焼室用アブレータ材としての総合評価では が有利となる。燃焼中の燃焼室内面形状変化は性能低下に直結することから、リセッションはシステム上回避することが望ましい。

アブレータは高温環境下で熱分解反応を起こし、低強度の炭化変色層を形成する。このため、燃焼室熱設計では燃焼終了時または指定時刻でバージン層が残存し、かつ(アブレータ~外筒間接着層温度<指定温度)となるように板厚設定を行う。この際、アブレータ温度応答予測手法の高精度化/高信頼性化が必要となるが、下記のように加熱率予測と連動したアブレータ温度予測が必要となる点が液体エンジンの特徴である。

噴射器からの推進剤噴射特性(壁面冷却法)の影響を考慮した加熱率分布

加熱率分布(=燃焼室・壁面近傍燃焼ガス温度分布)を反映したアブレータ温度予測

前者はエンジン噴射器特性の影響が支配的であるのに対し、後者はアブレータ固有特性と考えられる。本研究ではこれら2項を分離し、明確な境界条件を設定可能なレーザ加熱試験を利用したアブレータ温度予測モデル構築/検証を実施後、アブレータ(+解析モデル)をいわばセンサに見立て、エンジン地燃後アブレータ炭化量データから燃焼室加熱率分布(噴射器特性)を逆算後、他の地燃データ(温度データや変色層浸透深さ等)に対する解析再現性に基づき、解析予測妥当性を総合評価するというアプローチを採った。

加熱試験後アブレータ切断面を目視観察すると、加熱面から順に炭化層・変色層・バージン層の3領域に区分できる。一方、エンジン地燃後のアブレータ表面を目視観察すると、炭化変色層浸透深さ(の機軸/周方向分布)、加熱表面溶融/白色化(=白筋)(の空間分布)等の膨大な3次元的視覚情報が得られる。これに対し、地燃時温度データのもたらす情報は限定的かつ離散的である。従って、地燃データ最大活用には、3次元視覚情報に対する定量分析/評価が必須と考えた。本研究では、加熱試験後/エンジン地燃後に観測されるアブレータ炭化変色層浸透深さと各界面の物理的意味/解釈、加熱表面の溶融/リセッション/白色化といった視覚情報の整理/分析/定量化が、アブレータ温度応答モデル構築と信頼性向上、更には液体エンジン燃焼室熱設計予測手法確立における最重要技術課題であると位置づけ、特に注力した点である。

炭化変色層界面特性の明確化

加熱後アブレータ内部に形成される炭化変色層の物理的意味把握のため、地燃後/切断後 燃焼室複数位置で、微小径( )ダイアモンドドリルを利用して、(1)炭化層~変色層界面、(2)変色層~バージン層界面、(3)バージン層の3箇所から (熱天秤)試験用サンプルを抽出し熱重量計測を行い、加熱試験時に界面位置が経験した熱分解反応進行度・最高到達温度を定量化した。この結果、炭化層/変色層界面位置に対応する温度は 程度と推定した。 データでは、 フェノール樹脂熱分解主反応ピークは ~ と推定されるが、炭化層/変色層界面位置は丁度この反応ピーク温度近辺に対応することが分かった。一方、変色層/バージン層界面の重量減少特性はバージン層領域とほぼ同様で、同界面位置は反応進行度という尺度では特徴づけられない。このため、追加試験として ハロゲンランプ集光加熱試験を実施した。供試体内部に複数熱電対埋設状態で加熱試験を行い、(試験後実測値の変色層/バージン層界面と熱電対までの距離)と熱電対が試験中に経験した最高到達温度の実験相関をとった結果、変色層/バージン層界面位置は最高到達温度:約 位置に対応することを確認した。

加熱面の溶融/白色化/リセッション開始条件の推定

炭化層は + の混合体で、 融点は約 であることから、リセッション特性試験の仕立には、酸化性/非酸化性ガスでの強制対流・高加熱率環境が可能、かつ放射温度計での 加熱面温度計測が可能であることが必要と考えた。このため、酸化性ガス( )/非酸化性ガス( )と作動ガス種が選択可能な / アーク加熱試験を主試験設備とした。試験中の加熱面温度計測、試験前後 供試体寸法変化に基づくリセッション量算出、試験後供試体加熱面 分析による表面溶融状態観測、目視/可視光領域反射率/ に基づく加熱面表面白色化の定量化を実施した。この結果、 は気流ガスの酸化性・非酸化性に拠らず、加熱面では 繊維融点( )以上で溶融開始するものの、シリカ繊維融点を数 ℃上回る温度からリセッション開始することが分かった。また、加熱面 分析/反射率計測の結果、加熱面の白色化は、表層 含有率に依存した現象で、気流が非酸化性の場合には起こらず、気流が酸化性で炭化層 が消費される環境で発生することが分かった。確認のため、地燃後/燃焼室切断後 サンプルから可視光反射率と加熱面 含有率の実験相関をとると、加熱条件に拠らず、加熱面 含有率が少ないほど可視光反射率が高いという明確な傾向があることを確認した。よって、 加熱面白色化は加熱雰囲気の酸化性有無に依存しており、 加熱面白色化度が高い場合には、加熱環境は酸化性であることが示唆される。

アーク加熱試験条件は気流圧力が低く、酸化性ガス種は のみ選択可能であるのに対し、液体エンジンは高動圧環境かつ酸化性ガス主成分は であることから、アーク試験の 溶融/リセッション開始条件推定結果の汎用性には疑問が残る。これについては今後の研究課題に挙げた。

超音波計測による 損耗量時刻歴の推定

地燃後に取得される炭化変色量は長時間経過後の姿である。変色層は加熱試験直後高温炭化層からの伝熱で加熱終了後も継続進行することから、加熱中/加熱後の炭化変色層リアルタイム進行状況の知見を得ることは 温度応答モデル妥当性検証の有力手段となる。本研究では超音波計測を活用した。定量評価に用いるため、超音波反射点をハロゲンランプ集光加熱試験等により推定した結果、入射超音波は変色層深部(約 位置)で反射しているとの結果を得た。本知見は後述のレーザ加熱試験/液体エンジン地燃時の超音波計測データ評価に反映され、 解析予測モデル検証(過渡温度応答)の有力手段となった。

レーザ加熱試験を利用したアブレータ温度応答モデル検証

アブレータ内部温度応答モデル検証には、不活性雰囲気下加熱試験が可能、ユーザ持込み計測系(超音波計測等)に対する自由度が高く、試験ターンアラウンド時間が短いレーザ加熱試験( 研究開発本部(調布) 半導体レーザ加熱試験)を利用した。試験は真空槽内に供試体セット後、 ガス雰囲気で波長:約 レーザ光を照射する。□ 程度の供試体表面に疑似均一加熱するため、レーザ矩形スポット形状(半値幅: 程度)ビームを2軸ガルバノスキャナミラーで走査、加熱領域を2次元的に拡大させた。加熱率分布は黒色アクリル樹脂へのレーザ光照射時焼損量空間分布と投入電力の関係から設定した。試験中は表面温度、内部温度、超音波反射の各計測、試験後は炭化変色量を計測した。加熱率3次元分布、供試体伝熱異方性、供試体保持用試験治具の熱影響を考慮した3次元アブレーション解析モデルに基づき、試験データに対する再現性( 温度応答モデル妥当性検証)を確認した。

地上燃焼試験を利用したアブレータ燃焼室温度応答モデル検証

アブレータ燃焼室温度応答モデル確立には、加熱率予測と連動したアブレータ温度予測が必要となる。レーザ加熱試験に基づき構築/検証した温度予測モデルを利用し、地燃時炭化量データを再現できるように、噴射器特性が支配的因子である燃焼室加熱率分布(壁面近傍ガス温度分布)を逆算した。この時のアブレータ燃焼室温度応答モデル妥当性は、他の地燃データ(変色層浸透深さ、スロート周り加熱面近傍温度応答、超音波反射位置時刻歴)の解析再現性に基づき総合評価/検証した。尚、燃焼室内面形状は2次元軸対称形状だが 伝熱異方性から燃焼室温度応答予測には3次元解析モデルを用いた。

本研究は、 の(1)表面物理現象(白色化/溶融/リセッション特性)と(2)内部物理現象(炭化変色層の浸透)を実験研究に基づき解明した上で、定量モデル化を実施したものである。本研究成果は既に液体エンジン地上燃焼試験予測に適用されており、実用面で有用なレベルに達している。

審査要旨 要旨を表示する

工学修士 平井研一 提出の論文は「SiFRPアブレーション現象の解明とモデル化」と題し、9章からなっている。

近年、ロケットエンジンには比推力向上といった性能面だけでなく、高信頼性と低コスト化が求められている。アブレータ方式液体エンジンは、再生冷却方式よりも高信頼性/低コスト化の潜在可能性はあるものの、設計難度が高いため適用実績が少なく、一層の研究開発が必要となっている。一般に、ロケットにはCFRP(炭素繊維強化フェノール樹脂)とSiFRP(シリカ繊維強化フェノール樹脂)のアブレータ2種が広く用いられているが、液体エンジンは固体モータに比べると、燃焼ガスの酸化性の高さ及び長時間燃焼性から、酸化環境としては厳しい。このため、液体エンジン燃焼室用アブレータ材としての総合評価では酸化性リセッションが支配的なCFRPに比べ、SiFRPが有利と考えられる。しかしながら、設計を行う上での背景となるSiFRPのアブレーション現象は、燃焼ガスによる複雑な加熱条件、材料の熱分解反応、アブレータ内での熱伝導現象など、複雑現象であるため、アブレータ設計手法は実機条件での実験的検証・確認によるものに留まっており、定量的な予測モデルの構築が行われていない状況であった。また、アブレーション現象に関する理解及び実験データも不足しており、アブレーション現象自体の解明や事象定義を行う必要があった。

このような現状を受け、本論文は、液体エンジン用アブレータ方式燃焼室の熱設計を行う上で必要となる、アブレーション現象の整理とその定量化研究、さらには燃焼室設計解析モデルの構築を目指したものである。

第1章は導入であり、液体エンジン用アブレータに関するこれまでの研究開発動向を紹介し、本研究の意義や位置付けを示している。さらに、アブレータ現象に関する説明を行った上で、研究課題を抽出し、本研究で提案するモデル化手法の概要について説明している。

第2章はSiFRPアブレーション現象の整理及び分析を行ったものであり、各種加熱試験やエンジン地上燃焼試験後のアブレータの目視観察結果をまとめ、得られる視覚的情報及び試験データを照らし合わせることで、アブレーション現象の解明を試みている。加熱面から順に炭化層・変色層・バージン層の3領域が存在することを明らかにし、炭化層/変色層界面特性の明確化、SiFRP加熱面の溶融・白色化・リセッション開始条件の定量的な推定を行っている。

第3章では、SiFRPアブレーション現象の時系列データの取得と定量的評価結果をまとめている。加熱試験や地上燃焼試験後に取得されるアブレータの炭化・変色量は長時間経過後の姿であり、変色層は加熱試験後にも伝熱により継続進行することから、加熱中及び加熱後の炭化変色層リアルタイム進行状況の知見を得ることはSiFRP温度応答モデルを構築する上で有力な手段となる。そのため、超音波計測を活用し、変色層深部の特定が可能であることを示し、レーザー加熱試験や液体エンジン地上燃焼時の変色層位置のリアルタイム計測を行った結果をまとめている。

第4章では、SiFRPアブレーション解析モデルの構築及びその検証を行っている。1次元モデル、及びそれを拡張した、SiFRPの異方性を考慮した3次元のアブレーション解析モデルに関する支配方程式及び境界条件を示すと共に、解析に必要な熱物性データや熱分解反応データの取得を行っている。さらに、加熱率分布等の熱的境界条件が明確なレーザー加熱試験によるSiFRPの温度応答や炭化層位置などの実験結果との比較により、解析手法の妥当性を確認している。

第5章では、燃焼室環境が推定困難な地上燃焼試験におけるアブレーション現象についての解析モデルの構築と、設計への展開を述べている。4章で検証した解析モデル結果と試験後の炭化量データを用い、燃焼室における熱的境界条件を逆推定することにより解析を試みている。地上燃焼試験において計測可能な位置における温度応答や、3章で確立した超音波反射による変色層位置推定結果などとの比較により、解析モデルの総合的な妥当性の検証を行い、本手法を用いたアブレータ設計手法を提案している。

第6章では、本論文の成果をもとに、液体エンジンSiFRP燃焼室の熱応答予測及び設計に関する今後の研究課題をまとめている。また、各課題に対する具体的な研究計画案を提示している。

第7章は結論であり、本研究で得られた成果を総括している。また、第8章、第9章は謝辞及び文献リストとなっている。

以上要するに、本論文は、SiFRPアブレータのアブレーション現象について、SiFRP表面及び内部の物理現象を膨大な実験に基づき解明した上で、現象の定量的なモデル化に成功し、実機への適用も可能なアブレーション解析モデルの提案と検証を行ったものであり、航空宇宙工学上貢献するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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