学位論文要旨



No 217726
著者(漢字) 笠原,洋紀
著者(英字)
著者(カナ) カサハラ,ヒロノリ
標題(和) 視覚性長期記憶をコードするマカクザル下部側頭葉神経細胞群の視覚属性依存的な機能構築
標題(洋) Submodality-dependent spatial organization of neurons coding for visual long-term memory in macaque inferior temporal cortex
報告番号 217726
報告番号 乙17726
学位授与日 2012.09.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17726号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 教授 河西,春郎
 東京大学 准教授 喜多村,和郎
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

視覚性長期記憶は色・形・テクスチャーなど様々な性質の情報から構成される。マカクザル腹側視覚経路の最終段である下部側頭葉は、物体の形状に関する長期記憶の貯蔵庫として知られているが、色と形のような異なる視覚属性についての長期記憶が、単一ニューロンレベルでどのように貯蔵・想起されるかについては、未解明な点が多い。

下部側頭葉において、刺激選択性の類似したニューロン群は空間的に互いに近接して分布することが知られている。また、マカクザルにフーリエ刺激を用いた対連合課題を学習させると、対連合記憶をコードするニューロンが皮質に平行に1~2 mmの範囲内にクラスター状に集約して分布することが報告されている。しかしながら、色や形などの異なる視覚属性についての長期記憶をコードするニューロンがどのような空間分布を示すかについては、これまでに報告がなかった。

本研究では、異なる2つの視覚属性である、色と形のどちらかにおいてのみ識別可能な図形群を用いた対連合課題(図1)をマカクザルに学習させた。学習後、下部側頭葉傍嗅皮質36野から単一細胞外記録を行い、学習した色または形刺激に対するニューロンの反応、及びそれらの刺激選択性ニューロンの空間分布を調べた。

【方法】

2頭のマカクザルを用いて実験を行った。まず、色と形の2種類の視覚属性のそれぞれにおいてのみ識別可能な図形を用いて、計12対の対連合図形を用意した(図1B)。対連合課題においては、手がかり図形を0.3秒間呈示した後、2秒間の遅延期間の後に、手がかり図形の対連合図形と、無関係な図形の2つが呈示され、サルが対連合図形の方を正しく選択して1.5秒以内に画面に触れた場合のみ報酬としてジュースが与えられた(図1A)。2頭のマカクザルに対して、6対の形刺激対を85%以上の正答率に達するまで学習させたのち、6対の色刺激対を同様の基準に達するまで学習させた。

学習終了後、傍嗅皮質36野より単一細胞外記録を行い、ニューロンの反応と、その空間分布を調べた。各トラックの位置は、X線撮像により同定した。全トラック終了後、微小電流により局所的に傷害し、ニッスル染色した組織切片上でその位置を同定した。これに、各トラックにおける個々の細胞の記録座標の情報を合わせることにより、記録された各神経細胞の空間座標マップを再構築した。組織切片上における、36野と隣接領野の境界は、細胞構築学的標識に従って推定した。

【結果】

傍嗅皮質36野より記録した全587個のニューロンのうち、375個が手がかり刺激呈示期間において有意な応答を示した(paired t-test, p < 0.05)。そのうち、色、形のどちらか一方の次元において有意な手がかり刺激選択性(one-way ANOVA, p < 0.01)を示した色選択性ニューロン(132個)、形選択性ニューロン(103個)について、さらに解析を行った。

刺激選択性ニューロンの一部は、特定の対連合図形に対して選択的な応答を示した(図2)。これらのニューロンの対符号化指数(PCI, 対連合図形に対する応答性を示す指標)は有意であり、対符号化ニューロンと定義された。このような対符号化ニューロンは、色選択性および形選択性ニューロンの両方について見られ、いずれも他方の次元の刺激に対してはほとんど応答しなかった。

次に、色選択性ニューロン群と形選択性ニューロン群の応答性を比較した。個々のニューロンについて、各次元(色、形)の最大応答間の差を標準化した指標(Dimension Index (DI) = (C–S) / (C+S); C, Sはそれぞれ色、形次元の最適刺激呈示時の平均発火頻度)を計算したところ、その分布は、色選択性ニューロン群と形選択性ニューロン群の間で有意差がなかった (Kolmogorov-Smirnov test, p = 0.55)‏。対連合記憶の形成の強さを示す指標(PCI及び、対想起指数(PRI))は共に、色および形選択性ニューロン群の両方において有意に正に偏った分布を示し(Wilcoxon's signed-rank test, p < 0.001)、かつ次元間で有意差がなかった(PCI, p = 0.093; PRI, p = 0.63)。また、PCIまたはPRIが有意となったニューロン(それぞれ、対符号化ニューロン、対想起ニューロン)の、全刺激選択性ニューロンに対する割合も、次元間で有意差がなかった(χ2 test、対符号化ニューロン、P > 0.09; 対想起ニューロン、P > 0.4)。以上の結果から、色選択性ニューロン群と形選択性ニューロン群は、次元選択性の強さと対連合記憶のコーディングの強さの点でほぼ同等であり、いずれも学習した対連合記憶をコードすることが示された。

色と形の両次元において刺激選択性を示した両次元選択性ニューロンも少数ながら記録された(11%, 28/263)。しかし、その割合は、期待値に比べて有意に低かった(test for comparison of two proportions, p < 0.004)。さらに、個々の両次元選択性ニューロンは、いずれも有意なPCI, PRIを示さなかった。これらの結果から、異なる視覚属性の対連合記憶は、それぞれの視覚属性のみに対して刺激選択性を示すニューロンによってコードされることが示唆された。

次に、刺激選択性ニューロンが、コードする次元によって空間的にどのように分布しているかを調べるため、各ニューロンの記録位置を冠状断面の組織切片上に投影し、コードする次元と記録位置の関係を調べた(図3)。その結果、2頭のサル共に、各次元をコードする36野の刺激選択性ニューロンは、次元ごとに分離して、隣接した直径約1~2 mmのクラスター状に分布していることがわかった。

最後に、刺激選択性ニューロンの空間分布がランダムではなく、次元ごとに分離しているかどうかについて、定量的な評価を行った。まず、1つの刺激選択性ニューロンの周囲0.5 mm以内の範囲に位置する全ての刺激選択性ニューロンのDIの平均値を、そのニューロンのCluster index(CI)として定義した。ある次元をコードするニューロンの周囲で、それと同じ次元をコードするニューロンが多く記録されたのであれば、CIは1(色次元)または-1(形次元)に近い値となり、逆に周囲で記録されたニューロンのコードする次元がランダムであれば、CIの値は0となる。次元選択性が強い|DI|>0.5の個々の刺激選択性ニューロンについてCIを算出し、次元ごとに平均した。これに対するcontrolとして、各ニューロンの座標をシャッフルして次元ごとの平均CIを算出し、この操作を1000回繰り返すことにより、次元ごとの平均CIのnull分布を作成した。このnull分布を用いて、次元ごとの平均CIの統計的有意性を評価した。その結果、2頭のサル共に、両次元において平均CIは有意(p < 0.005)となり、刺激選択性ニューロンが、コードする次元ごとに分離して分布していることが示された。同じ解析を、有意なPCIまたはPRIを示したニューロン群に限って行ったところ、やはり2頭のサル共に、両次元において平均CIは有意(p < 0.005)となり、対連合記憶をコードするニューロンも、刺激選択性ニューロンと同様に次元ごとに分離して分布していることが示された。また、この解析において、1つのニューロンのCIを算出するのに用いるニューロンの空間分布範囲を変えて計算を行ったところ、1.5 mm以下の場合のみ次元ごとの平均CIが有意となり、2.0 mm以上では有意ではなかった。この結果は、各次元をコードするニューロン群のクラスターの大きさを反映していると考えられる。

【考察】

本研究では、色と形の2種類の視覚属性のうちの片方でのみ識別可能な視覚刺激からなる対連合図形をサルに学習させ、傍嗅皮質36野ニューロンの性質と空間分布を調べた。その結果、多くの刺激選択性ニューロンが片方の視覚属性についてのみ選択性を示し、特に学習した対連合図形をコードするニューロンは、全てがどちらかの視覚属性のみをコードしていた。また、これらのニューロンの空間分布はランダムではなく、コードする視覚属性ごとに直径1~2 mmのクラスターを形成していた。以上の結果は、学習によって獲得された2種類の視覚属性についての長期記憶が、下部側頭葉において、ニューロンの反応性、及び空間分布の両方の点で別々にコードされることを示している。

視覚属性依存的な長期記憶の貯蔵は、どのような生理学的機構によるのだろうか?下部側頭葉ニューロン間の機能的結合の強さは、ニューロン間の空間的距離に依存するという報告がある。記憶の神経表象が、刺激を繰り返し呈示することによる、ニューロン間のシナプス強度のHebb則的可塑性を介して獲得されるとすれば、相互に結合する近接したニューロン群は、互いに類似したシナプス修飾を受け、同じ視覚属性についての記憶を表象するようになるという可能性が考えられる。この可能性を検証するには、多細胞同時記録等の手法が必要である。さらに、異なる視覚属性間で対連合を形成し、それを学習させた場合に、それらの対連合記憶を表象するニューロンの空間分布が、本研究で見られた視覚属性ごとのクラスターとどのような関係にあるかを調べることにより、下部側頭葉における視覚性長期記憶の神経表象、及びその想起のメカニズムについて、より深い知見が得られることが期待される。

図1. (A)対連合課題における1試行の流れ (B)対連合課題で用いた色及び形次元の刺激対

図2. 各次元の対連合図形をコードする対符号化ニューロンの例

上段:(左)色次元における対符号化ニューロンのラスター及びヒストグラム、(右)同様に形次元における対符号化ニューロン、下段:手がかり刺激呈示期間における各刺激に対する平均発火頻度

図3. 36野における記録ニューロンの空間分布(冠状断面)

各切片の左側の数字:両外耳道からの距離(mm)、丸:刺激選択性ニューロン(赤:色、緑: 形)、青×:非選択性ニューロン、青点線:36野と隣接領野の境界、rs: 嗅状溝、amts: 前内側側頭溝、スケールバー: 2 mm

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、異なる属性の視覚刺激に対する長期記憶の貯蔵機構を明らかにするため、各視覚属性(色、形)からなる図形ペアを用いた対連合課題遂行中のマカクザル下部側頭葉36野より単一細胞外記録を行い、視覚反応性ニューロンの反応性、及びそれらのニューロンの空間分布を調べたものであり、下記の結果を得ている。

1.大部分の視覚反応性ニューロンは片方の視覚属性の刺激に対してのみ刺激選択性を示した。色選択性ニューロン、形選択性ニューロンの一部は、特定の対連合図形に対して選択的な応答を示した。対連合記憶の形成の強さを示す対符号化指数、対想起指数が有意であったこれらの刺激選択性ニューロン(対連合ニューロン)は、両属性について見られ、いずれも他方の属性の刺激に対してはほとんど応答しなかった。

2. 色選択性ニューロン群と形選択性ニューロン群の応答性を比較したところ、各属性(色、形)の最大応答間の差を標準化した指標の分布に有意差はみられなかった‏。対連合記憶の形成の強さを示す指標(対符号化指数、対想起指数)は共に、色および形選択性の両方において有意に正に偏った分布を示し、かつ次元間で有意差がなかった。したがって、色選択性ニューロン群と形選択性ニューロン群は、属性選択性の強さと対連合記憶のコーディングの強さの点でほぼ同等であり、いずれも学習した対連合記憶をコードすることが示された。

3. 色と形の両属性において刺激選択性を示したニューロンの割合は、期待値に比べて有意に低く、またこれらの個々のニューロンの対符号化指数、対想起指数はいずれも有意でなかったことから、刺激の対連合性は片方の視覚属性に刺激選択性をもつニューロンにのみコードされることが示された。

4. 組織学的解析を行ったところ、色選択性ニューロン群が36野内側に、形選択性ニューロン群が36野外側にそれぞれ分布しており、刺激選択性ニューロン群はコードする属性ごとに分離して分布することが示された。対連合ニューロン群に限って解析したところ、これらのニューロン群は刺激選択性ニューロン群同様にクラスター状に分布していた。クラスター分布をRandomization法を用いて定量的に評価したところ、各属性をコードする刺激選択性ニューロン群及び対連合ニューロン群はいずれも直径約1~2 mmのクラスター状に別個に分布することが示された。

以上、本論文は学習によって獲得された異なる視覚属性の長期記憶がニューロンの反応性及び空間分布の両方の観点から、視覚属性依存的にコードされることを明らかにし、視覚長期記憶の機能構築に関する新たな知見を提供した。本研究は下部側頭葉の視覚長期記憶の貯蔵及び想起のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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