学位論文要旨



No 217729
著者(漢字) 貴堂,嘉之
著者(英字)
著者(カナ) キドウ,ヨシユキ
標題(和) アメリカ合衆国と中国人移民 : 歴史のなかの「移民国家」アメリカ
標題(洋)
報告番号 217729
報告番号 乙17729
学位授与日 2012.09.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17729号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,泰生
 東京大学 教授 村田,雄二郎
 東京大学 教授 西崎,文子
 東京大学 准教授 矢口,祐人
 東京大学 准教授 橋川,健竜
内容要旨 要旨を表示する

(要旨)

19世紀中葉のゴールドラッシュを契機に、清朝統治下の広東から中国人の一団が太平洋を渡りサンフランシスコへと上陸した。アメリカ西部へと流入した中国人は、まもなく白人労働者による激しい排斥運動に直面し、中国人移民の存在は、その後の20世紀転換期までアメリカ社会では「中国人問題」と呼ばれ、深刻な社会問題であり続けた。連邦議会で1882年に制定された「排華移民法」は、自由移民の原則を堅持してきたアメリカ政府にとって、特定国籍の移民を対象とした最初の移民制限立法であり、以後、中国人は「帰化不能外国人」として<アメリカ人>の境界の埒外に置かれることとなった。本研究の目的は、この中国人移民の受け入れから入国制限・禁止にいたるアメリカ政府の移民政策の変容過程と、受け入れ社会における排斥運動の発生からその鎮静化までの歴史的過程を分析し、南北戦争・再建期を含む19世紀後半のアメリカ政治、アメリカ社会における「中国人問題」の歴史的意義を検証することである。

これまでのアメリカ移民史では、ヨーロッパ系移民の歴史が軸に据えられアジアからの移民は圧倒的に周縁化されてきた。だが本研究では、19世紀後半の「中国人問題」への対応を通して、アメリカが初めて国家として移民行政の仕組みを整え、<アメリカ人>とは誰で、<アメリカ人になれない外国人Alien Ineligible for Citizenship>とは誰かを定義していく国民化の政治を本格化させたことを明らかにし、未熟ながらも近代的監視の出入国管理システムを備えた移民国家アメリカが誕生する上で「中国人問題」が決定的な役割を果たしたと論じた。

それゆえ、本研究は狭義の移民排斥研究ではなく、黒人奴隷解放によりアメリカの政治秩序が激変する時代の<アメリカ人>の境界をめぐる包摂と排除のポリティクスにいかに排華運動が関わったのかを問う国民国家形成に関する研究である。

序論では、アメリカの「国民の物語」に組みこまれた「移民」概念やその分析概念を批判的に検討し、「長い19世紀」を分析する際には、自由移民のみを特権化せずに、奴隷や契約労働者など不自由な人流を含めて統合的に検証することが必要だとして、人の移動のグローバル・ヒストリー・モデルを提示した。これまで移民史と黒人奴隷史は分断され議論されてきたが、ここでは奴隷制廃止と移民奨励策、中国人苦力の海外流出の連関性に注目した。アメリカをアプリオリに移民国家とする神話化された「移民物語」には依拠せず、アメリカが奴隷国家からいかにして「自由」労働者からなる移民国家へと移行していったのかを歴史的に検証した。また、分析視角として「帰化」の法律に着目し、帰化申請権を「自由な白人」のみに限定した1790年帰化法が再建期の政治において争点化し「帰化不能外国人」が誕生する過程を追い、20世紀転換期までを三ラウンドに分けて同時代の国民化と人種化の政治を検証した。

史料としては連邦議会議事録および外交文書を中心的な史料とし、排華運動の分析では州議会議事録や連邦や州の中国人移民調査報告書、現地の主要新聞、各種労働組合の綱領などを用いた。また、共和党系新聞『ハーパーズ・ウィークリー』に掲載されたトマス・ナストの風刺画を再建期政治史と移民排斥研究の史料として用いた。

本書は二部構成で、第一部では19世紀中葉の移民開始から1882年排華法の制定までを扱い、第二部では排華法制定後、20世紀初頭に排華運動が鎮静化するまでを扱った。

第一章では、中国人移民の送出地である広東を取り巻いていた国際環境・ローカルな環境を整理し、中国からの人口流出をグローバルな人の移動史の中に位置づけた。苦力貿易と世界的な奴隷廃止運動との関係を問い、「苦力」と「奴隷」、「移民」の異同について考察した。また、次章以降の両国間の条約交渉や排華国内法の制定過程に深くコミットするアメリカ側では門戸開放推進派の宣教師・貿易商・外交官、中国側では清朝の伝統的な移民観を見た上で、公使としてアメリカに渡った出使アメリカ大臣ら関連諸主体について押さえた。

次に、第二章ではアメリカに舞台を移して、サンフランシスコにて排華運動が盛んとなった理由を検証した。従来は、中国人とアイルランド系労働者の雇用競合に焦点が当てられ経済的動機が強調されてきたが、ここでは19世紀後半に「即席都市」として急速な発展を遂げた同市の歪んだ発展にその原因を求め、ビッグ四らの市のエリート層に対峙する労働民衆の存在、西部特有の白人中心の人種主義的な政治文化、圧倒的な男性社会として誕生した同市のジェンダー・セクシュアリティをめぐるポリティクスの関与を明らかにし、排華暴動の具体的な分析を行った。

第三章では、中国人移民問題が連邦レベルでの問題となる1860年代後半以降の連邦政治を考察した。南北戦争後の共和党急進派による人種平等を希求する諸改革のなかで、中国人移民を国民の境界内に包摂しようとする動きがどう進行したのか、またそうした共和党政治への反動から再建期の政治文化が変容し一転、排華法制定へと至る道程がいかに生まれたのかを考察した。また、清末の外交政策を李鴻章らの動きを中心に検討し、米中の内政・外交両面から排華移民法制定に至る過程を解明した。

また、第四章では中国人移民表象を扱い、視覚的史料を分析した。再建期にナストが描いた風刺画を用い、<アメリカ人>の境界をめぐるポリティクスを法制度分析では浮かび上がらない、歴史のなかの想像力に着目しつつ検証した。そこではナストが戦後混乱期に意図的に家族共同体的で、かつ人種の境界を越えた兵士共同体的な国民像を創出し、逆に民主党側が「人種混交」の物語でセクシュアルな不安を喚起することで「白人の統治」をスローガンとしていた。

第二部では、1882年の排華移民法制定がその後、連邦法として再強化される過程をおい、移民管理の技法として写真付き身分証の携帯など、20世紀のアメリカ移民行政の原型をなす施策が「中国人問題」から制度化されるさまを明らかにした。

第五章では、1885年のアメリカ史上最大の中国人移民虐殺事件(ロックスプリングズ暴動)を扇動したとされる労働騎士団の労働文化を分析し、のちに連邦移民局局長に転身するパウダリー団長に焦点をあてて、当時の労働運動が階級の連帯ではなく、ホワイトネスを核に人種の連帯を目指していったことを明らかにした。

第六章では、再建政治の終焉を受け連邦法が1880年代末から90年代に再強化される過程を国内政治の変容と、清朝との外交交渉の過程を検証することで明らかにし、こうした動きに清朝側が移民政策を転換(1893)し、駐米公使を通じた巻き返しにでた過程を明らかにした。さらに、アメリカ側にあっても、米西戦争後の帝国的拡大の中で、門戸開放推進派が排華法の問題に深くコミットし、最終的に中国でのアメリカ商品ボイコット運動を契機に、アメリカ国内の排華運動が鎮静化していくさまを描いた。

結語では、州レベルのローカルな圧力から連邦の排華移民法制定に至る過程を説明する、単線的な国内政治モデルの「カリフォルニア学説」(図7-1)では十全な説明たりえないとし、図7-2のように「中国人問題」に関与した米中両国の諸主体を浮かび上がらせ、世界的な奴隷解放運動や再建期の連邦政治、清朝側の外交などこの意思決定過程に加えられた様々な圧力を整理し検証を加えた。

「中国人問題」は単純な移民排斥事案ではなく、そこには米中両国の国益と不可分にリンクした外交・通商上の思惑が絡み合っていた。門戸開放推進派の中国市場開放の圧力、清朝側の帝国維持・延命のための移民問題の利用、「帝国」としてのアメリカの東アジア国際関係への介入など、これらが排華運動の発生から鎮静化の歴史過程に関わっていた。また、本研究では「中国人問題」が、グローバルな奴隷制廃止運動とアメリカ南北戦争という、二つの奴隷解放のモメントと深く交錯していることを明らかにした。19世紀の国際労働力移動を分析し、同時代の「自由」労働と「不自由」労働の選別認定がいかに英米主導で恣意的に決定されていたかを明らかにし、共和党政権の移民奨励策も、それが契約労働者まで「自由」労働者としてカウントする側面を持っていたことを明らかにした。また、奴隷解放後の再建期においても、連邦市民権概念のもとで新しい<アメリカ人>の境界創成が開始されたが、そこで「中国人問題」がサムナーら共和党急進派議員らの人種平等の政治の試金石となったこと、それが頓挫し再建政治の終焉とともに、1882年排華法が制定され非白人として中国人移民が人種化されることとなった。

最後に、「中国人問題」の歴史的意義として二つのことを論じた。一つは、中国人移民ほど<アメリカ人>の境界形成のポリティクスに激しく翻弄された移民集団はなく、彼らが再建期の国民国家編成、世紀転換期以降の帝国的秩序形成につねに象徴的に関与し、政治・社会秩序醸成の触媒の役割を果たした点であり、アメリカの近代社会秩序形成の差異化の政治でこの「中国人問題」を通じて無徴の<アメリカ人>的なるものが創出されたことを論じた。いまひとつは、「中国人問題」が移民国家アメリカを誕生せしめたという点である。従来のアンダーソンの想像の共同体論とは異なり、「想像」するだけでは国家は国家たりえず、行政上、国家が国民/外国人を文書で掌握することで初めて実質的な移民国家が誕生するとすれば、この排華法以降の移民行政こそが、実質的な移民国家アメリカの誕生を意味していた。アメリカは移民国家として「人類の避難所」としての自画像を抱いてきたが、「中国人問題」への対応を見る限り、移民国家誕生の現実はこの理想とはおおよそ異なるものであった。

図7-1 カリフォルニア学説(国内政治過程モデル)

図7-2 本書の分析枠組み

審査要旨 要旨を表示する

合衆国連邦議会で1882年に制定された排華移民法は、自由移民の原則を堅持してきた合衆国における、特定国籍の移民を対象とした最初の移民制限立法であり、以後、中国人は帰化不能外国人として<アメリカ人>の境界の埒外に置かれることとなった。本論文『アメリカ合衆国と中国人移民-歴史のなかの「移民国家」アメリカ-』は、この中国人移民の受け入れから入国制限、禁止にいたる合衆国移民政策の変容と、受け入れ社会における排斥運動の発生および鎮静化の経緯を分析し、南北戦争、再建期を含む19世紀後半の合衆国における中国人問題の歴史的意義を検証するものである。

論文は序章、1章から6章、および結語の全8章からなる。そのうち1章から4章が構成する第一部では、19世紀中葉の移民開始から1882年排華移民法の制定までの経緯が論じられ、5章と6章とが構成する第二部では、同法制定後、20世紀初頭に排華運動が鎮静化するまでの経緯が論じられる。

まず序論では、合衆国の「国民の物語」に組みこまれた移民史の枠組みが批判的に検討され、自由移民ばかりでなく、奴隷や契約労働者を含めた不自由移民の流れを包摂する統合的視点から移民史を検証する必要性が強調される。人の移動のグローバル・ヒストリー・モデルと本論が呼ぶこの枠組みを導入することで、合衆国史研究において個別に議論されがちであった移民史と黒人奴隷史との連関が浮かび上がり、19世紀後半の内政外交全般に接続される中国人問題の重層的な分析が可能になると著者は主張する。

第一章では、中国人移民の主たる送出地であった広東を取り巻く国際環境と地域環境が入念に検討され、中国からの人口流出がグローバルな人の移動史に接続される。また、次章以降で論じられる両国間の条約交渉や排華移民法の制定過程に深く関わる、門戸開放推進派と総称される合衆国側の宣教師・貿易商・外交官、および、伝統的な棄民観とは異なる新しい移民観をのちに抱懐する清朝側の駐米公使らの活動が論じられる。

第二章では、合衆国に舞台を移して、サンフランシスコで排華運動が盛んとなった理由が検討される。19世紀合衆国における中国人問題については、アイルランド系労働者と中国人の雇用競合に焦点が当てられ、差別の背景としての経済的動機を強調する先行研究が多い。しかし、19世紀後半に「即席都市」として急速な発展を遂げたサンフランシスコにおいて、ビッグフォーと呼ばれた市の経済エリート集団と労働民衆とが鋭く対立したこと、また、西部特有の白人中心の人種主義や圧倒的な男性社会として発展した同市のジェンダー・セクシュアリティがその対立に特有の屈折を与えていたことを理解しなければ、激しい排華運動がこの地域にひろがった理由が深く理解できないと著者は説く。

第三章では、中国人移民問題が連邦レベルの問題となる1860年代後半以降の連邦議会内政治が考察される。南北戦争後の共和党急進派による人種平等を希求する諸改革のなかで、中国人移民を国民の境界内に包摂しようとする動きが進む一方、そうした共和党政治への反動から再建期の政治文化が変容し、一転して、排華移民法制定の動きが生まれた。その両方の運動の経緯を本章は検討する。と同時に、清末の外交政策を担った李鴻章らの動きを視野におさめた、米中の内政・外交両面を文脈とする排華移民法制定の歴史を検討する。

第四章では、中国人移民の表象が議論の俎上にのぼり、図像史料が存分に分析される。具体的には、再建期にトマス・ナストが『ハーパーズ・ウィークリー』に描いた一連の風刺画が取り上げられ、政治家の演説や法令文の言説分析では十分に浮かび上がらない、<アメリカ人>の境界をめぐるイメージのせめぎ合いが検証される。その結果、暫定的ではあるが、南北戦後の混乱期、地域や人種の壁を越えた南北の兵士の絆や家族の結びつきを強調する国民像を共和党が創出するのにナストが力を貸し、「人種混交」の物語でセクシュアルな不安を喚起し「白人の統治」を復活させようと目論んだ民主党の政治と対峙していたことが、明らかにされる。

第二部では、1882年の排華移民法制定がその後、連邦法として再強化される過程が分析され、移民管理の技法として写真付き身分証の携帯など、20世紀の合衆国移民行政の原型をなす施策が「中国人問題」を契機に制度化される歴史が明らかにされる。

1885年ロックスプリングズ暴動が合衆国史上最大の中国人移民虐殺事件であることは研究者の間で異論がない。第五章では、その暴動を扇動したとされる労働騎士団の労働文化が詳細に分析され、のちに連邦移民局局長に転身するテレンス・パウダリーが残した史料に基づき、当時の労働運動が階級の連帯ではなく、ホワイトネスを核とする人種の連帯を当初から目指すものであった可能性が示唆される。労働騎士団とAFL(アメリカ労働総同盟)の間に人種の理解をめぐる大きな差が存在したことを無批判に認めることには問題があることがここで明らかになる。

第六章では、再建政治の終焉を受け、中国人を対照とした連邦移民法が1880年代末から90年代に再強化される歴史が、国内政治の変容と清朝との外交交渉の過程に接続されながら検討される。さらに、こうした動きを受けた清朝側が移民政策を転換(1893)し、駐米公使を通じた巻き返しにでた過程も明らかにされる。その後、合衆国側にあっても、米西戦争後の帝国的拡大の中で、門戸開放推進派と総称される人々が排華移民法の問題に深く関わり、最終的には、中国での合衆国商品ボイコット運動を契機に、合衆国国内における排華移民運動が鎮静化していく経緯が詳述される。

結語では、州レベルのローカルな圧力から連邦レベルの排華移民法制定に至るまでの過程を単線的に結びつけて説明する「カリフォルニア学説」の妥当性がまず検討される。そして、国内政治の文脈に頼るこの説明モデルでは19世紀合衆国における中国人移民問題の広がりが把握仕切れない可能性が指摘される。かわって、中国人問題に関与した米中両国の諸主体を浮かび上がらせ、世界的な奴隷解放運動や再建期の連邦政治、清朝側の外交など、移民政策の決定過程に加えられた様々な圧力と関連させながら、この問題を理解する必要が強調される。それらの諸主体の連関を吟味しながら本論文が明らかにしたのは、自由な移民の移動ばかりに着目する神話化された「移民物語」に依拠せずに、奴隷国家から自由労働者の移民国家へと合衆国が移行した歴史的経緯を再検証することの重要性である。その作業を通じて、帰化申請権を自由な白人のみに限定した1790年帰化法が再建期の政治において政治争点化し、やがて帰化不能外国人という範疇が生み出されるまでの過程が、一つの物語として立ち現れる。その物語において、国民の概念を凝固させるのに中国人移民の存在が果たした役割が本論文を貫く主たる論点である。排華移民法の制定とそれ以降の歴史経験こそが「移民国家」アメリカの国民国家化の淵源となった(本論文226頁)と本論文は説く。

以上が本論文の概要である。本論文の学術的意義については以下の審査結果が得られた。

第一に、国内史の文脈でもっぱら議論されがちであった中国人移民問題が、よりグローバルな文脈に接続されることで、今までとは異なる歴史的意味を有することが理解された。そのことが何より高く評価できる。ここで「グローバルな文脈への接続」というのは、一つには、米中両国の内政外政への接続を意味する。すなわち、19世紀合衆国における中国人問題が単純な移民排斥事案ではなく、米中両国の国益と不可分に結びついた外交、通商上の問題でもあったことを本論文は明らかにした。例えば、門戸開放推進派の中国市場開放の圧力、清朝側の帝国維持、延命のための移民問題の利用、「帝国」としての合衆国の東アジア国際関係への介入などが、サンフランシスコ周辺における排華運動の発生から鎮静化の歴史過程に深く関わっていたことを本論文は実証している。

さらにここで言う「グローバルな文脈への接続」には、19世紀における国際労働力移動への排華移民問題の接続という意味も含まれる。すなわち本論文は、19世紀合衆国における中国人問題が、グローバルな奴隷制廃止運動とアメリカ南北戦争という二つの奴隷解放の歴史と深く交錯していることを明らかにしたのである。例えば、当時英米主導で進められていた「自由」労働と「不自由」労働の選別認定が中国人移民の流入に強い影響を与え、過酷な労働条件のもとに渡航する契約労働者までをも「自由」労働者と擬似的にみなす再建期共和党政権の移民奨励策に繋がっていたことを実証している。「人類の避難場所」としての合衆国という神話化された移民国家像に修正を迫るこうした議論は、大西洋ばかりでなく太平洋にも歴史の視野を広げることで可能となったものであり、既存の合衆国移民史研究にアジア史の視点から新たな地平を切り開いたものと高く評価できる。

一方、方法論の側面で、人種の表象やジェンダー史の視点を分析に積極的に取り入れ、従来の研究にない厚みを移民史研究に加えた点も高く評価できる。合衆国における排華移民法の研究においては、連邦議会や州議会の議事録、移民調査委員会の報告書などが従来多用されてきた。本論文は、トマス・ナストという人気風刺画家が雑誌に掲載した図像を史料として大きく取り上げたほか、ジェンダー・セクシュアリティ研究が提示するヴィクトリア朝的家庭観の護持という視点から中国人移民排斥運動の情緒的側面に迫るなどして、合衆国移民史研究の魅力を高めることに貢献している。

もちろん本論文にも改善の余地がないわけではない。まず長年にわたる研究の成果を論文集にまとめて刊行した結果、各論文の内容が発表時における史学史的制約を受け、論文全体の流れに揺らぎを生みだしている可能性が審査員から指摘された。とくに中国史研究の成果を参照する箇所でその弊害が目立つことが審査員から具体的に指摘された。また、図像の解読にさらに入念な準備がなされて良いという指摘もあった。とくに、「カラーブラインド」という概念を用いてナストの図像を解析することの妥当性については若干の疑義が審査員から出された。最後に、19世紀後半から20世紀転換期への歴史を著者が専門としてきたために、その時代を合衆国史の分水嶺とみなす姿勢がどうしても強くなり、筆の滑るところが散見されることも審査員から指摘された。排華移民法の導入によって連邦国家としての合衆国が人種と国民の交錯に初めて真剣に向き合ったという主張が本論文では強すぎないかという議論が審査員間で交わされたのである。連邦という画一的な領域においてではないにせよ、移民国家としての合衆国が人種の問題に直面した先例は幾つか指摘することができる。それらの歴史をどのように本論文に取り込むべきか、検討の余地はあるというのが複数の審査員の見解であった。

しかしそれらの不足は本論文の議論の射程の広がりを逆に示すとともに、今後新たにこの分野を専攻しようとする者が考えねばならない数多くの問題を本論文が確実に捉えていることを示す証しであり、現時点における本論文の学術的価値を損なうものではまったくない。したがって、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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