学位論文要旨



No 217738
著者(漢字) 水崎,富美
著者(英字)
著者(カナ) ミズサキ,フミ
標題(和) フランスの「文化の民主化」における音楽教育の展開 : 1959年から現在まで
標題(洋)
報告番号 217738
報告番号 乙17738
学位授与日 2012.10.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第17738号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小玉,重夫
 東京大学 教授 今井,康雄
 東京大学 講師 新藤,浩伸
 東京大学 教授 大桃,敏行
 学習院大学 客員教授 佐藤,学
内容要旨 要旨を表示する

フランスは、A.マルロー(文化大臣任期1959-1969)以降、「文化の民主化」政策を進めてきた。この政策は、「人類そしてまずはフランスの偉大な作品に可能な限り多くのフランス人を接しさせて、できる限り広い人々に、我が国の文化遺産への関心を確保し、その遺産を豊かにする芸術作品と精神の創造を助長」することを目指した。そしてマルロー以後、「文化の民主化」の意味と具体的方法を模索しつつミッテラン政権下の経済不況においても継続され、現在に引き継がれている。この政策は音楽の分野では、音楽施設の建設や演奏家への支援、「音楽祭」の開催、音楽教育改革等によって展開された。本論文では、「文化の民主化」における音楽教育の展開をユネスコの文化的権利の歴史的発展を踏まえて考察し、それを通して1959年以降の「文化の民主化」が人々に何をもたらそうとしたのかを明らかにした。

「文化の民主化」に関係する音楽教育の研究は、文化政策研究と音楽政策研究の成果を踏まえて進展してきた。文化政策では、M.フュマロリの『文化国家-近代の宗教-』(1991)やX.グレフの『フランスの文化政策-芸術作品と文化的実践-』(2007)等があり、音楽政策ではA.ヴェトゥルらの『モーリス・フルーレ;音楽の民主的政策』(2000)の研究が政策理念を明らかにした。そして音楽教育研究は、L.ビュスイの「音楽の専門教育の民主化-現実それとも理念?-」(2003)やS.ラマルの「音楽学校-音楽の民主化と行政の役割-」(2006)等によって、音楽教育の個々の場に即した研究へと深められてきた。日本においても、「文化の民主化」は文化・音楽政策研究の中で1990年代半ば頃から研究され、音楽教育研究では吉澤恭子が「フランスの小学校におけるオレール・アメナージェCHAM(Classes a Horaires Amenages en Musique)の学習運営とその機能」(2001)を明らかにするなど、個々の音楽教育の場に即した研究が進められてきた。

これらの研究を踏まえて本論文は1959年以降から現在までを対象に「文化の民主化」において生み出された音楽教育の場をユネスコの提起した民主化のための諸措置に即して分析した。

第一章では、ユネスコの文化的権利及び「文化の民主化」の概念の変遷を明らかにし、フランスの「文化の民主化」の政策動向と課題を検討した。ユネスコは「世界人権宣言」(1948)において、文化的権利をすべての人々が文化的生活に参加し、芸術を鑑賞してその恩恵にあずかることであると把握した。さらに、76年には一部のエリートではなく大衆が文化に接近し、参加することと捉えるようになった。この参加は表現・伝達・創造的活動に従事する機会とされ、さらに伝達は対話、共同体意識を目的とした「交流」と捉えられた。このような文化的権利の把握の深まりと共に、「文化の民主化」は70年の報告書において、すべての人々の文化的権利が保障されるために、文化、芸術に接する機会を創り出すための具体的な諸措置(文化施設の料金や時間設定、祭の開催等)を検討することであると捉えられた。76年には、文化活動に関する方法を民主化する必要が示され、より具体的な諸措置が提起された。80年代には「文化の民主化」は創造的な視点が強調され、「文化的民主主義」という用語で表現されるようになった。そして、文化的多様性に基づく自発的、創造的な「交流」を生みだし、市民の社会的な結束をもたらすことを目指すものとされた。

フランスの「文化の民主化」政策は1959年以降に本格化し、70年代にはエリート主義の克服が模索された。特に、80年代には社会党において学校以外の場での活動が強調され、様々な階層の人々が創造的な活動を通して社会的紐帯を形成することが目指された。

第二章では、音楽教育の政策史的動向と音楽教育の場を明らかにした。音楽教育政策はM.ランドフスキーの「10年計画」によって進められた。1980年代以降には学校施設型の領域(コンセルヴァトワール、「青年と文化の家」等)における音楽教育の場が量的に拡大し、さらに非学校施設型の領域(「音楽都市」、「音楽祭」等)が生み出された。

第三章では、エリート主義の克服の試みを、コンセルヴァトワールを事例として考察した。パリ市の区ごとのコンセルヴァトワールではプロの養成ではなく、国からも市場からも自立したアマチュアの音楽をする市民の形成を進めるために料金、教育内容、資格制度の改革等が進められた。しかしながら、学びの継続性や教育内容が主としてクラシックに限定されるという音楽の多様性に関する課題を抱えていた。

第四章では、上記の課題を乗り越えようとする試みを「青年と文化の家」を事例として明らかにした。この施設では様々な国籍や階層に属するアマチュアの音楽をする市民の形成が目指され、それによって社会的な結合を創りだそうとする改革が進められた。ここでは音楽ジャンルの多様性が追求され、また、時間と家族割料金の詳細な設定等により学びの継続性が確保されようとしていた。学校施設型の領域では、1980年代以降、社会経済的な視点から具体的な民主化の諸措置が見出され、特定の階層に閉じられたエリート主義的な傾向から脱することが目指されていた。しかしながら、個人レッスンが中心であり、「文化の民主化」が目指す自発的、創造的な「交流(エシャンジュ)」や社会的な結合を創りだすには課題を抱えていた。

第五章では、上記の課題を克服しようとする民主化の試みを非学校型の施設である「音楽都市」を事例に考察した。「音楽都市」では子ども同士や演奏家、市民と作品を結び付ける仲介者が様々な音楽プログラムに配置され、即興性と偶然性という特徴をもつ「交流(エシャンジュ)」が導き出されようとしていた。しかしながら、参加者の自発性という点ではなお課題が残されていた。

第六章では自発的な「交流(エシャンジュ)」を創り出そうとした民主化の事例を文化省の「音楽祭」をとりあげて検討した。「音楽祭」では、市民が自発的に自由に時間と空間を行き来して他者に問いかける偶然性、即興性とさらに交雑性を特徴とする「交流(エシャンジュ)」が創出されようとしていた。

第七章では、国、地方自治体、文化団体の関係をパリ市を中心に明らかにした。「文化の民主化」は文化省をはじめとする国家による一方的なコントロールではなく、市民により結成された文化団体もイニシアチブを持って行っており、文化団体と国、自治体との相互の民主化によって進められようとしていた。このような状況は地方都市にも見られた。しかし、地方では運営方法や音楽ジャンルの多様性の面で格差が存在していた。また、フランスが見出そうとした「交流(エシャンジュ)」の質は、国や市場によって定められるのでなく、国と地方自治体、文化団体と芸術家、アマチュアの市民らによる批評と実践によって問い続けられようとするものであった。その過程において人々は、フランスの文化の創造と社会的な結合を見出そうとしていた。「文化の民主化」はアマチュアの形成及び音楽ジャンルの多様性に着目して評価すると、「文化の民主化」政策下に音楽教育を受けた世代にアマチュアの増加が見られ音楽ジャンルも多様化しており、前進していると見ることができる。しかしながら、より詳細には依然として階層の格差の問題、資格の明確化が旧来のエリート主義的な構造を堅持しようとしている問題、法的に市民として認められない者は排除されている問題が残されていた。

本研究を通して、「文化の民主化」における音楽教育の展開は人々に何をもたらそうとしたのかについて次の三つの結論を導き出した。第一に、「文化の民主化」は音楽を通して市民(性)の形成をもたらそうとした。「文化の民主化」はプロの養成を目指して文化的リーダーを形成するのではなく、アマチュアの音楽をする市民を創りだすことを求めた。「文化の民主化」は、一般の人々が文化的権利を行使し、地域の人々と自発的に現在及び未来の文化を創造するために演奏し、批評できる力をもつ文化的な市民(性)の形成を目指そうとしていた。

第二に、音楽教育における「文化の民主化」は新たな社会的結合をもたらそうとした。「文化の民主化」は文化的多様性に基づく自発的、創造的な「交流(エシャンジュ)」の創出を目指していた。この「交流(エシャンジュ)」によって国家的、市場的な結合ではなく新たな社会的な結合が模索されようとしていた。

20世紀の音楽における「社会的結合(ソシアビリテ)」は第一次大戦以降、「脱政治化」を特徴とするとされてきた。しかし、1959年以降には「脱政治化」に留まらない新たな社会的結合が音楽教育によって創出されようとした。この社会的結合は、一方で国や地方自治体によるいわゆる上からの民主化(音楽施設の設置や料金及び資格制度の改革等)を契機として生み出されようとしていた。しかし、もう一方の極において、この社会的結合は国籍や階層の境界を越えた自発的な市民によって形成された文化団体による独自の管理、運営と教育内容等の民主化によって見出されようとしていた。ここにおいて国家および地方自治体と文化団体の双方は、互いの民主化の手法を抱き込み、相互に関わり、評価するパートナーとしての創造的な関係を芽生えさせようとしていた。

第三に音楽教育における「文化の民主化」は、音楽教育の場に、従来の美的教育や感性の教育のみならず、新たに公共の議論の場という意味を与えようとしていた。「文化の民主化」は学校施設型の領域を整備するとともに1980年代以降に非学校施設型の領域を生み出した。二つの領域において人々の水平的な移動と他者との「交流(エシャンジュ)」が目指され、音楽教育は人々を「他者との現れを触発し他者をその現れへと鼓舞する」公共的な議論へと導く役割を担おうとした。

審査要旨 要旨を表示する

本論はマルロー文化大臣就任後(1959年以降)のフランスの「文化の民主化」における音楽教育の実践的な展開を詳細な調査研究にもとづいて解明している。本論は「文化の民主化」を同時代に相互媒介的に進展したユネスコの提唱する「文化的権利」を分析枠組みとして、「文化的権利」の概念、「文化の民主化」の諸政策、「文化的民主主義」の展開過程を、多層的に展開された音楽教育の実践の実態に即して全七章で構成して叙述している。

第一章では、「文化の民主化」政策の進展をユネスコの「文化的権利」の展開に即して考察し、「交流」を基盤とする「文化的民主主義」の展開が政策史として叙述されている。

第二章では、ランドフスキーの「10年計画」によって進められた音楽施設の改革を、学校施設型の領域におけるコンセルヴァトワールと「青年と文化の家」、非学校施設型の領域における「音楽都市」と「音楽祭」における場の変化として記述している。

第三章では、パリ市の区ごとに創設されたコンセルヴァトワールの機能を教育内容と資格制度と教育の実態に即して分析し、アマチュア音楽の育成による「音楽市民」の形成が追求された過程を提示している。

第四章では、多様な階層の市民を対象とし多様な音楽ジャンルの教育を標榜した「青年と文化の家」の実態を調査し、アマチュア音楽家の育成の様態を記述している。併せて、同施設がコンセルヴァトワールと同様、学校施設型の特徴として学習者が特定のエリート階層に閉ざされがちな傾向も指摘されている。

第五章では、非学校型の施設である「音楽都市」の実践の実態が提示され、「交流」の意義について考察している。「音楽都市」においては演奏家と市民と作品を結びつけることが意識的に追求され、音楽を媒介とする協同社会の市民の形成が求められている。

第六章では、同じく非学校型の企画である文化省主催の「音楽祭」が対象とされ、偶然性と即興性と交雑性を特徴とする「交流」が一般の市民が自発的かつ自由に音楽を享受する多様な時間と空間を準備していることが示される。

第七章では「交流」の概念を中心とする「文化の民主化」の施策における国、地方自治体、文化団体の関係を解明している。パリ市を事例として考察することにより、「交流」を市場に委ねるのではなく、国と地方自治体と文化団体が協同で責任を分かち合うことによって「文化の民主化」が推進されたことが実証されている。

フランスの音楽教育については、文化政策によって学校施設の枠を超えて非学校施設においても活発に展開されてきたことは知られていたが、その詳細については十分には認識されてこなかった。本論は長期にわたる精緻な調査研究により、それらの実態を詳らかにし、「文化の民主化」政策による多層的な音楽教育の実態の描出を行っている。約半世紀にわたるフランス共和制の構造的変化に対応した考察のいっそうの精緻化が今後の課題として残るが、本論の詳細な実態調査と多層的な音楽教育の構造の解明は先行研究の水準を大きく超えている。よって本論文は博士論文として十分な水準に達していると評価された。

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