学位論文要旨



No 217751
著者(漢字) 礒山,翔
著者(英字)
著者(カナ) イソヤマ,ショウ
標題(和) 新規PI3K阻害剤ZSTK474の耐性因子の同定とその治療への応用
標題(洋)
報告番号 217751
報告番号 乙17751
学位授与日 2012.12.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17751号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 村田,茂穗
 東京大学 教授 清水,敏之
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

がん化学療法において克服すべき重要な問題として、がんの薬剤耐性があげられる。薬剤耐性には、獲得耐性と自然耐性がある。がんの獲得耐性とは、抗がん剤が一旦奏効しても長期間の投与により後に効きにくくなる現象の事である。特にチロシンキナーゼ阻害剤においては、投与開始から1年以内にほぼすべての症例で獲得耐性となると言われている。この事から、分子標的薬を用いたより効果的ながん治療を行うために、獲得耐性のメカニズムを明らかにし獲得耐性克服の治療法を開発する事が求められている。また、自然耐性がんとは抗がん剤に対して治療開始時より効果が認められないがんの事である。がんは多様で個性がある事から、がん患者の中にはある抗がん剤に対して感受性を示す人と逆に耐性を示す人が存在する。したがって、自然耐性の原因を明らかにし耐性克服の治療法を開発する事で、治療前に予め自然耐性がんを診断し耐性を克服する治療法を提供する事は、がんの個別化医療の観点からも非常に重要である。当研究室では、これまで全薬工業との共同研究で新規PI3K阻害剤ZSTK474を同定し、がんの分子標的治療薬として開発してきた。PI3K阻害剤については、現在ZSTK474を含む多くの化合物が臨床試験を行っているところであるが、獲得耐性が出現するかどうかや耐性を規定するメカニズムについては明らかにされていない。そこで本研究は、新規PI3K阻害剤ZSTK474による、より効果的ながん治療法を提案するために、PI3K阻害剤の耐性の原因を明らかにし、それを基に耐性克服の治療法を開発することを目的として、以下の成果を得た。

1. PI3K阻害剤獲得耐性モデルの作成とその性状解析

ZSTK474獲得耐性のin vitroモデルを作成するために、ヒトがん細胞株にZSTK474をin vitroで約2年間暴露した。その結果、10倍以上に耐性化した4つのがん細胞株由来の耐性細胞を得る事に成功した(Fig. 1)。そこで、この獲得耐性細胞の性状解析として、ZSTK474以外のPI3K阻害剤や従来型の抗がん剤であるシスプラチンに対する交叉耐性を調べた。その結果、耐性細胞はPI3K阻害剤に対しては耐性を示したが、シスプラチンに対しては耐性を示さなかった。この事から、このZSTK474耐性細胞はPI3K阻害剤特異的に耐性を示す事が分かった。

2. PI3K阻害剤獲得耐性の原因遺伝子IGF1Rの同定

チロシンキナーゼ阻害剤の最も高頻度に認められる獲得耐性の原因として、ターゲットのチロシンキナーゼにおけるキナーゼドメイン内の遺伝子変異が知られている。そこで、本研究で得られたPI3K阻害剤の獲得耐性細胞において、ターゲットであるPI3Kにおけるキナーゼドメイン内の遺伝子変異を確認した。その結果、4種類の耐性細胞全てにおいてPI3Kのキナーゼドメインに新たな遺伝子変異は認められなかった。この事から、このZSTK474耐性はPI3Kにおけるキナーゼドメイン内の遺伝子変異によるものではないことが示唆された。そこで耐性の原因遺伝子を探索するために、マイクロアレイによって親株と耐性細胞の遺伝子発現プロファイルを調査し、耐性細胞で発現が亢進している遺伝子を抽出した。その結果、IGF1Rが耐性に関連する遺伝子として得られた。そこで、耐性細胞におけるIGF1Rの発現をタンパクレベルで確認したところ、4種すべての耐性細胞でIGF1Rは親株に比べて強発現していることが分かった。IGF1Rはinsulin-like growth factor(IGF)の受容体であり、受容体型のチロシンキナーゼである。IGF1RをIGFによって刺激するとIGF1Rは自己リン酸化して活性化し、IRSを介して下流のPI3K、MAPK経路を活性化する事が知られている。そこで、IGF1R下流のPI3KとMAPK経路の活性化レベルを調べた。その結果、MAPK経路については親株と耐性細胞における活性化レベルに違いは認められなかった。一方、PI3K経路については、耐性細胞においてZSTK474存在下でもその活性が親株に比べて維持されている事が分かった。次にIGF1Rが耐性に機能的に関係しているかどうかを検討するために、siRNAを用いて、IGF1Rをノックダウンした際の耐性細胞におけるZSTK474の感受性の変化を調査した。その結果、IGF1Rをノックダウンすることによって耐性細胞のZSTK474感受性が回復する事が分かった(Fig. 2)。また、その時のPI3Kシグナルを調べるとZSTK474の感受性の変化と一致して、IGF1Rをノックダウンする事によって耐性細胞におけるPI3Kシグナルがより低濃度のZSTK474で抑制された。以上の結果から、耐性の原因はIGF1Rの過剰発現によって、ZSTK474存在下でもPI3K経路の活性が維持されている事が原因と考えられた。

3. PI3K阻害剤とIGF1R阻害剤の併用によるPI3K阻害剤獲得耐性の克服

耐性の治療的観点から、IGF1R阻害剤によって耐性細胞のZSTK474感受性が回復するかどうかを調査した。IGF1R阻害剤としてOSI906を用いてZSTK474と併用した結果、IGF1R阻害剤を併用することによって耐性細胞特異的にZSTK474感受性の明らかな上昇が認められた(Fig. 3)。この事からPI3K阻害剤耐性を克服する治療法として、IGF1R阻害剤とPI3K阻害剤の併用が有効である事が示唆された。

4. PI3K阻害剤の自然耐性とIGF1Rの関連

PI3K阻害剤の獲得耐性の原因としてIGF1Rの過剰発現が同定された事から、IGF1RがPI3K阻害剤の自然耐性にも関連しているかどうかを検討した。IGF1Rの発現量とPI3K阻害剤の感受性に相関があるかどうかを、ZSTK474未治療の39種類のin vitroのがん細胞株を用いて検討した。その結果、有意にIGF1Rの発現が高い程ZSTK474が効きにくい相関があることが分かった。次に、in vivoにおいてもIGF1Rの発現とPI3K阻害剤の感受性に関連が認められるかどうかを、24種類のがん細胞株由来のxenograftを用いて検討した。その結果、in vivoにおいてもIGF1R発現が高い程ZSTK474が効きにくい相関がある事が分かった。この事から、IGF1Rの発現はZSTK474の自然耐性にも関連している事が示唆された。

5. PI3K阻害剤の自然耐性細胞に対するPI3K阻害剤とIGF1R阻害剤の併用効果

IGF1Rが自然耐性克服の治療ターゲットとなり得るかどうかを調べるために、in vitroでIGF1Rを強発現している自然耐性細胞株(U251)とIGF1Rをほとんど発現していない感受性株(PC-3)を用いてIGF1R阻害剤とZSTK474の併用効果を調査した。その結果、獲得耐性と同様に、自然耐性細胞株特異的にIGF1R阻害剤によるZSTK474感受性の増強が認められた(Fig, 4)。この事からIGF1Rは自然耐性においても機能的にZSTK474感受性に関係しており、自然耐性の治療法としてIGF1R阻害剤との併用が有効である可能性が示された。

6. まとめ

本研究において、in vitroにおけるZSTK474の長期暴露によって獲得耐性が生じた事から、臨床においてもPI3K阻害剤の獲得耐性が生じる可能性が示された。また、IGF1Rが獲得耐性及び自然耐性に機能的に関与している事を明らかにし、その事からIGF1Rは耐性克服の治療ターゲットとなりうる事を示した。さらに、IGF1Rの発現とZSTK474の感受性が相関する事を見出し、その事からIGF1Rは予めその発現量を診断する事でPI3K阻害剤の感受性を予測する事が出来るバイオマーカー候補となる事が示された。

本研究の成果は、PI3K阻害剤の耐性機序の解明や耐性克服の治療法の開発、また、PI3K阻害剤の感受性を予測するバイオマーカーの開発に新たな知見を与えるものであり、PI3K阻害剤を用いたより効果的ながん治療の実現に貢献出来るものと考えられる。

Fig. 1 得られたZSTK474獲得耐性細胞の耐性度

Fig. 2 耐性細胞SF295-Rおよびその親株SF295細胞のIGF1Rをノックダウンする事による、ZSTK474感受性の変化

Fig. 3 耐性細胞SF295-Rとその親株SF295細胞に対する、IGF1R阻害剤とZSTK474の併用効果

Fig. 4 IGF1Rの発現が高いZSTK474未治療の自然耐性細胞株に対する、IGF1R阻害剤とZSTK474の併用効果

審査要旨 要旨を表示する

「新規PI3K阻害剤ZSTK474の耐性因子の同定とその治療への応用」と題する本論文は、現在開発中の新規分子標的抗がん剤候補であるPI3K阻害物質ZSTK474に対する耐性の原因を明らかにし、耐性を克服するための方法を開発し、より効果的ながん治療法を提案する事を目的とする研究の成果を述べたものである。薬剤耐性には、獲得耐性と自然耐性があり、前者は抗がん剤が一旦奏効しても長期間の投与により後に効きにくくなる現象であり、後者はがんの個性の一つと考えられる。自然耐性、獲得耐性共に、それらの原因を明らかにし耐性を克服する方法を開発する事は、がんの個別化医療の観点からも重要である。

本論文の主要な部分は二章から成り、第一章はPI3K阻害物質に対する獲得耐性モデルの作成、耐性獲得の機構、及び耐性克服法についての研究成果が述べられている。第二章では、PI3K阻害物質に対するがん細胞の持つ自然耐性とその機構、さらにはその克服法についての研究成果が述べられている。

第一章の最初の部分は、PI3K阻害物質に対する獲得耐性モデルの作成と得られた耐性細胞の特性についての記述である。ZSTK474獲得耐性のin vitroモデルを作成するために、ヒトがん細胞株にZSTK474をin vitroで約2年間暴露した結果、10倍以上に耐性化した4つの耐性細胞が得られた。この獲得耐性細胞の性状解析として、ZSTK474以外のPI3K阻害物質や従来型の抗がん剤であるシスプラチンに対する交叉耐性の有無が検証された。その結果、耐性細胞はPI3K阻害物質に対しては耐性を示したが、シスプラチンに対しては耐性を示さず、これらのZSTK474耐性細胞はPI3K阻害物質に特異性を有する事が分かった。

第一章では次にPI3K阻害物質に対する獲得耐性の原因遺伝子を同定する事が企図された.先ず、耐性細胞株においてPI3Kのキナーゼドメインに変異があるかどうか追究された結果、4種の細胞において、変異が認められなかった。そこで耐性の原因遺伝子を探索するために、マイクロアレイによって親株と耐性細胞の遺伝子発現プロファイルを比較した。その結果、insulin-like growth factor-1受容体(IGF1R)が耐性株に高発現している事が判明した。IGF1RをIGFによって刺激するとIGF1Rは自己リン酸化して活1生化し、PI3K及びMAPK経路を活性化する事が知られていたので、これらの活性化レベルを調べたところ、MAPK経路については親株と耐性細胞における活性化レベルに違いは認められなかったが、PI3K経路については、耐性細胞においてZSTK474存在下でもその活性が親株に比べて維持されている事が分かった。siRNAを用いて、IGF1Rをノックダウンすることによって耐性細胞のZSTK474感受性が回復する事が分かった。以上の結果から、得られた耐性細胞株においてはIGF1Rの過剰発現によって、ZSTK474存在下でもPI3K経路の活性が維持されている事が耐性の原因である事が明らかになった。

第一章では最後に、PI3K阻害物質とIGF1R阻害物質の併用によってPI3K阻害物質に対する獲得耐性が解除出来るかどうかを検証した結果が述べられている。IGF1R阻害物質としてOSI906を用いてZSTK474と併用した結果、耐性細胞特異的にZSTK474感受性の上昇が認められ、IGF1R阻害物質が耐性克服に有効である事が示された。

第二章では、PI3K阻害物質に対する自然耐性とIGF1Rの関連が追究された結果が示されている。PI3K阻害物質に対する獲得耐性の原因としてIGF1Rの過剰発現が同定された事から、IGF1Rの発現レベルがPI3K阻害剤の自然耐性にも関連しているかどうかが39種類のがん細胞株を比較する事によって検討された。その結果、IGF1Rの発現が高い細胞ではZSTK474の効果が低いことが判明した。IGF1Rの発現とPI3K阻害物質に対する感受性の相関がin vivoにおいても認められるかどうかが、24種類のがん細胞株由来のxenograftを用いて検討された。その結果、in vivoにおいても工GFIR発現とZSTK474への感受性に逆の相関がある事が分かり、IGF1Rの発現がZSTK474に対する自然耐性と関連している事が示唆された。

第二章の後半では、PI3K阻害物質に対する自然耐性細胞にIGF1R阻害物質を併用した際の効果が検証された。ZSTK474に対する自然耐性細胞株U251と感受性株PC-3を用いてIGF1R阻害物質の併用効果を調べた。その結果、獲得耐性を持つ細胞と同様に、自然耐陛細胞株においてもIGF1R阻害物質によるZSTK474感受性の増強が認められた。この事からIGF1Rは自然耐性においても機能的にZSTK474感受性に関係しており、自然耐性の治療法としてIGF1R阻害物質との併用が有効である可能性が示された。

本研究によってZSTK474への長期暴露によって獲得耐性が生じることが実験的に示されたので、臨床的に使用した際にもPI3K阻害剤の獲得耐性が生じる可能性が強い。IGF1Rが獲得耐性及び自然耐性に機能的に関与している事が示され、IGFlRはPI3K阻害物質に対する耐性を克服する際のターゲットとして有望である。さらに、IGF1Rは予めその発現量を診断する事でPI3K阻害物質に対する感受性を予測する事が出来るバイオマーカー候補ともなる。本研究の成果は、PI3K阻害物質を抗がん剤として用いた際の耐性機序を示し、耐性克服法を提示した、また、PI3K阻害物質に対する感受性を予測するバイオマーカーの開発と言う視点からも新たな知見を与えるものである。以上のように本論文に記述されている研究内容は、新規分子標的抗がん剤の開発に貢献し、その研究内容は、腫瘍学及び創薬科学の発展に資するところが大きい。よってこれを行った礒山翔は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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