学位論文要旨



No 217752
著者(漢字) 鈴木,雅
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,マサシ
標題(和) 動脈硬化および炎症におけるマクロファージの役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 217752
報告番号 乙17752
学位授与日 2012.12.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17752号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

医学の進んだ現在においても、依然として動脈硬化を起因とする心血管系疾患は先進国において死因の上位を占めており、病態の解明さらには治療法の開発が望まれている。動脈硬化は炎症やコレステロールとの関連が深く、また多様な細胞が関与することで動脈壁の肥厚や内腔の閉塞を起こす複雑な病態を示すことが知られる。動脈硬化に関連する細胞のうちマクロファージは、アテローム形成時にコレステロールの集積により泡沫マクロファージとなるとされ、実際に動脈硬化の病理組織では、泡沫化したマクロファージが多く見られる。

異物の排除や炎症に働く細胞として知られるマクロファージは、動脈硬化においてもコレステロールの取り込みやサイトカイン産生などを通じて病態を形成していると考えられている。変性LDLを取り込んだマクロファージは、コレステロール取り込みと排出の不均衡により泡沫マクロファージとなり、脂質代謝に重要な役割を果たしていることが知られているが、その他の特徴については、十分に明らかになっていない。

動脈硬化に対して保護効果を持つ可能性があるリボ蛋白質としてHDLが注目されている。HDLは泡沫マクロファージからコレステロールを取り去り、さらに近年では、抗炎症作用を発揮することによっても動脈硬化に対して保護的に働くことが期待されている。しかしながら、HDLのマクロファージにおける抗炎症作用の詳細についてはまだ十分に明らかになってはいない。

動脈硬化および炎症におけるマクロファージの役割を明らかにすることは、動脈硬化の病態理解を深め、将来における治療法の開発に重要であると思われる。本研究においては、動脈硬化において主要な役割を果たしている泡沫マクロファージの特徴解析およびHDLの抗動脈硬化作用の一端を担うマクロファージの炎症性応答に対する作用の詳細解明を目的とした。

【内容】

1.泡沫マクロファージの特徴の解析

マクロファージにコレステロールを負荷し泡沫化したマクロファージの遺伝子および蛋白質の網羅的発現解析(プロテオミクスおよびマイクロアレイ)により、泡沫マクロファージの特徴の解析を実施した。

チオグリコレートで誘導したマウスマクロファージをアセチル化LDLで培養することにより泡沫マクロファージを取得し、無血清培地中に検出される蛋白質をショットガンプロテオミクスによって同定した。培養上清中に蛋白質は542種類同定され、Ingenuity Softwareによる蛋白質の相互作用ネットワークの作成で、免疫応答,補体制御,酸化などに関与する蛋白質が相互作用ネットワーク上に複数確認された。次に、これらの発現蛋白質の中で、泡沫マクロファージで発現が変化する蛋白質について解析を実施したところ、泡沫マクロファージの培養上清中のみで検出、もしくはコントロールのマクロファージに対して発現が変化していた蛋白質は15蛋白質であった。同様にIngenuity softwareを用いてそれら15蛋白質とさらに直接関連が示されている蛋白質を用いてネットワークの作成を行ったところ、脂質代謝、リソソーム消化、補体活性化に関与する蛋白質が複数確認された。つまり、泡沫マクロファージにおいて、脂質代謝の制御だけでなく、リポ蛋白質消化のためのリソソーム酵素の増加が起こり、さらには補体産生が変化していることが示された。

遺伝子レベルではどのような変化が見られるのか、次に、マイクロアレイを用いて泡沫マクロファージで変動する遺伝子について解析を行った。泡沫マクロファージにおいて発現に変化が見られた(1.5倍以上:698遺伝子)遺伝子を用いて、Ingenuity Softwareによりネットワークを作成すると、脂質代謝、補体活性化、リボソーム、酸化還元酵素活性に関する遺伝子が変動遺伝子群として確認された。このうち、脂質代謝と補体活性化に関しては遺伝子レベルと蛋白質レベルの両方で共通して変化が見られ、泡沫マクロファージで補体活性化関連因子が変化していることが明らかとなった。この結果は、動脈硬化形成においても泡沫マクロファージの産生する補体が重要な役割を果たしている可能性を示唆していると考える。

一般に、コレステロール負荷は炎症を惹起する、つまりコレステロールが慢性炎症の原因だと考えられているため、次に、泡沫マクロファージにおいてM1マーカーの上昇が見られるか、炎症誘導が起こりやすくなっているかを検討した。コレステロール負荷による泡沫化でマクロファージのM1化もしくはM2への極性化が誘導されていることはなく、泡沫マクロファージにおけるLPS刺激時の各種遺伝子発現増加度を見ても、炎症が起こりやすくなっているようなことは無かった。これらの結果から、in vitroの泡沫マクロファージにおいて、コレステロール負荷が炎症を惹起しているわけではないことが示された。

2.HDLのマクロファージにおける抗炎症作用の解析

マクロファージに対するHDLの抗炎症作用について、HDL前処理によるLPS誘導遺伝子の発現変化をマイクロアレイ解析することにより評価した。方法としては、チオグリコレートで誘導したマウスマクロファージをアセチル化LDLで培養することにより泡沫マクロファージとし、その細胞をHDLで4時間前処理した後にPBSで洗浄し、LPS添加後4時間後のRNAを回収した。

マイクロアレイの結果、HDLはLPSで誘導される遺伝子群のうちTRAM/TRIF dependentgenes(typel IFN response genes)に対して抑制作用を示し、MyD88 dependent genes(NFκBなどにより誘導)に対しては抑制作用を示さないことが明らかとなった。つまり、HDLがTRAM/TRIF dependent genesを特異的に抑制していることが示唆された。このHDLの抑制作用については、LPS刺激の変わりにTLR4のアゴニスト抗体を用いた場合も認められ、また、HDL同様LPSと結合することが知られるLDLにはHDLのような抑制作用が見られなかったことから、LPSとHDLが直接結合することによって発揮されているのではないことが示唆された。

さらに、HDLおよびその主要蛋白であるApoA-1のコレステロール排出を担う輸送蛋白として知られるABCA1およびABCG1を介してHDLの作用が発揮されている可能性を考えた。siRNAによりABCA1およびABCG1を抑制したいずれの細胞においてもコントロール細胞同様にHDLによるTRAM/TRIF dependent genesであるIrf7やIP-10の抑制が起こり、HDLのTRAM/TRIF dependent genes抑制作用はABCA1やABCG1を介したコレステロール排出作用とは独立して起こっていることが示唆された。HDLのTRAM/TRIF dependent genes抑制作用がコレステロール非依存的に起こっていることは、コレステロールを負荷した細胞とそうでない細胞におけるマイクロアレイの比較によっても示された(HDLの作用はコレステロール負荷の影響を受けなかった)。

次に、他にTRAM/TRIF dependent genesを誘導することが知られるTLR3(Polyl:C),TLR7/8(R848)のリガンド刺激時のHDLの作用を検討したところ、HDLのTRAM/TRIFdependent genes抑制作用はLPS刺激時には見られたもののPolyl:CやR848刺激時には見られず、TLR4刺激時に特異的に起こることが示唆された。Toll like receptorから誘導されるTRAM/TRIF dependent genesに関してTLR4とTLR3の下流シグナルはTRIF以下が共通であるとされ、TLR4特異的なシグナル蛋白質としてTRAMが挙げられる。そこで、GFPタグをつけたTRAMを強制発現したRAW264.7細胞を用いてTRAMに対するHDLの影響を評価したところ、HDI、無添加やLDlを添加した状態ではTRAMは90%以上の細胞で細胞膜上にあるのに対して、HDLで処置すると85%の細胞で細胞内へ移動した。つまり、HDLの抑制作用がTRAMの細胞内への移動を誘導することにより起こっている可能性が示唆された。

HDLを構成する主要蛋白であるapoA-1を欠損したマウスではその血中HDI、濃度が低くなっており、HDLの作用が発揮されにくい状況になっていると思われる。このapoA-1の欠損マウスに対してグラム陰性菌の投与を行った。グラム陰性菌の投与によりin vivoにおけるTLR4の刺激誘導が起こると考えられ、このとき、TRAM/TRIF dependentに誘導されると思われるIFNβの血中濃度がWTに比べて6倍程度に増加していた。この結果から、HDLはin vivoにおいてもTRAM/TRIF dependent genes選択的に抑制作用を示す可能性が示唆された。

【結語】

泡沫マクロファージの特徴解析においては、マクロファージの泡沫化により補体経路が制御されていることを新たに見出した。ヒトの動脈硬化においても補体成分の変化が見られるヒトの動脈硬化において補体成分の変化が見られる(ATVB 2001,1214-1219)ことやC3ノックアウトマウスにおいて動脈硬化が促進される(Circulation 2002,3025-3031)ことが報告されており、今回の結果は、補体制御の担当細胞として泡沫マクロファージが重要である可能性を示した点で意義のある結果だと思われる。また、in vitroにおいてコレステロール負荷が必ずしも炎症を起こしているわけではないことを見出したことは、in vivoにおける慢性炎症とコレステロールの関係を考察する上でも重要な結果であると思われる。

さらに、マクロファージに対するHDLの抗炎症作用の詳細解明においては、HDLがコレステロール非依存的な経路によってマクロファージの炎症を制御することを明らかにした。HDLについては多様なメカニズムで動脈硬化に対して保護的に働くことが考えられており、HDLの動脈硬化保護作用の新たな側面を見出すことができたのは大きな発見だと思われる。

今後の研究展望として、補体経路に関しては動脈硬化促進の詳細な機序の解析を行うことで、将来的に補体制御による動脈硬化治療の可能性について解明されることが期待される。また、HDLについては、近年、病態時や薬剤治療時のHDL構成蛋白質の変化や、修飾による機能変化が示されており、今回示した抗炎症作用についてそれらのHDLの差異がどうであるのかについては大変興味深い。また、これらHDLの違いや機能の違いと病態発症との関連性がどうであるのかについても、今後の研究の発展が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

「動脈硬化および炎症におけるマクロファージの役割に関する研究」と題する本論文は、動脈硬化において重要な役割を果たしている泡沫マクロファージの発現する蛋白質を解析して、補体系の蛋白質の発現が上昇するなどこれまで知られていなかったこの細胞の特徴を明らかにしたこと、HDLが泡沫マクロファージのTRAM に直接作用してその細胞内分布を変えることにより炎症性応答を抑制するという発見をしたことについて記載している。動脈硬化は多様な細胞が関与することで動脈壁の肥厚や内腔の閉塞を起こす複雑な病態を示すことが知られるが、マクロファージはコレステロールを取り込んで泡沫マクロファージとなり、炎症を惹起することにより動脈硬化の病態形成の主役として機能すると考えられている。しかし、そのin vivo における機能を発現する上で重要な特徴やそれらの機能を制御する機構に関しての知識は十分に得られているとは言えなかった。泡沫マクロファージの特徴の解析と題する第1章では、動脈硬化および炎症における泡沫マクロファージの役割を明らかにすることにより動脈硬化の病態理解を深めて将来における治療法の開発の基盤とする事を目的として、泡沫マクロファージの発現する蛋白質及び遺伝子の特徴解析を行った。またHDL のマクロファージにおける抗炎症作用の解析と題する第2章では、HDL が抗動脈硬化作用を発現する上で重要なマクロファージの炎症性応答に対する作用を詳細に解明する事を目的とした。

第1章に記載されている研究においては、in vitro でマクロファージにコレステロールを負荷して泡沫化させ、mRNA レベルでの遺伝子発現および蛋白質の網羅的な解析により、泡沫マクロファージの特徴の解析を行った。培養上清中に放出される蛋白質をショットガンプロテオミクスによって同定し、蛋白質の相互作用ネットワークを作成したところ、免疫応答, 補体制御, 酸化などに関与する蛋白質が相互作用ネットワーク上に複数確認された。泡沫マクロファージの培養上清中のみで検出、もしくはコントロールのマクロファージに対して発現が変化していた蛋白質は15 種あり、これらは脂質代謝、リソソーム消化、補体活性化に関与していた。マイクロアレイを用いて泡沫マクロファージで変動する遺伝子について解析を行ったところ、複数の遺伝子が変動遺伝子群として確認された。このうち、脂質代謝と補体活性化に関しては遺伝子レベルと蛋白質レベルの両方で共通して変化が見られ、泡沫マクロファージの特徴であることが明らかとなった。

さらに、マクロファージの機能との関連を遺伝子発現プロファイルから追究した。一般に、コレステロール負荷は慢性炎症を惹起すると考えられているため、次に、泡沫マクロファージにおいてその指標となるM1 マクロファージマーカーの上昇が見られるかを検討した。コレステロール負荷による泡沫化でマクロファージのM1 もしくはM2 への極性化が誘導されていることは無かった。従って、in vitro の泡沫マクロファージを解析した結果を見る限り、コレステロール負荷によるマクロファージの変化がM1 マクロファージに見られるような過程で直接炎症を惹起しているわけではない事がわかった。

第2 章では、動脈硬化に対して保護効果を持つHDL の泡沫マクロファージに対する作用を、遺伝子発現プロファイルをマイクロアレイ解析した結果から出発して詳細に検討した結果が述べられている。HDL は炎症性の刺激で誘導される遺伝子群のうちTRAM/TRIF 依存経路で活性化されるものに対して抑制作用を示し、MyD88 経路で活性化されるものに対しては抑制作用を示さないことが明らかとなった。コレステロール排出を担う輸送蛋白として知られるABCA1 およびABCG1 を介してHDL の作用が発揮されている可能性を考え、これらをsiRNA によりノックダウンしたが、TRAM/TRIF 経路の抑制作用は変化しなかった。HDL の効果は細胞にコレステロールを負荷した場合も同様に見られ、何れの知見もHDL による抑制効果がコレステロール非依存的である事を強く示唆した。HDL の抑制作用はTLR4 刺激時に特異的に起こることが示唆されたのでTRAM が標的であると仮定し、GFP タグをつけたTRAM を強制発現したマクロファージ細胞株を用いてTRAM に対するHDL の影響を評価した。HDL無添加やLDL を添加した状態ではTRAM は90%以上の細胞で細胞膜上にあるのに対して、HDL で処置すると85%の細胞で細胞内へ移動した。これにより、HDL の抑制作用がTRAM の細胞内への移動を誘導することにより起こっている可能性が示唆された。HDL によるTRAM 依存シグナルの抑制がin vivo でも見られる事は、HDL を構成する主要蛋白であるapoA-I を欠損したマウスにグラム陰性菌を投与した際にIFNβの血中濃度が強く亢進することにより示された。

以上の研究により、泡沫マクロファージの遺伝子及び蛋白質の発現における特徴が明らかにされ、炎症性マクロファージとの違いが見出された。またHDL がコレステロール非依存的なTRAM 依存的な経路によってマクロファージの炎症応答を制御することが明らかにされた。本論文は治療法の開発が大きな課題である動脈硬化の病態形成において中心的な役割を果たす細胞である泡沫マクロファージにおける遺伝子発現及びHDL による制御機構について重要な知見を与えるものである。その研究内容は、疾患生物学の発展に資するところが大きく、これを行った鈴木雅は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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