学位論文要旨



No 217754
著者(漢字) 佐藤,伊織
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,イオリ
標題(和) 小児脳腫瘍経験者の合併症が健康関連QOLに与える影響 : 四肢運動障害、けいれん、視覚的障害、内分泌障害、高次脳機能障害をとりあげて
標題(洋)
報告番号 217754
報告番号 乙17754
学位授与日 2012.12.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第17754号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,則子
 東京大学 教授 齊藤,延人
 東京大学 准教授 松山,裕
 東京大学 准教授 北中,幸子
 東京大学 講師 宮本,有紀
内容要旨 要旨を表示する

背景

小児脳腫瘍の治療成績は近年向上してきており、小児脳腫瘍経験者の増加と、経験者が抱える身体的・心理的問題の多さ・多様さが明らかになってきたことから、経験者への長期フォローアップの必要性が認識されてきている。長期フォローアップは、成人後まで引き続く長期間の経過観察と心理社会的支援を行うために、多診療科・多職種が関わり、経験者の生活の質(quality of life:QOL)の向上を目標とする。限られた資源で効果的な支援を提供するために、QOLの実態を明らかにし、特に低いQOLを持つ集団を同定し、どのような支援を行なっていくべきかを検討する必要がある。

小児脳腫瘍経験者は、治療が終了しても引き続き、あるいは新たに、さまざまな障害や症状を持つことが多い。本研究では、小児脳腫瘍の代表的な晩期合併症である四肢運動障害、けいれん、視覚的障害、内分泌障害、高次脳機能障害をとりあげる。ただし、小児脳腫瘍経験者はこれらの障害や症状を治療中や治療終了直後から持っていることが多い(晩期的とは限らない)ため、本研究では合併症(疾患自体の症状であるものを含む)と呼ぶ。これらの合併症が、経験者のQOLにどのような影響を与えているかを明らかにすることは、経験者がどのような支援を必要としているかを検討する上で有用と考えられる。

そこで本研究は、第一に、QOLとして健康に対する患者の主観的な認知と期待を反映する患者立脚型アウトカムであるHRQOL (health-related quality of life:HRQOL) をとりあげ、それぞれの合併症が経験者のHRQOLの各側面に与えている影響を明らかにする。第二に、合併症がHRQOLに影響を与える心理社会的過程として、小児脳腫瘍経験者にとって特に重要と考えられている自尊感情に着目し、合併症によるHRQOLの低下が、自尊感情に媒介されているという仮説を検証する。

目的

1) 四肢運動障害・けいれん・視覚的障害・内分泌障害・高次脳機能障害がそれぞれ、小児脳腫瘍経験者のHRQOLの各側面を、どの程度低下させ、もしくは向上させているのかを、明らかにする

2) それぞれの合併症によるHRQOL各側面の低下が、自尊感情に媒介されているかを検証する

方法

本研究は、多施設共同横断的観察研究である。小児脳腫瘍経験者およびその保護者を対象として、HRQOL尺度および自尊感情尺度を含む質問紙調査を行なった。また、合併症の有無その他の診療情報を、医師調査票を用いて、施設の医師から聴取した。

2010年4月から2011年3月に、小児脳腫瘍の診療を積極的に行なっており多くの小児脳腫瘍経験者のフォローアップを行なっていると考えられる9医療機関でリクルートを行なった。18歳以下で脳腫瘍と診断され、抗腫瘍治療後1年以上経過し、現在は治癒または寛解状態にあって、医療的フォローアップを受けながら日常生活を送っている(入院中でない)、12歳以上の経験者を対象とした。日本語での研究説明を理解できない者、研究参加が不適当と主治医が判断した者はリクルート対象からあらかじめ除外した。

経験者の外来受診時に、研究者が書面と口頭で研究説明を行なった。保護者が同伴している場合、保護者にも同時に説明を行なった。同伴していない場合、説明文書と質問紙を渡すよう、経験者に依頼した。承諾を得て、経験者と保護者とで別の質問紙および返送用封筒を渡した。質問紙の返送をもって同意とみなした。本研究は東京大学大学院医学系研究科・医学部および各機関の倫理委員会の承認を得て実施した。未成年の経験者については、研究説明を保護者同席で行い、保護者の承諾のもとで実施した。

質問紙では、18歳以上の経験者に対して、がんの治療を受けた患者のHRQOLを測定することを目的に開発されたQLQ(Quality of Life Questionnaire)から、次の9側面を尋ねて各得点を算出した:身体機能、役割機能、感情機能、認知機能、社会機能、疲労、不眠、意思疎通困難、眠気。12-18歳の経験者とその保護者に対してそれぞれ、子どものHRQOLを測定することを目的に開発されたPedsQL(Pediatric Quality of Life Inventory)から、次の8側面を尋ねて各得点を算出した:身体的機能、感情の機能、社会的機能、学校の機能、考えること、動きとバランス、外見、コミュニケーション。自尊感情については、経験者に、Rosenbergの自尊感情尺度を用いた。

医師調査票では、合併症について、現在臨床的に問題となっている障害として、四肢運動障害、けいれん、視覚的障害(視力低下・視野狭窄・眼球運動障害)、内分泌障害、高次脳機能障害(言語障害・失行・失認など)のそれぞれの有無を担当医に尋ねた。また、医学的背景属性(腫瘍病理分類・腫瘍部位・初診年月・初診時水頭症・脳神経外科手術・放射線治療・化学療法・再発・抗腫瘍治療終了年月)も尋ねた。

性別・年齢・医学的背景属性の共変量としての影響を調整した上で、それぞれの合併症が経験者のHRQOL得点に与えている影響を検討するために、傾向スコア解析を行なった。それぞれの合併症の有無を従属変数とするロジスティック回帰により、合併症ごとの傾向スコアを算出し、傾向スコアの逆数による重み付け法により、それぞれの合併症を持つことによるHRQOL各側面の変動を推定した。HRQOLの側面が複数あるため、検定の多重性に配慮して、有意水準を0.01とした。統計学的に有意な関連が明らかになった合併症とHRQOLの側面の組み合わせについて、合併症によるHRQOL低下が自尊感情に媒介されているというモデルに基づきパス解析を行ない、合併症から自尊感情を介したHRQOLへの間接効果を計算した。有意水準は0.05とした。

結果

138名の経験者から承諾を得て、質問紙を配付した。有効回答数は、18歳以上の経験者については51(84%)、12-18歳については53(73%)であった。有効回答者104名のうち、74名が男性だった。18歳以上の経験者は、平均年齢が26.8歳、診断時平均13.3歳だった。12-18歳の経験者は、平均15.4歳、診断時平均9.5歳だった。病理分類は55名が胚細胞腫であり、61名が手術・放射線治療・化学療法の全てを経験していた。保護者は84名が母親であった。5つの合併症のうち、1つ以上の合併症を持つ経験者は69名で、複数の合併症を持つ経験者は24名だった。同時に起こりやすい合併症の組み合わせはなかった(CramerのV = 0.043~0.192)。無効・無回答者34名との間で、性別・年齢・医学的背景属性・各合併症の頻度について有意差は見られなかった(Mann-WhitneyのU検定あるいはFisherの正確確率検定)。

それぞれの合併症を持つことによるHRQOL各側面の得点変動を推定した。まず、18歳以上の経験者について、四肢運動障害は身体機能を低下させていた(-16.3, P=0.006)。けいれんは身体機能(-43.3, P<0.001)と社会機能(-20.6, P=0.001)を低下させ、意思疎通を困難にし(-28.9, P<0.001)、眠気を増加させていた(-38.7, P<0.001)。視覚的障害は身体機能(-29.6, P<0.001)と感情機能(-12.3, P=0.003)および社会機能(-18.9, P=0.001)を低下させていた。内分泌障害は不眠を増加させていた(-18.7, P=0.001)。高次脳機能障害は役割機能を低下させ(-27.7, P<0.001)、疲労(-16.4, P=0.002)と不眠(-22.8, P<0.001)を増加させ、意思疎通を困難にしていた(-27.0, P=0.001)。

次に、12-18歳の経験者について、四肢運動障害は、身体的機能(自己評価-11.0 [P=0.008]/保護者評価-14.4 [P<0.001])と動きとバランス(-21.6 [P<0.001]/-38.7 [P<0.001])および外見に対する自己評価(-27.0 [P<0.001])を低下させていた一方、コミュニケーション(+16.8 [P<0.001]/+14.2 [P=0.006])機能を上昇させていた。視覚的障害は、身体的機能(-7.8 [P=0.019]/-16.7 [P<0.001])および外見の評価(-15.5 [P<0.001]/-38.8 [P<0.001])とコミュニケーション(-15.7 [P=0.0012/-6.1 [P=0.434])機能を低下させていた一方、考えること(+6.2 [P=0.131]/+18.4 [P<0.001])や動きとバランス(+11.0 [P=0.003]/+6.3 [P=0.132])を上昇させていた。

Rosenbergの自尊感情尺度得点は、18歳以上の経験者において平均28.8点、12-18歳において平均31.6点であった。パス解析の結果、18歳以上においては、自尊感情による媒介効果は見られなかった。12-18歳においては、視覚的障害を持つことによる外見の評価およびコミュニケーション機能の低下が、自尊感情により媒介されていた(標準化パス係数:直接効果-0.42, P<0.01、間接効果-0.17, P<0.05)。

考察

小児脳腫瘍経験者において、代表的な合併症、すなわち、四肢運動障害、けいれん、視覚的障害、内分泌障害、高次脳機能障害がいずれも、経験者のHRQOLに影響していることを実証した。当事者立脚型アウトカムであるHRQOLの面から、小児脳腫瘍の治療開発において合併症を出来る限り軽減するための取り組みを行うことの意義が強調された。また、小児脳腫瘍合併症が経験者のHRQOLを低下させる心理社会的過程の一部として、12-18歳の経験者について、視覚的障害を持つことが自尊感情を低下させ、それに伴ってHRQOLが低下することを明らかにした。

影響の内容として、5つの合併症がそれぞれ、経験者のHRQOLのどの側面に、それぞれどの程度影響しているかを明らかにし、臨床への示唆を得た。四肢運動障害を持つ経験者に対しては、経験者が自身の外見に否定的評価を持ち、その否定的評価の程度が保護者の想像を大きく上回っている可能性があることを念頭に置いて、自己開示等への支援を行なうことが必要である。けいれんを持つ経験者に対しては、他人に自分の意思を伝えたり、何かを説明したりすることに困難を感じている場合があり、例えば自己健康管理のために病気のことや自分のことを周囲の人々に説明する必要がある時に、医療者の支援が重要となる。視覚的障害を持つ経験者に対しては、視覚補助具などの直接的な支援に加えて、自尊感情を高める支援が特に重要であり、医療者も周囲の人々も、経験者のことを認めているということを言葉で伝えることが必要である。高次脳機能障害を持つ経験者に対しては、現時点で生活上の困難をあまり感じていない場合でも、将来を見据えて、早期に標準的検査法による高次脳機能の詳細な評価を行い、必要なリハビリテーションや福祉との連携を検討する必要がある。

結論

小児脳腫瘍経験者の合併症がHRQOLに与えている影響の内容と程度を明らかにした。自尊感情による媒介効果は、合併症によるHRQOL低下の一部を説明していた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、治療終了後にもさまざまな障害や症状を持つことが多い小児脳腫瘍経験者の健康関連QOLに対して四肢運動障害、けいれん、視覚的障害、内分泌障害、高次脳機能障害(以下、「合併症」)のそれぞれが与える影響を明らかにするため、信頼性・妥当性のある健康関連QOL尺度を用いて多施設共同横断的観察調査を行なったものであり、下記の結果を得ている。

1.小児脳腫瘍の診療を積極的に行なっており多くの小児脳腫瘍経験者をフォローアップしていると考えられる施設として、日本脳腫瘍学会の理事でもある脳神経外科医の助言を得ながら、全国に跨る9医療機関を選定した。脳神経外科と脳脊髄腫瘍科を中心に、小児科および腎内分泌科からも対象者のリクルートを行なった。

2.18歳以下で脳腫瘍と診断され、現在抗腫瘍治療は終了して、医療的フォローアップを受けながら日常生活を送っている中学生以上の者(以下、「経験者」)とその保護者に質問紙を配布して郵送法で回収したところ、138組中104組の有効な返送が得られた(有効回答割合75.4%)。138名の経験者の性別、年齢、および調査票を用いて施設医師より聴取した医学的背景属性(診断時年齢、治療終了後年数、腫瘍の種類、部位、初診時水頭症、脳神経外科手術経験、放射線治療経験、化学療法経験、再発経験)を、有効な返送が得られた104名と有効な返送が得られなかった34名との間で比較したところ、統計学的有意差は見られず、本研究の対象者が日本の小児脳腫瘍経験者として特に偏りのある集団ではないことが示された。

3.傾向スコアの逆数による重み付け法を用いて、性別・年齢・医学的背景属性の共変量としての影響を調整した、それぞれの合併症による健康関連QOL各側面の変動を推定した。18歳以上の経験者(n = 51)では、代表的な5つの合併症すべてが健康関連QOLのいずれかの側面を低下させていることを示した。特に四肢運動障害と視覚的障害、高次脳機能障害が、健康関連QOLの下位側面のうち身体機能低下、役割機能低下と意思疎通困難に、統計学的にも臨床的にも有意に関連していることが示された。

4.12-18歳の経験者(n = 53)では、特に四肢運動障害と視覚的障害による健康関連QOLへの影響が多側面に見られることを示した。また、健康関連QOLの側面によっては、合併症があるほど向上している側面もあることが示された。

5.Rosenbergの自尊感情尺度により、経験者が、疾患を持たない人々や他の疾患を持つ人々に比べて、全体として低い自尊感情を持っていることが示された。健康関連QOLに対してそれぞれの合併症が与える影響を媒介する要因としての自尊感情の効果をパス解析を用いて検討した結果、自尊感情が、12-18歳の経験者において、視覚的障害による外見およびコミュニケーション関連QOLの低下を媒介していることが示された。すなわち、視覚的障害が小児脳腫瘍経験者の自尊感情を低下させ、その自尊感情の低下が小児脳腫瘍経験者の健康関連QOL低下の一要因であることが明らかとなり、自尊感情を維持・向上させる支援の可能性と必要性が示された。

以上、本論文は小児脳腫瘍経験者において、合併症が健康関連QOLに与えている影響の内容と程度および過程の一部を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、小児脳腫瘍経験者のQOLの実態および関連要因の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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