学位論文要旨



No 217761
著者(漢字) 清水,庸
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ヨウ
標題(和) 統計解析による日本の植生への気候変化の影響評価
標題(洋)
報告番号 217761
報告番号 乙17761
学位授与日 2012.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17761号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 教授 塩沢,昌
 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 三中,信宏
 東京大学 准教授 飯田,俊彰
内容要旨 要旨を表示する

気候変化が陸上生態系に及ぼす影響を考える場合,生態系は複雑なシステムであるため,その系全体を把握することは困難である。そこで,観測の結果やモデルに基づく推定から把握可能な生態系のさまざまな側面を生態系の指標として利用することになる。本研究では陸上生態系の構成要素である植生をとりあげる。植生とは,ある地域を覆っている植物体の総称と定義され,その状況,種類や分布がその地域における生態系の状態を示すことになる。具体的には,植物季節と植生分布の変化に着目し,気候変化が日本の植生に及ぼす影響を統計解析によって評価した。

本研究は二部構成からなり,第I部では植物季節の変化を対象とした。植物季節の変化は植物・植生が示す変化のなかで初期に現れ,気温条件の変化に対応していることが知られており,長期間の変化における系統的傾向を調べることは,気候変化の影響を知るためには不可欠である。そしてその変化傾向における地域的差異に注視する必要がある。そこで,第1章において植物季節の年次間の変化と日単位の気温条件との統計的関連性を解析し,第2章では植物季節の時系列変化の傾向を解析した。第II部では植生分布の変化を対象とした。植生分布の変化は,植物のみならず,微生物,昆虫そして大型の哺乳類まで,生物の生息地の根底からの改変に繋がり,生態系への最も深刻な影響と位置づけられる。既往の研究では,複数の植生帯そして各植生帯を構成する植物群落・群集タイプを対象として,気候変化時の植生分布への影響を評価した研究例は見られず,また実地踏査により,積雪深の条件が植生分布に影響を及ぼすことが指摘されているが,気候変化時の積雪深データの不足から,積雪深の変化も含め,気候変化時の影響評価を行った研究例は少ない。そこで,第1章において気候変化時での植生分布の変化を予測するために,植生分布と気候条件間の統計的関連性の解析を行い,第2章では積雪深推定モデルを作成し,地域気候モデル(Regional Climate Model, RCM)の2031年~2050年時点と2081年~2100年時点における気温・降水量データをもとに,積雪深予測データを作成した。第3章では,気候変化時の植生の潜在的分布を予測し,それらの変化傾向をまとめ,気候変化が植生分布に及ぼす影響を評価した。第I部と第II部の結果は,以下のように要約される。

第I部では,日本全国において観測された40年間における16種類の植物季節について,日単位の気温偏差データによって,植物季節の年次間の変化を説明できること,そして植物季節の年次間の変化に対応する「気温の影響期間」および気温変化に関する感度について,植物季節間での類似性を示した。気温の影響期間に関して,ウメの開花やイチョウの発芽などの冬季・春季の植物季節については33~56日間であり,イチョウ・カエデの葉の色づきや落葉からなる秋季の植物季節については,春のものと比較すると同程度もしくは短かった。気温に対する植物季節の変化の感度について,木本種の開花・発芽からなる春の植物季節については3~4日程度であり,秋季の植物季節については5日程度であった。しかし冬から春のはじめに観測されるツバキやウメの開花は約10日であり,感度が高かった。1961年~2004年における植物季節の時系列変化の傾向について,植物季節の観測日と観測年次の関連性から,気温上昇の傾向に同調するように,春の植物季節は早くなる傾向が見られるものが多く,秋に観測される葉の色づきや落葉については遅れの傾向が見られ,春の植物季節の早まりよりも,その傾向は顕著であった。主成分分析を利用して,ウメの開花日に関する時系列変化の傾向を解析した結果,各観測所における開花日の時系列変化傾向には共通性があり,開花日の早まりが主要な変化傾向であるが,1980年代の半ば以後,九州地方および紀伊半島など,相対的に温暖な地域において,休眠解除の遅れに関わると考えられる開花日の遅れが見られた。また,緯度36度以北の寒冷な地域に位置する観測所では,1970年代や1980年代と比較して,近年の開花日が早くなるところが多く,開花日の時系列変化傾向における地域的な特徴を示していた。

第II部では,気候変化時における植生の潜在的分布の変化を予測するため,国内に残存する自然植生の59%が分布する北海道の自然植生を対象として,高山帯植生,亜高山帯植生そしてブナクラス域植生の植生帯の分布,そして各植生帯を構成する植物群落・群集の分布と気候条件との関連性を判別分析およびCART(Classification and Regression Trees)分析の2つの手法を使用して解析した。気候条件との関連性において,植生帯タイプと植物群落・群集タイプを比較すると,夏季積算最高気温や秋季積算最高気温などの暖かさを示す気温条件の違いが各植生帯の分布を特徴づけており,一方,植物群落・群集タイプを対象とした場合,暖かさを示す気温条件と比較すると局所的に変化する最深積雪深や最寒月最低気温の寄与が大きく,また秋季積算最高気温や秋季降水量による秋季の気候条件も加わり,秋季から冬季における気候条件がこれらの植生タイプの分布を特徴づけていた。2種類の手法の比較において,CART分析の結果は植生のタイプを分類するために適した気候条件およびその閾値の選択が地域ごとに行われるため,植生タイプの分類精度が高かった。したがって,気候変化時における植生の潜在的分布の予測には,CART分析の結果を利用した。

第2章では,1980年~2000年に気象観測所にて観測された日単位の気温・降水量データを利用して,日単位の積雪深を推定する簡易モデルを作成した。モデルには積雪層の密度変化や融解水量の推定などの複数のパラメータを含む。そこで,対象とする期間において平均的な積雪深を記録した1987年~1988年寒候期のデータを使って,パラメータの設定を行い,それらのパラメータを他の寒候期データに適用した。その結果,日単位積雪深の平均絶対誤差MAE(Mean Absolute Error)の平均値と標準偏差は9.8±2.1 cmであった。最深積雪深に応じて誤差は変化する傾向を示すが,その誤差は最深積雪深に対して12%と安定していた。このモデルに,温室効果ガス排出シナリオSRES-A2にもとづく地域気候モデル(RCM)のデータの日単位気温と降水量データを適用した。RCMデータは解像度が20km格子であり,再現結果として1981年~2000年(以後1981sと表記)のデータ,予測結果として,2031年~2050年そして2081年~2100年(以後,2031sと2081sと表記)の各20年間の3期分のデータがある。そこで,1981s時点のデータによって推定した最深積雪深の平均値を基準として,両時点における最深積雪深の平均値の変化量を求め,それらの変化量を最深積雪深の観測値から作成されている平年値メッシュデータに加算することによって,気候変化時の最深積雪深データを作成した。最深積雪深の変化量について,2031s時点では,1981s時点と比較して,平均値と標準偏差は6.8±26.3cmであり,地域によって増減双方の傾向が見られ,2081s時点では減少傾向が明瞭であり,平均値と標準偏差は-25.3±15.9cmであった。

第3章では,気候変化時の3つの植生帯タイプと各植生帯における植物群落・群集タイプの潜在的分布を予測した。2031sおよび2081s時点ともに,ブナクラス域植生の潜在的分布域の拡大に伴う,亜高山帯植生域の減少,および亜高山帯植生域の変化に伴う,高山帯植生域の減少傾向が示された。亜高山帯植生の場合,残存する割合は2031s時点において現況の27.9%,2081s時点では14.6%であり,高山帯植生の場合は,それぞれ22.7%と18.8%であった。高山帯植生の場合,亜高山帯植生とブナクラス域植生の双方の変化の影響を受けるが,植生帯の垂直分布として隣接する亜高山帯植生域への変化が多かった。またブナクラス域植生の潜在的分布へと変化する割合は,2つの時点において16.0%から24.5%に増加しており,これらは知床半島,アポイ岳そして渡島半島の駒ヶ岳において見られた。これらの地域は,気候変化の影響を特に受けやすい可能性がある。高山帯植生の高山低木林・風衝草原そして雪田植生の2つの植物群落の場合,他の植生帯の潜在的分布域に変化したところが多く,残存したところは,大雪山や知床半島など,北海道内において高山帯植生がまとまって分布する地域であった。亜高山帯植生の植物群落・群集タイプの場合,常緑針葉樹の潜在的分布域として残存するものは少なく,2つの時点において,現況の2.6%以下であり,ダケカンバ群落からなる落葉広葉樹の潜在的分布域へと変化する傾向が見られた。落葉広葉樹の場合,常緑針葉樹と比較して残存する割合は高く,18.8%~37.7%であった。ブナクラス域植生の落葉広葉樹林と針広混交林の2つの植物群落・群集タイプの場合,ほぼ全ての落葉広葉樹林が残存する一方,針広混交林として残存するものは少なく,針広混交林から常緑針葉樹のトドマツが衰退し,ミズナラを中心とする落葉広葉樹への変化する可能性がある。本研究では気候変化時の植生帯と植物群落・群集ごとの潜在的分布と残存の割合を示し,高山帯植生と亜高山帯植生の場合,残存割合は現況の40%以下と低く,気候変化の影響を強く受ける可能性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

気候変化が陸上生態系に及ぼす影響を考えるにあたり、植生は陸上生態系の主要な構成要素であり、その状況、種類や分布がその地域における生態系の状態を表すため、重要な指標となる。本論文では植生を対象として、植生が示す変化のなかで初期に現れる「植物季節の変化」、そして生物の生息地の改変に繋がる「植生分布の変化」に着目し、統計解析を使用して、気候変化が日本の植生に及ぼす影響の評価を行うことを目的としている。本論文は二部構成であり、序論に引き続き、第I部では植物季節の変化を、第II部は植生分布の変化を対象とした解析を行い、結果の総括の後、最後は結語の章となる。

第I部の第1章では、日本全国で観測された40年間における16種類の植物季節の変化と気温条件の関連性の解析から、日単位の気温偏差データによって、各植物季節の変化を説明できることを示し、また気温に対する植物季節の変化の感度について、木本種の開花など春の植物季節については1℃あたり3~4日であるが、冬に観測されるツバキやウメの開花は約10日であることを示し、植物季節間での季節的な差異を明らかにした。第2章では植物季節の観測日と観測年次の関連性から、気温上昇の傾向に同調する、春の植物季節の早まりと秋の植物季節の遅れの傾向を明らかにした。またウメの開花日に関する時系列変化の傾向を主成分分析によって解析した結果、各観測所における開花日の時系列変化傾向には共通性があり、開花日の早まりが主要な変化であるが、1980年代の後半以後、九州地方など温暖な地域において、休眠解除の遅れに関わる開花日の遅れが見られることを示し、地域的な特徴を明らかにした。第I部において、過去から現在における気候変化が植物季節に及ぼす影響を明らかにした。

第II部では、気候変化時における自然植生の潜在的分布の変化を予測するため、第1章において、北海道内の高山帯植生、亜高山帯植生そしてブナクラス域植生の3種類の植生帯の分布、そして各植生帯を構成する植物群落・群集の分布と気候条件との関連性を、判別分析とCART(Classification and Regression Trees)分析を使用して解析した。植生帯と植物群落・群集タイプでの結果を比較すると、夏季・秋季積算最高気温などの暖かさを示す気温条件の違いが植生帯の分布を特徴づけており、一方、最深積雪深や最寒月最低気温の違いが植物群落・群集の分布を特徴づけていた。続く第2章では1980~2000年に気象観測所にて観測された日単位の気温・降水量データを使用して、積雪深推定モデルを作成し、温室効果ガス排出シナリオSRES-A2に基づく地域気候モデルの日単位の気温・降水量データをもとに、2031~2050年(以後2031sと表記)と2081~2100年(2081s)における最深積雪深の予測データを作成した。第3章では予測した最深積雪深と地域気候モデルの出力データそして第1章のCART分析結果をもとに植生帯と植物群落・群集タイプの潜在的分布を予測した。2031sおよび2081s時点ともに、ブナクラス域植生の潜在的分布域の拡大に伴う、亜高山帯植生域の減少が示され、残存する割合は2031s時点において現況の28%、2081s時点では15%であった。高山帯植生の場合、2時点において残存割合は23%と19%であり、亜高山帯植生とブナクラス域植生域の両方の変化の影響を受ける。植生帯の垂直分布として隣接する亜高山帯植生域への変化が多いが、ブナクラス域植生域へと変化する地域は知床半島やアポイ岳などにおいて見られ、これらの地域は気候変化の影響を特に受けやすく、植生の状態についてモニタリングが必要と考えられる。亜高山帯植生の植物群落・群集タイプの場合、常緑針葉樹の潜在的分布域として残存する地域は将来の2時点において、現況の3%以下であり、落葉広葉樹の残存割合は19%~38%であった。第II部では気候変化時の植生の潜在的分布の変化から、高山帯・亜高山帯植生の場合、残存割合は現況の40%以下と低く、気候変化の影響を強く受ける可能性を示した。続く、結語の章において本論文の総括がなされている。

以上、本論文では、過去から現在における気候変化の影響を受けた植物季節の時系列変化傾向を示すとともに、将来の気候変化の影響を受けやすい自然植生の種類や分布を明らかにし、植生の残存割合の低さをもとに、植生が気候変化の影響を強く受ける可能性を示した点で新たな知見を提示している。これらの研究成果は、今後の気候変化時における植生を対象とした影響評価やモニタリングにおいて有用な知見を提供するという点で、学術上貢献するところが少なくないと考えられる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としての価値があるものと認めた。

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