学位論文要旨



No 217777
著者(漢字) 西内,博章
著者(英字)
著者(カナ) ニシウチ,ヒロアキ
標題(和) 代謝工学を用いた酵母によるグルタチオン及びγ-グルタミルシステインの生産
標題(洋)
報告番号 217777
報告番号 乙17777
学位授与日 2013.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17777号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 講師 河原,正浩
 東京大学 講師 鈴木,健夫
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

グルタチオン(L-γ-glutamyl-L-cysteinyl-glycine、以下GSH)は、グルタミン酸(Glu)、システイン(Cys)、及びグリシン(Gly)からなるトリペプチドである。ただし、GluとCysの結合は通常のペプチド結合ではなく、Glu側鎖のγ-カルボキシ基とCysのα-アミノ基が縮合したγ-グルタミル結合である。γ‐グルタミルシステイン(L-γ-glutamyl-L-cysteine、以下γ-GC)はGSHの前駆体であり、Glu及びCysからなるジペプチドである。

GSHは、「γ-GC合成酵素の作用によりGluとCysからγ-GCが生合成する」段階と、「GSH合成酵素の作用によりγ-GCとGlyからGSHが生合成する」段階、にて生合成される。GSHには、抗酸化作用や解毒作用等の生理活性が知られており、白内障の進行を遅らせる点眼薬としても使用されている。一方、γ-GCの薬理作用についての報告例は皆無である。GSHは酵素反応法、或いは酵母菌体からの抽出法により工業生産されている。GSHの化学合成法は、構造上の特徴により通常のペプチド合成よりも手間がかかり、現生産法に対するコスト優位性がない。

医薬分野で有用性が着目されたGSHであるが、食品分野でも有用性が着目されている。料理の隠し味に使われるニンニクの有効成分の探索の結果、GSHがコク味物質の1つと同定され、コク味の付与等の目的で加工食品に利用されている。γ-GCの有用性は明確でないが、私はγ-GCを調理条件下で加熱することでCysが遊離することを報告した。Cysは、古くからパンや麺類の物性改善や加熱フレーバー製造時の原料として加工食品の製造に利用されている。このように、GSH及びγ-GCは、加工食品の呈味、風味、物性の改善に有効な化合物である。

これら有用化合物は、一般に食品添加物として加工食品の製造工程で利用されるが、ある一定の割合でこれら有用化合物を含有する食材を加工食品の製造工程に利用したいとのニーズがある。酵母は、このニーズに合致する食材である。

酵母のGSH代謝経路及びGSH高含有酵母の育種に関し数多くの報告があるが、その大部分が酵母のGSH含量に着目した報告であり、菌体生育に着目した報告はほとんどない。一般に、酵母が速く増殖する程、酵母の生産性が高まる。工業的には、酵母のGSH又はγ-GC含量と菌体生育を両立させた生産系が必要である。

2.目的

GSH及びγ-GCを加工食品の品質改善に利用することを目的に、全世界で受容性の高い酵母に着目し、これらペプチドの大量生産に適した酵母菌株を育種することを目標とした。

3.結果

3. 1. 分析系の構築(第1章)

酵母のGSH及びγ-GC含量を正確に測定する為に、GSH及びγ-GC中のCys残基を蛍光色素で誘導体化し、高速液体クロマトグラフィーを用いて分離・定量する迅速分析系を構築した。

3.2.GSH含量と生育の関係(第2章、3章)

酵母のGSH含量と菌体生育の関係を探索する為には、単一の親株からGSH含量が向上した菌株を多数取得する必要がある。そこで、フローサイトメーター(FCM)を活用した迅速スクリーニング系の構築を目指し、GSH含量の異なるモデル株を用いてFCMの有効性を評価した。その結果、細胞内GSHに結合した蛍光色素から発せられる蛍光強度を指標にした分離方法では、サンプル中にGSH含量が高い菌株が一定割合で存在する場合にのみFCMにて目的菌株が取得可能なことが判明した。更なる効率向上を目的に、酵母の変異株を特定の薬剤で馴致培養し、サンプル中にGSH含量が高い菌株の存在確率を高めた後、FCMを用いてGSH含量の高い菌株の取得を試みた。その結果、薬剤耐性とFCMの併用により、GSH含量が高い変異株の取得効率が大幅に向上した。

次に、併用法により育種した変異株を用いてGSH含量と生育の関係を探索した結果、両者に負の相関が観察された(図1)。

3.3.GSH含有酵母の育種(第3章、4章)

前項でみられた負の相関はGSH含量上昇に伴う過剰な生理活性によるものと考え、目的菌株を育種する為には、過剰な量のGSHを液胞に隔離する必要があると考えた。この仮説に基づき、GSHの液胞への輸送単体であるYCF1の発現量を増強し、液胞でのGSH分解酵素をコードするECM38を破壊した菌株を育種した。親株、対象株 (P(ADH1)-GSH1)、そして育種株 (P(ADH1)-GSH1 P(PGK1)-YCF1 ura3Δ0 ecm38Δ0::URA3)は、GSHを各々約0.7%、1.0%、4.3%含有していた。一方で、対象株の生育は、親株よりも低下していたが、育種株の生育は親株よりも向上していた。このようにしてGSH含量と生育を両立しうる菌株を分子育種した。

一方、ADE1またはADE2に変異が生じるとアデニン合成の中間体が細胞内に蓄積する。これら化合物は無色であるが、GSHと結合し液胞に運ばれ、赤色のポリマーを形成し、アデニン要求性酵母が赤く呈色する。私は、中間体の存在量から、酵母の赤色度合は細胞内のGSH含量に依存し、呈色強度を指標にGSH含量の上昇した酵母が分離可能と推測した。変異剤を用いて親株(GSH含量約2.0%)より、ade2株(約2.8%)を取得した。更に、変異処理を繰り返し、より赤色の菌株(約3.3%、約4.0%)を取得した。同一条件でこれらを比較したところ、これら菌株の赤色強度はGSH含量と相関することを見出した。構築した系を改良し、アデニン非要求性酵母に適用できるスクリーニング系を構築した。具体的には、ビオチン欠乏メチオニン含有培地で、酵母野生株が赤色を呈したとの報告に着目し、同培地を用いてアデニン非要求性酵母を親株にしたGSH含量向上酵母の取得を試み、GSH含量向上株(1.9%⇒3.8%)の取得に成功した。同酵母は、親株と同等の生育も示した。

3.4.γ-GC含有酵母の育種(第5章)

一般に、γ-GCのような代謝中間体を高生産させるためには、その代謝経路を遮断する必要がある。GSH合成酵素をコードするGSH2を破壊した所、既報の通り前駆体であるγ-GCが細胞内に蓄積した(0.05%⇒1.70%)。一方で、菌体生育に大幅な遅延が観察された。そこで、GSH合成酵素活性を弱化させる変異を導入したところ、菌体生育に若干の改善が見られたが、γ-GC含量が低下した(1.70%⇒1.10%)。生育とのバランスを目指し、弱化株のγ-GC含量向上を目的に、添加実験での効果をもとに、弱化株のCys生合成経路を強化した(met30変異及びパントテン酸要求性を付加)。取得菌株をパントテン酸欠乏培地で培養した所、培養経時的に菌体内のγ-GC含量が増加した。菌体を増殖させる培養ステージと菌体内のγ-GC含量を増加させる培養ステージに分割することにより、γ-GC含量と生育を両立可能なことを見出した。

4.考察

生体内でGSHは、ストレス応答の他に、細胞内酸化還元電位の維持、細胞内で発生するラジカルの除去、Cysの貯蔵、などの役割を担っており、細胞の状態に応じて細胞内でのGSH含量を一定レベルに制御するために、GSHの生合成経路は厳格に制御されている。その為、特定の遺伝子のみを改変し、酵母細胞内のGSH含量を無理に増加させようとすると過剰な生理活性を誘導し、生育遅延をもたらすと考えられた。そこで私は、GSHを生理活性の場から隔離するように菌株を育種した。具体的には、カドミウムと結合したGSHの輸送単体として報告されていたYcf1pに着目し、同遺伝子を過剰発現させたところ、菌体生育が改善した。この結果より、Ycf1pがフリーのGSHの液胞輸送も担っており、YCF1の過剰発現により、細胞質のGSH含量が一定に維持され、余剰のGSHは液胞に隔離された状態で菌体内に含有されていると考えられる。また、YCF1の過剰発現株では、細胞質に存在するGSH量は少ないと考えられるため、GSHによるγ-GC合成酵素のフィードバック阻害が解除され、GSHの生合成も促進され酵母のGSH含量が大幅に高まったと考えられる。これら効果により、YCF1の過剰発現株では、GSH含量と菌体生育が両立したと推測された。また、酵母の呈色を指標に取得した菌株中にGSH含量と生育を両立させた菌株が存在した。遺伝子レベルでの解析の結果、分子育種した菌株とは異なる遺伝子変異によりGSH含量と生育を両立させていると推測できる。

γ-GCは、ストレス応答時にGSH含量を高める為に、前駆体としてその生合成量が増加する。γ-GC酵母の育種の為には、GSH合成酵素の弱化が不可欠であったが、γ-GCはGSHの機能を十分に補完できず、また、過剰にγ-GCが蓄積すると酸化還元電位のバランスが崩れる為、GSHを完全欠損させた過剰蓄積株では生育が悪化したと考えられた。そこで、生育とγ-GC含量のバランスを維持させるために、2段階の培養方法が有効であったと推測できる。

5.まとめ

GSHを液胞に隔離させることにより、GSH含量と生育を両立し、2段階の培養方法を組み合わせることでγ-GC含量と生育を両立可能なことを見出した。これら菌株は、GSH及びγ-GCの大量生産に適している。

図1.親株とGSH含量が向上した変異株の菌体生育とGSH含量の関係

審査要旨 要旨を表示する

論文提出者による研究は、酵母を用いたグルタチオン(GSH)及びγ‐グルタミルシステイン(γ‐GC)の製法において、その生産性を菌体内含有量と菌体生育の観点から解析し、これら化合物の工業的生産に関する理解を大きく前進させた研究である。

GSHは、グルタミン酸、システイン、グリシンからなるトリペプチドであり、抗酸化作用や解毒作用を中心とした様々な生理活性を有している。γ‐GCは、グルタミン酸、システインからなるジペプチドであり、GSHの前駆体である。GSHは、その効用から医薬品として用いられており、主に、酵素反応法、或いは、酵母菌体からの抽出法により工業的に生産されている。また、GSHは加工食品の原料として加工食品にコク味を付与する目的で用いられている。一方、論文提出者はγ‐GCを調理条件下で加熱するとシステインが遊離することを報告しており、γ‐GCを加工食品に用いることにより、加工食品にシステインの効能を付与可能なことを提案している。このように、GSH及びγ‐GCは加工食品の品質向上に有益な化合物である。ところで、一般に、加工食品の品質向上に有益な化合物は、食品添加物として加工食品の製造工程で使用する場合もあるが、ある一定の割合で、これら有益な化合物を含む食品素材を加工食品の製造工程に使用したいとのニーズがある。酵母は、このようなニーズに合致する食品素材である。このような背景を踏まえ、論文提出者は、変異育種及び分子育種の手法を活用することで、GSH及びγ‐GCの生産に適した酵母菌株を創出することを目的とした。

論文提出者は、研究目的を達成するためにまず第1章にてGSH及びγ‐GCのシステイン残基を蛍光色素で誘導体化し、高速液体クロマトグラフィーを用いて分離・定量する迅速分析手法を構築した。

次に、論文提出者は、第2~第4章にて、分子育種及び変異育種によりGSHの生産に適した酵母菌株を創出した。第2章では、フローサイトメトリーを用いて独自のGSH高含有酵母のスクリーニング方法を考案した。親株をDNA変異剤により変異処理し、更に、変異株集団の中でGSH含量の高い菌株の存在確率を高める為に、変異株集団を特定の薬剤を用いて馴致培養し、フローサイトメトリーを用いてGSH含量が向上した変異株を特異的に分取した。このようにして取得した変異株を用いて、第3章にて、菌体内GSH含量と菌体生育の関係を調べたところ、両者に負の相関があることを見出し、GSHの細胞質への蓄積は生育阻害を引き起こすことを明らかにした。工業的視点から、GSHの蓄積に伴う生育阻害を回避する必要がある。第3章では、さらに、細胞質に高濃度で存在するGSHを液胞へと輸送し、蓄積させる菌株を分子育種することにより、両者を両立させることに成功した。具体的には、グルタミン酸とシステインからγ‐GCを生成する酵素をコードするGSH1遺伝子を過剰発現させ、カドミウムをキレートしたGSHを液胞に輸送するトランスポーターをコードするYCF1遺伝子を過剰発現させた。さらに、液胞でのGSH分解酵素を破壊した菌株を創出した。本菌株は、親株の約6倍ものGSHを菌体内に含有し、また、親株以上の生育を示した。本研究により、GSHの生産に適した酵母菌株が創出されたと考えられる。更に、第4章では、GSHによるアデニン前駆体の液胞への輸送機構を利用するスクリーニング系を確立し、菌体内GSH含量と菌体生育を両立する変異酵母の取得に成功した。

次に、論文提出者は、γ‐GCの生産に適した酵母菌株を創出する為にγ‐GCを代謝するGsh2pをコードする遺伝子を破壊した。その結果、同遺伝子を完全欠損させると菌体内のγ‐GC含量は向上するが、生育が過度に悪化することを見出した。一方、Gsh2pを微弱な活性が残存するように改変すると菌体内のγ‐GC含量は完全欠損株程に向上しないが、生育が比較的良好となることを見出した。更に、後者の菌株のシステイン生成経路を強化することにより菌体内のγ‐GC含量が増加することを見出した。具体的には、MET30遺伝子の改変、及び、パントテン酸要求性の付与、により菌体内のγ‐GC含量が完全欠損株以上に増加することを明らかとした。また、本菌株をパントテン酸が欠乏した培地で培養することによりγ‐GC含量が培養経時的に増加するとの知見も導いている。本研究により、γ‐GCの生産に適した酵母菌株が創出されたと考えられる。

以上の知見により、論文提出者は、酵母を用いたGSH及びγ‐GCの工業的な生産に関して、特に、目的物質と菌体生育の観点から新たな知見を導いたと考えられる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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