学位論文要旨



No 217780
著者(漢字) 久保,淑
著者(英字)
著者(カナ) クボ,シュク
標題(和) 長時間作用型インフルエンザ薬ラニナミビルオクタノエイト(CS-8958)の研究 : その発見と特性
標題(洋)
報告番号 217780
報告番号 乙17780
学位授与日 2013.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17780号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 楠原,洋之
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 特任准教授 田口,友彦
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

インフルエンザはインフルエンザウイルスが飛沫感染や接触感染して起きる急性呼吸器感染症である。ウイルスは非常に速い増殖スピードで複製し、高齢者や基礎疾患を有する人を中心に時として致死的ともなる決して侮れない感染症であり、抗ウイルス薬の必要性は高い。

インフルエンザウイルスはゲノムとしてRNAを持つ被膜ウイルスで、膜上には細胞への吸着・侵入と感染の拡大に重要な働きをするヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)がある。ウイルスはHAを介して細胞上の糖鎖末端シアル酸を受容体として認識し細胞に吸着し、エンドサイトーシスにより細胞内に取り込まれた後、ゲノムの複製やウイルスタンパク質合成過程を経て感染細胞から多数の子ウイルスコピーが出芽する。HAを有する子ウイルスも細胞膜やウイルス膜の糖鎖末端シアル酸に結合するので、ウイルス凝集体を形成する。そこにNAが働き受容体シアル酸が切断されるとHAを介した結合は不可となり、子ウイルスは凝集体から遊離し次の感染へと向かう。

NA活性を阻害するとウイルスの感染拡大が阻害されるため、抗インフルエンザ薬となる。NA阻害剤としては、オセルタミビル、ザナミビル、ペラミビル、ラニナミビルオクタノエイト(以下、CS-8958)が国内で承認されている。オセルタミビルは経口剤、ザナミビルは吸入剤で、いずれも1日2回5日間(10回)の投与が治療に必要である。ペラミビルは静注が必要な1回投与の薬剤である。CS-8958はラニナミビルを活性体とするプロドラッグ体であり、1回吸入で治療が完結する長時間作用型の薬剤である。

本論文ではラニナミビルの発見とそのin vitroでの評価、CS-8958発見の経緯とその動物感染モデル系での薬効評価、CS-8958の長時間作用の要因とその機構の仮説を提示、最後にCS-8958が耐性ウイルス産生に抑制的に作用する薬剤であることについて記載した。

【結果】

(1) 新規NA阻害剤ラニナミビルの発見とin vitro活性

ザナミビルをリード化合物として合成した種々化合物からNA阻害活性を指標に探索を行ない、新規NA阻害剤ラニナミビルを見出した。NA阻害活性はウイルスをNA酵素源、蛍光標識シアル酸を基質として、切断により生じる蛍光を測定することにより調べた。ラニナミビルは、ヒトで流行中のA型ウイルスH1N1亜型(ソ連型、この型の流行は2010年には終息)、H1N1pdm09亜型(2009年のパンデミックウイルス)、H3N2亜型(香港型)及びB型ウイルス、加えてNAの既知の全血清型(N1~N9亜型)および高病原性H5N1トリインフルエンザウイルスの各NAに対し、他薬剤と同様に強い阻害活性を有していた。また、各種オセルタミビル耐性ウイルスのNAに対しても阻害活性を維持していた。

さらに、プラーク減少アッセイを用いてインフルエンザウイルス培養細胞感染系でウイルス増殖抑制作用を検討することにより、ラニナミビルがN1~N9の全亜型に対し増殖抑制作用を示すことを明らかにした。

(2) プロドラッグ化による長時間作用性の付与

ラニナミビルは先行薬と同様に強いin vitro阻害活性を有していたが、先行薬に比べ優れた特長を有する薬剤になるとまでは言えなかった。そこで、先行薬が10回の反復投薬が必要な点に着目し、1回投与で有効な化合物であれば治療薬として大きなメリットがあると考えた。ラニナミビルのプロドラッグ化により1回投与でも有効な化合物となるのではないかと考え、ラニナミビルの各種プロドラッグ体を感染動物モデル系で評価した。その結果、最も優れた効果を示す化合物として9位水酸基にオクタン酸を付加したCS-8958を見出した。

(3) CS-8958の動物感染モデル系での評価

インフルエンザウイルス感染マウスにCS-8958を経鼻投与し、延命効果あるいは肺中のウイルス量の測定により薬効評価を行なった。ウイルスとしてはA型ウイルスのH1N1、H1N1pdm09、H3N2、オセルタミビル耐性H1N1の各亜型およびB型ウイルスを使用した。その結果、CS-8958は1回投与でも、反復投与の先行薬と同等ないしそれ以上のウイルス産生抑制作用やマウス延命作用を示した。次に感染前の予防的投与実験を行ったところ、感染の10日前の1回投与でも有意な延命効果を示した。以上のことから、CS-8958は長時間作用型薬剤であることが明らかとなった。

(4) CS-8958の長時間作用性の理由

ラニナミビルのNA結合安定性について検討した。ウイルス(H1N1、H1N1pdm09、H3N2、B)をNA源として過剰量のNA阻害剤と混合し、遊離のNA阻害剤をゲルろ過で除去して調製したNA-NA阻害剤複合体に基質を添加し切断反応を追跡した。その結果、ラニナミビルは他の3薬剤と比べいずれの型のウイルスに対してもNAに安定な結合をしていることが明らかとなった。経鼻投与したCS-8958は速やかにラニナミビルに変換して長時間貯留するという別途明らかとなっている薬物動態的特性に加え、ここで明らかとなったNAと安定な結合をし解離が遅いことが、CS-8958が長時間作用をもたらす要因のひとつと考えられた。

(5) CS-8958が肺で長時間残留する機構の解明

放射標識CS-8958やラニナミビルを用いた動物実験から、CS-8958は切断酵素(エステラーゼ)でオクタン酸が切断され、ラニナミビルとして細胞内に長く貯留することが示唆されていた。そこで貯留機構を解明する目的でそのエステラーゼの同定を試みた。

粗精製したCS-8958の電気泳動バンドの質量分析により、活性と挙動を同じにする分子量約60kdのバンドがカルボキシエステラーゼ3(CES3)と同定された。CES3遺伝子をクローニングし細胞で発現させると、細胞画分にCS-8958切断活性が回収され、CES3が小胞体/ゴルジ体局在シグナルを持つ酵素であることと合致した。mRNA発現データベースから、CES3は肺、肝、腎で高発現しており、また、抗CES3抗体を用いてマウス呼吸器を免疫染色すると、上皮細胞にCES3が発現していることが確認された。この細胞はインフルエンザウイルスの標的細胞そのものである。

以上のことから、CS-8958の長時間貯留機構について次のような仮説を立てた。CS-8958はその脂溶性を利用して気道上皮細胞膜にアソシエイトし、小胞体/ゴルジ体内に移行し、その内腔側に活性中心を持つCES3により切断される。小胞体/ゴルジ体内に生じた活性体ラニナミビルはその高水溶性のため、膜構造体外への排出が制限され貯留するようになる。一方、膜タンパク質であるNAは、小胞体/ゴルジ体の内腔側にその活性中心を向けた状態で、糖鎖修飾や多量体形成の成熟過程を経る。NAはその過程でラニナミビルと安定な結合をして細胞膜に移動し、ウイルス粒子形成を行なう。他剤が細胞外(気管側)からNAに結合し、貯留することのできない薬剤である点がCS-8958との大きな違いと考えられる。

(6) 低感受性ウイルス産生の抑制

抗ウイルス薬に不可避の問題として薬剤耐性ウイルスの出現がある。In vitroにおいて、ラニナミビル添加培地中で培養細胞にウイルスを感染させ、増殖してくるウイルスを再度感染させるという継代操作を繰返しても、NAに耐性変異は導入されなかった。ラニナミビルは化合物の構造上の特性として耐性化を起しづらい化合物であると示唆された。

In vivoにおいてはCS-8958はラニナミビルとして呼吸器に長時間貯留するため、ウイルス増殖の場に持続的に高濃度で存在する。このことは薬剤耐性ウイルス産生に抑制的に働くことが期待される。そのことを薬剤投与の感染マウスを用いて次のような実験で確認した。感染マウスにCS-8958を1回またはオセルタミビルを1日2回5日間投与を行い、感染7日後のそれぞれの肺からウイルスを約2300個分離し薬剤感受性を調べた。その結果、オセルタミビル投与マウスからオセルタミビル活性体への感受性が減弱した低感受性ウイルスが4株分離できたが、CS-8958投与マウスからは低感受性ウイルスは1株も分離できなかった。

以上のことからCS-8958は、ラニナミビルの構造的特性およびCS-8958の持続的かつ高濃度にラニナミビルが存在するという薬物動態的特性で耐性ウイルス産生に抑制的に働くことが示唆された。

【まとめ】

本研究において、新規NA阻害剤ラニナミビルを発見し、さらにそのオクタン酸付加プロドラッグ体CS-8958が感染動物を用いた評価により長時間作用の性質を獲得することを見出した。長時間作用をもたらす要因としてCS-8958の長時間貯留という薬物動態的特性の他にラニナミビルのNAへの結合安定性があることを示唆した。CS-8958切断酵素としてCES3を同定し、NAがその成熟過程で通過する小胞体/ゴルジ体に長時間貯留する機構を提示した。また、ラニナミビルの構造的特性とウイルス増殖部位にラニナミビルが高濃度で継続して存在する動態的特性を利用して、CS-8958は耐性ウイルス出現に抑制的に働くこと示した。CS-8958は1回で治療が完結する吸入剤イナビル®(10歳以上40mg、10歳未満20mg)として2010年10月に上市された。

ラニナミビル(活性代謝物)

審査要旨 要旨を表示する

インフルエンザは世界で年間25~50万人の死者が出ている感染症であるeさらに、新型ウイルス出現によるパンデミック発生、高病原性ウイルスの発生、ワクチンの限界を考えると抗ウイルス薬の必要性は非常に高い。

インフルエンザウイルスの膜上にはヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)があり、細胞への吸着・侵入と感染の拡大に重要な働きをする。ウイルスはHAを介して細胞上の糖鎖末端シアル酸を受容体として認識し細胞に吸着する。エンドサイトーシスにより細胞内に取り込まれると、HAの高次構造がエンドソーム内の酸性により変化し、ウイルス膜とエンドソーム膜の膜融合を惹起し、ウイルス内部は細胞質へ開口する。ウイルスゲノムは細胞質に放出され、核へと移動し、ゲノムRNAの鋳型となる相補的RNA(cRNA)とウイルスタンパク質を作るためのmRNAに転写される。mRNAからウイルスタンパク質が作られるが、膜タンパク質であるHAとNAはGolgi体を通って細胞膜へと移動する。ウイルスのゲノムRNAやタンパク質の各コンポーネントは細胞膜で会合し、子ウイルスが出芽する。子ウイルスは親ウイルス同様にHAを膜表面に有しているため、細胞膜あるいはウイルス膜の糖鎖末端シアル酸に結合し、ウイルス凝集体を形成する。そこにNAが働き、末端シアル酸が切断されるとHAはもはや結合することができなくなり、子ウイルスは凝集体から遊離し次の感染へと向かう。

NAを阻害するとウイルスの感染拡大が阻害されるため、抗インフルエンザ薬となる。NA阻害剤としては、現在までにリン酸オセルタミビル(以下、オセルタミビルと称す。タミフル(R))、ザナミビル(リレンザ(R))、ペラミビル(ラピアクタ(R))、ラニナミビルオクタン酸エステル(CS-8958;イナビル(R))カミ国内で承認されている。オセルタミビルは経口吸収性を高めるためにプロドラッグ化されており、体内ではオセルタミビル活性体として働く。いずれの薬剤もそれぞれにその用法に特長があり、オセルタミビルは経口剤、ザナミビルは吸入剤で、いずれも1日2回5日問の投与が治療に必要である。ペラミビルは単回の薬剤であるが、静注が必要である。

本研究において久保は、抗インフルエンザ薬として、先行薬であるオセルタミビルやザナミビルにはない新しい特長を持つ新規NA阻害剤を見出すことを目標として探索を開始した。その結果、新規NA阻害薬ラニナミビルと動物において長期作用を示すそのプロドラッグ体CS-8958を発見した。さらに、CS-8958が長期作用を示す理由を提示し、本薬剤がウイルス感染標的細胞で長時間貯留する機構を明らかにした。以下に研究の概要を示す。

(1)新規NA阻害剤ラニナミビルの発見:久保は、ザナミビルを元化合物として合成した種々化合物からNA阻害活性を指標に探索を行ない、新規NA阻害剤ラニナミビルを見出した。ラニナミビルはヒトで流行中のA型ウイルスであるHIN1亜型(ソ連型)、HINIpdmO9亜型(2009年のパンデミックウイルス)、H3N2亜型(香港型)及びB型ウイルス、加えてNAの既知の全血清亜型(N1~N9型)および高病原性H5N1トリインフルエンザウイルスの各NAに対し、ラニナミビルは他の先行薬と比べて同等に強い阻害活性を有することを示した。また、種々のオセルタミビル耐性ウイルスのNAに対しても活性を維持していた。

(2)プロドラッグ化による長期作用性の付与:ラニナミビルは他剤と同様に強いNA阻害滑性を有していたが、先行他剤に比べ優れた特長を有する化合物とは言えなかった。そこで久保は、先行薬が1日2回5日間の反復投薬が必要な点に着目し、単回投与で有効な化合物であれば治療薬として大きなメリットがあると考えた。そこでラニナミビルをプロドラッグ化することにより、長期作用型、即ち単回投与でも有効な化合物とすることができないかと考えた。その結果、ラニナミビルの9位水酸基に各種鎖長の脂肪酸を付加したプロドラッグ体が鎖長に依存した延命効果を与えることを明らかにした。特にオクタン酸付加体(CS-8958)投与では感染20日後でも50-70%のマウスが生存し、鎖長はそれより長くても短くても延命効果は減弱することを明らかにした。

(3)CS-8958の動物感染モデル系での評価:久保は、CS-8958について種々の薬効評価を行なった。評価はマウス、フェレット、モルモットに種々のインフルエンザウイルスを感染させ、動物の延命効果あるいは動物の肺懸濁液または鼻洗浄液中のウイルス量を測定することにより行なった。ウイルスとしてはA型ウイルスのHIN1、HINlpdmO9、H3N2、オセルタミビル耐性HIN1の各亜型およびB型ウイルスを使用した。その結果、例えばHINlpdmO9ウイルス感染マウスモデルにおいて、CS-8958を単回経鼻投与はオセルタミビル反復投与より有意なウイルス産生抑制効果を示すことを見出した。また、他の各種ウイルス動物感染モデルにおいても、CS-8958は単回投与で有効であることを示じた。

(4)CS-8958の長期作用性の理由:CS-8958をマウスに経鼻投与すると、活性代謝物ラニナミビルに速やかに変換し、ラニナミビルとして長い半減期で肺中に長期残存することが長期作用性の説明となっている。それに加えて、久保はラニナミビルのNAへ安定に結合性することを明らかにし、この性質も長期作用性に関与していると考えられた。

(5)CS-8958が肺で長時間残留する機構の解明:CS-8958はその9位に付加したオクタン酸が投与後速やかに切断され、活性体ラニナミビルに代謝される。久保は、放射標識したCS-8958を経鼻投与後の気道洗浄液への放射活性の回収が少ないこと、肺のミクロオートラジオグラフィで放射活性が細胞内に観察されること、ラニナミビル投与では長時間貯留性が見られないことから、CS-8958は細胞内で切断され、細胞内に活性体として貯留すると想定した。そこで、残留機構の解明を試みた。その結果、CS-8958はオクタン酸付加によりもたらされた脂溶性を利用して、気道上皮細胞に侵入すること、侵入した細胞内でER/Golgiに移行し、その内腔側に活性中心を持つCES3と出会い切断されること、生じた活性体ラニナミビルは水溶性が高く、ER/Golgiの膜構造体内にトラップされ貯留するようになること、を明らかにした。一方、インフルエンザウイルスのNAは膜タンパク質であり、ER/Golgiの内腔側にその活性中心を向けた状態で、糖鎖修飾や多量体形成の成熟逼程を経る。NAはそのためER/Golgi内でラニナミビルと結合が可能で、安定な結合体として細胞膜に移動し、その結合状態でウイルス粒子形成を行ない、効率良くウイルスNAを阻害できるのではないかと考えられた。

本研究において、新規NA阻害剤ラニナミビルを発見し、さらにそのオクタン酸付加プロドラッグ体CS-8958が長期作用型の性質を獲得することを見出した。CS-8958は単回で治療が完結する吸入剤イナビル(R)(10歳以上40mg、10歳未満20mg)として2010年10月に上市された。従って、本研究は医学薬学領域において極めて重要な研究であり.、博士(薬学)に充分値するものと判断した。

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