学位論文要旨



No 217782
著者(漢字) 渡邉,知倫
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,トモミチ
標題(和) FBL2によるアミロイド前駆タンパク質のユビキチン化を介した代謝調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 217782
報告番号 乙17782
学位授与日 2013.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17782号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 村田,茂穗
 東京大学 教授 楠原,洋之
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

ユビキチン-プロテアソームシステム(UPS)は、細胞内のタンパク質分解において中心的な役割を果たしており、ユビキチン化されたタンパク質を特異的に分解することで厳密に制御された機構である。アルツハイマー病(AD)、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、ポリグルタミン病など多くの神経変性疾患は、個々の疾患ごとに異なる異常タンパク質の蓄積によって構成された特徴的な病理的構造物が認められる。中でもADは痴呆の原因として大きな割合を占める進行性の神経変性疾患であり、病理学的特徴として、βアミロイド(Aβ)を主成分とする老人斑の蓄積と、異常リン酸化されたタウタンパク質を主成分とする神経原線維変化の蓄積が見られる。このような異常タンパク質の蓄積は、疾患発症の一因であると考えられており、UPSによるタンパク質分解系の破綻がその原因の1つとされている。ADにおいてもUPSの破綻に関する報告が多数なされているが、その詳細な分子機構は未だ不明である。

AD患者脳を用いた発症原因の解明を目的とした遺伝子発現変動については多数の報告があるが、殆どの解析は健常人とAD患者間での発現量を比較したものである。この解析方法では、各個体間での遺伝子発現の多様性が高いことから、発現変動の顕著な遺伝子のみが検出可能であるという問題が生じる。この問題点を解決するために、私は、AD患者では前頭葉に比べ側頭葉で著しい病変が見られることに着目した。同一AD患者の前頭葉と比較し側頭葉でより発現変動の大きな遺伝子を探索することにより、個体差の問題を解決できるだけでなく、より病的変化の進行に直結する遺伝子を見出すことができると考え、定量的PCR法により両領域間で発現変動に違いが見られる遺伝子の探索を行った。その結果、AD患者脳の前頭葉と比較し側頭葉でより発現が低下し、かつUPSに関連した遺伝子としてE3ユビキチンリガーゼであるF-box and leucine-rich repeat protein2(FBL2)を見出した。

まず、定量的PCR法および免疫組織化学を用いて、FBL2のヒト脳における発現パターンと、AD脳における変化について検討した。健常人においてFBL2 mRNAの発現は、他の組織と比較し脳で非常に高く、脳内では海馬における発現が最も高かった。FBL2タンパク質の発現は、神経細胞の細胞体および樹状突起に認められたが、アストロサイト、ミクログリアでは見られなかった。AD患者脳でのFBL2 mRNA発現は、アミロイド蓄積を指標とする病理変化(ブラークステージ)の進行とともに低下し、その低下は病変の著しい側頭葉でより顕著であった。FBL2タンパク質もまた同様に、ブラークステージの進行とともに低下し、ブラークステージ後期ではグルタミン酸作動性神経細胞のマーカーであるEAAC1陽性神経細胞、神経細胞体のマーカーであるNeuN陽性神経細胞において発現が殆ど見られなかったことから、FBL2タンパク質の低下は、神経細胞の脱落に先行することが示唆された。さらに興味深いことに、ADの遺伝学的危険因子の1つであるアポリポタンパク質E遺伝子のε4アレル(ApoE4)保有のAD患者脳において、FBL2 mRNA発現、FBL2タンパク質の低下はApoE4非保有AD患者脳に比べより顕著であった。

FBL2は、そのアミノ酸配列からSCF型のE3ユビキチンリガーゼと類推され、免疫沈降法によりFBL2がSCF型E3ユビキチンリガーゼ複合体の構成成分であるskp1、cullin1と結合することを確認した。次に、FBL2がAβ産生に及ぼす影響について検討した。HEK293細胞にAPPとFBL2を一過性に過剰発現させると、培養上清中のAβの分泌が減少すると同時に、sAPPβの分泌が低下した。この時、Aβの産生および分解に関与する酵素のタンパク質量に変化はなかった。SCF型E3ユビキチンリガーゼ複合体を形成できないF-box領域欠失FBL2変異体では、FBL2の共発現によるAβ分泌低下作用は見られなかった。また、FBL2によるAβ分泌低下作用は、マウス初代培養神経細胞にレンチウイルスベクターを用いてFBL2を過剰発現させた場合にも確認された。さらに、スウェーデン型家族性AD変異APP遺伝子を過剰発現させたNeuro2a細胞(APPsw-Neuro2a)にFBL2を過剰発現すると、細胞内Aβ量が低下した。逆に、APPsw-Neuro2a細胞でsiRNAを用いて内在性FBL2の発現を抑制すると、Aβ、sAPPβの分泌が増加した。

E3ユビキチンリガーゼは、基質と特異的に結合しユビキチン化することが知られている。FBL2がAβ分泌に影響を及ぼすという結果に基づき、Aβの前駆体であるAPPがFBL2の基質である可能性について検討した。一過性にAPPとFBL2を過剰発現させたHEK293細胞の抽出液を用いて、免疫沈降法により、FBL2とAPPならびにAPPのC末端断片との結合を確認した。同時に、FBL2の発現はAPPユビキチン化を促進した。さらに、組み換え体FBL2-SCF複合体を用いたin vitroの再構成系においても、APPユビキチン化の促進が確認された。一方F-box領域を欠失したFBL2変異体はAPPと結合したが、APPユビキチン化は促進しなかった。

次に、FBL2によるAβ分泌低下作用に、APPのユビキチン化がどのような影響を与えるかについて、APPとFBL2を一過性に過剰発現させたHEK293細胞を用いて検討した。シクロヘキシミド処理によりタンパク質合成を阻害した条件下で、FBL2はAPPの分解を促進したが、一方F-box領域欠失FBL2変異体の発現はAPPの分解を阻害した。さらに、FBL2はAPPのエンドサイトーシスを阻害し、その結果細胞膜表面上のAPPを増加させた。FBL2によるこれらの作用は、APPの651番目のリジン残基をアラニンに置換した変異体では見られず、Aβ分泌低下作用も見られなかった。これらの結果から、FBL2は、APPの651番リジン残基のユビキチン化を介してAPP代謝を調節し、Aβ分泌を低下させるものと考えられた。

最後に、in vivoにおいてAβ分泌に対するFBL2の影響を評価するために、APPsw/家族性AD変異プレセニリン1遺伝子(PS1M146V)を過剰発現したダブルトランスジェニックマウス(AD1)に、さらにthy1.2プロモーターを用いて脳特異的にFBL2を過剰発現するトランスジェニックマウスを掛け合わせた三重トランスジェニックマウス(AD1/FBL2)を作製し、生化学的および免疫組織化学的に検討した。7ヶ月齢のAD1/FBL2トランスジェニックマウスの海馬では、CTFβが有意に低下し、可溶性Aβ及び不溶性Aβ(トリス緩衝液不溶性・グアニジン溶液可溶性)の有意な低下が見られた。さらに、海馬及び大脳皮質内のAβ斑の蓄積も有意に低下した。以上の結果から、FBL2は、in vivoにおいてAβ分泌とともにAβ蓄積も低下させることが示された。

本研究において私は、AD患者脳でより病変の著しい側頭葉で前頭葉に比して発現が低下する遺伝子としてFBL2を同定した。さらに、FBL2が、APPのユビキチン化を介してAPPの分解を促進するだけでなく、エンドサイトーシスを阻害することでAβ分泌を低下させるという新しいAPP代謝調節機構を明らかにした。AD患者脳では、この代謝調節機構の低下により細胞内APP/Aβ蓄積、分泌Aβ、CTFβの増加を介して神経機能障害、神経細胞死が誘発されることが病態の形成に重要な役割を果たしていることが示唆される。FBL2依存性のAPP代謝調節機構の活性化は、既存のAβ治療戦略とは異なる新規AD治療薬の開発に繋がることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

ユビキチン-プロテアソームシステム(UPS)は、細胞内のタンパク質分解において中心的な役割を果たしており、ユビキチン化されたタンパク質を特異的に分解することで厳密に制御された機構である。アルツハイマー病(AD)、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、ポリグルタミン病など多くの神経変性疾患は、個々の疾患ごとに異なる異常タンパク質の蓄積によって構成された特徴的な病理的構造物が認められる。中でもADは認知症の原因として大きな割合を占める進行性の神経変性疾患であり、病理学的特徴として、βアミロイド(Aβ)を主成分とする老人斑の蓄積と、異常リン酸化されたタウタンパク質を主成分とする神経原線維変化の蓄積が見られる。このような異常タンパク質の蓄積は、疾患発症の一因であると考えられており、UPSによるタンパク質分解系の破綻がその原因の1つとされている。ADにおいてもUPSの破綻に関する報告が多数なされているが、その詳細な分子機構は未だ不明である。

AD患者脳を用いた発症原因の解明を目的とした遺伝子発現変動については多数g)報告があるが、殆どの解析は健常人とAD患者間での発現量を比較したものである。この解析方法では、各個体間での遺伝子発現の多様性が高いことから、発現変動の顕著な遺伝子のみが検出可能であるという問題が生じる。この問題点を解決するために、申請者は、AD患者では前頭葉に比べ側頭葉で著しい病変が見られることに着目した。同一AD患者の前頭葉と比較し側頭葉でより発現変動の大きな遺伝子を探索することにより、個体差の問題を解決できるだけでなく、より病的変化の進行に直結する遺伝子を見出すことができると考え、定量的PCR法により両領域間で発現変動に違いが見られる遺伝子の探索を行った。その結果、AD患者脳の前頭葉と比較し側頭葉でより発現が低下し、かつUPSに関連した遺伝子としてE3ユビキチンリガーゼであるF-box and leucine-rich repeat protein2(FBL2)を見出した。

まず、定量的PCR法および免疫組織化学を用いて、FBL2のヒト脳における発現パターンと、AD脳における変化について検討した。健常人においてFBL2 mRNAの発現は、他の組織と比較し脳で非常に高く、脳内では海馬における発現が最も高かった。FBL2タンパク質の発現は、神経細胞の細胞体および樹状突起に認められたが、アストロサイト、ミクログリアでは見られなかった。AD患者脳でのFBL2 mRNA発現は、アミロイド蓄積を指標とする病理変化(ブラークステージ)の進行とともに低下し、その低下は病変の著しい側頭葉でより顕著であった。FBL2タンパク質もまた同様に、ブラークステージの進行とともに低下し、ブラークステージ後期ではグルタミン酸作動性神経細胞のマーカーであるEAAC1陽性神経細胞、神経細胞体のマーカーであるNeuN陽性神経細胞において発現が殆ど見られなかったことから、FBL2タンパク質の低下は、神経細胞の脱落に先行することが示唆された。さらに興味深いことに、ADの遺伝学的危険因子の1つであるアポリポタンパク質E遺伝子のε4アレル(ApoE4)保有のAD患者脳において、FBL2 mRNA発現、FBL2タンパク質の低下はApoE4非保有AD患者脳に比べより顕著であった。

FBL2は、そのアミノ酸配列からSCF型のE3ユビキチンリガーゼと類推され、免疫沈降法によりFBL2がSCF型E3ユビキチンリガーゼ複合体の構成成分であるskp1、cullin1と結合することを確認した。次に、FBL2がAβ産生に及ぼす影響について検討した。HEK293細胞にAPPとFBL2を一過1生に過剰発現させると、培養上清中のAβの分泌が減少すると同時に、sAPPβの分泌が低下した。この時、Aβの産生および分解に関与する酵素のタンパク質量に変化はなかった。SCF型E3ユビキチンリガーゼ複合体を形成できないF-box領域欠失FBL2変異体では、FBL2の共発現によるAβ分泌低下作用は見られなかった。また、FBL2によるAβ分泌低下作用は、マウス初代培養神経細胞にレンチウイルスベクターを用いてFBL2を過剰発現させた場合にも確認された。さらに、スウェーデン型家族性AD変異APP遺伝子を過剰発現させたNeuro2a細胞(APPsW-Neuro2a)にFBL2を過剰発現すると、細胞内Aβ量が低下した。逆に、APIPsw-Neuro 2a細胞でsiRNAを用いて内在性FBL2の発現を抑制すると、Aβ、sAPPβの分泌が増加した。

E3ユビキチンリガーゼは、基質と特異的に結合しユビキチン化することが知られている。FBL2がAβ分泌に影響を及ぼすという結果に基づき、Aβの前駆体であるAPPがFBL2の基質である可能性について検討した。一過性にAPPとFBL2を過剰発現させたHEK293細胞の抽出液を用いて、免疫沈降法により、FBL2とAPPならびにAPPのC末端断片との結合を確認した。同時に、FBL2の発現はAPPユビキチン化を促進した。さらに、組み換え体FBL2-SCF複合体を用いたin vitroの再構成系においても、APPユビキチン化の促進が確認された。一方F-box領域を欠失したFBL2変異体はAPPと結合したが、APPユビキチン化は促進しなかった。

次に、FBL2によるAβ分泌低下作用に、APPのユビキチン化がどのような影響を与えるかについて、APPとFBL2を一過性に過剰発現させたHEK293細胞を用いて検討した。シクロヘキシミド処理によりタンパク質合成を阻害した条件下で、FBL2はAPPの分解を促進したが、一方F-box領域欠失FBL2変異体の発現はAPPの分解を阻害した。さらに、FBL2はAPPのエンドサイトーシスを阻害し、その結果細胞膜表面上のAPPを増加させた。FBL2によるこれらの作用は、APPの651番目のリジン残基をアラニンに置換した変異体では見られず、Aβ分泌低下作用も見られなかった。これらの結果から、FBL2は、APPの651番リジン残基のユビキチン化を介してAPP代謝を調節し、Aβ分泌を低下させるものと考えられた。

最後に、in vivoにおいてAβ分泌に対するFBL2の影響を評価するために、APPsw/家族性AD変異プレセニリン1遺伝子(PSI(M146v))を過剰発現したダブルトランスジェニックマウス(AD1)に、さらにthy1.2プロモーターを用いて脳特異的にFBL2を過剰発現するトランスジェニックマウスを掛け合わせた三重トランスジェニックマウス(AD1/FBL2)を作製し、生化学的および免疫組織化学的に検討した。7ヶ月齢のAD1/FBL2トランスジェニックマウスの海馬では、CTFβが有意に低下し、可溶性Aβ及び不溶性Aβ(トリス緩衝液不溶性・グアニジン溶液可溶性)の有意な低下が見られた。さらに、海馬及び大脳皮質内のAβ斑の蓄積も有意に低下した。以上の結果から、FBL2は、invivoにおいてAβ分泌とともにAβ蓄積も低下させることが示された。

以上のごとく、本研究において申請者は、AD患者脳で、より病変の著しい側頭葉で前頭葉に比して発現が低下する遺伝子としてFBL2を同定した。さらに、FBL2が、APPのユビキチン化を介してAPPの分解を促進するだけでなく、エンドサイトーシスを阻害することでAβ分泌を低下させるという新しいAPP代謝調節機構を明らかにした。AD患者脳では、この代謝調節機構の低下により細胞内APP/Aβ蓄積、分泌Aβ、CTFβの増加を介して神経機能障害、神経細胞死が誘発されることが病態の形成に重要な役割を果たしていることが示唆される。FBL2依存性のAPP代謝調節機構の活性化は、既存のAβ治療戦略とは異なる新規AD治療薬の開発に繋がることが期待される。以上のごとく、本研究はアルツハイマー病の分子病態解析から新規創薬標的の同定に新知見をもたらすものであり、博士(薬学)の学位にふさわしいものと判定した。

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