学位論文要旨



No 217783
著者(漢字) 白川,蓉子
著者(英字)
著者(カナ) シラカワ,ヨウコ
標題(和) フレーベルのキンダーガルテン実践に関する研究 : 幼児教育における「遊び」と「作業」をとおしての学び
標題(洋)
報告番号 217783
報告番号 乙17783
学位授与日 2013.02.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第17783号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,智志
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 准教授 小国,喜弘
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 学習院大学 客員教授 佐藤,学
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、フリードリッヒ・フレーベル(Friedrich W. Frobel 1782-1852)が創設したキンダーガルテン(Kindergarten,1840)における「遊び」と「作業」による幼児教育実践を検討したものである。フレーベルが創設したキンダーガルテンは、フレーベルの没後、教え子や後継者たちによって、ヨーロッパの国々やアメリカに普及し、日本にも伝播した。それは、各地の幼稚園運動のなかで幼児教育制度の発展のもとに、文化変容を遂げながら19世紀後半にかけて各地に根づいていった。

フレーベル研究は大別すると、(1)ドイツにおいて繰りひろげられた、『人間の教育』(1826)や『フレーベル自伝』他書簡類等の文献解釈学に基づく、フレーベルの思想と人物に関する哲学領域での研究、(2)キンダーガルテンが伝播した諸地域の幼児教育史におけるキンダーガルテン設立運動の研究がある。フレーベル・オリジナルなキンダーガルテン実践の総体を教育学の見地から検討した研究は少ないが、(1)と(2)の研究のなかで部分的になされてきた。

フレーベル・オリジナルなキンダーガルテン実践の総合的な研究がなされてこなかった理由は、第1に、『人間の教育』に著わされたカイルハウの教育実践からおよそ30年後に結実した乳幼児を対象としたキンダーガルテン実践について、フレーベル自身のまとまったキンダーガルテン教育学の著作がないことがある。第2に、フレーベル自身のキンダーガルテン教育学とは何かが明らかにされないままに、フレーベル運動においては、「指導書」(マニュアル)を媒介して遊具や作業具の扱い方を中心にキンダーガルテンが普及し、キンダーガルテン実践の基礎にあるフレーベルの思想と理論から逸れてフレーベリアン・オーソドックスの実践が成立し、これをもってフレーベル幼稚園教育学と同一のものと見做されてしまったことである。この背景にはフレーベルの数少ない幼稚園教育学に関するドイツ語の原著が、他の言語を用いる国々の幼児教育研究者や実践家に容易に判読し難かったこともあると思われる。

本論文は、フレーベルのキンダーガルテン教育学の柱は「『遊び(Spiel)』と『作業(Beschaftigung)』をとおしての学び」であったのではないか、との仮説のもとに、フレーベル・オリジナルなキンダーガルテン実践の全体像を検討し、幼児教育における意義を明らかにしようとしている。

序章では、ドイツ、イギリス、アメリカ及び日本のフレーベル研究史とキンダーガルテン発展史を抑え、フレーベル研究の到達段階と問題の所在を追究している。上記の国々においては、19世紀後半のフレーベル運動で、フレーベリアン・オーソドックスの実践がほぼ成立したこと、フレーベル幼稚園教育学の研究は、ドイツでは1900年代から始まり、イギリス、アメリカでは1880年代末から幼稚園教育学の英訳本が出はじめ、幼稚園教育学の研究はそれ以後の19世紀末に始まったと結論づけている。つまり、キンダーガルテンの普及すなわち設立が先行して、キンダーガルテン実践の背後にある理論や思想の研究が後になるという特異な研究史を辿っている。

ドイツでは、フレーベルの思想を探求する哲学的研究が蓄積された。フレーベルの没後、キンダーガルテンはドイツ国内に普及するが、公的教育制度に組み入れられることはなく、家庭の教育を補完する社会福祉施設として存続してきた。その間、1930年代にはナチスによりフレーベル像が歪曲して造られ、戦後は旧東ドイツと西ドイツでキンダーガルテンは異なる道を歩んで発展した。キンダーガルテン実践の全体像を検討した研究は第二次大戦後に旧東西ドイツで進められた。やがて1990年の東西ドイツ統一後に、旧東ドイツ所在のフレーベル博物館(ブランケンブルク)を拠点としてキンダーガルテン実践の研究が徐々に進められてきている。イギリスでも1990年代に入って1880年代のフレーベル幼稚園教育学の英訳本の復刻版が出されて、フレーベル・オリジナルな幼稚園教育学の研究が新たに始まったところである。19世紀末から20世紀初頭にかけて児童研究運動のもとに興った新しい教育学が批判の矢を向けたのは、フレーベリアン・オーソドックスの実践に対してであった。日本にもフレーベリアン・オーソドックスのキンダーガルテン実践がマニュアルの翻案をとおして導入され、新教育運動のなかでこれが批判され、幼稚園の改革がなされた。

以上のようなフレーベル研究史とキンダーガルテン発展史の把握のもとで、本論文の課題を、これまでその実践の総体を研究されてこなかったフレーベル・オリジナルなキンダーガルテン実践の全体像を究明し、幼児教育学における意義を明確にすることに定めた。

第1章:フレーベルのキンダーガルテン実践の成立の第1節では、カイルハウ実践(1816~)とキンダーガルテン実践(1836~)の二つの教育実践には「人間教育の追求」という理念が通底しており、フレーベルを実践へ導いたものは哲学的な瞑想ではなく、ドイツの社会状況との厳しい対峙の中での決断であったと思われるので、「戦争への従軍体験」と「1836年の生命の革新」を教育実践への動機づけとして取りあげた。第2節、第3節は、フレーベルの1836年から1842年までの活動についてJ.プリューフアーの論文、Johannes Prufer, Die padagogischen Bestrebungen Friedrich Frobel in den Jahren 1836-1842. 1909. と同著書、Friedrich Frobel- Sein Leben und Schaffen von Johannes Prufer. 1927、A.H.ハイネマンのFroebel Letters(1893)を主要文献としてキンダーガルテンの成立の経緯を明らかにしている。

第2章:フレーベル・オリジナルなキンダーガルテン実践の内容と方法では、生前のフレーベルが展開したキンダーガルテン実践の実態を、W.ランゲのフレーベル全集2巻Friedrich Frobel's gesammelte padagogische Schriften Herausgegeben von Dr. Wichard Lange Abt.2 と、H.ハイランド編フレーベル選集第3巻、Friedrich Frobel: Vorschulerziehung und Spieltheorie, Klett-Cotta 1982. および、同第4巻、Friedrich Frobel: Die Spielgaben, Ausgewahlte Schriften, Herausgegeben, zum Teil erstmal veroffentlicht von Erika Hoffmann. Klett-Cotta 1982.を主要文献として使用している。さらに、実践の実態を把握するために、フレーベルの書簡中で実践に関する叙述を取り上げ検討している。キンダーガルテンの保育内容は、「遊具・作業具を用いた遊戯と作業」、「運動遊戯」、「自然との関わり、庭での栽培活動、砂場遊び」、「言葉、お話、読み書き」である。

第3章:人間教育の基礎段階における「遊び」と「作業」による学びでは、第1節で、キンダーガルテン実践の「理論的基礎」と、「フレーベルに影響を及ぼした遊戯・作業教育論」を把握し、第2節と第3節で、フレーベル・オリジナルなキンダーガルテンにおける「遊び」と「作業」による学びの意義を実践事例を取り上げて検討した。結論として、遊具による「遊び」は単に自由な自己活動ではなく、「乳幼児の発達と人類の発展にみ合う『教育的遊び』」であり、運動遊戯は、自分と友達の身体を素材とした身体表現であり「他の生命の受容と理解」をもたらす意義が見出された。また「作業」は、労働教育や職業教育ではなく、「遊び」から発展する「物を創りだす活動」であることが明らかになった。

第4章:キンダーガルテンの伝播とフレーベリアン・オーソドックスの成立では、フレーベルのキンダーガルテン実践が、19世紀後半に、ドイツ、イギリス、アメリカ、そして日本に、どのように伝えられ変容して定着したかを解明している。この章では、各国の幼児教育史と幼稚園運動史、さらに当時各国で使用された指導書を分析検討している。ドイツ、イギリス、アメリカの指導書で検討したものは、1)H.Goldammerの Der Kindergarten.(1869)、2)Johann and Bertha RongeのA Practical Guide to the English Kindergarten (1854,1883)、3) E.PeabodyのKindergarten Guide(1869)、 4)E.Wiebeの The Paradise of Childhood(1869)、5) A.DouaiのThe Kindergarten(1872). である。これらの分析を通して、フレーベルリアン・オーソドックスのキンダーガルテン実践の指導内容や方法を明らかにした。

終章:フレーベル・オリジナルなキンダーガルテン実践の変容・改革・継承では、第1節で、フレーベリアン・オーソドックスによって、「遊び」が「一斉の模倣練習」に、運動遊戯が「体操」に、「作業」が労働者の幼児の労働訓練と一般の子どもの技術教育に変容したことを指摘した。第2節で、デューイやキルパトリックの経験主義教育からの批判を検討するなかで彼らの教育学は、自由な自己活動を重視している点でフレーベルの幼児教育と共通していること、第3節のモンテッソーリ・メソッドとの比較のなかで、モンテッソーリ・メソッドも幼児の活動衝動を具体物で引き出す方法でフレーベルと同じ幼児教育原理を適用していることを指摘した。これらの結論をふまえて、第4節で、フレーベル・オリジナルのキンダーガルテン実践の幼児教育における意義として、「遊具で乳幼児の活動を引きだし、表現をとおして外界の認識に至らしめる教育的遊び」、「遊びから発展して物を創りだす作業」、「身体表現により仲間意識(Gemeinsamkeit)を育てる運動遊戯」、「栽培活動や砂場遊びなどで自然と関わる活動」を挙げた。これらのなかで変容し、失われつつあるものもあるが、その重要性を再認識して継承すべきと結論づけている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、フレーベルのキンダーガルテン実践を(1)フレーベルがドイツのブランケンブルグに創設しドイツ各地に広めた実践(オリジナルな実践)、(2)フレーベルの没後、フレーベル運動によって欧米、日本に普及した実践(フレーベリアン・オーソドックスによる実践)、(3)19世紀末から20世紀初頭にかけて改革された実践(改革派による実践)の三つに峻別し、「オリジナルな実践」の本質的な意義とその変容について歴史的に探究している。本論は、序章、終章を含む6章で構成されている。

本論は、序章においてフレーベルの文献学と研究史の検討を行った後、第1章では、フレーベルのキンダーガルテン実践の成立過程をたどり、その前史となるカイルハウ実践と『人間の教育』の哲学との連続性においてブランケンブルグのキンダーガルテン実践が成立した経緯を、彼の戦争体験による契機とその後の哲学的思索によって解明している。

第2章では、オリジナルなキンダーガルテン実践として「遊具・作業具」による「遊び」と「作業」、「運動遊戯」「自然との関わり・栽培活動、砂場遊び」「言葉、お話、読み書き」の実践の具体的様態が、日誌や手紙などの諸資料を渉猟して精緻に描出されている。

第3章では、「オリジナルな実践」の「遊び」と「作業」に焦点化し、「子どもの内的生命の表現」の発達的意義と認識論的基礎、キリスト教神学の思想的基盤、およびそれらの教育学的意義についてフレーベルの著述に即して探究している。

第4章では、ドイツ、イギリス、アメリカ、日本におけるフレーベル・オーソドックスが「オリジナルな実践」を十分に認識しえないまま普及運動を展開した事情を示し、普及における定型化による「オリジナルな実践」の変容について考察している。さらに終章においては、変容した実践に対するデューイとキルパトリックの批判、モンテッソーリ・メソッドとの近似性が再検討され、「オリジナルな実践」の歴史的意義とその継承の可能性について探究している。

本論は、東西ドイツ統一後の条件を踏まえた資料探索と再解釈に挑戦し、実践そのものの記述分析を基底にすることによって、『人間の教育』の哲学的解釈に傾斜してきたフレーベル研究が等閑視してきた彼の実践的思索を解明するとともに、「フレーベリアン・オーソドックス」によって広められてきた幼児教育実践とフレーベル自身の「オリジナルな実践」との差異を開示することに成功している。特に「ガーべ(恩物・遊具)」を媒介とする「予感」によって「考え、行為し、感受して」、世界(自然・人間・神)の本質にいたる認識活動の考察は、思考や学びの基礎を形成する乳幼児の教育にとって貴重な示唆を含んでいる。

このように本論文は、フレーベルの幼児教育学を「オリジナルな実践」の精緻な考察から再検討することによって先行する哲学的研究の水準を更新するとともに、欧米と日本に普及し定形化したフレーベル主義の教育実践を「オリジナルな実践」との比較によって再検証するという貴重な成果を導いている。よって本論文は博士(教育学)の学位の水準に十二分に達しているものと評価された。

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