学位論文要旨



No 217785
著者(漢字) 田中,祐理子
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ユリコ
標題(和) 「病原菌」の歴史 : 実在・表象・歴史性について
標題(洋)
報告番号 217785
報告番号 乙17785
学位授与日 2013.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17785号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石光,泰夫
 東京大学 教授 内野,儀
 東京大学 教授 田中,純
 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 教授 金森,修
内容要旨 要旨を表示する

I.本論文の主題

本論は、表題の通り、「病原菌」という主題に関する思考と探究の歴史を、主に西洋思想史を舞台に辿ったものである。対象を「病原菌の歴史」とすることによって、本論は二つの性質の異なる既存の歴史叙述を対照することを狙った。すなわち、「病原菌」が細菌及び各種の微生物という具体的事物であることを証明して一個の科学として確立した「細菌学」の成立プロセスを書く歴史と、「病気の原因」となる「目の見えない存在」についての人間の様々な「想像力」の諸相との、対照である。

「細菌学」の成立は、現代的な自然科学研究の形式が確立し、「科学」および「科学者」の社会的な位置付けが大きなものとなる時期と重なっているため、「細菌学の歴史」を扱うことは、対象の確実性や言説の科学性の獲得によってそれまでにない「実体性」を得ることになる現代科学の言説構成を分析する題材として、極めて適している。一方でこのような「病原性の細菌」の実体性は、「病気の原因」についての「想像力」を文字通り単なる「想像」として斥けるものでもある。

バシュラールはこのような「科学」の「歴史」を「非合理的なものの敗北の歴史」と呼んだ。しかし今日ではこの「非合理的なもの」または、やはりバシュラールの言によれば「禁じられた道」なるものを、単純に「障碍」として歴史から排除することは科学史家によっても批判されている。一九世紀末に起こった「細菌学の確立」という出来事は、その成功が華々しかった分だけ、この「成功」の裏で働いていた外在的要素や、それが「禁止」した「想像力」の側にあった可能性と対比させた場合、その「勝利者の歴史」たる「科学史」の性質がよりはっきりと浮き彫りになる主題である。

但し、本論は従来の科学史的記述を否定することを目的にするのでもなく、また、その逆に人間の表象作用を「客観的事物」の観点からから批判・排除するものでもない。この点に関しては、本論は特に論争的な科学論者ブルーノ・ラトゥールの議論を批判的に検討することで、「科学史的記述」と「思想史的記述」を過剰に対立させ、それによって「科学史的問い」と「思想史的問い」をともに無化してしまうような議論に対しての、反論を試みるものでもある。

本論は近代的自然科学研究が追究した事物の実在性と、この追究のさなかに生じた個々の人間による思考・認識・記述との関係を詳細に描く。そしてこの関係性の変化が生み出す「歴史」を叙述することの意義を問い直す。本論が表象文化論の方法論を用いて「自然科学的題材」に取り組むのは、このような目的のためである。

II.論文の構成

本論は、まず序章において、上記のような「論文の目的」を、今日の科学史・科学論の議論の中に位置付けつつ呈示する。そしてこれに続いて二部構成をとり、第1部では「細菌学」の「前史」として、16世紀の医師ジロラモ・フラカストロと17世紀の科学愛好家アントニー・ファン・レーウェンフック、第2部では細菌学確立の立役者として、化学者ルイ・パストゥールと医学者ローベルト・コッホについて、それぞれの人物像と科学的業績の両面を、詳細に論じるものである。

これらの4人の人物はそれぞれ細菌学および微生物学の始祖的な存在として今日科学史に定着している。本論は彼らがその科学史的位置付けに帰着する経緯を、まず彼らの個人史、その背景となる社会的・政治的そして学問的な史的条件との関わりに重点を置いて記述する。

第1章においては、「病原性微生物理論の父」として20世紀初頭に「再発見」されたジロラモ・フラカストロについて、特にその「感覚できない極小の粒子」と「伝染する病気のたね」という概念について、20世紀における受容のあり方と、16世紀の思想史的条件から考えられる意味とを対比させ、フラカストロが記した文言がこの2つの時点において全く異なる価値を示すことを明らかにする。20世紀における「病原微生物学説の父」としての「フラカストロ再発見」には、特に梅毒の治療法が発見されたという20世紀医学の状況が関わっていたと推察される。一方、フラカストロの「病気のたね」概念には、過渡期にあったルネサンス末期の様々な哲学言説が独自の形で調停されていたことが確認できる。顕微鏡が発明される直前の時代を生きたフラカストロは、「不可視」という条件の下で言説の力を尽くして病理学を考察するしかなかった。しかし、その条件の下で彼の言語と思考(論理)が到達していた「病気のたね」と現代的な「細菌」とが、これほどの親近性を示すのは何故なのか。その点を、本章は以下続けて考察すべき問いとして提示する。

第2章では、「微生物学の父」として、やはり20世紀初頭に「再発見」されたアントニー・ファン・レーウェンフックの観察と言葉に注目して、彼の書簡を読み解きながら、その業績が同時代的に与えた衝撃と、「王立協会」に代表されるような、当時目覚ましい発展を遂げつつあったヨーロッパの「自然科学研究家」の世界の困惑を確認する。本章では、フラカストロとは逆に、「視界」だけがあり、これを記述するための言語をいっさい持っていないレーウェンフックの観察が、いかに同時代人たちに共有されず、それゆえ何らかの「科学」になることが不可能だったかを示す。そして、このレーウェンフックの観察が「科学」になるには、まず19世紀末における「微生物学の誕生」がなくてはならないという、この人物の歴史的位置付けにはっきりと観察される、典型的な科学史記述の「遡及性」を確認する。

上記の二章を通じて、それぞれ20世紀に「再発見」されたこの二人の「父」が、同時代的には持ちえなかった「意味」と「価値」があることを示した後、本論はこれらの意味と価値を決定的に発生させることになる出来事である「微生物学/細菌学の誕生」を詳述する第2部に移る。

第3章は本論における最も重要な分析対象である、「微生物学の父」ルイ・パストゥールの研究の道程を論じる。フランスの国家的偉人でもあり、「科学の世界に現れた最も完全な人」と評されたこともあるパストゥールは、大革命後のフランス社会の変転や、「化学革命」という科学史上の重大転換点の影響の下で、今日的な視点から見れば一見理解し難いような研究領域の横断を繰り返しながら、極めて独自の「パストゥールの科学」を築き上げ、「パストゥール主義者」たちの支配する、科学研究上の新たな地政学を19世紀末に出現させる。本章はラトゥールやジェラルド・ギーソンらによる「パストゥール科学」批判を参照しつつ、特にギーソンの提唱した「パストゥールの私的な科学」の実相に注目して、パストゥールの生涯が生み出すことになった「新しい科学」がどのようなものだったかを確かめる。その結論として、パストゥールが発酵研究・医学研究に持ち込んだ「胚種理論」の中核をなしていた「胚種」の概念が、パストゥールにおいては非常に重要かつ特殊な構想であったことを示すものである。

第4章は本論の辿る「『病原菌』の歴史」の終着点であり、パストゥールのライバルであったローベルト・コッホの業績を概覧するとともに、コッホにおいて整備される細菌学研究の方法が、いかに「微生物学/細菌学の確立」という出来事にとって本質的・決定的であったかを論じる。そして、この「細菌学の確立」によって、前章で論じた「パストゥールの私的な科学」がいかに否定され、実際には打ち倒されていたかを確かめていく。コッホは細菌の病原性、すなわち「病原菌」という観念を証明し、かつこれを操作的に研究していくための、技術的・論理的方法を精密に作り上げる。コッホの標本作成技術や顕微鏡操作、そして何より顕微鏡写真術の改良と、そして「コッホの条件」と呼ばれる方法論的規程は、コッホ以降の細菌学研究の均質性を保証するものとなり、この方法の下で統一されていく「微生物学/細菌学」を全世界的に普及させ、20世紀の科学研究に重要な均質的な「対象」世界を提供するものとなるのである。

上のようにして4人の「父」たちの生涯と業績を辿ると、従来の科学史的記述によって認められてきた彼らの業績が、実際の彼ら自身の認識とは必ずしも一致していなかったことが確かめられる。しかしその上でなお、彼らがそれぞれに生み出した作品や概念、あるいは技術は、互いに関係しあい、最終的には後世の研究者たちに一個の科学的知識総体を提供するにいたるのである。結論部において本論は、このような「総体」と個々の「ずれ」「偏差」に注目して描かれるような「歴史」なるものが、一九世紀末以降、「科学的認識」がこれまでにない決定性を「世界」に及ぼしている我々の現在に対して、重大な役割を担いうることを主張する。すなわち、「事物」と「認識」の間にある関係を強調し続け、そしてそこにおける「人間的なるもの」の介在を批判し続けることの意義は、今日においていっそう重要な作業であると結論する。

審査要旨 要旨を表示する

田中祐理子氏の博士号(学術)学位請求論文『「病原菌」の歴史―実在・表象・歴史性について』は、「病原菌」をめぐる思索と探究の歴史を、「病気の原因」となる「目にみえない存在」についての人間の様々な「想像力」の働き方を記録するものと、他方で、「病原菌」が細菌及び各種の微生物という、現実に存在する具体的なものであることを証明して一個の科学を成立させてゆくプロセスを描くものの、二つの対照的な歴史のせめぎ合いととらえ、それらが最終的には科学史的言説の新しいパラダイムとしての「細菌学」へと縒りあわされていく過程を多角的に記述した論文である。

本論文は、現代の科学的言説を縛っている「科学史」の一典型ともいうべき「細菌学の歴史」がともすれば、「病原菌の歴史」の黎明期である微生物の発見から細菌学が最終的に確立する19世紀末までのあいだに現れた、目に見えない、あるいは顕微鏡によってやっと見えるようになった微小生物についての「想像的表象」を、「客観的事物」に基づく実体的科学主義から批判・排斥しようとすることに異を唱えるものである。そのために、本論文は、あくまでも実在性を重視する「科学史的言説」と、微妙な揺らぎにみちた「想像的表象作用」とのあいだでのダイナミックなせめぎあいを歴史的にトレースし、そして最後には、異なる言説間の差異に充ちた関係性のなかから、細菌の実在の客観性(自然)そのものを標榜して、人間の想像的表象の可能性を無効にし、差異を客観性の名の下になし崩し的に均していってしまう「科学史」が誕生してくることを描き出そうとするものである。

本論はそのため、まず序章で、上記のような論文の目的を、今日の科学史・科学論の議論のなかに位置づけつつ呈示したあと、二部構成をとる本編の第一部では、「細菌学」の「前史」として16世紀の医師ジローラモ・フラカストロと17世紀の科学愛好家アントニー・ファン・レーウェンフック、第二部では、細菌学確立の立役者として化学者ルイ・パストゥールと医学者ローベルト・コッホの、それぞれの人物像と科学的業績の両面を詳細に論じてゆく。

第1章では、「病原性微生物理論の父」として20世紀初頭に「再発見」された16世紀の医師ジローラモ・フラカストロが提唱した、「感覚できない極小の粒子」と「伝染する病気のたね」という二つの概念を検証し、顕微鏡が発明される直前の時代を生きたフラカストロが、「不可視」という条件の下で、ルネサンス末期の様々な哲学的言説を調停しながら到達した「病気のたね」という考え方が、現代的な「細菌」とこれほどの親近性を示すことになったのはいったい何故なのかという問題を検討した。

第2章では、「微生物学の父」として、やはり20世紀初頭に「再発見」されたアントニー・ファン・レーウェンフックの観察と言葉に注目し、フラカストロとは逆に、「視界」だけがあり、そこでの表象を説明するための言語をいっさい持たなかったレーウェンフックの観察が「科学」になるためには、まず19世紀末における「微生物学の誕生」を待たなくてはならなかったという、典型的な科学史記述の「遡及性」という問題を確認する。

第3章は、本論における最も重要な分析対象である「微生物学の父」ルイ・パストゥールが、今日的な視点から見れば一見理解しがたいような研究領域の横断を繰り返しながら、極めて独自な「パストゥールの科学」と呼ばれるものを築き上げた研究の道程を辿り、その発酵研究・医学研究の中核を成した「胚種理論」の「胚種」という概念が、厳密には「細菌」とはちがう非常に特殊な構想であったことを示す。

第4章は本論の辿る「『病原菌』の歴史」の終着点であり、「パストゥールの科学」を否定して、病原性の細菌、すなわち「病原菌」という観念を精密な技術と方法論によって証明してみせたローベルト・コッホの仕事を概観する。コッホこそは、標本作成技術や顕微鏡操作、そして何より顕微鏡写真技術の改良と、観察の際に守られねばならない「コッホの条件」という方法論的規定によって、コッホ以降の細菌学研究の均質性を保証し、この方法のもとで統一されていく「微生物学/細菌学」を全世界に普及させた立役者であった。

最後に、結論部において田中氏は、このようにして書かれた「病原菌の歴史」が、現代における歴史記述の客観的根拠としてあとから見いだされた「細菌」という「事物」と、そこに至るまでに個々の研究者によって積み重ねられた様々な「事物の表象」との「ずれ」・「偏差」に着目し、そこにおける「人間的なるもの」の介在につねに注目し続けることによって、ともすれば強圧的に現代から遡及してすべての過去の差異を一元化してしまおうとする科学史の言説に、別の可能性を突きつけるものだという点を強調している。

本論文は表象文化論の方法論を用いて、「病原菌」の歴史という自然科学的題材に取り組むものであるが、その問題設定の「学際性」のために、常に言説の根拠を問うようなメタ言語を模索する必要があった。そのような記述上の困難な課題に取り組みながら、他方ではまた、本論文の議論はフラカストロ、レーウェンフック、パストゥール、コッホそれぞれの手になる一次資料をこれまでに例のないほど詳細かつ丹念に読み込むという文献学的手続きにも基づいている。こうした文献学的な努力によって、彼らの言説を、その認識論的技術と方法論にしっかりと立脚させ、それを批判的に記述・検討しえたことは、この論文が、近年盛んになりつつある「科学における表象」に着目した科学論の一端を担い、そこから科学史のみならず、そもそも歴史記述というものが何であり、何であらねばらないかというアポリアに一石を投じるような独創性を持ちえていることの十分な根拠になっている。

審査員からは、時系列的な記述の体裁をとったため、結局コッホの細菌学を最終の到着点とするような歴史記述になっていて、フラカストロやレーウェンフックの言葉、スケッチなどにみられる非科学史的表象のユニークさが充分に前面に押し立てられなかったうらみがあるなどの、批判的な指摘もあったが、それらは本論文の学術的価値を損なうような欠点ではないという点で、審査員全員の意見が一致した。

以上を鑑み、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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