学位論文要旨



No 217786
著者(漢字) 香川,檀
著者(英字)
著者(カナ) カガワ,マユミ
標題(和) ドイツ現代美術における想起のかたち : ナチズム・ホロコーストをめぐる「記憶アート」の技法と歴史意識
標題(洋)
報告番号 217786
報告番号 乙17786
学位授与日 2013.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17786号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,純
 東京大学 名誉教授 西村,清和
 東京大学 教授 石光,泰夫
 東京大学 准教授 中島,隆博
 明治学院大学 教授 鈴木,杜幾子
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、ドイツにおいてナチズムやホロコーストという「負の過去」の記憶を表象する現代アートを対象とし、その作品分析をつうじて、造形芸術による想起の意味作用を明らかにすることをねらいとする。

(旧西)ドイツでは、1980年代から、ドイツの近過去の歴史、とくにナチ時代のユダヤ人迫害をふくめた暗い記憶を、明示的あるいは暗示的に主題とする現代アートが際立って増加した。背景には、「想起の文化」と呼ばれる社会現象があり、負の過去の記憶を風化させないために様々なかたちで記録に留め、記念行事によって社会的に共同想起を行なっていこうとする機運がたかまっていた。一方、美術の世界では、作品の自律性、自己言及性を指向するモダニズムの限界が意識されるようになり、ふたたび社会のなかに自己を位置づけようとする作品傾向がつよまっていた。その結果、アートに対して、美術館のなかだけでなく都市の公共空間で社会的記憶を形象化するよう社会的な要請が生まれ、一方、アートのほうでもその課題を芸術上の挑戦として引き受けるようになったのである。

本研究が取り上げるのは、こうした社会的背景のもとでドイツ国内に制作された作品群であり、とくにドイツの想起の文化に大きな影響力をもったクリスチャン・ボルタンスキー、ヨッヘン・ゲルツ、レベッカ・ホルン、ジークリット・ジグルドソンの4作家の作品に焦点をあてる。これら4人の作家は、作品の素材として実在した人の写真や氏名や遺品などを使用したり、「場に固有なアート」として実際の出来事の現場に制作したりするなど、歴史の具体的事実に根差す指標的機能をもつ要素を作品内に導入している。本論文では、これらを広義の「痕跡」として位置づけ、現代アートによる想起の作業にアプローチするための作業概念として「痕跡採取」「標しづけ」「交感」「集蔵」の4つを挙げ、これに即して全体を4章に構成した。

第1章の「痕跡採取」では、美術批評家ギュンター・メトケンの「痕跡保全のアート」論と、歴史家カルロ・ギンズブルグの「痕跡と歴史叙述」にまつわる論考をたどりながら、痕跡概念を検討していく。そのうえで、痕跡の指示作用を組み合わせることによる視覚芸術ならではの「痕跡のレトリック」を、ボルタンスキーの作品に即して読み解いていく。ボルタンスキーは、戦前のユダヤ人学校のクラス写真などを使って、個人を指し示す顔写真を並べ、不在の身体を暗示する古着と並置する作品を制作している。しかし、写真や衣服を大量に並べることは、個を全体に埋没させることに帰着し、忘却された個人を救い出そうとする作業は、逆説的に、想起の困難を露呈することとなる。結果、作品はホロコーストという不可視の全体を暗示するのである。顔写真と古着とを組み合わせた作品が構造的に生成させる視覚的隠喩の意味作用は、ポール・リクールが『生きた隠喩』のなかで提唱した隠喩類型のひとつ、「理論モデル」として解釈できる。このモデルは、他の隠喩同様、オリジナルとの構造的同一性をもつが、新しい記述言語の導入によって、提示不可能なことがらを存在させることができる。それよって、経験することも記述することもできないとされてきた、ホロコーストのような限界状況について、作品の余白に語らせる表象の可能性を開くのである。

このような痕跡の操作と修辞の技法分析を出発点として、第2章「標しづけ」では、野外の作品や公共アートを取り上げ、想起のかたちと場所の問題を考察する。都市空間に「標しづけ」をして出来事の現場にひそむ痕跡を可視化していくアート(ボルタンスキー)と、逆に、都市空間に新たな記憶の場をつくりだす記念碑や、いわゆる「対抗記念碑」(ヨッヘン・ゲルツ)の試みが、ここでは主な考察対象となる。出来事の起きた場所がもつ「場の真正性(オーセンティシティ)」は、記憶にとって特別な意味をもつ。ボルタンスキーはベルリン市内で、ユダヤ人など街からいなくなった人の名前を住居跡に標づける作品を制作したが、これは、迫害され忘却された人びとにその名前と居住空間という場所を与え返すことである。ホロコーストは、えてしてガス室という最終地点においてのみ想起されることが多かったが、日常生活のなかで迫害の痕跡を探し、そこに標しをつけていく作業に現代アートが関わっているのである。背景には、戦後70年代まで抑圧と忘却のなかにあった戦時下の記憶を取り戻そうとする市民による草の根の歴史掘り起しの運動があった。このような現場への標しづけは、一種の記念碑となるのであるが、対照的に、現場ではない他の場所、例えば首都の中心部に象徴的に建てられる記念碑もあり、ベルリンに2005年に落成した通称「ホロコースト中央記念碑」はその一例である。これに対して、ヨッヘン・ゲルツが「対抗記念碑」の標語のもとに制作する記念碑は、名前などのレファレンスを可視化するものでも、あるいは記念碑としての象徴的な可視像をもつものでもなく、地中に埋めて見えなくしてしまう作品で、その不可視性が現代における想起の作業について反省的な思考を促すといえる。

第3章では、前章に引き続いて都市空間に標しづけを行なうアートとしてレベッカ・ホルンによる作品を扱うが、それは出来事の現場に指標の標しをつけるだけでなく、その空間を再構成することによって死者(犠牲者)を想起し、彼らとの「交感」を企てる。ホルンがミュンスター彫刻プロジェクト展のために制作した作品は、市内に遺されていた監獄跡の建物を使用したもので、ここでは戦時下にナチスが占領地の政治犯を収監し処刑していたのである。ホルンはその中庭に水滴の落下装置を、壁には小さな金属製のハンマーを40個あまり据え付けたインスタレーション(仮設空間展示)を構成した。場を浄化するような水滴の音と、電動式でコツコツと壁を叩くハンマーの音とが薄暗い建築内部につくりだす音響空間は、観者の感覚を研ぎ澄まし、死者たちが壁を叩いているかのような感覚体験をもたらす。このような死者の想起は、歴史人類学の知見によれば、故人についてのレファレンス情報(名前や生没年など)を伝える「歴史的記念物」ではなく、むしろ来世から呼びよせた死者の魂との交感をはかる「呪術的記念物」の想起法にあたると考えられる。建築内部を閉鎖円形空間として再構成し、体液を思わせる水を通わせることによって空間を「女性化」する作品構想は、観る者に、主客未分化の母胎回帰の心理経験をうながし、不在の他者との邂逅を可能にする。繊細で、すぐれて女性的な身体感覚とされるものが、戦略的に採用されているのである。このとき想起される犠牲者とは、名や顔をもたない匿名の他者であり、死者が死者のままに、不可視の気配のなかへと甦るのである。

最終章である第4章では、痕跡をあつめる「蒐集」とそれを保管する「収蔵」という側面に注目し、ふたつの手続きを併せた「集蔵」の概念のもとにジークリット・ジグルドソンのアーカイヴ・アート作品について論じる。ジグルドソンは、写真や日用品や手紙、新聞の切り抜きなど、雑多なドキュメントを組み合わせて、本やガラスケースに収めていく。歴史資料として通常のアーカイヴには入りえない個人と社会のドキュメントを蒐集することにより、屑として破棄されていく私的な記憶を集合的記憶につなげ、社会の深奥にひそむ潜在的な記憶の構造をあぶりだす。それらドキュメントの再構成と並置から新たな意味をたちあげる、コラージュ・モンタージュ原理の意味生成の手法をとっている。そのようにして歴史事象についての断片的ナラティヴを生起させるのであるが、そのナラティヴは必ずしも一義的に決定できない。むしろ語られたこと、表象されたことのドキュメント間の余白から、語りえないこと、忘却されたことが暗示されるのであり、こうしたアーカイヴの作用は、ミシェル・フーコーが『知の考古学』のなかで指摘したアルシーヴ(資料集成)のアルケオロジー的「知」といみじくも符合するのである。

以上に検証した作例は、いずれも1970年代から80年代のドイツにおいて、過去の記憶の抑圧から想起へという大きな社会状況の変化を背景に、ナチズムやホロコーストという出来事を想起すること自体についての反省的思考を内包して登場した造形表現であった。見出した痕跡や、集めた痕跡に対する操作をつうじて、見えない過去にそれらを結びつけ、文化の深層にひそむ潜在的記憶をあかるみに出す。ただし、同じように断片的痕跡を拾いあつめるアートの作業であっても、ボルタンスキーやゲルツの作品は、個の存在をつよく指し示す顔や名前や地名といった個のレファレンスを忘却から救いだそうとするが、大量に列挙したり地中に隠したりする操作によって、ホロコーストという出来事の全体性と構造的に同一性をもつこととなり、結果的に個は抹消され全体のなかに埋没していく。これに対して、ホルンの機械装置による場の変容は、名前や顔をもたない匿名の犠牲者たちをシニフィアンなき存在としてそれ自身の生の痕跡のなかに連れもどし、交感し、「胎内化」する。ジグルドソンのアーカイヴにおいては、個人を想起することが問題なのではなく、個々のドキュメントとその構成との読解可能性が問題なのであり、したがって手紙や日記などに記された経験の一回性そのものは、アーカイヴ全体のなかで抹消されてしまうことがない。男女の作家でこのような差異が浮き彫りとなったものの、本論で考察した「記憶アート」は、いずれも事実に根差した現実参照性をもったアートであり、事実かフィクションかという二項対立を超えて、歴史的過去に対する観者の想像力と歴史意識に論理的根拠となる「知」をあたえるのである。

審査要旨 要旨を表示する

香川檀氏の博士号(学術)学位請求論文『ドイツ現代美術における想起のかたち──ナチズム・ホロコーストをめぐる「記憶アート」の技法と歴史意識』は、ナチズムおよびホロコーストという現代ドイツにおける「負の記憶」をめぐる美術作品の分析を通じ、そこに認められる独自な歴史意識を多角的に明らかにした論文である。

香川氏は本論文で取り上げる美術作品に「記憶アート」という名称を与え、通常の歴史記述とは異なるイメージ表象ならではの歴史意識の表われをそこに見出そうとする。「想起のかたち」とは、美術作品として形象化された、そのようなイメージ表象の様態を指している。本論文は記憶アートという作品ジャンルの特徴を「痕跡採取」「標しづけ」「交感(コレスポンデンツ)」「集蔵」の4つに段階的に分節化したうえで、これら4側面に対応した4章のそれぞれにおいて代表的な作品の分析を積み重ねるという構成をとっている。

まず「序」では、ドイツにおける文化学の記憶論から出発し、記憶アートとその4側面が概念装置として抽出される。続く第1章の「痕跡採取」では、1970年代以降に現代美術の世界で顕著なものとなった、何らかの出来事の「痕跡」を採取し保存する手法を代表する事例として、クリスチャン・ボルタンスキーの作品が考察される。香川氏は、被写体が特定できない顔写真や所有者不明の古着を多用するボルタンスキーの作品における「痕跡」の意味作用を修辞論によって読み解き、痕跡が隠喩として機能し、鑑賞者に視覚的連想を喚起して、ホロコーストをはじめとする、文化の潜在的記憶に働きかける作用を解明している。ただし、ボルタンスキーの場合には、作品に用いられた個々の痕跡が同質化され、漠然と大量死を暗示するのみの「構造的同一性」に帰着してしまっている、と香川氏は指摘する。

第2章「標しづけ」は、都市空間におけるマーキングを通して、その場所に関わる記憶を顕在化させる記憶アートを論じている。具体的な作品としては、ベルリンで制作されたボルタンスキーの《欠けた家》とヨッヘン・ゲルツの一連の「対抗記念碑」が扱われる。第1章では「構造的同一性」への個々の痕跡の回収が問題視されたボルタンスキーであるが、《欠けた家》では、ベルリンの空き地にあった住宅にかつて暮らした人びとの名を調査し、周囲の家屋の壁面に銘板で記すという「標しづけ」により、固有名と場所とを巧みに結びつけ、戦争の記憶を呼び覚ましている。この章ではさらに、同時代におけるベルリンのホロコースト記念碑論争などを背景として、記念碑がもとづくイデオロギーを批判するゲルツの思想が浮き彫りにされる一方、地中に埋めるなどといった方法でみずからの作品を不可視化してしまうゲルツの手法には、「崇高」の美学に通じるレトリックを介した、「構造的同一性」に向かう傾向が見出されている。

第3章は、ミュンスターのかつての牢獄を作り変えたレベッカ・ホルンの作品《逆向きのコンサート》を対象として、そこでホルンが構想した、死者たちとの「交感(コレスポンデンツ)」のための作品構造が分析される。ひとつの機械のように構成されたこの作品空間は、重層的なシンボリズムを通じて、アルカイックな儀礼にも似た、不在の死者たちとの交感を擬似的に体験させる。香川氏はホルンの作品をアンゼルム・キーファーの作品と比較することにより、そこに認められる差異から、前者の作品が有する一種の女性性を浮かび上がらせることに成功している。

同じく女性アーティストであるジークリット・ジグルドソンの《静寂の前に》を取り上げた第4章「集蔵」では、無数のドキュメントを蒐集し、それらをわざと古びた姿にされた書物の形態にまとめあげたうえで、図書館のように収蔵し続けてゆくこの作品が、歴史資料を保管する公的アーカイヴやコレクションとの対比を通じて分析されている。香川氏によれば、《静寂の前に》は断片的かつ多様なナラティヴとイメージの集積であるからこそ、ドイツ現代史に関わる「対抗的知」の可能性をもちえているのである。この章ではさらに、他の女性アーティストによる蒐集アートの分析を踏まえて、「集蔵」の技法に関するジェンダー論的な考察がいっそう深められている。

結論で香川氏は、「ボルタンスキーおよびゲルツ」対「ホルンおよびジグルドソン」という、記憶アート内部におけるジェンダーの差異を注意深く析出したうえで、記憶アートの技法によってはじめて看取されたような「過去のイメージ」を、ひとつの「歴史意識」として総合的にとらえる視座を示すことにより、この論文を締め括っている。

本論文は、ドイツを中心とする記憶論の成果を発展させて、記憶アートおよびその特徴をなす4つの技法という概念をあらたに案出した方法の次元において独創的であるとともに、ケーススタディの対象とされた作品の考察においては、背景となる現代ドイツの社会・文化状況を十分に踏まえた精緻な議論を展開している。それは、ナチズム・ホロコーストの記憶という、現代ドイツが抱える巨大な社会・文化的問題に、イメージ表象の側面から果敢に取り組み、新たな研究領域を開拓した優れた成果であると言ってよい。さらに、その過程で発見された記憶アート内部のジェンダー的な差異は、男女の別をドグマティックに反映させた議論ではなく、作品そのものから導かれた発見として、現代美術のジェンダー論的分析に対する大きな貢献となろう。

審査委員からは、記憶アートの独自性を明らかにするためには、「隠喩」「崇高」「想起」「類似」といった概念をより精緻化して論じるべきであるといった点や、記憶アートに課せられる倫理性へのいっそう綿密な配慮、あるいは、ドイツの記憶論や記憶アートを相対化する視座の必要性などをめぐる批判的指摘があった。しかし、これらは本論文の学術的価値を損なう決定的な瑕疵とは言えないという点で、審査員全員の意見が一致した。

以上を鑑み、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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