学位論文要旨



No 217789
著者(漢字) 佐藤,秀司
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,シュウジ
標題(和) 抗ヘパリン結合性上皮成長因子(HB-EGF)中和抗体による抗癌治療薬に関する研究
標題(洋) Studies on neutralizing anti-heparin-binding epidermal growth factor-like growth factor (HB-EGF) antibodies for drug development of cancer treatment
報告番号 217789
報告番号 乙17789
学位授与日 2013.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17789号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 准教授 後藤,康之
 東京大学 准教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

高齢化や生活習慣の変化に伴い癌の発生率は上昇しており、新たな治療法の開発が望まれている。進行性、転移性癌においては抗癌剤が広く用いられてきたが、癌細胞は画一的な細胞集団ではなく、発生組織だけではなく癌細胞を取り巻く微小環境によって異なる性質を獲得するため、従来の化学療法を主体とした治療法では効果が不十分で副作用も無視できないという問題があった。標的とする癌細胞の特定と分子標的を基礎にした抗癌剤として、近年、抗体医薬が注目されている。本研究では、ヘパリン結合性上皮成長因子(HB-EGF)を標的とした抗癌剤の開発を目的とし、HB-EGFの機能に対する活性を測定することで抗HB-EGF抗体の医薬品としての可能性を検証すると同時に、これまで不明瞭であった細胞膜結合型proHB-EGFの癌細胞における機能を見出した。HB-EGFは上皮成長因子受容体であるEGFRのリガンドとして機能し、細胞の増殖・生存を誘導する分子である。HB-EGFは、卵巣癌、胃癌、膀胱癌、膵臓癌、乳癌、肺癌、神経芽腫を含む多種の癌組織において発現亢進していることが報告され、癌組織における発現と癌患者の予後不良に相関が見られることが知られている。

本論文は三章より構成され、第一章ではHB-EGFに対する中和抗体の作出と、それらの性状解析、第二章では上市された医薬品と比較することにより抗HB-EGF中和抗体Y-142の癌治療への可能性検証、第三章では作出した抗体を用いたproHB-EGFの癌細胞における機能解析を行なった。

第一章: Characterization of a variety of neutralizing anti-HB-EGF monoclonal antibodies by different immunization methods

(複数の免疫法を用いて取得した多様性を有した抗HB-EGF中和抗体の性状解析)

HB-EGFは細胞増殖活性を有し、特定の癌細胞において発現の亢進が見られることから、抗癌剤の標的分子としての可能性が示唆されてきた。しかし、これまでHB-EGF中和抗体作製の成功例は少なく、成功したとする報告例においても十分な癌細胞増殖を抑制する活性を有しているとは言い難い。

本章では、中和活性を有する抗HB-EGF抗体の作出を目的とした。抗体作製の困難さを考慮し、異なる遺伝的背景を有するマウスと、複数の免疫原を用い、ハイブリドーマ法による抗体の作製に挑戦した。ハイブリドーマの産生には電気融合法を用いた。抗体産生ハイブリドーマの選択にはfluorometric microvolume assay technologyを用いた。

用いたマウス種のうち、主にBALB/c、CD1マウスより抗HB-EGF中和抗体が得られ、合計146種の中和抗体を機能評価に用いた。これらの抗体は可溶性HB-EGF(sHB-EGF)に対する競合的結合性により7種のエピトープビンに分類された。得られた中和抗体は、sHB-EGFに対する中和活性、ヒトsHB-EGFに対する結合性、マウス/ラットsHB-EGFに対する交差結合性、及び細胞膜結合型HB-EGF(proHB-EGF)に対する結合活性のいずれにおいても、エピトープビン毎に特徴的な活性を示していた。中和抗体の産生効率、及びエピトープビンの割合はマウス種、免疫原種によって著しく異なることも示された。

本章において多様性を有した抗HB-EGF抗体が作製され、マウス種、免疫原種の違いが、個々の抗体の活性に強く影響することが示された。本知見はHB-EGFのみならず他の標的分子に対する機能性抗体の取得時にも有用な情報となり得る。また、取得した抗体の中には強い中和活性を有する抗体も含まれていた。

第二章: An anti-HB-EGF monoclonal antibody inhibits cancer cell proliferation and multiple angiogenic activities of HB-EGF: a potential anti-cancer therapeutic agent

(抗HB-EGFモノクローナル抗体よるHB-EGF誘導性癌細胞増殖・血管誘導の阻害)

本章では、第一章において作製した抗HB-EGF中和抗体のうち、HB-EGFに対して強い中和活性を示したY-142の癌細胞の増殖および血管新生に対する中和活性を測定し、抗癌抗体としての可能性を検証した。

Y-142のEGFRリガンドに対する結合、および種特異性結合はELISA法により決定し、sHB-EGFに対する中和活性の評価は、受容体であるEGFRおよびERBB4の細胞内シグナルの活性化を測定することにより行った。Y-142の生物活性は、HB-EGF機能阻害タンパク質CRM197、抗EGFR抗体cetuximab、抗VEGF抗体bevacizumabと比較し、Y-142のエピトープ同定にはアラニンスキャニング法を用いた。

Y-142はEGFRリガンドであるHB-EGF、及びamphiregulin(ARG)に対して結合性を示した。また、Y-142はマウス、ラットHB-EGFへは結合せず、ヒトHB-EGFに対する種特異的結合性を示した。Y-142はsHB-EGFによって誘導されたEGFR、ERBB4のリン酸化、細胞内シグナルの下流に位置するERK1/2、およびAKTのリン酸化を阻害した。さらに、Y-142はCRM197、およびcetuximabに比べ、低濃度においてHB-EGF誘導性の癌細胞の増殖、血管内皮細胞HUVECの増殖、管腔形成、VEGFの産生を抑制した。また、sHB-EGF誘導性のHUVECの管腔形成に対するY-142の阻害活性は、bevacizumabと比較して強いものであった。Y-142のエピトープとしてEGF 様ドメインに存在する6アミノ酸が同定され、このうちF115、およびY123によってARGに対する交差結合性、F115によってY-142の種交差性が決定されていることが示唆された。Y-142の強力な中和活性は、Y-142がEGFRへの結合に重要なHB-EGFのR142、Y123を認識すること、および高親和性に由来していると推察された。

本章において、Y-142のHB-EGFへの結合様式を明らかにし、Y-142がsHB-EGFの活性を強力に抑制することで、癌細胞の増殖、および複数の血管新生プロセスを抑制することを見出した。Y-142は本章で用いた卵巣癌細胞を含め、HB-EGFシグナルに依存した癌の治療薬としての可能性が期待された。

第三章:Identification of cancer cell proliferative and survival role of proHB-EGF using anti-HB-EGF antibody

(抗HB-EGF抗体を用いたproHB-EGFの癌細胞増殖・生存促進機能の同定)

細胞膜結合型proHB-EGFはsHB-EGFの前駆体として存在する。これまでsHB-EGFの機能は幅広く検証され、細胞の増殖・生存を促進することが知られている。ところが、proHB-EGFについての研究は少なく、機能解明は進んでいない。第一章で作製した2種の抗体(Y-142、Y-073)はproHB-EGFに対して異なる結合性を示す。そこで本章ではY-142とY-073を利用しproHB-EGFの機能解析を試みた。

その結果、Y-142、及びY-073はsHB-EGFに対し同程度の結合活性、中和活性を有するものの、Y-142のみがproHB-EGFに対する結合活性を有していることが判明した。Y-142を用いてproHB-EGFの機能を抑制したところ、胃癌細胞NUGC-3のスフェロイド形成抑制と、細胞増殖抑制が見られ、カスパーゼ活性化も誘導されることが明らかとなった。

これらの結果から、proHB-EGFが癌細胞の増殖・生存を促進する機能を有することが示され、proHB-EGFが癌の進行に重要な役割を担っていることが示唆された。

本研究では、取得した抗HB-EGF抗体、特にY-142の評価を行い、上市されている抗EGFR抗体や他のHB-EGF阻害剤に比べHB-EGFに対する中和活性が強いことを見出した。HB-EGFを標的としたY-142による癌治療が副作用の面からも優れていることが示されれば、Y-142の開発価値はさらに高まると考えられる。抗EGFR抗体を含めたEGFR阻害剤は重度の発疹が副作用として出現する。この副作用はEGFR阻害剤に共通して出現するため、EGFRシグナル遮断によるものと考えられる。EGFR阻害剤は、複数のEGFRリガンドの機能を阻害するが、例えば、卵巣癌組織においてHB-EGFの発現亢進が報告されているが、他のEGFRリガンドの発現亢進は見られていない。抗HB-EGF抗体は、癌組織で発現亢進を示すHB-EGFシグナルを特異的に阻害するため、EGFR阻害剤に比較し副作用の面で優れている可能性が考えられる。Y-142はsHB-EGF及びproHB-EGFの機能を阻害する。一方、Y-073はsHB-EGFの機能のみを阻害する。そのため、proHB-EGFの機能を阻害することで副作用が出現する場合には、Y-073を用いsHB-EGFシグナルのみを阻害するという選択も可能である。また、本研究においては、卵巣癌、胃癌細胞株を主に用いて検討を実施したが、神経芽腫、膀胱癌、膵臓癌、乳癌組織においてもHB-EGFの発現亢進は報告されているため、Y-142は幅広い癌種に対して有効であると期待される。

本研究において、筆者は抗HB-EGF抗体の医薬品としての価値を見出すだけではなく、proHB-EGFの癌細胞における機能の重要性を見出した。これらの知見は、HB-EGFを標的とした抗体医薬の開発、並びに癌の増殖メカニズムの解明に重要な知見となった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、ヘパリン結合性上皮成長因子(HB-EGF)を標的とした抗癌剤の開発を目的とし、HB-EGFの機能に対する活性を測定することで抗HB-EGF中和抗体の医薬品としての可能性を検証したものである。HB-EGFは上皮成長因子受容体であるEGFRのリガンドとして機能し、細胞の増殖・生存を誘導する分子である。HB-EGFは、多種の癌組織において発現が亢進していることが報告され、癌組織における発現と癌患者の予後不良に相関が見られることが知られている。本論文は三章より構成され、第一章ではHB-EGFに対する中和抗体の作出と、それらの性状解析、第二章では上市された医薬品との比較による抗HB-EGF中和抗体Y-142の癌治療利用への可能性の検証、第三章では作出した抗体を用いた膜結合方HB-EGFの癌細胞における機能解析が行なわれている。

HB-EGFは細胞増殖活性を有し、特定癌細胞では発現の亢進が見られることから、抗癌剤の標的分子としての可能性が示唆されてきた。しかし、これまでHB-EGF中和抗体作製の成功例は少なく、成功したとする報告例においても十分な癌細胞増殖を抑制する活性を有しているとは言い難い。第一章では異なる遺伝的背景を有するマウスと複数の免疫原を用い、ハイブリドーマ法による抗体の作製が行われた。合計146種の中和抗体について調べたところ、これらの抗体は可溶性HB-EGF(sHB-EGF)に対する競合的結合性により7種のエピトープビンに分類された。得られた中和抗体は、sHB-EGFに対する中和活性、ヒトsHB-EGFに対する結合性、マウス/ラットsHB-EGFに対する交差結合性、及び細胞膜結合型HB-EGF(proHB-EGF)に対する結合活性のいずれにおいても、エピトープビン毎に特徴的な活性を示していた。中和抗体の産生効率、及びエピトープビンの割合はマウス種、免疫原種によって著しく異なることも示された。

第一章において作製した抗HB-EGF中和抗体のうち、第二章ではHB-EGFに対して強い中和活性を示したY-142について抗癌抗体としての可能性が調べられた。その結果、Y-142はEGFRリガンドであるHB-EGF、及びamphiregulin(ARG)に対して結合性を示した。また、Y-142はマウス、ラットHB-EGFへは結合せず、ヒトHB-EGFに対する種特異的結合性を示した。Y-142はsHB-EGFによって誘導されたEGFR、ERBB4のリン酸化、細胞内シグナルの下流に位置するERK1/2、およびAKTのリン酸化を阻害した。さらに、Y-142はCRM197(ジフテリア毒素変異体)、およびcetuximabに比べ、低濃度においてHB-EGF誘導性の癌細胞の増殖、血管内皮細胞HUVECの増殖、管腔形成、VEGFの産生を抑制した。Y-142のエピトープとしてEGF 様ドメインに存在する6アミノ酸が同定され、このうちF115、およびY123によってARGに対する交差結合性、F115によってY-142の種交差性が決定されていることが示された。

proHB-EGFはsHB-EGFの前駆体であるが、proHB-EGF自体も生理的機能を有する。第三章では、Y-142と、第一章で得た他の抗体(Y-073)を利用しproHB-EGFの癌細胞における機能解析が試みられた。Y-142とY-073はsHB-EGFに対し同程度の結合活性、中和活性を有するものの、Y-142のみがproHB-EGFに対する結合活性を有している。Y-142を用いproHB-EGFの機能を抑制したところ、胃癌細胞NUGC-3のスフェロイド形成抑制と細胞増殖抑制が見られ、カスパーゼ活性化も誘導されることが明らかになった。これらの結果から、proHB-EGFが癌細胞の増殖・生存を促進する機能を有することが示され、proHB-EGFが癌の進行に重要な役割を担っていることが示唆された。本研究においては、卵巣癌、胃癌細胞株を主に用いて解析したが、神経芽腫、膀胱癌、膵臓癌、乳癌組織においてもHB-EGFの発現亢進は報告されているため、Y-142は幅広い癌種に対して有効であると期待される。

高齢化や生活習慣の変化に伴い癌の発生率は上昇しており、新たな治療法の開発が望まれている。本研究において、筆者は抗HB-EGF抗体の医薬品としての価値を見出すだけではなく、proHB-EGFの癌細胞における機能の重要性を見出した。これらの知見は、HB-EGFを標的とした抗体医薬品の開発、並びに癌の増殖メカニズムの解明に重要な知見となった。これらの発見は癌の基礎として重要であるばかりでなく、抗体医薬の新たな視点を提供している。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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