学位論文要旨



No 217791
著者(漢字) 森,貴司
著者(英字)
著者(カナ) モリ,タカシ
標題(和) 長距離相互作用系における統計力学と動力学
標題(洋) Statistical Mechanics and Dynamics in Long-Range Interacting Systems
報告番号 217791
報告番号 乙17791
学位授与日 2013.03.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第17791号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,直輝
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 清水,明
 東京大学 准教授 立川,裕二
 東京大学 准教授 羽田野,直道
内容要旨 要旨を表示する

長距離相互作用系、より一般に非加法的な系、における平衡統計力学、及び多体ダイナミクスについて研究する。長距離相互作用系の理解は短距離相互作用系にくらべて遅れている。例えば、これらの系に平衡統計力学の枠組みを適用できるかどうかという基本的な問題も完全に理解されているとは言い難い状況にある。そこで本学位論文では、まず統計物理学の基本的概念について再考する。長距離相互作用系であっても、平衡状態自体は等重率の原理に基礎をおいた平衡統計力学で記述されることがそこで論じられる。それゆえ、平衡状態を調べる際には平衡統計力学の枠組みはそのままの形で長距離相互作用系にも適用される。しかし、統計力学を適用することで予言される諸性質は短距離相互作用系のものと著しく異なる。それは、長距離相互作用系に加法性という基本的な性質が備わっていないためであることが論じられる。実際、先行研究によって、様々なタイプの無限レンジ模型(すべての粒子、もしくはスピンが距離に依らず等しく相互作用し合うモデル)が研究され、それらの模型が平衡状態、非平衡ダイナミクスの両方で異常な性質を示すことが明らかにされてきた。例えば、負の比熱、アンサンブルの非等価性、および準定常状態の存在が挙げられる。無限レンジ模型は熱力学的極限で平均場理論が厳密となり、それゆえ解析的にも数値的にも扱いやすい利点がある。そのため統計力学的な観点からは、これまで主に無限レンジ模型が詳しく調べられてきた。無限レンジ模型の予言する結果は、少なくとも定性的にはより一般の長距離相互作用系でも正しいだろうと期待されるが、実際に、無限レンジ模型の結果が一般性を持ったものなのかを明らかにすることは未解決問題であった。本学位論文では、平均場理論と一般的な長距離相互作用系の間の関係を詳しく吟味することによってこの問題に取り組む。初めに、平均場理論の結果がある長距離相互作用系の平衡状態の性質をどの程度正しく再現するかを調べる。その結果、パラメータ空間が平均場相と非平均場相に分かれることが明らかとなる。平均場相では平均場理論が厳密に正しい。したがって平均場理論は多くの場合、長距離相互作用系の平衡状態の性質を定量的に正しく予言することがわかる。一方非平均場相では平均場理論はもはや正しい記述を与えない。したがって、一般の長距離相互作用系では、平均場理論だけで系の性質を完全に正しく記述することはできないことになる。次に、光共振器中の原子集団からなる系のダイナミクスを調べ、平均場ダイナミクスが厳密に正しい結果を与えるかどうかを研究する。ここで、系は時間依存する駆動外場がかかっていてもよく、またいくつかの環境系と相互作用していてもよい。そのような一般的な設定で、平均場ダイナミクスが実際に厳密に正しい結果を与えることが証明される。最後に、負の比熱やアンサンブルの非等価性のような異常性に、長距離相互作用が必要かどうかを問う。これらの異常性は系の非加法性に由来する。したがって、もし短距離相互作用系で非加法的な系があれば、長距離相互作用系と似た振る舞いを示すはずである。そのようなモデルが実際存在することを指摘する。そのモデルは弾性スピンモデルと呼ばれ、スピンクロスオーバー物質の研究で導入されたモデルである。そのモデルの平衡状態の性質が詳しく調べられ、その結果、このモデルが実際に長距離相互作用系と定量的にも極めて近い振る舞いを示すことが示される。これによって、長距離相互作用系の統計力学はあるクラスの短距離相互作用系に対しても有効であることがわかる。本学位論文で研究される系は純粋に理論的な興味によるものではなく、スピンクロスオーバー系や光共振器中の物質など、現実の物理系にも有効であり、したがって本研究はこれらの系の研究に対して基本的な基盤を与える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなる.第1章はイントロダクションであり,本研究の背景・動機と,本論文の構成について述べている.第2章は引き続き従来の研究成果をまとめた導入部であり,平均場近似と平均場近似が厳密な結果を与える長距離相互作用系に関する従来の知見について述べている.第3章から第7章が本論文のオリジナルの部分であり,第8章は全体のまとめに充てられている.

第3章から第5章では,3つのケースに関して,長距離相互作用イジングモデルに対して,平均場近似解が厳密解となっている条件を明らかにしている.まず,第3章で,平均場近似による自由エネルギーがその包絡関数に一致する範囲では厳密解となっているような長距離相互作用系を導入している.この系において相互作用レンジをシステムサイズに比例して増大させる極限で得られるのが,本論文で主に扱われる長距離相互作用イジングモデルである.(以下単に「長距離相互作用モデル」と呼ぶ.)特に,相互作用が定数である場合は,よく知られた Kac 構成法による平均場モデルに他ならない.この場合には,平均場的な2つの谷をもつ「平均場自由エネルギー曲線」が2つの谷の間の部分も含めて全域で厳密であることはよく知られている.Kac 構成法による平均場モデルでは,距離の概念に意味がなく,従って相分離が起こりえないのに対して,長距離相互作用モデルでは,距離の概念に意味があり,相分離類似の現象の可能性がある.

第3章では更に,その後も繰り返し用いられる粗視化の技法が提案されている.これは,申請者の開発した技法であり,平均場近似が厳密な解を与えるかどうかを不等式を用いて評価する際に,ある領域での平均的磁化を残して,残りの局所的な自由度を先に消去するものである.この技法を応用して,長距離相互作用モデルの自由エネルギーを不等式で評価した.この不等式を利用すると,平均場自由エネルギー曲線の2つの谷の間の領域の一部においても,長距離相互作用モデルの自由エネルギーが平均場自由エネルギーと一致することなどが導かれる.一方,局所安定性の議論から,平均場自由エネルギー曲線が厳密ではありえない領域の存在をも示し,前述の結果と合わせて,長距離相互作用モデルの自由エネルギー曲線が,平均場自由エネルギー曲線とその包絡線の間の中間的なものになることを示した.また,長距離相互作用モデルにおいては,相分離ではない空間的に不均一な状態が熱力学的に安定な状態として存在することをモンテカルロ法を用いた数値計算で確認した.

第4章では,同様の技法を用いた議論をエネルギー一定のミクロカノニカルアンサンブルの場合に応用し,平均場エントロピー曲線と,その包絡線とが一致する場合には,長距離相互作用モデルの厳密解が平均場エントロピーによって与えられることなどを示した.また,その条件が成り立たない場合には,不均一相が出現しえることを示した.

第5章では,長距離相互作用モデルを量子系に拡張し,長距離相互作用するXYZモデルを定義し,これに対して平均場解の妥当性を議論している.基本的には第3,4章で用いられた粗視化の技法がここでも使われるが,そのために,Lieb によって証明された量子系の分配関数を古典モデルのそれで抑える不等式を利用し,問題の古典化を行った.

第6章では,長距離相互作用系が物性物理学において実質的に実現されていると期待される現実的な系として,格子自由度と結合したスピン系を考察している.このモデルは,スピンクロスオーバー物質として現実の存在する物質の有効モデルにもなっていると考えられている.申請者は,モンテカルロ数値計算の結果からスピン間の有効相互作用を距離の関数として評価し,このモデルが,第5章までで議論されてきた長距離相互作用モデルに異方性を加えたもので実効的に記述されることを示した.

第7章では,複数の互いに直接は相互作用していないスピンが共通の電磁場と結合している系のダイナミクスを考察し,平均場的な動力学の取り扱いが厳密に正しいことを論証したものである.具体的には,初期状態において各スピンが独立である場合,有限時間経過後においても,任意の有限個のスピンに関する縮約密度行列が,各スピンごとの局所密度行列の単純な積で表されることを示した.

以上のように,申請者は本論文において,長距離相互作用系の熱力学という統計力学の基本的な事項について,従来議論されてこなかった問題設定のもとに,不等式の意味で厳密な粗視化に基づいて自由エネルギーを評価し,新しい知見を得るとともに,数値計算によって,そのようなシナリオが成立しうるより現実的な系を提案している.

これらの理由により,博士(理学)の学位を授与できるものと認める.

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