学位論文要旨



No 217798
著者(漢字) 田中,信介
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,シンスケ
標題(和) 歪多重量子井戸半導体光増幅器の高性能化に関する研究
標題(洋)
報告番号 217798
報告番号 乙17798
学位授与日 2013.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 第17798号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡本,博
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 准教授 種村,拓夫
 東京大学 准教授 杉山,正和
 東京大学 准教授 松田,康弘
内容要旨 要旨を表示する

近年の情報処理技術の急速な発展に伴い、これを支える大容量フォトニックネットワークや大規模データセンターに用いる光ファイバ通信技術の重要性は非常に高まっている。SOAは直接遷移型半導体基板上に成長した光活性層と、ダブルヘテロ構造pin接合を備えた光増幅器であり、ネットワークへの適用が期待される。SOAはその動作原理から小型で駆動が容易な利点を有する。しかし、SOAは偏波間利得差(PDG)が生じやすい事や、高出力動作時に波形劣化が生じやすいといった課題を有し、現在のフォトニックネットワークではより大型な光ファイバ増幅器が広く使われている。この状況を打破しSOAの特徴を生かして実用化を進めるためには、技術課題の克服とアプリケーション確立が重要である。本論文ではSOAの技術課題克服に向け、新しい歪多重量子井戸(MQW)構造活性層を用いた高出力・偏波無依存化、内部損失の定量的評価と動作モデルの構築、AlGaInAs系MQW-SOAによる偏波無依存型SOAの高温動作化に取り組んだ。さらにアプリケーション確立に向けて、光パケットスイッチ向け8:1集積型SOAゲートスイッチの開発、微小ヒータ搭載SOAによる高出力光レベル制御、GaInNAs系MQW-SOAによるCバンド内利得チルト低減といったテーマに取り組んだ。

第2章では歪バリアMQW構造活性層を用いたSOAの高出力・偏波無依存化を議論する。フォトニックネットワークに適用する光増幅器では、広い波長領域に渡って小さなPDGと高い光出力が要求される。SOAにおいてパターン効果による波形劣化問題を回避しながら高出力化を実現するには、飽和光出力を増大させる必要がある。一般にSOAの飽和光出力は活性層の薄膜化により増大可能である事が知られている。しかし薄膜活性層では偏波モード間の活性層光閉じ込め係数差が大きくなりやすいため、偏波無依存化を実現するには活性層への結晶歪導入による材料利得異方性の導入が必須である。これまでに、伸長歪を導入した薄膜バルクGaInAs活性層を適用したSOAにおいて高出力化と偏波無依存化の両立が報告されている。しかし、この手法ではPDG波長依存性の制御が難しく、広い波長領域に渡る偏波無依存化が困難であった。そこで本研究では、より設計自由度が高くPDGの波長平坦化が期待できる活性層構造として歪バリアMQW構造に着目しSOA高性能化の可能性を探った。本活性層はInP基板上に無歪GaInAs井戸層と伸長歪を持つGaInAsバリア層を繰り返し積層したMQW構造である。本構造は1990年に偏波無依存化が実証されているが、その詳細な利得発生メカニズムは解明されていない。そこで、本研究では歪MQW構造向けに開発した利得シミュレータを利用して、バンド構造と利得スペクトルの計算を行った。計算結果により本MQW構造ではPDGスペクトルの1500nm付近に特徴的な凸構造が形成されて全体が平坦化され、広い波長領域に渡る偏波無依存化が期待できる事がわかった。そこで、本構造におけるPDGスペクトル変調の起源と、更なるPDGスペクトル平坦化の可能性を調べるため、新しく井戸層への結晶歪導入を図った。井戸層に伸長歪を加える事で、井戸-バリア層間の伝導帯エネルギー障壁が低下し、均一な準位分布に近づく事で量子効果による凸構造発現が弱まり、従来構造よりさらに平坦なPDGスペクトルが実現できる見通しを得た。以上の計算結果を踏まえ、歪バリアMQW構造活性層を持つSOA素子を試作し、広帯域偏波無依存化の実証を行った。評価結果から、シミュレーション結果同様な平坦かつ0に近いPDGスペクトルが確認され、利得>10dBとPDG<±1dBが得られる偏波無依存動作波長幅は100nm以上とバルク構造に比べて大幅に改善した。利得飽和特性を評価した所、1550nmにおいて各偏波で+20.0dBm以上の偏波無依存型SOAとして世界最高の飽和光出力が得られた。この高い飽和光出力には薄膜活性層構造に加え、MQW活性層採用による微分利得の低減が有効に作用したものと考えられる。

第3章ではSOAの動作効率改善に向けた内部損失の把握と動作効率モデル構築を議論する。光増幅器は電気的に与えられた励起エネルギーを光エネルギーに変換するが、そのエネルギー変換効率(動作効率)は光増幅器において非常に重要な指標である。これまでに報告されたSOAの動作効率は10%以下と非常に低く、光ファイバ増幅器に劣る特性となっている。しかし、これまでにその本質的要因についてはほとんど議論されていない。そこで、本研究ではSOAの内部損失(αi)を定量的に評価し、これを取り込んだ動作モデルを確立する事で動作効率が決まるメカニズムを定量的に把握する検討を行った。内部損失評価ではSOAの利得スペクトルと雑音指数(NF)スペクトルからαiを評価する手法を提案し、評価を行った。測定結果ではαiは明確な電流依存性を示し、キャリア誘起吸収の強い影響が示唆される。またその値は30cm-1以上と従来の半導体レーザにおける報告値より非常に大きい。この事は、活性層内の高いキャリア密度における強いキャリア誘起吸収の関与を示唆している。キャリア誘起吸収の起源を調べるため、αiの構造依存性を評価した。評価結果では明確な偏波依存性が見られ、TM偏光におけるkはTE偏光より大きい。また1.55μm帯SOAは1.3μm帯SOAに比べて約1.9倍大きくなっており、これらは価電子帯間吸収(IVBA)の特徴と良く一致する。続いてαiの電流依存性を取り込んだSOA動作モデルの構築を行った。動作モデルはSOAを光伝搬方向に対して微小セクションに分割した多分割モデルである。動作効率のシミュレーション結果は電流依存性や構造依存性において、実測結果と非常に良く一致しており、本モデルはSOA動作効率を定量的に良く再現した。本計算結果から、SOAの動作効率は軸方向の不均一な誘導放出分布と、出力端の内部損失によるキャリア損失によって強く制限されており、動作効率を向上するために効率的な励起プロファイルの実現と活性層改良によるIVBA低減が重要である事が示唆された。

第4章ではSOAモジュールの低消費電力化に向けたSOA素子の高温動作化を述べる。SOA素子は増幅特性の温度依存性が大きく、高温環境下では光利得が大きく低下してしまう。そこでSOAをモジュール化する際には熱電冷却素子(TEC)を搭載して、SOA素子の温度管理を行う事が一般的である。しかし、TECは2W以上の大きな電力を必要とするため、現状SOAモジュールの消費電力は光ファイバ増幅器よりも大きい。この課題を克服するためには、SOA素子の高温動作化による無温調動作実現が最も有効である。これまでにSOAの高温動作化については、GaAs基板上量子ドット(QD)活性層を利用した最高70℃までの温度無依存動作が報告されている。しかし、現状のInAs/GaAs QD-SOAはその結晶成長における制約から偏波無依存な利得を得る事が困難である。そこで本研究では、歪制御による偏波無依存化が可能なMQW活性層において半導体レーザ高温動作の実績があるAlGaInAs材料系を適用したMQW-SOAによる偏波無依存型SOAの高温動作化を検討した。本材料系の歪MQW-SOA適用妥当性を検証するため、利得シミュレータによる計算を行った。利得スペクトル計算結果では、AlGaInAs 歪井戸MQWは従来構造に比べて急峻な利得スペクトル形状と高温まで大きなピーク利得が得られた。これは、伝導帯ミニバンド幅の圧縮と大きなバンドオフセットのため、状態密度が狭いエネルギー領域に集中した影響と考えられる。この急峻な利得スペクトル形状により、利得の温度依存性では利得ピーク波長の長波側において各温度の利得スペクトルが重なり合う波長領域が見られ、ここでの温度安定な動作が期待できる。そこで実際にAlGaInAs MQW-SOAと無温調モジュールの試作を行った。モジュールからTECを排除した事により、従来比体積約20%の大幅な小型化を実現している。波長1310nmにおける、25-75℃間の利得変動量はPDG込みで3.8dBと十分小さく、本結果により世界初の偏波無依存型SOAのアンクールド動作が実証された。なお、駆動電流調整を行った場合、さらに広い15~85℃の温度範囲において利得15±0.5dBへの利得一定制御が可能である。本モジュールの消費電力は、電流一定動作で0.3W、利得一定制御時に0.53W以下であり従来SOAモジュールに対して約75%の大幅な低電力化が実現できた。

第5章から第7章では、SOAの製品化に向けたアプリケーション確立に向けた制御技術や応用技術について議論する。第5章はSOAにおけるパターン効果による波形劣化の影響を回避しながら高い光出力で利得制御を行うために、新しく素子上に微小ヒータを搭載し素子温度を局所的に調節する事で、大きな飽和光出力を保持しながら10dB以上の利得制御を実現する技術を述べる。第6章ではSOAの利得制御における高速性を利用して、SOAを高速光ゲートスイッチとして用いるアプリケーションに向け、9つのSOAと8:1光カプラを単一基板上にモノリシック集積した8:1集積型SOAゲートスイッチアレイの研究成果を述べる。第7章では、SOAにおけるCバンド内の特性均一化を目的として、活性層に窒素を導入したGaInNAs/GaInAs MQW-SOAによる利得スペクトルの長波長化技術を述べる。

審査要旨 要旨を表示する

近年の情報処理技術の急速な発展に伴い、これを支える光ファイバ通信技術の重要性が高まっている。半導体光増幅器 (SOA) は直接遷移型半導体上に形成された光増幅器で、小型で駆動が容易といった利点を有する。しかし、SOAには偏波間利得差 (PDG) や高出力動作時の波形劣化といった課題があり、これまで光ネットワークへの適用は限られた領域でしか進んでいない。本論文では、この状況を打破し広くSOAの実用化を進めることを目的として行われた研究、具体的には、現状のSOAの課題を解決するために必要なGaInAs系デバイスの設計指針の確立、それに基づいて作製されたデバイスの性能改善の実証、および、実用化を念頭に置いたSOAの制御技術や応用技術の実証、が述べられている。

本論文は8章からなる。

第1章では、研究の背景と目的、論文の構成が述べられている。

第2章では、GaInAs系歪バリア多重量子井戸(MQW)構造活性層を用いたSOAの高出力・偏波無依存化が議論されている。広い波長帯域における偏波無依存化を目的として、歪バリアMQW構造活性層に着目し、利得シミュレータを用いてそのバンド構造と利得発生メカニズムを解析した。その結果、本MQW構造では、伝導帯に生成されるミニバンドギャップが利得スペクトル形状の変調を引き起こしており、それを考慮すればPDGスペクトルの形状制御が可能である事が示された。この知見に基づき、井戸層に伸長歪を印加した新しいMQW構造により、広い波長領域に渡る偏波無依存化が可能である事が計算・実験の両面から実証された。また、本MQW構造は、バルク構造より低い微分利得を持ち、高出力化にも有利である事が示されている。試作したMQW-SOA素子では、100 nm以上の波長帯域に渡って1 dB以下のPDGと偏波無依存型SOAとして世界最高である+20 dBm以上の飽和光出力が達成されたことが述べられた。

第3章では、SOAの動作効率改善に向けた内部損失(αi)評価と動作効率モデルが議論されている。内部損失評価では、SOAの利得と雑音指数からαiを評価する新手法が提案され、電流・偏波依存性を含めた詳細な評価が実施されている。SOAのαiは20~50 cm-1と大きな値を持ち、明確な電流依存性を持つ事が明らかになり、その解析から活性層内の価電子帯間吸収をメカニズムとするキャリア誘導吸収の強い影響が示された。さらに、αiと利得を正確に取り込んだ動作モデルが構築され、出力や動作効率の計算結果が実測結果と精度良く一致する事が確認された。また、高効率化に向けてnガイド層や多電極構造の導入効果が検証され、両者の適用によって動作効率は15.7 %まで増大する事が示された。

第4章では、SOAモジュールの小型・低消費電力化に向けたSOA素子の高温動作化が議論された。伝導帯のバンドオフセットが大きく、状態数を狭いエネルギー領域に集中可能なAlGaInAs材料系を用いた偏波無依存型SOAにおいて、高温動作が検討された。利得シミュレータによる計算では、急峻でピーク強度の高い利得スペクトルが確認され、利得ピークの長波長側に温度安定な波長帯域が存在する事が予見された。AlGaInAs MQW-SOAと無温調モジュールを試作した結果では、世界初の偏波無依存型SOAのアンクールド動作(15 - 85 ℃)が実証されている。本モジュールでは、ペルチェクーラの排除により、従来比約20 %の小型化と約75 %の低消費電力化が実現されている。

第5章から第7章では、SOAのアプリケーション確立に向けた制御技術や応用技術が、議論されている。第5章では、微小ヒータ集積による高光出力・利得制御の優位性が実証された。第6章では、9つのSOAと8:1光カプラを単一基板上にモノリシック集積した8:1集積型SOAゲートスイッチアレイにおける高消光比動作が実証された。第7章では、GaInNAs/GaInAs MQW-SOAによる利得スペクトルの長波長化技術が示されている。

第8章では、まとめとして、本論文の研究成果の総括と今後の展望が述べられている。

なお、第2章については、森戸健氏(富士通研究所)との共同研究、第3章については、森戸健氏、江川満氏、植竹理人氏(富士通研究所)との共同研究、第6章については、森戸健氏、鄭錫煥氏、江川満氏、苫米地修一氏(富士通研究所)との共同研究、第7章については、森戸健氏、山崎進氏(富士通研究所)との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって研究を遂行したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上から、本論文は、半導体光増幅器の高性能化と光ネットワークでの適用領域拡大に大きく貢献するものである。したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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