学位論文要旨



No 217802
著者(漢字) 鈴木,高二朗
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,コウジロウ
標題(和) 東京湾の海水交換と貧酸素化に及ぼす淡水流入と風の影響について
標題(洋)
報告番号 217802
報告番号 乙17802
学位授与日 2013.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 第17802号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 准教授 佐藤,弘泰
 東京大学 准教授 佐久間,哲哉
 東京大学 准教授 鯉渕,幸生
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的:

東京湾口では河川などから東京湾に流入した栄養塩などの物質が外海との海水交換によって湾外へ流出している.また海水交換によって外洋との大きな熱交換もあり,湾内の水温に影響を与えている.そのため東京湾内の水質の現状を把握し将来を予測するためにはこのような東京湾口での海水交換と物質収支の特徴を明らかにする必要がある.しかしながら,東京湾口での海水交換や物質収支に関しては未だに不明な点が多く,特に淡水流入や風がどのように東京湾の海水交換や栄養塩の収支に影響を与えているのかはこれまで明確ではなかった.この原因は,湾内の面的な流れを計測するのが困難だったからであり,たとえ計測できたにしても観測される流れは風による吹送流と淡水流入による密度流の重合したものであり,短期的な観測だけではそれらを分離できなかったためである.

一方,東京湾は過度な富栄養化状態にあり,海底では春から秋にかけて底層に大規模な貧酸素水塊が発生し,生物の生息を困難にしている.貧酸素水塊の発達には底泥の酸素消費や赤潮後の酸素消費が寄与していることが明らかになってきているが,貧酸素水塊の発達に及ぼす風や淡水流入といった物理的な因子の影響については未だに不明な点が多い.たとえば,淡水流入は重力循環による海水交換を促進するが,一方で湾表層に低塩分水塊を広げて密度成層を強化し,貧酸素化を強めているとも考えられる.また,夏季の東京湾に特徴的な南風は表層の酸素濃度の高い水塊を湾奥に押し込んで貧酸素化を軽減させるが,一方で表層流入・下層流出という重力循環と逆の流れを起こして海水交換を低下させている可能性もある.

そこで本研究では,このような湾口での海水交換と湾内の貧酸素水塊の発達に及ぼす淡水流入と風の影響を明らかにすることを目的として,東京湾口でフェリーによる長期連続的な流れの観測(図1)を行うとともに,HFレーダーによる流れの観測データなどとあわせた解析,および流動と生態系の数値計算を実施した.

主要な結論:

主要な結論は以下のとおりである.

1) 東京湾口の年平均残差流は,表層流出,中層流入,下層流出という3層構造(図2)であり,この流速分布は毎年ほとんど変化がないことが分かった.この観測データから求めた月平均海水交換量(図3)は春と秋に大きく,最大は10月の12,000(m3/s)だった.逆に冬の1~3月と夏の6~8月の海水交換は小さく,最小値は1月の6,200(m3/s)だった.これを海水交換日数にすると,最も早い10月は約18日,最も遅い1月が38日だった.夏季に海水交換が悪いという結果は,これまでの既往の研究(宇野木,1998;岡田ら,2007)と異なっていた.日々の流速と気象条件を比較したところ,夏季の海水交換の減少は,夏季に特徴的な南風によって重力循環と逆向きの吹送流循環が発達し,それぞれが相殺しあうことで起こることが分かった.

HFレーダーの湾軸表層流速と海水交換量には強い相関があり,ともに風の影響が顕著だった(図4, 図5, 図6).特に夏季の南西風の影響は強く,月平均で2.5m/s以上になると湾軸表層流速は重力循環(表層流出・下層流入)と逆向きになることが分かった.

HFレーダーによる湾表層流速の月平均残差流を調べたところ,春から秋にかけて湾奥に時計回り循環が発生していること(図8),さらにこの循環流の中心は緯度35.56°の線上に発生し,南西風が強いほど大きく,千葉側へ移動することが明らかとなった.

2) AICを用いた重回帰分析を行ったところ,海水交換量Qは湾軸方向風速Wの2次式,淡水流入量FDの1次式,気温Taの3次式で最小AICをとった.その関数は以下の式で表され,淡水流入と風の効果がほぼ同程度であることが分かった.

Q/1000=-3.457-0.488 W +0.160 W2+0.0024 FD+1.719 Ta -0.078 Ta2+0.001 Ta3

3) 流動モデルを用いて2007年~2008年の数値計算を実施し,塩分・水温および海水交換量の観測データを再現した.この再現計算を基本ケースとして,淡水流入量や風の強さを変えて応答を見たところ,海水交換の応答には季節変化があり,春と秋が大きく,夏と冬は小さかった.また,淡水流入量,風速,気温の年変動(標準偏差1σ)に対する海水交換の変化量を調べたところ(図9),北東風,淡水流入,南西風,気温の順に影響が大きく,年平均ではそれぞれ886m3/s,771 m3/s,-667m3/s,64m3/sであり,海水交換に及ぼす風と淡水流入の影響は重回帰分析の結果と同様にほぼ同程度だった.

4) 生態系モデルを組み合わせた数値計算を実施し,溶存酸素やクロロフィルaなどの水質を再現した.この再現ケースを基本ケースとして荒川の淡水流入量を増加させて計算を実施した.その結果,淡水は表層を時計回りに移動して湾奥の千葉側へ移動し,東京湾奥の密度成層を発達させて底層DOを低下させることが明らかになった(図10).近年の都市化による淡水流入の増加は海水交換を促進させている(岡田ら,2007)ものの,密度成層を強化させ,むしろ湾内底層の環境を悪化させている可能性が高いことが分かった.

次に,夏季の南西風を強めて計算を実施したところ,一時的に鉛直混合で密度成層が弱まり,湾奥底層DOが上昇した.しかし,その後,南西風が弱まると湾口から湾内底層に高密度水塊が進入しやすくなり,いったん湾内底層に高密度水塊が進入すると密度成層の強化と底層DOの低下にいたることが分かった.また湾口の海水交換も低下して淡水や有機物が湾内に滞留し,最終的に見ると南西風は底層の環境を悪くしている可能性が高いことが明らかとなった.1980年からの新木場の風を調べたところ,近年,南風が増加傾向にあり,夏季の海水交換と底層DOの低下に影響している可能性があることが明らかとなった。

図1 フェリー観測の模式図

図2 年平均残差流(青:流出,赤:流入)

図3 海水交換日数の季節変化

図4 海水交換日数の季節変化

図5 海水交換日数の季節変化

図6 海水交換日数の季節変化

図7 海水交換日数の季節変化

図8 夏季に発生する湾表層の時計回り循環

図9 淡水流入と風速の年変動に対する海水交換の応答

図10 荒川からの淡水流入を増やした場合の表層塩分と底層DOの低下量(生態系モデル)

審査要旨 要旨を表示する

閉鎖性内湾は外海との海水交換が限られるとともに、多くの場合背後に大都市が発達するために水質汚濁負荷が高いので、水環境が悪化しやすい。国内外の多くの閉鎖性内湾において水環境の問題が起こっているが、中でも東京湾は湾の面積当たりの背後人口が世界で最も多く、赤潮や青潮に代表される水環境問題が深刻化しており、負荷削減などの努力が続けられているにもかかわらず、その解決には至っていない。本研究は、東京湾の流れに着目して水質に深くかかわる海水交換と貧酸素化の過程を、現地計測および数値シミュレーションにより明らかにし、河川からの淡水流入や海上風などの影響を論じたものである。

第1章は序論であり、まず研究の背景を述べている。次に目的として、東京湾口での流速の観測データなどを用いて海水交換の特徴と海水交換に対する風と淡水流入の影響を明らかにすること、および貧酸素水塊の形成と栄養塩収支に対する海水交換の影響を調べることを挙げ、さらに本論文の構成を述べている。

第2章は東京湾の海水交換に関する既往の研究のレビューである。まず、研究手法の分類を行った上で、湾口での流速測定がほとんど行われていないことを指摘している。また、海水交換に関わる潮汐残差流、淡水流入、吹送流、外洋水の流入などの研究現況を系統的に説明している。続いて、本研究で用いる、定期船舶を利用した観測の実績を取りまとめている。

第3章では、この研究の重要な要素となる湾口フェリーを利用した、湾口での流速と水質の連続観測の装置と方法を説明し、6年間にわたる測定を行った結果を紹介するとともに解釈を与えている。すなわち、東京湾の湾口の残差流は、表層流出、中層流入、下層流出の3層構造となっている。月平均海水交換量は、9~10月がもっとも大きく、1~3月と6~8月に小さくなる。特に、夏季には淡水流入が増大するために重力循環が強化されて海水交換が増大すると言われてきたが、実際には7~8月で極小になることが明確になった。そして、これは夏季の南風によって重力循環が弱められるためであることを示した。また、冬季には黒潮系暖水が房総半島に沿って湾内に進入するために、循環が弱められ、海水交換量が減少することを示した。この他に、HFレーダーを用いた湾内の表面流速の月平均残差流を調べ、春から秋にかけて湾奥に時計回りの循環が存在することも示した。

第4章では観測結果の考察により、海水交換と表層流速に及ぼす淡水流入や風などの影響を調べている。まず、湾軸表層流速と湾軸表層風速との相関が高いことを確認した。そして、風向が南西になると重力循環と逆向きの影響を与えるために海水交換は減少し、特に風速が大きい場合には循環流が逆向きになることもあることが判明した。これを含めた現象の理解の上で、湾軸方向風速、淡水流入、気温による海水交換量の回帰式を求めた。さらに、密度差が増大すると溶存酸素が減少することを示した上で、密度差が主に塩分によって生じることから、淡水流入は、従来言われているように重力循環の強化によって溶存酸素を増大させるのではなく、密度成層の強化によって溶存酸素を減少させると考えられることを示した。

第5章は数値計算による流況と水質の再現と応答解析である。初めに数値モデルの説明を行ったのち、実測結果との比較によりモデルを検証している。続いて、淡水流入、風速、気温、日射量を変化させた場合の海水交換量を計算し、それぞれの影響度を調べている。影響の大きいのは淡水流入と風であり、淡水流入の影響は8~10月が大きく、風の影響は春と秋が大きくなるが、年平均としてはほぼ同程度であった。

第6章では貧酸素水塊の形成と栄養塩収支に関して、生態系モデルを用いた数値計算を行っている。まず湾奥の時計回りの循環は、非一様な風速分布によるせん断力により再現されることを示した。そして、淡水流入が増大すると、淡水が時計回りの循環に乗って千葉側に移動し、そこでの密度成層を発達させるために、底層DOを低下させることが明らかになった。また、夏季の南西風の強化も、一時的には鉛直混合によって湾奥底層のDOが上昇するものの、その後に湾口から高密度水塊が進入しやすくなるために密度成層が強化され、底層DOの低下にいたることがわかった。これらは従来言われてきたことと異なる結果であり、本研究の観測と数値計算による根拠を持って示されている。

以上の研究は、東京湾内の流れに着目して湾内の水環境の形成過程を明らかにしたものであり、他の閉鎖性内湾にも通じる一般的な知見を得たものであって、環境分野における学問的価値がある。よって、博士(環境学)の学位を授与できると認められる。

UTokyo Repositoryリンク