学位論文要旨



No 115638
著者(漢字)
著者(英字) ALIBO,DIA,SOTTO
著者(カナ) アリボ,ディア,ソット
標題(和) 海水中の希土類元素 : 粒子反応性、Ce異常、および水塊の地球化学的キャラクタリゼーション
標題(洋) The Rare Earth Elements in Seawater : Particle Association, Ce Oxidation, and Geochemical Characterization of the Water Masses
報告番号 115638
報告番号 甲15638
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3865号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野崎,義行
 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 助教授 中井,俊一
 東京大学 講師 鍵,裕之
 東京大学 助教授 植松,光夫
内容要旨 要旨を表示する

「はじめに」

希土類元素は15のランタノイドと、YおよびScからなる元素群である。それらの化学的挙動は互いによく似ており、近年海洋地球化学の分野で盛んに研究が行われている。本研究では、(1)海水中の溶存態及び粒子態中のYおよび全ランタノイド濃度の正確な測定、(2)粒子状物質の除去過程を解明するうえでのそれらの有用性、(3)水塊または海洋循環のトレーサーとしての希土類元素の利用、の3つに焦点をあてて研究を行った。海水中の多くの微量元素の分布や運命は沈降粒子による除去過程に支配されており、この段階でさまざまな分別が生じる。このような現象は、ランタノイドの粒子反応性の系統的な変化によってより詳しく解明しうる。また、溶存希土類元素の正確な測定は、従来の方法では描ききれなかった水塊の識別と追跡に役立つ。ここでは、北西太平洋、南シナ海、スル海および東部インド洋においてICP質量分析法で測定した希土類元素分析の結果を報告する。

「方法」

海水試料は淡青丸・白鳳丸の航海において、CTDロゼット系に取りつけた12Lのニスキン採水器で採取した。すべての試料は船上にて0.04μmの中空糸膜で濾過し、pH1.5以下の酸性にして持ち帰った。希土類元素はビス(2エチルヘキシル)水酸化リン酸(HDEMP+H2MEHP)による溶媒抽出法を用いて海水から分離濃集し、ICP質量分析装置で測定した。ICP質量分析法はYおよび全ランタノイドについて、表面電離型質量分析計法と同程度の精度で分析できるうえ、迅速である。

「結果および考察」

図1に、北西太平洋における溶存(<0.04μm)希土類元素濃度の鉛直分布を示す。4価をとりうるCeを除いては、すべての希土類元素は深さとともに溶存濃度が増加し、栄養塩とよく似たパターンを示す。このことは、希土類元素が生物地球化学的サイクルに組み入れられていることを物語っている。図2は、溶存Si、リン酸、およびYに対する希土類元素の相関係数を示す。溶存Siとの相関係数は、リン酸とのそれよりも高く、希土類元素の鉛直分布は溶存Siのそれにより近いことがわかる。また、希土類元素と溶存Si間の相関係数の値は、Laを除くと原子番号が増えるに従って高くなる。これは、重希土類元素ほど炭酸イオンと相対的に強い錯体を形成する事実と関連している(炭酸イオンとの錯体生成定数は重希土類元素、中希土類元素、軽希土類元素の順に小さくなる)。Yは重希土類元素、特にHoと相関が高い。これは両者のイオン半径が類似していることによるものと考えられる。一方Ceは深さとともに濃度が減少する、いわゆるスキャベンジング型の鉛直分布を示す。実際に、海水中のCeは他の希土類元素に比べ、粒子として存在している割合が31%と高い値を示す(表1)。

「粒状物質の反応性と希土類元素の滞留時間」

北西太平洋海域では、未濾過海水試料中の希土類元素濃度の測定を行い、濾過海水試料との比較を行った。両者の違いは粒子中の「酸可溶性成分」の寄与として、表1にまとめてある。三価の希土類元素の酸可溶性成分の寄与は5%以下である。計算値の誤差は大きいものの、原子番号の増加に伴って、酸可溶性成分の割合は小さくなることがわかる。この結果は重い希土類元素ほど炭酸イオンと強い錯体を形成することと整合的である。なぜなら海水中で安定な錯体を形成する元素ほど粒子によって除去されにくくなるためである。粒子による希土類元素の相対的な除去されやすさ(粒子の反応性)は平均滞留時間(τ)でも示される。溶存希土類元素は粒子の可逆的スキャベンジングと沈降によって除かれ、粒子の吸着部分は酸可溶性成分(Fp)に当たると仮定すると、次のような関係式が得られる。

τ(REE)=[Fp(Y)/Fp(REE)]xτ(Y)

すでに求めたYやHoの平均滞留時間を用いて、他の希土類元素の平均滞留時間を間接的に見積もることができる(表1)。見積もった平均滞留時間の誤差が大きいのは、粒子の割合がゼロに近いためである。しかし、そのほかの希土類元素の平均滞留時間は数百年から数千年と見積もられ、Laを除くと原子番号の増加に伴って平均滞留時間は増大する。Ceの平均滞留時間は50-130年となり230Thの平均滞留時間(〜30年)と近い値になる。

「水塊の地球化学的キャラクタリゼーション」

南シナ海 南シナ海は周りの陸地で囲まれた半閉鎖海盆で、しばしば“アジアの地中海”と呼ばれてきた。南シナ海の深層海水は、ルソン海峡を通って北西太平洋から供給されていると考えられている。図3に、南シナ海の溶存Ce濃度の鉛直分布を示す。その分布はユニークで、北太平洋中層水が入り込む300-500mで最小値を示した後、栄養塩型の他の希土類元素と同様に、深さとともに濃度が増加し2500mで最大値13pmol/kgに達するが、それ以深で突然溶存濃度が大きく減少する。2500mは北西太平洋深層水の通過するルソン海峡の深さと一致する。北西太平洋やスル海と比べて南シナ海に見られる特異的なCeの鉛直分布は、深層水がCeのなんらかの供給をうけたことを反映していると考えられる。おそらく、深層水がルソン海峡を通り抜ける際に、4価から3価に還元されたCeが堆積物中の間隙水から供給されたものと推定される。Ceほど顕著ではないが、いくつかの軽希土類元素(Pr、Nd、Gdなど)にも同じ深さで濃度不連続が確認されたが、重希土類元素とYの鉛直分布や、溶存酸素、栄養塩、pH、アルカリ度などには同様の変化は認められなかった。この結果は、水塊追跡の新たな化学トレーサーの一つとして希土類元素が有効であることを示している。

スル海 南シナ海と同様にスル海もまた孤立した海盆であるが、浅いミンドロ海峡(最大水深は約400m)を通って、南シナ海から海水が流れ込んでいると考えられている。ゆえに、スル海の深層水は南シナ海や北西太平洋の深層水と直接混じり合うことはない。事実、スル海はポテンシャル温度が9.8℃よりも高いという特徴がある。この特徴は水平移流が事実上無視できることを意味し、スル海は鉛直方向の地球化学的過程を研究することのできる絶好の観測点であると言える。図5には、Lu/Pr比、Er/Nd比の鉛直分布を示した。水塊の指標となるパラメータのほとんどは1000m以下は均質であったが、この2つの比は2000mで最大値を示している。この結果は、海盆内の深層水は決して均質ではないこと、おそらく何らかの複雑でかつ突発的なイベントによって深層水が再生されていることを意味している。深層水では、希土類元素は深さとともに濃度が増加し、4000mから海底にかけて最大値を示す。溶存濃度が海底付近で最大になるのは、溶存Siやアルカリ度にも認められるような深層水中または海底表層における沈降粒子や堆積物からの再生によるものであろう。

さらに、北太平洋深層水(NPDW)で規格化したスル海の深層海水の希土類元素存在度パターンはEuで最大値を示すという中希土類元素に富んだパターンを示し、南シナ海の深層水の存在度パターンとは異なっている(図4)。ゆえに、各海盆に見られる特徴的な希土類元素存在度パターンは、粒子からの希土類元素の再溶解による影響を受けたものと考えられる。

 これらの周りを陸地によって隔てられた閉鎖的な2つの海盆に見られる希土類元素の挙動は、深層海水の水塊の新しいトレーサーとして希土類元素が有効であることを明確に示している。

図1. 希土類元素の鉛直分布。

図2. 希土類元素とY,SiO2およびPO4の相関係数(R2)。

表1. 粒子物質の割合から計算された希土類元素の平均滞留時間

図3.Ce(pmo1/kg)の鉛直分布。

図4。NPDWで規格化した深層海水の希土類元素存在度パターン。

図5.スル海でのLu/Pr比とEr/Nd比の鉛直分布。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は全6章からなり、第1章は序論で研究の背景と意義が希土類元素の化学的特徴とともにレビューされており、第2章では、ICP質量分析法に基づく海水中の微量なイットリウムと全ランタニドの高精度分析法について述べられている。とくに孔径0.04ミクロンの中空糸膜を用いて海水を濾過することにより、溶存希土類元素と未濾過の全希土類元素との差を求めた。海底からの粒子の舞い上がりの影響を受けない場合には、4価のセリウムを除くと、粒状物質に付着している部分が軽希土で高々5%程度であり、原子番号の増加とともに減少して重希土のツリウム、イッテルビウム・ルテチウムでは1%以下になることを明らかにした。また、セリウムの粒子フラクションは31%と格段に高く3価から4価への酸化が起こっていることを示した。その酸化は主に表層海水中で起こり、深層水での変化は少ないことが示唆された。この希土類元素と粒子との反応性に基づいて、海洋中の平均滞留時間をセリウムについて150年、3価の希土類元素についてはランタンの数百年からホルミウムの数千年と見積もっている。ちなみに、従来の表面電離質量分析法では測定できなかった単元素のイットリウム、プラセオジウム、テルビウム、ホルミウム、ツリウムを含めて全ての希土類元素の高精度分析法を確立した。この結果はすでに公表され、外国の文献にも引用されている。

 第3章では、5000mを越える海盆でありながら、周囲を400m以浅の海峡で外洋から隔絶されたスル海での詳細な溶存希土類元素の分布を測定した。外洋では海水の水平移流などの影響を受け、鉛直分布を支配する要因の解明は複雑であるが、スル海では水平輸送は無視できることから、深層水の溶存希土類元素の供給源として堆積粒子からの溶解が重要であることが示された。また、塩分、溶存酸素、栄養塩など通常の海洋学的パラメーターでは検出できない水塊構造の変化が、たとえばエルビウム/ネオジムやルテチウム/プラセオジウムの濃度比やパターンを用いることにより解明できること、スル海の深層水の更新がおそらく間欠的に起こっていることなどが、この研究により初めて明らかにされた。この結果は国際学術誌にすでに公表されている。

 第4章では、南シナ海で鉛直分布の測定に基づいて、北太平洋深層水がルソン海峡(水深、約2400m)を通って南シナ海に流れ込む際に、海底堆積物から溶け出した、おそらく3価のセリウムが付加していることを示した。深層水が2900mを境にして上下に別れ異なる循環をしていること、希土類元素の組成が、流入する河川水や北太平洋深層水とは異なり、南シナ海の特徴的であることが示されている。この結果は現在米国地球物理学連合の学術誌に印刷中である。

 第5章は、南極海および東インド洋での分布の測定を行った結果をもとに、インド洋の海洋循環との関連について言及している。とくに太平洋深層水がインドネシア多島海(主にチモール海峡)をへてインド洋への流入していることが希土類元素の分布から明らかになり、また南極底層水と中層水の希土類元素パターンが異なることから、水塊指標としての役割を論じている。また表層海水の希土類元素パターンが海域によって明確に区別できることも初めて示した。

 第6章はまとめと展望である。

 以上、本論文は、海水の希土類元素の高精度かつ多数の分析結果をもとに、いくつかの新しい海洋学的・海洋地球化学的知見を得たものであり、国際的にも高く評価されるものと判断される。

 なお、本論文第2章・第4章は指導教官、第3章は指導教官ほか3名との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって試料の採取、分析および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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