学位論文要旨



No 115705
著者(漢字) 金,大榮
著者(英字)
著者(カナ) キム,デヨン
標題(和) 木材とセルロースの炭化処理に関する研究
標題(洋) Studies on Carbonization of Wood and Cellulose
報告番号 115705
報告番号 甲15705
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2195号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 教授 有馬,孝禮
 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 教授 谷田貝,光克
 東京大学 助教授 磯貝,明
内容要旨 要旨を表示する

1章 緒言

 セルロース系物質は地球上に最も多量に存在する再生産可能な資源であり、石油資源の枯渇が迫りつつある現在、その利用がとりわけ重要となっている。一方、セルロース系原料を熱分解して得られる炭化物は古くから利用され、現在も日常生活・産業において重要な役割を果たしている。炭素材料を大きく分類すると、1)木炭、2)活性炭、3)黒鉛(グラファイト)となる。中でも木炭は昔から燃料として使われてきた伝統的な炭素材料である。

 2000℃以上の高温処理で得られるグラファイト材料は初期にはセルロースを原料として用いられたが、その後石油系合成高分子に取って代わられた。その理由は1)炭化収率が低いこと、および2)炭化の過程で延伸性が無く高配向の黒鉛になりにくいこと、である。しかし再生産が可能で大量に得られる有機物質資源としてのセルロースの高度利用を目指す観点から、その炭化収率を改善し、得られる炭素の特性を制御することは大きな意義がある。

 本研究では木材およびセルロースの無酸素条件での熱分解・炭化挙動の解明と制御を目指して、木材中のセルロース結晶の崩壊過程、炭化における無機物質添加が収率と炭化物の性質に及ぼす影響、高結晶性セルロースの炭化および黒鉛化挙動を熱重量分析、X線回折、電子顕微鏡を用いて検討した。

2章 木材セルロース結晶の熱分解過程

 木材の炭化過程の解明は木質材料の熱的安定性の制御と木材から得る炭化物の性能向上のため重要である。本章では木材の中では比較的高結晶性で高配向のセルロースを含むドロノキ(Populus maximowiczii)引張りあて材を用いた。試料を360℃まで昇温させながらX線回折法でセルロース結晶を熱分解するまで測定した。さらに熱分解過程を経時的に把握するため320℃処理中のX線回折をモニターした。また炭化前後の木材組織をSEMで観察した。

 温度を上昇させながらの測定において、木材のセルロース結晶は320℃以下ではほとんど分解せず、320℃〜360℃の範囲で崩壊した(Fig.2-1)。この臨界温度320℃で等温処理すると、時間経過とともにピーク強度は徐々に減少し、20分後ではおよそ半分、90分後では全ての結晶が崩壊した(Fig.2-2)。このプロファイルから200ピークの面積と半値幅を測定し、熱分解過程での結晶成分量と微結晶サイズの経時変化を求めた(Fig.2-3)。強度の変化と結晶サイズの変化の速度には顕著な食違いがあり、これを説明するためにFig.2-4のモデルを提案する。セルロース微結晶の熱分解は(A)のように均一に起こるのではなく、(B)あるいは(C)のように、残存する微結晶の幅を保ちながら進行する。(B)と(C)のいずれが実際の過程に近いかについてはさらに検討を要する。

3章 セルロースの炭化過程における脱水触媒の効果

 セルロースは(C6H10O5)nの組成をもつので、酸素と水素が水の形で脱離すれば収率は44.4%になるはずである。しかし実際にはレボグルコサンを経由してメタノール、酢酸、一酸化炭素、二酸化炭素等の形で大量の炭素が失われる。400℃での炭化収率は木材の場合25-30%程度、純粋なセルロースでは15%程度である。さらに1000℃以上に熱すると収率は10%以下にまで下がる。本章では脱水作用を持つ無機物質が共存すると収率が向上するのではないかと考え、硫酸含浸したセルロース試料:木綿セルロース、Whatman CF11セルロース粉末、およびホヤセルロースを用いて窒素中で800℃までの炭化と熱重量分析を行った。炭化物について窒素吸着による比表面積測定とSEM観察を行なった。

 硫酸を添加したセルロース試料では800℃での炭化収率は無添加の場合の2-5倍に向上した(Fig.3-1、3-2)。また硫酸添加によってセルロース繊維の変形・収縮が抑制された(Fig.3-4)。窒素吸着による非表面積も硫酸添加により10〜20%増大した(Fig.3-3)。

 活性炭製造において添加される薬品にはリン酸、塩化亜鉛などがある。リン酸について比較実験を行なった結果、収率は硫酸の場合とほぼ同じであった。リン酸・塩化亜鉛は炭化後に十分な洗浄を行なって除去する必要があるが、硫酸は600℃までで完全に気化して失われる(Fig.3-5)という利点がある。ただし、その過程で二酸化イオウなどの有害ガスを発生するという問題がある。この対策を行なうならば硫酸添加によるセルロースの炭化は実地に応用できる可能性がある。

4章 木材の炭化における脱水触媒の効果

 前章の結果に基づき、本章では木材の炭化における硫酸添加の効果を調べた。広葉樹材(Fagus crenata Blume (Buna)and Populus maximowiczii Henry(Populus))と針葉樹材2種類Pices sitchensis Carr.(Spruce)and Cryptomeria japonica D.Don.(Sugi))の木紛と木片に硫酸を含浸し、600℃と800℃で炭化を行って収率、寸法変化、比表面積測定、組織の走査電子顕微鏡観察を行なった。その結果、木材でも硫酸添加により収率は2倍程度に向上し(Fig.4-1,4-2)、比表面積も増加した(4-3)。木片の寸法変化も大幅に抑えられ(Fig.4-4,4-5)、収縮の異方性がほとんどなくなった(4-6)。このように硫酸含浸は木材に対しても炭化収率向上の効果が大きく、また寸法安定化、強度向上の効果もある。

5章 黒鉛化に対するセルロースの構造の影響

 セルロースは280℃から350℃で熱分解が終わり非晶性炭素となる。これをさらに2000℃以上の高温処理すると黒鉛化する。本章では高結晶セルロースを出発物質として従来にない構造と性質を持つ黒鉛材料を開発することを目的として、特殊な原料から得られる高結晶性セルロースの炭化・黒鉛化挙動を調べた。

 すべてのセルロース試料は800℃までの処理では非晶炭素となったが、1900℃以上で処理すると黒鉛化した(Fig.5-1)。様々なセルロース試料から得られた黒鉛の回折幅から求めた結晶サイズは、出発物質の結晶サイズと正の相関があった。すなわち熱分解黒鉛の結晶性は出発物質のそれに強く依存する。高結晶性セルロースから得た黒鉛を透過型電子顕微鏡で観察すると、フィブリル状のグラファイトが含まれていた(Fig.5-2〜5)。他方、繊維状およびビーズ状の再生セルロースを黒鉛化すると、フィブリル状の微結晶は見られないが、結晶性はかなり高く、また100と101反射の明瞭なリングを与えた。高結晶性セルロース試料ではホヤのものだけがこのような回折を与えた(Fig.5-6)。このようにセルロースの構造と熱分解黒鉛の構造の関係は複雑であるが、高結晶性の天然セルロースから得られるフィブリル状黒鉛は炭素材料の新しい形態としての可能性が注目される。

6章 セルロースの凍結乾燥と銀の及ぼす影響

先の章で明らかになったように、高結晶性セルロースを原料として一部ミクロフィブリル状のグラファイトが得られるが、その量は全体に対してわずかである。そこで、ミクロフィブリル構造を保持したまま炭化する条件として、セルロース懸濁液に硫酸や銀を添加して凍結乾燥することを考えた。実際に硫酸のみを加えて凍結乾燥下場合炭化過程で融合が起こり、塊状になったのに対して(Fig.6-1)、銀を添加した場合は全体がフィブリル状の形状を保ったまま炭化することがわかった(Fig.6-2)。

Fig.2-1 X-ray diffraction profiles of tension wood during temperature scan from room temperature to 360℃.

Fig.2-2 The change in X-ray diffraction profile of tension wood by 320$℃ isothermal treatment.

Fig.2-3 The change in relative intensity (●) and crystallite size (□) during 320℃ isothermal

Fig.2-4 Schematic representation of thermal decomposition of cellulose crystallites.

Fig.3-1 TG curves of cellulose with and without sulfuric acid carbonized at 800℃.

Fig.3-2 FinaI yield at 800℃ plotted against added H2SO4 per diy cellulose.

Fig.3-3 Surface area of char cellulose carbonized at 800℃

Fig.3-4 Scanning electron micrographs of the starting cotton (A), carbonized cotton with (B) and without (C) sulfuric acid-impregnation at 800℃

Fig.3-5 EDXA signal of sulfuric acid-impregnated (5.6%) cotton cellulose carbonized up to 800℃. Excitation energy of each element is indicated in parentheses.

Fig.4-1 TG curves of hardwoods and sofiwoods with and without sulfuric acid carbonized at 800℃.

Fig.4-2 Final yield at 800℃ plotted against added H2SO4 per dry wood.

Fig.4-3 Surface areas calculated from adsorption isotherms of char wood carbonized with and without sulfuric acid impregnation at 600℃ and 800℃.

Fig.4-4 Dimensional change of the wood sample carbonized with and without sulfuric acid impregnation at 600℃ and 800℃.

Fig.4-5 Photographs of control wood block (A) and carbonized with (B) and without sulfuric acid impregnations at

Fig.4-6 Scanning electron micrographs of the starting coffon (A), carbonized spruce with (B) and without (C) sulfuric acid-impregnation at 800℃.

Fig.5-1 X-ray patterns of original cellulose (I), amorphous carbon (500℃, II), and graphite (2000℃, III) for four types of cellulose. All samples except for ramie (row D) were in the form of unoriented pellet. Rarnie was pressed as fiber bundle and mounted as X-ray diffraction sample retaining the shape. Diagrams show BC (A), Cladophora (B), Halocynthia (C), and ramie (D).

Fig.5-2 TEM image of graphite from BC cellulose.

Fig.5-3 TEM image of graphite from Cladophora.

Fig.5-4 TEM image of graphite from Halocynthia.

Fig.5-5 TEM image of graphite from ramie.

Fig.5-6 X-ray patterns of TENCEL and cellulofine cellulose graphitized at 2000℃.

Fig.6-1 TEM image of freeze-dried Halocynthia cellulose with sulfuric acid impregnation, carbonized at 600℃.

Fig.6-2 TEM image Halocynthia cellulose after remover of silver by 50% nitric acid.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は地球上のバイオマスの圧倒的多量を占めるセルロースを炭素材料の原料として活用するための基礎研究である。論文は第1〜7章からなる。

 第1章は序論であり、炭素材料の概要と、木材・セルロース等の熱分解による炭化挙動およびそれによって得られる炭素材料の特徴、用途、問題点を整理した上で、現時点でセルロース系資源の炭化挙動の再検討と新規材料の開発の意義、そのための本研究の位置付けを述べている。

 第2章「木材中のセルロース微結晶の崩壊過程」では高純度・高配向のセルロースを含む木材試料を用いて、セルロース結晶の熱的崩壊の挙動をX線回折により詳細に解析した。そして結晶の崩壊は300〜360℃の範囲で急速に進むこと、定温処理においては320℃が臨界温度であって、この温度での定温処理においては30分〜60分の間にゆっくりと崩壊することを明らかにした。この際特徴的なことは、結晶化度の低下に結晶サイズの減少が伴わないことである。これを説明するために、微結晶は周辺から一様に崩壊するのではなく、各々の縦方向に進むかあるいは、いったん崩壊し始めた微結晶は他のものを残して急速に分解するというモデルを提案した。

 第3章「セルロースの炭化における脱水触媒の作用」はセルロースの炭化収率を改善するための試みである。炭素繊維の製造におけるセルロースの欠点の一つは炭化収率の低いことであるが、これを克服するために、硫酸によるセルロースの黒化現象に着目し、セルロースに希硫酸を含浸したときの炭化挙動を調べた。熱重量分析の結果、硫酸の添加はセルロースの炭化に大きな影響を及ぼし、(i)分解開始温度が320℃から150℃に下がる、(ii)600〜800℃での炭素収率が大幅に向上し、理論値である44.4%に近い38%程度となること、を見出した。また綿繊維のSEM観察から、繊維の収縮と変形も抑えられることが分った。

 第4章「木材の炭化における脱水触媒の作用」では第3章の方法を木材ブロックに適用し、この場合も収率向上と収縮抑制の効果が顕著であることが分った。得られる炭素は500〜600m2/gの窒素吸着比表面積を持ち、硫酸無添加の場合よりも20%程度大きかった。すなわち硫酸は収率向上と同時に一定の賦活効果も持つことを明らかにした。また、硫酸なしの炭化では昇温速度が大きいと比表面積が大幅に低下するが、硫酸添加の場合はこの影響がほとんどなくなった。SEM/EDXA分析の結果、600℃まで過熱した炭化物はイオウをほとんど含まず、ほぼ純粋な炭素であったので、他の脱水剤(塩化亜鉛、リン酸など)の場合のような手間のかかる水洗操作が不要となる。第3章、4章を総合すると、硫酸添加によるセルロースの炭化は効率の良い活性炭製造技術の基礎として重要な知見といえる。

 第5章「高結晶性セルロースの黒鉛化」では従来活用されていない海藻、ホヤ、およびバクテリアの作る高結晶性セルロースの炭素材料としての可能性に着目し、これらを2000℃まで熱して得られるグラファィトの構造を調べた。一般に有機物の熱処理で得られるグラファイトの微細構造は、原料のそれに大きく影響されるが、セルロースの場合もたしかに元物質の結晶性が顕著な影響を及ぼし、上記の各試料から得られるグラファイトのグラフェン面の重なり秩序の程度は元のセルロースの200面の厚さと高い相関があること、また電子顕微鏡観察によればこれらの黒鉛は元のセルロースのミクロフィブリル構造を反映したフィブリル状構造を部分的に形成することを明らかにした。これらの知見はナノメートルオーダーのグラファイト棒状粒子を調製する技術につながる可能性をもつものである。

 第6章「凍結乾燥および銀付着によるミクロフィブリル状炭素の調製法の試み」では、第5章で得られたフィブリル状炭素をさらに効率よく作るための技法の探索である。単純な加熱では上記試料のいずれも塊状の炭素が大部分であり、これはセルロースのミクロフィブリルが炭化過程で融合して生じると考えられるので、融合を妨げるような物質を共存させることによりフィブリル状物の割合を増やそうとするものである。そのための添加物として、銀鏡反応による微細銀粒子の付着を試みている。その結果、銀付着したホヤセルロースの炭化物は銀なしの場合と比べフィブリル構造が顕著に残存していることを見出した。この試料についてはグラファイト化の処理は未着手であるが、800℃炭化物がフィブリル状であることから、これを高温処理すればそのままの形で黒鉛化する可能性が高い。この知見は「カーボンナノロッド」材料の開発へ向けての重要な一歩と考えられる。

 以上を総合して本論文は学位授与の要件を満たすと判断される。また本論文内容の大部分は既に専門学術誌に発表されている。その内容は関連分野の学問・研究において重要な知見を含んでいるので、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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