学位論文要旨



No 115855
著者(漢字) 内田,元
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,ゲン
標題(和) 極限的薄壁近似が成り立たない場合の重力入り偽真空崩壊
標題(洋) False vacuum Decay With Gravity in Non-Thin Wall Limit
報告番号 115855
報告番号 甲15855
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3899号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 柳田,勉
 東京大学 教授 荒船,次郎
 東京大学 講師 和田,純夫
内容要旨 要旨を表示する

 重力の自由度を考慮したときの偽真空崩壊の研究は、これまで極限的な条件を満たすような非現実的なポテンシャルを持つ場に関するものに限られていた。本研究では、WKB近似のもと一般的なポテンシャルを持つ場に対して重力入りの偽真空崩壊を表すような波動関数を求め、崩壊確率を算出し、崩壊後の系の状態を同定した。

 場の偽真空とは、古典的には安定だが量子論的には安定ではない「真空」のことである。つまり、場のポテンシャルが図1のように二つの極小値をもち、そのうちの一つがポテンシャルの最小値で無い場合これを偽真空と呼ぶ。場が空間全体でこの偽真空を取るような配位はそのまわりのポテンシャル障壁のため古典的には安定だが、量子効果も考慮するとより安定な最小値の値の方(真の真空)に量子トンネルし、崩壊する。

 この偽真空崩壊に関する定量的な研究は、まずMinkowski背景時空上のスカラー場に対してColeman(1977)によってなされた。量子力学のトンネル問題のように、適当な境界条件を満たす波動関数を求め、その波動関数の崩壊前後における絶対値の二乗の比より、崩壊確率は求められる。WKB近似のもとでは、二つの状態の波動関数の比はBanks,Bender&Wu(1973)によると、Euclid古典運動方程式より得られる、二つの状態を結ぶ一径数の状態族より求まる。つまり、崩壊確率の導出のためには崩壊前後の状態を含むEuclid古典解をまず求める必要がある。対称性の高いものが最も崩壊確率が高いと考えられるので、条件を満たす対称性のうち、最も高いO(4)対称性をもつEuclid古典解をColemanはまず求めた。偽真空があるようなポテンシャルに対して、そのような解としてBounce解が存在する。これはEuclid Minkowski空間(IR4)の無限遠方にある三次元平面上で偽真空の値をとり、原点を通る三次元平面上で「偽真空中で真の真空泡が膨張する寸前の状態」をとるような解である。無限遠方の平面は崩壊前の状態と同定でき、原点を通る平面は崩壊直後の状態と同定できるので、この解より崩壊前後を結ぶ一径数の状態族を構成でき、これより前述の方法で崩壊確率e-(SB-SF)が得られる。ただしSBはBounce解の作用を表す。また、ここではV(φF)=0とおかずに、Euclid Minkowski空間上の至る所で場が偽真空の値をとるようなEuclid古典解(偽真空解)の作用を用いて崩壊確率を表した。

 次に重力の自由度を考慮した場合の偽真空崩壊の研究は、同様にO(4)対称性を仮定してColeman&De Luccia(1980)によってなされた。このとき重力とスカラー場とはカップルするので、重力を考慮していなかった場合とは異なり、スカラー場が配位する空間自体もスカラー場の値に応じて変化する。またポテンシャルエネルギーの原点も自由に決められない。このため崩壊中のポテンシャルエネルギーが正の場合、Bounce解を考慮する際のスカラー場が配位する四次元Euclid空間は、無限のIR4ではなく、コンパクトな有限の四次元球S4となる。ポテンシャルの形から、Euclid古典解は無限のEuclid時間をかけなければ偽真空に到達できないので、有限の四次元球上ではBounce解のスカラー場は偽真空の値をとらない。つまり、重力を考慮するとMinkowski背景時空のときのように、一般に崩壊前の状態(三次元面全面でスカラー場が偽真空をとる状態)を含むようなBounce解は存在せず、Minkowski背景時空上と同様の議論はできない。そこで従来は、ポテンシャルが適当な条件を満たしていてBounce解は崩壊前の状態を含んでいると仮定して議論が進められて来た。その結果、崩壊確率はe-(SB-SF)と算出され、またBounce解の解析接続により偽真空崩壊後は真の真空の泡が膨脹していくと同定された。崩壊過程でのポテンシャルエネルギーに対するポテンシャル障壁の曲率の比が十分に大きければ、このように崩壊前の状態を含むBounce解は存在すると考えられているのだが、この条件無しではスカラー場が「無限」のEuclid時間をかけなければ偽真空に到達できないことを考え合わせると、この比は「無限」でなければならないことが分かる。この条件をThin-Wall Limitと呼ぶが、このようなポテンシャルは明らかに非現実的である。

 しかし、重力を考慮した偽真空崩壊の理解は長らくこのThin-Wall Limitの条件を満たすポテンシャルを持つ場に限られていた。現実的なポテンシャルに対してもナイーブにその結果を演繹するだけであった。このため、オープンインフレーションモデル(宇宙の密度パラメーターΩ0が10-4の精度で1に近くないような開いた宇宙をその一様性とともに説明するモデル)においても、重力入りの偽真空崩壊がその鍵になっているにも関わらず、Thin-Wall Limitを前提としていた。この問題は重力の量子的な性質を反映したものであり、現実的なポテンシャルに対してその崩壊確率を計算し、崩壊後の系の状態を同定することは、重力の量子的な性質に関する理解を深める上でも重要であり、またその応用上の観点からも大切である。

 そこで本論文では次の様に考え、重力入りの偽真空崩壊を表すような波動関数を求め、崩壊確率を算出し、崩壊後の系の状態を同定した。重要であることは適当な境界条件のもとで一意的に決まっている波動関数を求めることであるが、Banks,Bender&Wu(1973)の方法では、Euclid古典解から配位空間上の二状態を結ぶ一径数の状態族を構成できれば、その状態族を用いてその状態間のWKB波動関数の比を求めることが出来るということに注目する。いまの場合、崩壊前後の状態を結ぶ一径数の状態族はEuclid古典解であるBounce解からは構成できないが、Bounce解と偽真空解から一径数の状態族の構成の仕方によっては別の状態間のWKB波動関数の比が得られる。特に、Bounce解から崩壊後の状態とa=0付近の状態とを結ぶ一径数の状態族を構成でき、偽真空解からは崩壊前の状態とa=0付近の状態とを結ぶ一径数の状態族を構成できることに注目する。ただし、これらのa=0付近の状態はそのスカラー場の値がφ1またはφFと異なるので、全く同じ状態では無い。しかし少なくともBounce解より新しく構成されたこの一径数の状態族を用いて、崩壊後の波動関数は進行波成分のみを持つというoutgoing境界条件より、φ=φ1のa=0付近の状態でのWKB波動関数が決まる。このa=0付近は量子力学の古典回帰点のように、ポテンシャルを簡単な形に近似できて、その近似のもと波動関数を求めることができる。波動関数にregularity条件を課すと、この波動関数の形は制限され、ポテンシャルエネルギーがブランクエネルギーよりも充分に小さいような、いま考えている系では、この近似が有効な範囲とWKB近似が有効な範囲が重なるので、この波動関数と崩壊後の状態から求めたWKB波動関数をmatchingすることができ、a=0付近の波動関数が決まる。この波動関数はa=0付近でφ方向に広がった波動関数なので、同様に崩壊前の状態とφ=φFのa=0付近を結ぶWKB波動関数とmatchingすることができる。結果、outgoing境界条件とregularity条件を満たす、崩壊前後を結ぶ波動関数が求められた。この波動関数から求められる崩壊確率はe-(SB-SF)であり、また崩壊後は真空の泡が膨脹していくとBounce解を解析接続することにより同定できた。

 図1:

審査要旨 要旨を表示する

 初期宇宙の標準理論となっているインフレーション理論では、インフラトン場と呼ばれるスカラー場に起因する真空のエネルギーによって宇宙は指数関数的膨張をする。この膨張は真空の相転移によって真空のエネルギーが熱エネルギーに転化されることによって終了する。真空の相転移が1次相転移である場合、エネルギー状態の高い”偽”真空の領域内に、エネルギーの低い”真”真空の泡が核生成されそれが全空間を覆うことによって終了する。また、最近オープンインフレーション理論が提唱され、この理論では、一つの泡の中を、我々の住む宇宙と同定することができる。しかしこの理論に応用する場合、泡の核生成に重力の効果が顕著になる場合を考えなければならない。

 本論文は、WKB近似のもと一般的なポテンシャルを持つ場に対して重力の効果を考慮した偽真空崩壊を表す波動関数を求め、崩壊後の系の状態を同定し、崩壊確率を算出しこの問題に大きな知見を与えている。

 重力を考慮した場合の偽真空崩壊の研究は、Coleman&De Luccia(1980)によって始められた。重力とスカラー場が結合することにより、重力を考慮していなかった場合とは異なり、スカラー場が配位する空間自体もスカラー場の値に応じて変化する。またポテンシャルエネルギーの原点も自由に決められない。このため崩壊中のポテンシャルエネルギーが正の場合、バウンス解を考慮する際のスカラー場が配位する四次元ユークリッド空間は、無限のIR4ではなく、コンパクトな有限の四次元球S4となる。ポテンシャルの形から、ユークリッド的古典解は無限の虚時間をかけなければ偽真空に到達できないので、有限の四次元球上ではバウンス解のスカラー場は偽真空の値をとらない。つまり、重力を考慮するミンコフスキー背景時空の場合のように、一般に崩壊前の状態(三次元面全面でスカラー場が偽真空をとる状態)を含むようなバウンス解は存在せず、ミンコフスキー背景時空上と同様の議論はできない。そこで従来は、ポテンシャルが適当な条件を満たしていてバウンス解は崩壊前の状態を含んでいると仮定して議論が進められて来た。その結果、崩壊確率はe-(SB-SF)と算出され、またバウンス解の解析接続により偽真空崩壊後は真の真空の泡が膨脹していくと同定された。崩壊過程でのポテンシャルエネルギーに対するポテンシャル障壁の曲率の比が十分に大きければ、このように崩壊前の状態を含むバウンス解は存在すると考えられているが、この条件無しではスカラー場が「無限」の虚時間をかけなければ偽真空に到達できないことを考え合わせると、この比は「無限」でなければならないことが分かる。この条件をThin-Wall Limitと呼ぶが、このようなポテンシャルは明らかに非現実的である。

 本論文では、この問題を解明し、崩壊確率を計算するため、重力の効果の含まれた偽真空崩壊を表すよう波動関数を求め、崩壊確率を算出し、崩壊後の系の状態を同定している。Banks,Bender&Wu(1973)の方法では、ユークリッド古典解から配位空間上の二状態を結ぶ一径数の状態族を構成できれば、その状態族を用いてその状態間のWKB波動関数の比を求めることが出来る。崩壊前後の状態を結ぶ一径数の状態族はユークリッド的古典解であるバウンス解からは構成できないが、バウンス解と偽真空解から一径数の状態族の構成の仕方によっては別の状態間のWKB波動関数の比が得られる。特に、バウンス解から崩壊後の状態とa=0付近の状態とを結ぶ一径数の状態族を構成することが可能で、偽真空解からは崩壊前の状態とa=0付近の状態とを結ぶ一径数の状態族を構成できる。ただし、これらのa=0付近の状態はそのスカラー場の値がφ1またはφFと異なるので、全く同じ状態では無い。しかしバウンス解より新しく構成されたこの一径数の状態族を用いて、崩壊後の波動関数は進行波成分のみを持つという出立境界条件より、φ=φ1のa=0付近の状態でのWKB波動関数が決まる。このa=0付近は量子力学の古典回帰点のように、ポテンシャルを簡単な形に近似することが可能で、その近似のもと波動関数を求めることができる。波動関数に正則条件を課すと、この波動関数の形は制限され、ポテンシャルエネルギーがブランクエネルギーよりも充分に小さいような系では、この波動関数と崩壊後の状態から求めたWKB波動関数を接続することが可能で、a=0付近の波動関数が決まる。この波動関数はa=0付近でφ方向に広がった波動関数であるので、同様に崩壊前の状態とφ=φFのa=0付近を結ぶWKB波動関数と接続することができる。このようにして、この論文では出立境界条件と正則条件を満たす、崩壊前後を結ぶ波動関数が求めている。この波動関数から求められる崩壊確率は、WKB近似の範囲で、前に示したバウンス解の方法で求めた値、e-(SB-SF)と同じである。このように申請者は、従来根拠の弱かったバウンス解の方法が寸WKB近似の範囲で正しいことを明らかにしている。

 この様に、申請者は重力の効果が顕著な場合について、偽真空の崩壊について極めて緻密な解析をおこなった。その結果、WKB近似のもと一般的なポテンシャルを持つ場に対して重力の効果を考慮した偽真空崩壊を表す波動関数を求め、崩壊後の系の状態を同定し、崩壊確率を算出しこの問題に大きな知見を与えた。

 この論文は,佐々木 節氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって計算、解析をおこなったもので,論文提出者の寄与は十分おおきかったものと判断した。したがって博士(理学)の学位を授与できると認める。

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