学位論文要旨



No 115876
著者(漢字) 寺嶋,容明
著者(英字)
著者(カナ) テラシマ,ヒロアキ
標題(和) ブラウン・エノーの中心電荷の経路積分による導出
標題(洋) Path integral derivation of the Brown-Henneaux's central charge
報告番号 115876
報告番号 甲15876
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3920号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,光裕
 東京大学 教授 寿栄松,宏仁
 東京大学 助教授 松尾,泰
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 教授 江口,徹
内容要旨 要旨を表示する

 負の宇宙項Λ=-1/l2がある(2+1)次元の重力理論には漸近的に3次元の反ド・ジッター時空になるような時空というものがある。1986年にブラウンとエノーは、このような時空の漸近的な対称性が2次元の共形変換であるということを示した。さらに、この対称性がハミルトニアン生成子によるポアソン括弧の代数によって正準的に表現されるということも示した。このときの表現は射影表現であり、重力の結合定数をGとすれば、c=3l/2Gという中心電荷の項を持っている。この中心電荷は、(2+1)次元重力理論のチャーン・サイモン理論による定式化やAdS/CFT対応によっても同様に求められている。

 このブラウン・エノーの中心電荷を使って、ブラックホールのエントロピーの起源を理解しようという試みが近年行われている。1973年ごろに、ブラックホールの物理と熱力学の法則に類似性があることが指摘されてから、ブラックホールの熱力学というものが考えられている。そこではブラックホールのエントロピーは、その地平面の表面積をAとすれば、A/4Gで与えられる。このエントロピーの起源の理解については、これまでさまざまなアプローチがなされてきた。ユークリッド化した作用の停留点での値を利用するものや量子的な状態の絡まり合いによるものなどいろいろなものがあるが、その中にブラウン・エノーの中心電荷と2次元共形場の理論におけるカーディーの公式を組み合わせたものがある。2次元共形場理論では状態数はビラソロ代数の中心電荷からカーディーの公式によって求めることができる。そこで、ブラックホールの熱力学の微視的な描像が何らかの2次元共形場理論で与えられると仮定し、中心電荷としてブラウン・エノーの中心電荷を用いるとブラックホールの状態数が計算できて、その答えの自然対数をとったものがブラックホールのエントロピーに一致するというものである。このアプローチは、はじめは(2+1)次元の重力理論におけるブラックホール解であるBTZブラックホールに対して適用されたが、現在では物質場のある場合やもっと高次元での場合にまで拡張されている。

 そこで、この論文ではもともと正準的に求められたブラウン・エノーの交換関係と中心電荷を経路積分による定式化によって導くことを考える。量子力学の定式化には正準量子化の方法と経路積分による方法があり、この二つの枠組みは等価であると信じられているので、正準的に求められたものは経路積分でも求められるべきであると考えられる。通常の場合、中心電荷は量子異常項であり、経路積分による定式化では経路積分の測度の変数変換のためのヤコビ因子として理解されている。それに対して、ブラウン・エノーの中心電荷はポアソン括弧の段階で生じているために古典的なものとして考えられている。そのため、ここではこのような古典的な中心電荷の起源が経路積分ではどのように理解されるかということを明らかにしたい。

 まず、電荷同士の交換関係を求めるためには電荷を定義する必要がある。ここではブラウンとエノーによる間接的な導出とは異なり、作用の変分から電荷を直接的に定義するということをおこなう。ハミルトニアン生成子の体積項の部分は拘束条件から成り、運動方程式を課せば消えてしまうので、電荷とはこの場合はハミルトニアン生成子の表面項の部分を指す。ブラウンとエノーの導出では、ハミルトニアン生成子は汎関数微分可能であるべきという要請から計算された。ハミルトニアン生成子の体積項を変分してみると余計な表面項がでてきてしまうので、そのままでは汎関数微分可能ではない。そこで、この表面項をうまく打ち消すようにハミルトニアン生成子に表面項を新たに導入するというものである。この方法では電荷の変分の表式が決定されてから、その積分として電荷を間接的に計算する。しかし、より一般的な状況ではこの積分が困難な場合がある。そこで、この論文では作用の変分から直接的に電荷を取り出すことを考える。そのため、この方法は一般的な状況にも容易に拡張できると考えられる。

 つぎに、経路積分に対して適当な積分変数の変数変換を考えて、ウォード・高橋恒等式を求めていく。まず考えられるのは漸近的な対称性そのものによる変数変換である。この漸近的な対称性を使った導出方法では中心電荷は電荷の変換則自体から生じるので、古典的な中心電荷とみなすことができる。これはちょうど、N=2の超対称性のある理論にあらわれるような中心電荷の場合と同じ現象となっている。一方、漸近的な対称性の1/r展開での最低次の部分のみの変換を使っても導出することができる。このときの中心電荷の起源は先の導出方法に比べて、より興味深いものとなっている。すなわち、中心電荷は経路積分の境界条件がその変換で変化してしまうことから生じるということがわかる。このことは、通常の量子的な中心電荷と対比して考えることができる。通常の量子的な中心電荷は経路積分の測度が不変でないことから生じるのに対して、古典的な中心電荷は経路積分の境界条件が不変でないことから生じると見なせるものであるといえる。このことは、N=2の超対称性のある理論にあらわれるような中心電荷もこのように理解できる可能性があることを示唆している。さらには、他の理論でも経路積分の境界条件が自明でないような場合には古典的な中心電荷が生じてしまう可能性があることを示唆しているといえる。

審査要旨 要旨を表示する

 ブラックホールのエントロピーは、その面積に比例するという、所謂 Bekenstein Hawkingのエントロピーの表式を、ミクロな立場から状態数の勘定によって正当化することは、長い間の懸案の一つであったが、弦理論の非摂動的励起の研究の副産物として数年前に大きな手がかりが得られた。その際に重要だったのは、共形対称性の同定と、それを支配する共形代数の中心電荷の導出であった。この中心電荷がわかれば、Cardyの公式を用いて、状態数密度の漸近形が求まり、それからエントロピーの表式が得られる。

 この議論を2+1次元に応用しようとするとき、問題となる共形代数としては、BrownとHenneauxによって導出されていた漸近的対称性の共形代数が何らかの役割を果たしていると予想されるが、まだいくつか明確にしなければならない問題があり、完全に決着したとは言えない。この代数に特徴的なのは、通常は量子的効果と思われる中心電荷が、古典的段階から現れているという点である。

 本論文では、エントロピーの問題はひとまずおいて、このBrown-Henneauxの中心電荷の起源を、経路積分の立場から分析することを目的としている。具体的に問題にしているのは、漸近的AdS3空間と呼ばれる、計量の漸近的振る舞いを規定された空間で、その漸近条件を保つような座標変換、すなわち漸近的対称変換を考える。その生成子のなす代数が共形場理論に現れるVirasoro代数に同型であり、中心電荷とは、その代数関係に現れる、全ての生成子と可換な項のことを指す。

 本論文では、まず、漸近的対称変換の生成子の表式を直接得るために、ハミルトニアン生成子の導出に際し、表面項を厳密に取り扱うことによって、変換生成子を得た。Brown-Henneauxのオリジナルな導出では、Regge-Teitelboimの手法に従い、体積項の変分から出る表面項を打ち消す条件により、ハミルトニアン生成子の表面項の変分を決め、これを積分することによって表面項を決定するという間接的な方法であったが、本論文で使われた方法は、ハミルトニアン生成子の導出段階から表面項を正しく取り扱って、直接その形を決定するものであり、積分によって生ずる不定性を極力抑えている。

 次に、それら変換生成子の代数関係を決めて、中心電荷を導くために、経路積分を用いている。具体的には、経路積分からWard-Takahashi恒等式を導き、そこから変換生成子そのものの変換を決定することにより、中心電荷の表式を得た。

 しかし、これだけでは中心電荷の起源があまり明確ではない。そこで、本論文では、次のような方法を用いてより詳しくその出方を解析している。すなわち、漸近的対称変換は、動径座標γの逆べきで展開できるが、そのleading termのみを残した変換を考えてみる。もちろんこれは、もはや漸近的対称変換ではない。このとき、先の生成子の変換の計算において、やはり中心電荷に対応するように見える項が現れるが、実はこれは生成子のシフトにより消すことができる。本当の(つまり生成子のシフトでは消せない)中心電荷は、Ward-Takahashi恒等式の計算において、経路積分の意味での境界条件がこの変換で不変ではないために付加項が現れ、そこから出てくることが導かれた。

 まとめれば、通常の量子的な中心電荷は、経路積分の測度が不変ではないために現れると理解することができるが、今問題にしている変換においては、経路積分の境界条件が不変ではないために現れたということができる。

 このような古典的中心電荷の理解が、他のシステムでも可能か、あるいは量子論起源の中心電荷と経路積分中で統一的に扱えるなどのメリットを生かした応用ができるかなど、今後の研究を待たねばならないが、中心電荷の新しい見方を提供しており、本論文における成果に十分な意義が認められる。

 よって審査員一同は、本論文提出者に対し博士(理学)の学位を授与できると認める。

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