学位論文要旨



No 115938
著者(漢字) 泉川,美穂
著者(英字)
著者(カナ) イズミカワ,ミホ
標題(和) ポリエーテル化合物の生合成経路及び生合成遺伝子の解析
標題(洋) Analyses of Biosynthetic Mechanisms and Cloning of Biosynthetic Genes for Polyether Compounds
報告番号 115938
報告番号 甲15938
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3982号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 海老塚,豊
 理化学研究所 主任研究員 長田,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 渦鞭毛藻Prorocentrum limaの生産するオカダ酸は、タンパク質脱リン酸化酵素に対する特異的な阻害作用を示すことから薬理学及び生化学分野で研究試薬として使用されており、現在最も重要な海洋天然物のひとつである。一方で、その生合成に関して酢酸などの早期前駆体を用いた13C取り込みパターンが解明された結果、放線菌などでの単純なC2伸長反応を主とするポリケチド生合成経路との顕著な相違がみられ注目されているが、詳細は不明である。筆者は修士課程において、分子状酸素、及び酢酸態酸素による酸素標識パターンをCollision-induced dissociation tandem mass spectrometry(CID-MS/MS)を用いて決定し、エーテル環形成経路、及び酸素官能基の形成に関する新たな知見を得ることが出来た。そこで博士課程において、同化合物の水分子酸素による標識パターンを決定し、放線菌Streptomyces albusの生産するポリエーテル化合物サリノマイシンの標識パターンと比較することで、これらの生合成経路での相違を推定した。さらにこの相違を生合成酵素レベルで考察することを目的に、両者の生合成遺伝子のクローニングを試みた。

【オカダ酸の水分子酸素による酸素標識パターン】

 オカダ酸生合成における骨格形成と官能基変換、特にエーテル環構築に関する知見を得る目的で、P.limaを17%H218O中で培養し、H218O由来酸素の標識位置の帰属を試みた。その結果、オカダ酸全酸素の12%に18Oの取り込みが認められ、MS/MS解析より、標識位置及び取り込み率を決定することができた(Figure1)。この標識パターンにおいて、各々の酸素原子間で顕著な取り込み率の差がみられることから、水和による交換が可能なカルボニルの還元が生じる時期の差が、水分子酸素による標識率の差に反映されていると考えられた。このことから、H218Oによる標識パターンを解析することによって、ポリケチド合成酵素(PKS)中での反応とその後に起こるエーテル環形成などの反応とが区別出来る可能性が示された。

【サリノマイシンの酸素標識パターン】

 渦鞭毛藻と比較する目的で、PKS中での炭素鎖伸長反応がより解明されている放線菌由来のポリエーテル化合物について酸素標識パターンを決定することとした。このうち放線菌Streptomyces albusが生産し、グラム陽性菌に対する抗菌活性を有するポリエーテル抗生物質サリノマイシンの生合成に関しては、酢酸及びプロピオン酸による13C標識パターンが決定されており、主鎖の一つおきにカルボニル炭素が取り込まれたポリケチド骨格を有していることが分かっているが、エーテル環形成に関しては不明である。そこでオカダ酸と同様に18O含有の分子状酸素、酢酸、及び水分子のいずれかの存在下での培養、及びそれぞれより単離した生産物の酸素標識パターンをCID-MS/MSにより決定し(Figure2)、渦鞭毛藻由来のオカダ酸と比較した。

 この標識パターンから、分子状酸素については予想どおり、前駆体のオレフィンに対して分子状酸素が付加してエポキシを形成したと推定される箇所に100%の18Oの取り込みがみられた。酢酸態酸素については、酢酸由来の酸素に顕著な18Oの取り込みがみられ、これに対してプロピオン酸由来の酸素には取り込みがみられなかった。水については、オカダ酸での酢酸由来の酸素は水によっては標識されず、分子状酸素と水分子酸素の両者から標識を受ける酸素があるのに対し、サリノマイシンについては、酢酸及びプロピオン酸由来の酸素が均一に水からの標識を受けており、アシルCoAの段階で既に水和による酸素の交換が起こっている可能性が示唆された。また、サリノマイシンの3箇所の分子状酸素由来酸素には、水分子酸素の取り込みは認められなかった。これらの結果から、渦鞭毛藻におけるオカダ酸の生合成経路が、アシルCoA生合成の場や分子状酸素による酸化といった基本的反応においても、放線菌とは顕著に異なっている可能性が示された。

生合成遺伝子のクローニング

 渦鞭毛藻と、放線菌それぞれについて、ポリエーテル生合成経路の相違を酵素レベルで解析することを目的に、両者の生合成遺伝子のクローニングを試みた。これまでに生合成遺伝子の研究がほとんどなされていない渦鞭毛藻については、既知PKSをプローブとしたサザンハイブリダイザーション、また渦鞭毛藻のゲノムDNAやmRNAより逆転写したcDNAを鋳型としたPCRによるスクリーニングを試みたが、目的とする遺伝子断片を得るには至らなかった。そこで、既存のPKS遺伝子の、基本的な縮合酵素の保存性の高い領域からデザインしたプライマーを用いて5'RACEによる増幅を試みたところ、いくつかの増幅断片を得ることが出来た。これらの配列解析をおこない既存のPKSとの相同性を検索したところ、タイプl型PKSと相同性を有することが分かった。

 放線菌に関しては、既知のタイプ1型PKS遺伝子において保存性の高い縮合酵素領域(KS)に基づいてプライマーをデザインし、ゲノムDNAを鋳型としたPCRによる増幅を試みた結果、679bpのDNA断片2種類を得た。これらをプローブとして、コロニーハイブリダイゼーションを用いてS.albusのコスミドゲノムライブラリよりスクリーニングを行い、強くハイブリダイズするクローンを選択した。このクローンについて制限酵素Bam H1で消化後、サザンハイブリダイゼーションを行い、縮合酵素領域を含むと考えられる約4.5kbpのDNA断片をサブクローニングした。これについて塩基配列及び対応するアミノ酸配列を決定し、既知の放線菌由来PKS遺伝子と比較した結果、タイプ1型PKSのKS、AT、KR領域をコードする遺伝子断片であると推定された。さらに、この4.5kmpの遺伝子断片がサリノマイシン生産に関わるかどうかを以下の遺伝子破壊によって確認した。すなわち、4.5kbpの遺伝子断片の中間に、生産菌であるS.albusが感受性を示すストレプトマイシンに対する耐性遺伝子aadを挿入し、形質転換のためのプラスミドを構築した。このプラスミドをエレクトロポレーションによってS.albusに導入した結果、ストレプトマイシン耐性を示すクローンを得ることができた。このクローンがサリノマイシン生産能を示さなかったことから、得られた4.5kbpの断片がサリノマイシン生合成におけるPKSの一部であると考えられ、ポリエーテル化合物に関して始めてその生合成遺伝子の一部を得ることに成功した。

Figure 1. 180-Incorporation of okadaic acid from H2 180. Figures on oxygen atoms denote incorporation ratios for mono[1800] okadaic acid anion(m/z805)in%.

 Figure2. 180-Labeling pattem of salinomycin.Figures on oxygen atoms denote incorporation ratios for tri[180]salinomycin anion m/z755(from1802)in%. Those for the other two are as in Figure1.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は全5章からなり、第1章は序論、第2〜4章が真核独立栄養生物である渦鞭毛藻と原核従属栄養生物である放線菌それぞれによる生理活性ポリエーテル化合物の生合成研究に関する本論、そして第5章は本論で述べた実験手順の詳細が記されており読者による追試が可能となっている。

 序論では、本論文での研究の背景として従来のポリエーテル化合物に関する生合成研究で何が解明されているかの概要が述べられており、本研究の位置付けが明確にてなっている。第2章ではここで研究対象として取り上げた渦鞭毛藻Prorocentru limaの生産するオカダ酸(1)に関して、本論文提出者が修士課程で得た成果を含む従来の生合成研究結果の詳細な記述に続き、この分子を構成するエーテルを始めとする各酸素原子め由来に関し、未解明であった水分子由辛の酸素原子の含有度を解析している。なおここでの研究では渦鞭毛藻の培養に高価な重水を用いる必要があり、本論文提出者が修士課程で開発、その有効性を証明した質量分析を用いる方法の適用による培養の小規模化により初めて可能となったものであり、全ての生物に関して前例はない。第3章では同法を用いて放線菌Streptomyces albusの生産するサリノマイシン(2)の酸素原子の由来に関し、酢酸、酸素、および水の各分子の寄与を、酸素同位体を含むそれぞれの共存下での培養と精製試料に関する質量分析により調べ、明解な解析結果を得ている。さらに以上を踏まえて両生物での生合成様式に関して、特に水分子での結果の明瞭な違いに基づく新規な仮説の提唱を含めた考察がなされている。

 第4章ではさらに上記化合物2種それぞれの生合成に関与する遺伝子を探索した結果について述べられている。すなわち、渦鞭毛藻からはポリエーテル生合成への関与が推定されているポリケチド合成酵素に対応する遺伝子のクローニングに成功し、この配列を決定している。さらに放線菌から同様にポリケチド合成酵素遺伝子をクローニング、配列決定し、遺伝子破壊法によりこれが2の生合成に関与することを証明している。なお、渦鞭毛藻の二次代謝物生産に関わる遺伝子レベルでの研究はこれまでに報告初がなく、ここで得た知見はこの先鞭をなすものであると同時に今後の研究に対する指針となるものと思われる。

 以上本論文の研究内容は、一部の単細胞生物により特徴的に生産されるポリエーテル系天然物の生合成に関して、化合物そのものに関する化学的研究から関与する遺伝子レベルでの研究と幅広くカバーされており、かつ近年可能となった最新手法をいち早く用いることで詳細に行なわれたもので、まだ多くが未解明である本分野での今後の研究発展に大きく貢献するものと判断できる。なお、本論文に記された実験、データ解析、および考察は質量分析測定部分の一部を除き全て論文提出者が自ら行なったものであり、その寄与は十分である。

 よって、本論文提出者である泉川美穂は、博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。

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