学位論文要旨



No 116131
著者(漢字) 安彦,泰進
著者(英字)
著者(カナ) アビコ,ヒロノブ
標題(和) スピネル型LiMn2O4のストイキオメトリーとリチウム脱挿入挙動の低温異常
標題(洋)
報告番号 116131
報告番号 甲16131
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4968号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 安井,至
 東京大学 助教授 宮山,勝
 東京大学 助教授 水野,哲孝
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 リチウムマンガンスピネル(LiMn2O4)或いはこの周辺の化合物は、安全性の高いリチウムイオン二次電池の、LiCoO2やLiNiO2に替わる安価な4v級正極用材料として注目され、実用から基礎に至るまで非常に多くの研究がこれまでに為されている。

 このホスト・ゲスト系(LixMn2O4)は、3つの明瞭な変曲点を持つ特徴ある電位(φ)-組成(x)曲線プロファイルを示す。Fig.1(実線)は室温におけるOCV曲線の典型例である。この図において、x<0.4の領域ではスピネルともう一つの立方晶相が共存するが、x>0.4ではスピネル型の単一相である。単一相領域にあるx=0.5近傍の領域で何故OCVが急峻になるかについては、従来、ダイヤモンド型配列を取る8a位置にあるLiイオンの規則化によるものと理解されてきた。Dahnら1)は、格子ガス模型を用いて平均場近似による計算を行い、最近接Li間の反発相互作用を37meV、第二近接の引力を-5meVとすると、x=0.5近傍に規則相が出現し、OCVプロファイルを説明できるとしている。

 つまり、これはx=0.5近傍は室温において既に規則相であるという立場である。一方、Kudoら2)はBethe近似と等価な配置エントロピーや1次元格子のそれから拡張される近似エントロピーを用いて不規則相中のLiの化学ポテンシャルを計算し、プロファイルの特徴が再現できることを示した(Fig.1,破線)。特に、後者のエントロピーを用い、最近接Liの反発を48meVとした場合のシミュレーションは実際の曲線とよく一致する。これを受け入れるのは、室温(298K)ではxの全領域にわたって未だ不規則相のままであるという立場である。

 本研究は、このように議論の多い電位組成関係の本質について、よりよい理解を得ることを目的として行った。そのため、特に低温でのOCVプロファイルの温度依存性を精密に観測した。また、その結果、観測されたプロファイルの低温異常とこの化合物の化学量論性の関係についても詳しく調へた。

2.実験

 試料は固相反応により次の様に合成した。LiとMnが所定のモル比となる様にLi2CO3及びMnCO3を精秤し、よく混合した後550℃で40時間仮焼する。更に750℃で24時間焼成、自然放冷後粉砕し再び750℃で48時間焼成したものを液体窒素中で急冷、試料Li1+yMn2-yO4(y=0-0.05)を得た。Li不足型の試料Li1-yMn2O4(0<y'〓0.05)も同様に合成した。粉末XRD測定の結果、いずれの試料も合成直後の室温下(T=298K)ではスピネル型立方晶の単一相が得られていることを確認した。更に、各試料について酸化還元滴定によりマンガン平均酸化数の決定を実行した。

 正規組成に近いLiMn204化合物は、室温直下でJahn-Teller構造相転移を起こすことが知られている。本研究での各試料の構造相転移はDSCにより223-323Kの温度範囲で観測した。測定に際しては試料粉末約10mgをA1セルに封入し、空気中、5K/minの速度で昇降温走査した。

 φ-x曲線の測定にはlMLiClO4/Propylene Carbonate溶液を電解質とする三電極セルを利用し、参照極・対極にはLi金属をニッケル網に圧着して使用した。試料電極はLiMn204,アセチレンブラック(導電助剤),テフロン(Polytetrafluoroethylene,結着剤)を重量比として7:3:0.5の割合で混合、所定の圧力を加えることにより直径13mmのペレット状とし、これをニッケル網で挟み込んだものである。ここで正極中に含有される正味のLiMn204試料は約70mgとなっている。

 φ-x曲線は三電極セル中、一定電流下でLiを引き抜きながら観測した。ここでの電流密度は0.428mA/g-LiMn204と小さく、濃度分極は無視し得ることを確認している。更に三電極セルはPeltier式小型電子恒温槽に入れることで温度を±0.1Kの精度により-20〜25℃の範囲で制御した。

3.結果及び考察

3-1.電位曲線の低温異常

 Fig.2に、各温度条件下で測定した電位曲線を示す。278K付近でプロファイルは一変し、それ以下の温度ではx=0.5の勾配がほとんど階段状になるとともに、x=0.7付近に新たなステップが生じる。このような電位曲線の低温異常は、本研究により初めて見出されたものである。

 これより、T≦278Kでは相I,II,IIIが存在し、電位平坦部はそれぞれの2相共存領域に相当すると考えられる(Fig.3)。つまり、x=0.5にLiのZnS型規則相が出現し、更にx=0.7近傍に新たな相が形成されると見られる。これらのうち前者は、室温下でx=0.5近傍領域が不規則相であるとすれば、より低温度での規則不規則転移の発現が予想されることから、この仮定に見合ったものとなっている。

 一方、x=0.7近傍の相の帰属については幾つかの可能性がある。これがLiの規則相形成によるものでないとすれば、正規組成(LiMn2O4)に近いスピネル型リチウムマンガン酸化物は室温直下でJahn-Teller構造相転移(立方晶⇔斜方晶)を起こすことが知られているので、これとの関連が特に問題となる。Fig.4において、相IをJahn-Teller歪みを発生した低温斜方晶相とすれば、相IIはLiの引き抜きにより歪みの解消した立方晶相と見ることが出来る。この仮定を検証するために、量論比の異なる試料を合成し、Jahn-Teller構造相転移の有無と電位曲線の低温異常の有無との関連について調べた。

3-2.電位曲線の低温異常とJahn-Teller構造相転移

 Table 1 は合成した各試料のキャラクタリゼーションの結果である。リチウム過剰型試料の価数はLi1+yMn2-yO4(Li[LiyMn2-y]O4)を仮定して計算される値とほぼ一致する。リチウム不足型試料の価数はやや不規則ではあるが、y'の増加に伴い減少する傾向が見える。また、格子定数もy'と共に大きくなる。従って、Li1-yMn204と書くよりはLiMnδMn2O4(δ=2-y'/(y'))と表す方が適当である。更に、これらのリチウム不足型試料では、酸素の解離を伴なう結晶構造の緩やかな経時的変化が存在することを確認した。

Jahn-Teller構造相転移は潜熱を伴なう一次相転移であり、DSCによりその追跡が可能である。Fig.4は正規組成試料についての測定結果であるが、1次相転移を示す明瞭なピークが見られ、昇温ピークのオンセット(Tc)は約300K、ヒステリシス幅は約10Kとなっている。このJahn-Teller構造相転移の発現の有無は試料の化学量論比に非常に敏感であり、正規組成より僅かに外れたものの測定結果ではピークの発生が見られない。

 Table 2は各試料でのJahn-Teller構造相転移と、電位曲線での低温異常の有無を比較したものである。この結果では、表中のリチウム不足型試料はいずれも電位曲線の低温異常を呈するが、Jahn-Teller構造相転移が観測されたのは、それらのうち最も正規組成に近い1つ(y'=0.02)だけである。一方でリチウム過剰型試料ではそれらの1つだけが電位曲線の低温異常を示すが、この試料はJahn-Teller構造相転移を示さない。このことからJahn-Teller構造相転移と低温異常の有無は対応していないことが分かる。よって、φ-x曲線の低温異常現象(x=0.7)の原因をJahn-Teller構造相転移に求めることはできない。

 以上より、φ-x曲線の低温異常(x=0.7)は、別の要因で起こっていることになる。但し、Liの配列の規則化によるとする考えでは、x=0.7に出現するステップはじかには説明し得ない。

 ここで、例えばマンガン格子における価数の規則配列等が原因として考えられる。実際に、スピネル型の16dサイトを占めるMnの一部をCrで置換した試料(LiCryMn2-yO4)では、置換量yの増加に伴ない徐々にx=0.7に出現するステップが減衰し、最終的に消滅することが確認されることから、マンガン格子の状態が強く関与していると予想される。

 今後、この低温異常現象の解明に関しては規則相のより直接的な観測が望まれる。

【参考文献】

1)Y.Gao,J.N.Reimers and J.R.Dahn,Phys.Rev.,B54,3878(1996)

2)T.Kudo and Hibino,Electrochimica Acta,43,781-789(1998)

Fig.1 Composition of a reported experimental φ-x relationship of LixMn2O4 and theoretical one.The Theoretical curve calculated using C=4 (corresponding to the diamond lattice), u=J/KT=1.86 and Es=4.17eV.

Fig.2 Temperature dependence of φ-x curves of stoichiometric LiMn2O4

Fig.3 Potential-Composition curve observed at 273K and its relation to likely phases(I,II,III and IV).

Table 1 The lattice paramenters,average manganese Valences and the total manganese contents of the samples.

Fig.4 DSC curves observed with stoichiometric LiMn2O4

Fig.5 DSC curves observed with some nonstoichiometric samples.

Table 2 The relation between Jahn-Terller phase transition and anomaly of φ-x curves at 273K.(○:existing,and △:not existing.)

Fig.6 Potential-composition curves for LiCryMn2-yO4 samples(0.02≦y≦0.2) at 273K.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、リチウムイオン二次電池正極用材料として広く期待を集めているスピネル型リチウム・マンガン酸化物LiMn204をとりあげ、このホスト・ゲスト系の充放電、つまり、リチウムイオンの電気化学的引き抜き・挿入に伴うリチウムイオン占有率と電位の関係について調べた結果を主内容とするもので、全七章より構成される。

 第一章は序論であり、リチウムイオン二次電池の概要について紹介し、本研究の研究対象物質であるLiMn204の特徴と、本研究の意義及び目的について述べている。

 第二章では、本研究の理論的背景として、ホスト・ゲスト系における組成(x)-電位(φ)関係の統計熱力学を一般的に論じるとともに、LiMn204の電位曲線プロファイルに関するこれまでの解釈について総説している。このホスト・ゲスト系(LixMn2O4)は、室温において3つの変曲点を有し、半占有状態(x=1/2)付近で勾配|dφ/dx|が急になるという特徴ある組成-電位プロファイルを呈する。これは、従来、ダイヤモンド型格子中のリチウムイオンのオーダリングによるものと理解されてきたが、Bethe近似に相当する配置エントロピー等を用いた最近のシミュレーションによれば、不規則・規則転移を待たずにプロファイルを再現できることなどの諸説を紹介し、研究を着手するに至った動機や解決すべき問題点を明らかにしている。

 第三章では、試料(LiMn2O4)の合成方法についてまとめるとともに、本研究で適用した組成-電位プロファイルの精密な測定方法について述べている。組成-電位プロファイルは、通常、一定量のゲスト(リチウムイオン)を引き抜き(または、挿入し)、濃度分布が緩和するのを待って開回路電圧(OCV)を測定するという操作を繰り返す間歇的な方法で求められる。

しかしここでは、プロファイルの微細な構造を観測するのに適する微弱定電流連続法について詳細に検討し、ほぼ組成-平衡電位とみなせるようなプロファイルを得るための諸条件を決定している。以下に述べるプロファイルの低温異常の全容は、この方法によってはじめて明らかになったものである。

 第四章では、これまでに報告のない低温におけるLixMn2O4系の組成-電位関係を以上の方法を用いて精密に測定し、プロファイルが278K付近で激変するという現象を発見すると共に、この変化が充放電の方向に依らず、温度変化により可逆的に生じる本質的な現象であることも確認している。低温プロファイルがx=0.5および0.7にステップを有し、それらの両側の電位は全く平坦であることから、それぞれの組成に新たな低温相が生じたものと考察し、ダイヤモンド型格子が半占有状態となるx=0.5のステップがリチウムイオンの真の規則相によるもので、室温のリチウムイオンは不規則状態であると主張している。x=0.7のステップの由来については、この化合物が室温直下でJahn-Teller構造相転移(立方晶⇔斜方晶)を起こすことが知られていることから、リチウムイオンの引き抜きによって低温斜方晶相の歪みが解消されることによって現れた、立方晶相である可能性を指摘している。

 第五章では、この可能性の当否を確認するために、LiMn2O4の非化学量論組成化合物を多数合成し、Jahn-Teller構造相転移と電位プロファイルの低温異常現象との対応を調べている。これは同相転移が試料の化学量論比に敏感なことに着目したためである。それら試料の室温直下でのJahn-Teller構造相転移の有無をDSCにより確認しつつ、電位プロファイルの低温異常の有無と比較し、これらに対応がないことから、組成x=0.7のステップはJahn-Teller構造相転移に直接関係しないことを明らかにしている。この結果を受けて、マンガン格子の状態変化がこの組成に低温相を生じさせているのではないかと着想し、16dサイトに存在するマンガンを部分的にクロムで置換した試料LiMn2-yCryO4(y=0.01-0.2)を合成、それらの組成-電位曲線の測定を行ったところ、Mnの置換量が増加するに連れて低温(273K)下の電位プロファイル中で、x=0.7付近のステップが徐々に減衰し、消滅していくことを見出している。これより、x=0.7付近のステップに対応する相はマンガン格子の状態に強く影響されたものであると推定している。

 第六章では、前章の研究の過程ではじめて見出された現象、すなわち、Li不足型リチウムマンガンスピネル(Li/Mn<0.5)の結晶構造が立方晶系から斜方晶系に徐々に転移するという経時的変化について調べている。この変化の過程における重量、密度及びMn平均価数の変化を調べた結果、合成直後では8aサイトにあるLiイオンに欠陥が生じたLixMn2O4(x=0.95-0.97)型の組成を持ち、その後時間の経過と共にMn過剰型(LiMn2+δO4,y/(2+δ=x/2)の組成へ変化していることを明らかにしており、酸素の脱離に伴ないJahn-TellerイオンであるMn3+が徐々に増加し構造が歪んでいくものと考察している。また、正規組成のLiMn2O4から電気化学的にLiを引き抜いたLixMn204型の試料でも同様に構造の経時変化が起こることも示している。

 第七章は本論文の総括であり、上記の研究成果を要約している。

 以上に述べたように、本論文は重要な電池材料であるスピネル型リチウム・マンガン酸化物について、その組成一電位プロファイルの低温異常現象を発見するなど、多くの興味深い知見を得ており、材料工学の進展に寄与するところ大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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