学位論文要旨



No 116152
著者(漢字) 竹本,真
著者(英字)
著者(カナ) タケモト,シン
標題(和) 混合金属錯体に関する研究 : 多核錯体の合成およびバイメタリックな反応性
標題(洋) Studes on Mixed-Metal Complcxes : Synthesis of Polynuclear Complexes and Bimetallic Reactivity
報告番号 116152
報告番号 甲16152
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4989号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 助教授 石井,洋一
 東京大学 助教授 畑中,研一
内容要旨 要旨を表示する

【1】緒言

 本研究では、水素分子と窒素分子の活性化に混合金属錯体を利用することに焦点を置いた。現在、窒素と水素からのアンモニァ合成(Haber-Bosch法)には高温高圧(500℃,300atm)の反応条件が必要とされており、これを常温常圧で行うことが可能になれば省エネルギーの観点からその意義は極めて大きい。

 窒素分子は熱的にも化学的にも極めて安定であるが、金属錯体に配位すると、金属から窒素への電子の逆供与により活性化され、ある種の窒素錯体では酸との反応でアンモニアを生成することが知られている。従って、水素分子(H2)をプロトン(H+)と電子(e-)あるいはプロトン(H+)とヒドリド(H-)へ分解し、金属上で活性化された窒素に作用させれば窒素と水素からアンモニアが得られると考えられる。

 この水素分子のプロトンと電子あるいはプロトンとヒドリドへの変換を触媒する生体内金属酵素(ヒドロゲナーゼ)が存在しており、その活性部位はニッケルと鉄がシステインチオラートで架橋された異種2核構造を有している。筆者はこのヒドロゲナーゼ機能を持つ化合物の開発を目的とし、ニッケル−鉄の組み合わせを始めとする混合金属チオラート錯体の合成に着手した。得られた錯体は水素分子に対して不活性であったが、その過程で一連の混合金属型多核チオラート錯体の合成に成功し、それらの構造と酸化還元挙動などを明らかにした。

 続いて、水素分子をacidicに活性化するルテニウム水素錯体と、窒素分子を活性化するタングステン窒素錯体を組み合わせたバイメタリックな系で、窒素ガスと水素ガスからアンモニアを合成する反応を検討した。

【2】混合金属チオラート錯体の合成

 本研究では、フェロセンジチオールをビルディングブロックとし、ヒドロゲナーゼに見られる鉄−ニッケルの組み合わせを始めとする混合金属チオラート錯体を合成した。

<鉄ー10族金属異種2核錯体およびそれらを前駆体とする3核錯体の合成>

 3級ホスフィンを補助配位子に持つニッケル、パラジウム、白金の2価錯体と1,1'-フェロセンジチオール(1)との反応により、鉄と10族遷移金属から成るチオラート錯体2および3を合成した(図1)。錯体2はフェロセンの鉄からニッケルへの弱い供与結合が存在するが、この構造は電子供与性の強いPMe2Ph配位子の存在により安定化されている。

 これらの錯体は酸化還元活性なフェロセニル基を含んでいるため、その酸化を検討し、錯体3と1当量の[Cp2Fe][PF6]との反応で、2つの「M(dppe)]フラグメントがフェロセンジチオラートで架橋された3核錯体4およびポリジスルフィド5を与えることを明らかにした(式1)。本反応では初めに生成する1電子酸化体が原料錯体3とその2電子酸化体へと不均化し、この2電子酸化体からジチオラート基が還元的脱離して発生する配位不飽和な[M(dppe)]2+フラグメントが3のジチオラート配位子上に取り込まれるという反応経路で4が生成するものと推定される。

 さらに上記の反応では、錯体3がチオラート架橋錯体の良好な前駆体となることが示唆された。そこで、錯体3と[(η6-p-cymene)RuCl2]2をNH4PF6の存在下にアセトニトリル中室温で反応させることにより、異種3核錯体6を合成することに成功した(式2)。

<鉄ールテニウム異種3核、4核錯体の合成>

 ルテニウム錯体[(h6-p-cymene)RuCl2]2と1当量の1との反応では、2つのルテニウムが1,1'−フェロセンジチオラート配位子および塩素配位子で架橋された鉄−ルテニウム錯体7が得られるが、これを過剰のNa/Hgで還元することで、ルテニウム1価のチオラート錯体8へと誘導することができた(式3)。本錯体は、カルボニル配位子を含まないルテニウム1価の錯体として希な例である。

 ペンタメチルシクロペンタジエニル(Cp*)基を持つルテニウム錯体の合成も併せて検討しトリチァフェロセノファン9と[Cp*RuCl]4との反応で、Ru3Feの金属組成をもつ4核錯体10が得られることを明らかにした(式4)。

[3]W-Ru混合金属錯体系を用いた窒素分子と水素分子の反応

 当研究室では、モリブデンおよびタングステンのM(N2)2(PR3)4](M=Mo,W)型の窒素錯体上での窒素分子の反応について研究を行ってきた。これらの錯体に配位した窒素分子は金属からの電子の逆供与を受けて強く活性化されており、酸によるプロトン化では常温常圧でアンモニアへと変換される。

 窒素分子の反応として、水素分子との反応は常温常圧でのアンモニア合成につながる可能性があり、極めて魅力的である。しかしながら、これら窒素錯体と水素ガスとの反応では窒素分子が解離しヒドリド錯体を生成するのみで、アンモニアを得ることは出来ない。そこで水素分子をacidicに活性化する分子状水素錯体を利用することを考え、ルテニウム水素錯体13とタングステン窒素錯体11を55℃で反応させることにより別々の錯体上で活性化された窒素と水素が反応しアンモニアが生成することが見出された。(式5)。本研究では、この反応を詳細に検討した。

 この反応を様々なルテニウム水素錯体に対して行ったところ、アンモニアの収率はルテニウム水素錯体の配位水素の酸性度に大きく依存することが判明した。窒素錯体 11と種々のルテニウム水素錯体との反応(式6)の結果をTable1に示す。pKa=6.0の水素錯体14bの場合、アンモニアの収率は79%であるが、pK、値の増大、すなわち酸性度の低下に伴い収率は低下し、pKa=7.5の水素錯体15(dppm=Ph2PCH2PPh2)では34%、さらにpKaが10を超える弱酸性の水素錯体16および17を用いた場合アンモニアはほとんど得られなかった。すなわちこの反応では、ルテニウムに配位した水素分子の酸としての機能が重要であることが分かった。

 窒素錯体trans-[W(N2)2(dppe)2](18)からはアンモニァは生成しないが、水素錯体と室温で反応し、窒素錯体が2度プロトン化を受けたヒドラジド錯体trans-[WX(NNH2)(dppe)2]Xを与えた(式7)。18と種々の水素錯体との反応結果をTable2に示す。この結果から、pKa=7.5程度までの酸性を示す水素錯体ではヒドラジド錯体が生成し、pKa>10の水素錯体では窒素錯体のプロトン化が全く進行しないことが分かる。先のアンモニア生成における水素錯体13〜15と17〜18でのアンモニアの収率の差は、窒素錯体の最初のプロトン化が進行する場合としない場合の差であると考えられる。反応後には、ほぼ理論量のルテニウムヒドリド錯体が生成した。従って本反応系においては、ルテニウムに配位した水素分子が、プロトンとヒドリドへ開裂され、このプロトンがN-H結合の生成に使われるという図式が明らかになった。

 アンモニアの生成経路に関してさらに知見を得るべく、窒素錯体11と10当量の水素錯体trans-[RuC1(η2-H2)(dppe)2][OTf](14c;pKa=6.0)との反応を31P{1H}NMRで追跡し生成する錯体の同定を行ったところ、図2に示すようにタングステンのヒドラジド錯体20を経由していることが分かった。またルテニウムヒドリド錯体19の塩素とタングステン上のトリフラートが配位子交換を起こすことも明らかになった。

 このアンモニア生成反応では加熱を必要とし、室温ではヒドラジド錯体の段階までしか反応は進行しない。従って、ヒドラジド錯体が熱的に何らかの変化を起こし、その後さらに水素錯体によるプロトン化を受けアンモニアを与えるものと考えられる。実際、単離したヒドラジド錯体20を55℃に加熱すると錯体1モル当たり約0.5モルの窒素ガスと、0.15モル程度のアンモニァを与える。しかし、ヒドラジド錯体以降、タングステン錯体の同定は困難で、ヒドラジド配位子がアンモニアへ変換される詳細な機構は不明である。

 結論として、本反応ではタングステン錯体の配位窒素が、ルテニウムに配位することでブレンステッド酸性が著しく増大した水素分子と反応し、段階的にプロトン化を受けアンモニアヘと変換される。水素分子はプロトンとヒドリドとにヘテロリティックに解裂されており、プロトンのみがアンモニア生成に利用され、ヒドリドはルテニウム上に残っている。窒素をアンモニアへと還元するために必要な電子はゼロ価のタングステンから供給されている。

 残りのヒドリドをこの還元に利用できれば常温常圧に近い穏和な反応条件でアンモニアを合成する触媒反応系が実現するものと考えられる。

図1

Table 1

Table 2

図2

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、常温常圧に近い穏和な反応条件下に窒素分子と水素分子から直接アンモニアを合成する新規な窒素固定法の開発を研究目的とし、窒素分子、水素分子それぞれを活性化する金属錯体を組み合わせた混合金属錯体系を利用したアンモニアの合成、およびそれに関連した水素分子の活性化を促進する混合金属錯体の合成について述べたものであり、全5章により構成されている。

 第1章では序論として、金属錯体上へ配位させた窒素分子が、中心金属からの電子供与と外部からのプロトン供給により、常温常圧でアンモニアへと変換されるという原理に着目し、水素分子を別の金属錯体上で活性化し、プロトンと電子あるいはヒドリドという形式で配位窒素分子へと作用させるという方法による、穏和な反応条件下でのアンモニア合成の可能性を提案するとともに、水素分子のヘテロリティックな活性化を含む素反応および、触媒反応の実例を概観している。

 第2章では、タングステン窒素錯体とルテニウム分子状水素錯体とを組み合わせた混合金属系におけるアンモニア合成反応について検討した結果について述べている。タングステン錯体上で活性化した窒素分子から、種々のルテニウム錯体上で活性化した水素分子との反応により、常圧、55度という穏和な反応条件下にアンモニアが得られることを明らかにし、さらにとの混合金属系においては、アンモニアの生成には少なくともpka 8程度の配位水素の酸性度が必要であることを明らかにしている。反応系中における錯体の挙動にも注目し、ルテニウムに配位した水素分子によるタングステン上の配位窒素分子の段階的なプロトン化が進行していることを明らかにするとともに、配位窒素分子が2度のプロトン化を受けた中間体であるヒドラジド錯体を単離し、X線構造解析によりその構造を決定している。また、同時にルテニウムのヒドリド錯体の生成を確認することにより、タングステンに配位した窒素分子がルテニウムに配位した水素分子を求核的に攻撃することで水素分子がヘテロリティックに開裂するとともに窒素ー水素間に結合が形成されることを示し、水素分子のヘテロリティックな活性化が窒素分子と水素分子からのアンモニア合成に有効であると結論づけている。

 第3章では、水素分子のヘテロリティックな活性化を行う反応場としての金属ーアミド結合について述べている。独自に設計したジアミドチオエーテル型の新規な3座配位子を用いて、ルテニウムを始めとする後周期遷移金属のアミド錯体を合成し、それらの構造の詳細を明らかにしている。さらに、窒素分子の水素化には至っていないものの、得られたアミド錯体がニトリルの炭素ー窒素3重結合の水素化に触媒活性を示すことを明らかにしている。

 第4章では、水素分子をプロトンと電子へと変換する金属酵素ヒドロゲナーゼが、システインチオラートに囲まれたニッケルイオンと電子伝達に寄与する鉄硫黄クラスターを含むことに着目し、ニッケルおよび同族のパラジウム、白金について酸化還元活性なフェロセンジチオラート配位子を有する錯体を合成し、その構造の詳細を明らかにしている。これら複核ジチオラート錯体の1電子酸化により、もう一つの10族金属フラグメントがジチオラート配位子上へ取り込まれた3核錯体が得られることを見出している。また、ジチオラート配位子上へルテニウムを取り込んだ異種金属3核錯体の合成にも成功している。

 第5章では、ルテニウムを含むチオラート錯体の合成について述べており、2価のアレーンルテニウムフラグメント2つがフェロセンジチオラート配位子で架橋された異種3核錯体を合成し、その酸化還元挙動を明らかにしている。さらにルテニウムが2価から1価べ還元された錯体の単離に成功するとともに、得られた錯体の親電子試薬との反応性を明らかにしている。また、シクロベンタジエニル基を配位子とするルテニウムフラグメントを用いた場合には、3価のルテニウム2つと4価のルテニウムがフェロセンジチオラート基に結合した不完全キュバン型の四核クラスターが得られることも明らかにしている。

 以上のように本論文では、窒索分子と水素分子から穏和な反応条件下にアンモニアを合成する反応をタングステン窒素錯体とルテニウム分子状水素錯体からなる混合金属系を利用して詳細に検討すると同時に、水素分子をヘテロリテイックに活性化する新規な貴金属アミド錯体を開発している。さらに、金属酵素ヒドロゲナーゼに関連して、8族および10族遷移金属を同一分子内に含む混合金属型のチオラート錯体の合成にも成功している。これらの結果は錯体化学、有機金属化学、および触媒化学の進展に寄与すること大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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