学位論文要旨



No 116210
著者(漢字) 千,小乙
著者(英字)
著者(カナ) チョン,ソウル
標題(和) 脱硫石膏を利用した中国東北部におけるアルカリ塩類土壌の改良
標題(洋)
報告番号 116210
報告番号 甲16210
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2240号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

 FAO(国連世界食糧農業機構)によると内陸の河川や湖沼の面積を除く地球の内地面積は約130億haで、そのうち主食である穀物や芋類を生産する主な農地は13億haである。このことは人類がわずか約10%に過ぎない限りある農地面積を利用し、約60億人の食糧を生産していることを示している。一方、UNEP (国連環境計画)の調査では、自然的または人為的要因によりこれまで約20億haに及ぶ面積の土壌劣化が生じており、さらに今後20年間で約1億4千万haもの肥沃な農地が土壌劣化によって失われると予想されている。これは現在農地として使われている面積の約10%にも相当するものであり、このような状況のもとでの食糧問題の当面課題はアフリカ、アジアの開発途上国における高い人口増加率とそれを支える土壌の生産性減退、食糧生産大国アメリカにおける土壌劣化(塩類化と侵食)ならびに中国及びインドのような人口大国における食糧自給の維持などであろう。食糧問題を抱えている人類の農業における課題とは、主要な農地の地力維持・向上を図るとともに生産性の低い土壌あるいは問題土壌に対し積極的な改良を行い、安定な食糧生産のための土壌資源を確保することである。

 本研究では、食糧を増産していくための新たな土壌資源として現在使用不可能な不良土壌である塩性土壌群(表)の改良に焦点をあてた。特に中国東北部のアルカリ土壌及びアルカリ塩類土壌を対象に従来改良材として用いられてきた石膏にかわって(1)火力発電所等からの副産物として大量に生成される脱硫石膏(石膏成分約88%)を用いる可能性を検討するとともに(2)アルカリ塩類土壌改良における脱硫石膏の限界を補うため、塩性土壌の化学的改良材(chemical amendments)のうち、脱硫装置の脱硫過程でSOxガスの吸収方法をかえることにより得られるFeSO4及びH2SO4を用いアルカリ塩類土壌に対する効果を従来の石膏と比較した。また、(3)化学的土壌改良材を用いない改良の方法を試みるためCO2による土壌改良効果(有機物から発生するCO2を利用した方法)などを検討することでアルカリ塩類土壌修復に対する具体的な提案を行った。

1. 中国東北部アルカリ土壌及びアルカリ塩類土壌地帯の土壌改良

 塩性土壌類(salt-affected soils)は主に乾燥地または半乾燥地の農耕地に分布する土壌劣化を起こした土壌である。しかし、我々の食糧のうちコムギ、ダイズ及びトウモロコシは大部分が乾燥地または半乾燥地で生産されているほど乾燥地農業は重要である。乾燥地域では気温の日較差が大きく、岩石は化学的な風化とともに強い物理的風化を受けるので風化の速度は加速され多量の塩類が生じる。しかも降水量が少なく地下への浸透量が少ないため、風化と共に生じたイオンは表層に濃縮・蓄積され潜在的な塩性土壌群となる。これら塩性土壌群の農業における問題としては、(1)土壌溶液の塩類濃度が一定の限界値(通常、ECse>2.0 dSm-1)を超えると植物の成長が急激に低下すること、(2)特定元素(Na+、Cl-、若しくはBなど)による植物成長の阻害、及び(3)高pHによる肥料成分の不給化などがあげられる。実験を行った遼寧省藩陽市郊外、康平県(42°70'N,123d°50'E)に分布するアルカリ土壌は高pHのほかに、強い緩衝効果の原因となる方解石(CaCO3)を3.0〜3.8%と多量に含んでおり、硫酸根(SO42-)の濃度が著しく低く、部分的にアルカリ塩類土壌の発生が見られた。

 土壌粒子は一般に陰荷電を持つが、Na+イオンを吸着しNa型粘土となった土壌は高膨潤性及び難透水性を示す。これはNa型粘土をとり囲む電気二重層が広く発達し、荷電したNa粒子間に働く反発力はより広い範囲に作用するからである(1価イオンの場合2価イオンにくらべると個々の粘土粒子を凝集させる力が半減するからである)。したがって多量のNa+イオンで飽和された土壌は土壌粒子が分散(dispersion)するために団粒を形成できず、土壌は孔隙の少ない極めて緻密な状態になっている。その結果、土壌は構造性のないナトリック層(Natric horizon)を作り、透水性は著しく低下し、リーチングによる除塩効果はほとんど期待できなくなる。このような土壌の改良においては粘土表面負電荷が中和され全体的には中性を保っているので過剰のNa+イオンのみを系外に取り出すことは不可能である。しかし、ターゲットとなるNa+イオンを他の陽イオンに交換し除去することで系の電気的中性は維持しながらNa+イオンを追い出すことができる。すなわち、アルカリ土壌の改良材として一般的に用いられる石膏(CaSO4)による改良メカニズムは、CaSO4から2価のCa2+イオンが供給されることにより、粘土コロイド表面に吸着しているNa+イオンをCa2+イオンで置換する「イオン置換反応(ion exchange effect)」によるものである。安価で供給できる土壌改良材として脱硫石膏(by・product of flue gas desulfurization)を用いた実験結果によると脱硫石膏の施用(6〜23ton ha-1)はアルカリ土壌の化学性を改良(主にpHと水溶性Na+イオンの低下)し、トウモロコシ生産の著しい増産(1999年Field Experiment IIの結果、生産量の約25%増加)をみせた。また、これらの効果は持続性があることも確認された(Field Experiment I、最低4年間以上)。しかしながらクロロシス(chlorosis)が発生すること及び部分的に発生していたアルカリ塩類化した土壌では正常な植物の生産が行われなかったことなど脱硫石膏の限界性も確認された。

2. アルカリ塩類土壌に対する化学的土壌改良材(chemical amendments)の効果

 圃場実験の結果、脱硫石膏はアルカリ土壌に対する改良効果は認められたが、アルカリ塩類土壌の改良に対しては限界があることがわかった。そこで、アルカリ塩類土壌の新たな改良法が求められた。康平県のアルカリ塩類土壌はアルカリ土壌に比べ、より多量のNa+とCl-イオンを含むことを特徴とし、そのため難溶性改良材である石膏は十分なNa+イオンの除去及び透水性の改善を示さなかった場合や改良に伴い一時的に塩濃度が上がり土壌浸透圧の上昇が起きることが示唆された。そのため、実験室内でカラム実験を行い、他の土壌改良材として知られているFeSO4とH2SO4によるアルカリ塩類土壌の改良効果をCaSO4と比較し、その効果を解析した。これら改良材は石膏と同様に石炭の排煙脱硫方法の副産物として得ることができ、脱硫石膏と同等の経済的な改良材となる可能性がある。

石膏はNa-Caイオン置換反応に基づき粘土コロイドの分散を抑え、透水性を回復させるのに対し、FeSO4及びH2SO4は酸性の改良材であるため土壌pHを下げることでアルカリ成分(NaHCO3及びCaCO3など)を中和する。また、これらの改良は土壌中の方解石を可溶化させることでCa2+イオンを生じ、間接的にはNa-Caイオン置換反応も期待できる。実験結果によると1GR(gypsum requirement、要求される改良材量を飽和石膏水中のCa2+イオンと土壌中のNa+イオンとの反応量として求めcmol kg-1で表したもの。施用土壌の1GRは3.70cmol kg-1であった。)あたりのNa+イオン除去効果はCaSO4(6.42mmol 100g-1)<FeSO4(7、51mmol l00g-1)<H2SO4(8.72mmol 100g-l)であり、とくにH2SO4はCaSO4とFeSO4に比べ本実験では透水性(hydraulic conductivity)に対する著しい効果が確認された。また、これら酸性改良材処理区ではCaSO4区と異なりCaCO3減少と透水性上昇の間に高い相関性(FeSO4でR2=0.682***及びH2SO4でR2=0.602**)が認められた。このことからCaCO3が溶解され、生じた空隙が透水性の改善に繋がることが明らかとなった。しかし、これら酸性改良材の過剰の施用(1GR以上)は炭酸イオンの放出に伴うCO2発生及び土壌有機物の溶脱を促進させるなど実用化に問題を残した。

3. CaCO3-H20-CO2系を利用したアルカリ塩類土壌の改良効果

土壌中ではCO2分圧が大気のCO2分圧より著しく高いため、CO,が土壌溶液に溶け込み易く、その結果生じたH2CO3の溶解作用により土壌溶液のHCO3-イオン濃度が上昇する。土壌中のCaCO3(方解石)-H2O-CO2系では土壌水中のCO2溶存濃度が高まるとpHが下がり(H2Oと反応しHCO3オンを生成することでH+イオンが発生)、CaCO3の溶解が急増することが推定された。したがって、ある程度の水分と通気性が確保される条件下ではアルカリ塩類土壌中のCaCO3の溶解を高め、Ca2+イオンを供給させることが期待できる。そこで、これらの想定されたメカニズムを利用し土壌中の方解石を有効利用することでアルカリ塩類、土壌改良を試みた。実験系としてはCO2除去人工灌漑水(TW区)、CO2飽和水(+CO2区)、及びCO2を含まない人工灌漑水(TW+CO2区)を用いモデル灌漑実験を室内で行いCO2溶存水の有効性を検討した。また、有機物添加による間接的なCO2発生についても有効性の検討を行った。

 灌漑実験系(1GR、4.39cmol kg-1)の最終リーチング溶液のpHがTW+CO2区(pH8.7)<+CO2区(pH 8.9)<TW区(pH9.5)順であったこと及び最終Na+イオン除去量がTW区(3.03mmol 100g-1)<+CO2区(3.15mmol 100g-1)<TW+CO2区(3.47mmol 100g-1)順であったことからCO2はアルカリ塩類土壌のNa+イオン除去に有効であることが認められた。また、有機物添加実験によると有機物の添加は水溶性Ca2+イオンを増加させることは出来なかったが、土壌水中のCO32-イオン(P<0.001)、HCO3-イオン(P<0.001)、及びNa+イオン(P<0.05)濃度を減少させるのに有効性であることがわかった。土壌物理性の改良においてはリーチング溶液量の増加はあったものの透水性及び土壌硬度(consistency)においては有意差が認められなかった。以上の結果から本法は化学的改良材(CaSO4、FeSO4、及びH2SO4)に比べアルカリ塩類土壌の改良効果が小さいものの、土壌中の方解石を有効利用することで化学的改良材を添加することなくアルカリ塩類土壌の改良が可能である有利性がある。しかしCaCO3-H2O-CO2系を利用しアルカリ塩類土壌を改良するには方解石を溶かすための十分なH2CO3の供給を要求し、これには十分な水分と透水性の維持を前提とする。したがってこの改良法は化学的改良材施用における応用、あるいは化学的改良材の施用が制限される地域でのアルカリ土壌及びアルカリ塩類土壌の土壌改良などに適用できる可能性があると考えた。

まとめ

地球上にはさまざまな種類の問題土壌が分布しているが、アルカリ土壌及びアルカリ塩類土壌のような問題土壌を脱硫過程で得られる硫酸塩資材(CaSO4、FeSO4、及びH2SO4)を用いて改良することが可能であることが本研究で明らかとなった。これは大気環境汚染対策と共に食糧生産増大に寄与することに大きな期待ができた。また、大気中のCO2及び有機物の分解などで生じるCO2を土壌水分中のH2CO3として有効に利用することにより、アルカリ塩類土壌の改善が示唆されたことから、化学的改良材施用が制限される地域、あるいは改良材施用と応用できることが考えられた。

表. 塩性土壌群(salt-affected soils)の分類

審査要旨 要旨を表示する

 UNEP(国連環境計画)の調査では、自然的または人為的要因によりこれまで約20億haに及ぶ面積の土壌劣化が生じており、さらに今後20年間で約1億4千万haもの肥沃な農地が土壌劣化によって失われると予想されている。食糧問題を抱えている人類の農業における課題とは、主要な農地の地力維持・向上を図るとともに生産性の低い土壌あるいは問題土壌に対し積極的な改良を行い、安定な食糧生産のための土壌資源を確保することである。

 本研究では、食糧を増産していくための新たな土壌資源として現在使用不可能な不良土壌である塩性土壌群の改良に焦点をあてたもので、5章から構成されている。

 第1章の序論に続いて、第2章では中国東北部のアルカリ化した土壌を対象に従来改良材として用いられてきた石膏にかわって、火力発電所等からの副産物として大量に生成される脱硫石膏を用いる可能性が大きいことを述べている。安価で供給可能な脱硫石膏を用いた実験結果によると脱硫石膏の施用はアルカリ土壌の化学性を改良(主にpHと水溶性Na+イオンの低下)し、トウモロコシ生産の著しい増産を見せた。また、これらの効果は持続性があることも確認された。しかしながら植物のクロロシスが発生すること及び部分的に発生していたアルカリ塩類化した土壌では正常な植物の生産が行われなかったことなど脱硫石膏の限界性も確認された。

 第3章では、アルカリ塩類土壌改良における脱硫石膏の限界を補うため、塩性土壌群の化学的改良材のうち、脱硫装置の脱硫過程でSOxガスの吸収方法をかえることにより得られるFeSO4及びH2SO4を用いアルカリ塩類土壌に対する効果を従来の石膏と比較した。その結果、1GR(要求される改良材量を飽和石膏水中のCa2+イオンと土壌中のNa+イオンとの反応量として求めたもの)あたりのNa+イオン除去効果はCaSO4<FeSO4<H2SO4であり、特にH2SO4はCaSO4とFeSO4に比べ本実験では透水性に対する著しい効果が確認された。また、これら酸性改良材処理区ではCaSO4区と異なりCaCO3減少と透水性上昇の間に相関性が認められた。このことからCaCO3が溶解され、生じた空隙が透水性の改善に繋がることが明らかとなった。

 第4章では、化学的土壌改良材を用いない改良の方法を試みるためCO2による土壌改良効果を検討することでアルカリ塩類士壌修復に対する具体的な提案を述べている。実験系としてはCO2除去人工灌漑水(TW区)、CO2飽和水(+CO2区)、及びCO2を含まない人工灌漑水(TW+CO2区)を用いモデル灌漑実験を室内で行いCO2溶存水の有効性を検討した。また、有機物添加による間接的なCO2発生についても有効性の検討を行った。最終リーチング溶液のpHがTW+CO2区<+CO2区<TW区順であったこと及び最終Na+イオン除去量がTW区<TW+CO2区順であったことからCO2はアルカリ塩類土壌のNa+イオン除去に有効であることが認められた。また、有機物添加実験によると有機物の添加は水溶性Ca2+イオンを増加させることは出来なかったが、土壌水中のCO32-イオン(P<0.001)、HCO3-イオン(P<0.001)、及びNa+イオン(P<0.05)濃度を減少させるのに有効であることがわかった。土壌物理性の改良においてはリーチング溶液量の増加はあったものの透水性及び土壌硬度においては有意差が認められなかった。以上の結果から本法は化学的改良材(CaSO4、FeSO4、及びH2SO4)に比べアルカリ塩類土壌の改良効果が小さいものの、土壌中の方解石を有効利用することで化学的改良材を添加することなくアルカリ塩類土壌の改良が可能である有利性があることを見いだした。

 総合考察である第5章では、以上の実験結果を踏まえて、土壌改良における改良対象物質は、改良によりものが消滅するのではなく、存在形を変えたり、もしくは対象の系から移動するだけであることが強調されている。物質の移動による改良には大きく2つの点を考慮しなければならない。その1つは目的に合致した効果的な移動であり、もう1つは、その対象物質をどこに移動させ、対象物質による影響力を最小化させるための、より適した移動先を決めることが考慮された物質の移動が大事であることなどが述べられた。

 以上を要するに本論文は中国東北部に分布するアルカリ塩類土壌を対象にその土壌化学的側面から総合的に改良方針を示したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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