学位論文要旨



No 116252
著者(漢字) 小橋,信行
著者(英字)
著者(カナ) コバシ,ノブユキ
標題(和) Thermus属細菌におけるリジン生合成系及びaspartate kinaseの構造と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 116252
報告番号 甲16252
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2282号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 西山,真
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 Aspartate kinase(AK)はスレオニン、メチオニン、リジンなど、複数のアミノ酸の生合成経路における共通の初発酵素としてアスパラギン酸をリン酸化する反応を触媒する酵素である。AKは最終産物であるアミノ酸の生体中の濃度によって転写レベルと酵素活性レベルの二重の制御を受けることが知られている。この制御の実現に関してはまさに多種多様であり、例えばB.subtilisは三種のAKを所持することが示唆されており、Iはジアミノピメリン酸、IIはリジン、IIIはリジンとスレオニンにより酵素活性レベルの制御を受けることが知られている。一方、Corynebacteriumではリジン、スレオニンにより酵素活性レベルの制御を受ける唯一つのAKしか所持していない。このように生合成系の最終産物による活性の制御はfeed back制御といわれ、生物が必要なものだけを生産するための合理的な仕組みであり、アミノ酸生合成系の初発酵素には一般的に広く見出される。

 CorynebacteriumのAK、BacillusのAKIIIなどはリジン・スレオニンがともに存在するときにのみ強い酵素活性阻害を受ける。協奏的酵素活性阻害は数多くの酵素に関する論文の中でもこれらAKの一部にのみ知られている現象であり、非常に興味深い。協奏的酵素活性阻害のメカニズムとしてはアロステリックな構造変化が一般的に挙げられており、かつ、その構造変化はロングレンジで多段的であるものと思われる。このような観点から、協奏的阻害のメカニズムに関する研究は、多くの酵素活性制御メカニズムの中で一つのメカニズムを解明するというだけにとどまらず、複雑な相互作用が絡み合うシグナル伝達や遺伝子の転写制御のメカニズムについても示唆を与えると考えられる。

 また、上記のような学術的な興味深さだけでなくAKは応用面でも非常に興味深い研究対象である。現在、リジンなどのアミノ酸は廃糖蜜などを原料に用いた微生物発酵法により製造されており、家畜の飼料への添加、点滴用の栄養剤、健康食品などに幅広く利用されている。特にリジン発酵においてAKの制御応答不活化の重要性が高いことが知られている。AKはこのように基礎応用両面において興味深い研究対象であるが、その一方でAK活性発現やその機能調節のメカニズムについては殆ど研究されてこなかった。

 本研究はT.flavus及びB.subtilis由来のAKを対象として、その活性発現及び機能調節のメカニズムを明らかにすることを目的にして行ったものであり、その過程で、Thermus属細菌においてはリジンがAKを介さないまったく独立した経路で生合成されることも見出した。本論文は以下の三章により構成される。

1. T.flavus由来AKのタンパク質工学的手法を用いた解析

 高度好熱性細菌T.flavus由来のAKの遺伝子をlacプロモーターの制御下・大腸菌において大量のAKを生産させることに成功した。熱処理・硫安沈殿・ゲルろ過のわずか三段階によって目的産物のみに完全精製する方法を確立し、11の培養から100mgを超える大量のAKの精製が可能となった。ゲルろ過を用いた分子量検定の結果、AKとしては初めてα4β4のサブユニット構成をとることが明らかとなった。PCRを用いた部位特異的変異によりAK間でよく保存されているアミノ酸残基29残基についてアラニンまたはロイシンに置換した変異体を作製し、これら変異体AKの酵素学的解析を行った。これらの結果からThr47はアスパラギン酸の結合に、Lys7及びGlu74は活性発現に関わることが強く示唆された。一方で単独の変異がATPの結合に大きく影響しているものは見出せなかった。AKは二価金属であるマグネシウム(Mg)を要求することから、各変異体のMg依存を測定した。その結果、Ser41、Thr47、Asp154、Asp182の各残基が高いMg濃度を要求することが明らかとなり、これらの残基が活性発現に必要なMgの結合に関与することが示唆された。本研究はAKにおける保存アミノ酸残基の役割の一部を初めて明らかにしたものであり、この結果はAKの構造・機能相関を解明する重要な手掛かりを与えるものと期待される。

2. B.subtilisAK IIIの解析

 B.subtilisにおいてその詳細は調べられていないもののリジン・スレオニンにより協奏的阻害を受ける第三のAKであるAK IIIが存在することが示されていた。B.subtilisのゲノムプロジェクトによりyclMと命名された遺伝子はAKと高いアミノ酸配列の相同性を有するものの、その実体に関しては解析されていなかった。私はyclMがAK IIIをコードすると考え、同遺伝子のクローン化及び遺伝子産物の機能解析を行った。プラスミドにクローン化したyclM遺伝子を全てのAK遺伝子を破壊した大腸菌において発現したところ、遺伝子の塩基配列から推測される分子量50k付近に大量のタンパク質の生産が認められ、且つその細胞抽出液にAK活性が検出された。また、部分精製したyclMはリジン・スレオニンにより協奏的阻害を受けることが明らかになったことから、yclM遺伝子がAKIIIをコードすると結論した。このAK IIIは10mM Tris-HCl(pH 7.5)緩衝液中において非常に不安定であったため安定化剤の探索を行ったところ、500mMの硫酸アンモニウム存在下において顕著な失活は見られなくなった。ゲルろ過による分子量推定では分子量約50kと推定され、サブユニット構成はモノマーであることが示唆された。これまで、リジン・スレオニンによる協奏的阻害を受けることが明らかになっているCorynebacteriumのAKはα2β2のヘテロテトラマーであり、βサブユニットが活性調節に強く関わることが示唆されている。複数のサブユニットが複雑に構造変化することにより協奏的阻害が生じると予想され構造の複雑さが活性調節機構解明の一つの障害になっていたが、単一ポリペプチドからなるB.subtilisのAK IIIは協奏的阻害を示すシンプルなモデルとなりうることから活性調節機構の解明のためにおおいに貢献できるものと期待される。

3. T.thermophilusにおけるリジン生合成系に関する研究

 カビ・酵母を除いてリジンはアスパラギン酸からジアミノピメリン酸(DAP)を経由して生合成される。AKはこの生合成系の始めに位置する酵素であり、リジンだけでなくスレオニン、メチオニン、イソロイシンなどの生合成にも関わっている。他の生合成系と同じく、これらの生合成も最終産物や中間物によってその流量が制御されている。ところが、高度好熱性細菌T.thermophilusはただ一種類のAKしか有しておらず、その活性もスレオニンによってのみ阻害を受けることが分かった。T.thermophilusにおけるアスパラギン酸族アミノ酸生合成にAKがどのような役割を果たしているのかを明らかにするためAK001と名づけたAK欠損T.thermophilusを作製した。AK001株は野生型と異なり最小培地では生育できず、スレオニンとメチオニンの添加により生育が回復した。しかし、予想に反してリジンは生育にまったく影響を与えなかった。このことより、T.thermophilusにおいてはリジンがDAP経路とは別の経路で生合成されることが示唆された。そこでリジン要求変異株を薬剤によるランダム変異により作製したところ、全ての変異株はリジン添加によってその生育が回復したがDAPでは回復しなかった。そこでカビ・酵母のリジン生合成経路であるα-アミノアジピン酸(AAA)経路の中間体であるAAAを添加してみたところ一部の変異株において生育の回復が観察された。一方、リジン要求性変異株の欠損を相補する4.35kbpのBamHIゲノム断片をクローン化しその塩基配列から予想されるアミノ酸配列を用いてBLASTによる相同性検索を行ったところ、同DNA断片にはホモアコニット酸ヒドラターゼと相同性のあるORFが存在することが明らかとなった。同遺伝子を破壊した変異株はリジン要求性を示した。また、この栄養要求性はAAAの添加によっても回復した。これまで原核生物の全てにおいてDAP経路でリジンが生合成されると認識されてきたが、本研究の結果、T.thermophilusにおいてはAAA経路によってリジンが生合成されることが示唆された。

 相同性検索の結果、今回取得したクラスターがみPyrococcusにおいても見出された。このことは、AAA経路が原核生物、Archeaを含めた三大生物界全てに存在することを意味する。AAA経路の前半部分はTCA回路の一部の酵素群とも相同性が高く、共通の祖先より進化したものと考えられる。加えて、今回発見されたAAA経路を構成する酵素群はアルギニン生合成に関わる酵素群と非常に高い相同性を持つことがわかった。アルギニン前駆体であるオルニチンとリジンは炭素鎖が1鎖長違う相同化合物であり、AAA以降の反応がアルギニン生合成類似であることが示唆された。本研究で見出されたリジン生合成系はアミノ酸をはじめとするいくつかの主要代謝経路の形成・進化を解明するための鍵となる可能性を秘めた重要な発見として注目されつつある。

審査要旨 要旨を表示する

 Aspartate kinase(AK)はスレオニン、メチオニン、リジンなど、複数のアミノ酸の生合成経路における共通の初発酵素としてアスパラギン酸をリン酸化する反応を触媒する酵素である。AKはアミノ酸発酵に関わるなど、応用上の重要性があるとともに、生物の基本要素の一つ、アミノ酸生産に関わることから学術上の重要性も高い。本論文はThermus flavus及びBacillus subtilis由来のAKを対象として、その活性発現及び機能調節のメカニズムを明らかにするとともに、その過程で発見したThermus属細菌における新規リジン生合成系に関して述べている。本論文は四章と総括により構成される。

 第一章では、AKの学術的及び産業上の重要性を述べるとともに、その概要について説明を行っている。

 第二章では、T.flavus由来AKのタンパク質工学的手法を用いた解析について述べている。まず、生産、精製の方法を確立するとともに、サブユニットの構成を明らかにした。加えて、部位特異的変異により変異体を作製し、これら変異体AKの酵素学的解析を行うことで、Thr47はアスパラギン酸の結合に、Lys7及びGlu74は活性発現に、Ser41、Thr47、Asp154、Asp182の各残基が活性発現に必要なマグネシウムイオンの結合に関与することを示唆した。

 第三章では、B.subtilis AK IIIの解析について述べている。B.subtilisにおいてその詳細が不明であったAK IIIの遺伝子が、ゲノムプロジェクトで報告されたyclMであることを明らかにした。加えて、AK IIIのサブユニット構成を明らかにするため、ゲルろ過による分子量推定を行い、分子量が約50kのモノマーであることを示唆した。さらに、精製酵素を用いた酵素学的解析も行った。

 第四章では、T.Thermophilusにおけるリジン生合成系に関する研究について述べている。原核生物において、AKはリジン、スレオニン、メチオニン、イソロイシンなどの生合成に関わっており、その活性がリジン、スレオニンによって制御されていることが知られている。ところが、AK欠損のT.thermophilus AK001株は最小培地においてスレオニンとメチオニンの添加により生育が回復し、リジンは生育にまったく影響を与えなかった。このことより、T.thermophilusにおいてはリジンが他の原核生物と別の経路で生合成されることが示唆された。加えて、ランダム変異により作製したリジン要求変異株は全て原核生物におけるリジン前駆体DAPでは回復しなかった。ところが、カビ・酵母のリジン生合成経路であるα-アミノアジピン酸(AAA)経路の中間体であるAAAを添加してみたところ一部の変異株において生育の回復が観察された。さらに、リジン要求性変異株の欠損を相補する4.35 kbpのBamHIゲノム断片にはAAA経路の酵素と相同性の高いORFが見出された。以上より、T.thermophilusにおいてはAAA経路によってリジンが生合成されることが示唆された。しかしながらカビ酵母のAAA経路におけるリジン前駆体のサッカロピンによるリジン要求株の生育の回復が観察されなかった。また、リジン要求を相補するDNA断片にはアルギニン生合成に関わる酵素群と非常に高い相同性を持つORFが含まれていた。以上の事実と、リジンとアルギニンの前駆体であるオルニチンが炭素鎖が1鎖長違うだけの類似化合物であること、及びリジンの前駆体となるアセチルリジンにより、リジン要求株の生育が回復したことからThermusにおけるAAA経路の後半部分はアルギニン生合成系と類似している可能性が強く示唆された。

 総括においては本論文から得られた知見を要約し、今後の展望を述べている。

 以上、本論文はAKの活性発現制御機構に関する新知見をもたらすとともにThermus嘱細菌において新規のリジン生合成系を発見し、それがアルギニン生合成系と類似していることなど、アミノ酸生合成系の進化を考える上で興味深い知見を提供するもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文としての価値あるものと認めた。

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