学位論文要旨



No 116258
著者(漢字) 秦,勝志
著者(英字)
著者(カナ) ハタ,ショウジ
標題(和) 胃特異的に発現するカルパインの解析
標題(洋)
報告番号 116258
報告番号 甲16258
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2288号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

I.はじめに

 細胞内情報伝達系は細胞が接している外部環境からの刺激、情報を細胞内部に伝達する系であり、これが適正に働くためには、受容した情報を細胞内部に伝達する機能分子の各々が正確に発現、修飾、分解することが必要となる。この場合、細胞内プロテアーゼは蛋白質分解という代謝回転システムにおいて翻訳ミスやミスフォールディングによる異常蛋白質や不要蛋白質の分解を司る一方、基質蛋白質のモジュレーターとしてポジティブな役割をも演じることが明らかとなっている。さらに、これら一連の反応は、生化学的に不可逆的であることから、厳密に制御されており、その制御機構に狂いが生じた時、生体に多大な害を及ぼすこととなる。

 細胞内の蛋白質分解系にはおもにカテプシン、プロテアソーム、カルパインという細胞内プロテアーゼの関与が知られている。その中でカルパインは、活性化にCa2+を要求するシステインプロテアーゼで、菌類から哺乳類までのあらゆる生物の細胞内に存在し、特定の細胞内基質蛋白質の限定分解を通じ、その機能、性質を調節するバイオモジュレーターとして働く。哺乳類においては、現在までに少なくとも13種類のカルパイン相同分子が同定されており、それらの生体内での発現様式から、組織普遍的分子種と組織特異的分子種に分類される。組織普遍的カルパインであるμ,カルパイン、m-カルパインは共に約80kDaの触媒大サブユニット(μCL、mCL)と、約30kDaの活性制御小サブユニット(30K)からなるヘテロダイマーとして存在し、in vivoでそれぞれμM及びmMのCa2+濃度を活性化に必要とする。これらは細胞にとって基本的かつ必須な機能を果たしていると考えられ、事実、30Kノックアウトマウスは11.5日胚で致死となる。また、異常な活性化が筋ジストロフィー、アルツハイマー病、虚血、白内障などの疾患を引き起こすことが示唆されているがその普遍的発現のために詳細な生理機能は特定されていない。

 一方、組織特異的カルパインには骨格筋特異的なp94(カルパイン 3)、胃特異的なnCL-2,-2'、消化管特異的なnCL-4などが遺伝子レベルで知られているが蛋白質レベルでの知見はほとんど報告されていない。しかしp94が肢帯型筋ジストロフィー2A型(LGMD2A)の責任遺伝子産物であることが明らかとなったことからも、これらは発現する組織に直結した機能を果たしていると考えられ、哺乳類カルパインの生理機能を特定の組織に限定して解明する上で有利な材料と言える。

 その中でnCL-2、nCL-2'は胃特異的に同程度の発現を示すカルパインとして同定された。nCL-2はμCL、mCLと同様に4つのドメイン(プロ、プロテアーゼ、C2様、Ca2+結合ドメイン)から構成されるのに対し、nCL-2'はnCL-2のC2様、Ca2+結合ドメインを欠失した構造を持つことから、両者が選択的スプライシング産物であること、またnCL-2とはCa2+による活性制御の受け方が異なることが予想されている。そして、nCL-2、nCL-2'はμCL、mCLともほぼ同程度の発現を示すことから、胃においてこれらが生理機能を分担していると考えられているが、cDNAレベルから得られる一次構造以外の知見は皆無である。

 そこで本研究では、カルパインの胃における生理機能の解明を目的に、nCL-2、nCL-2'に焦点を当て、1)組織特異的発現機構の解析、2)蛋白質レベルでの比較解析3)組織内局在、4)生理機能解明へ向けたターゲティングマウスの作製を行った。

II.結果・考察

1.マウスnCL-2、nCL-2'遺伝子(Capn8)のクローニング及び遺伝子構造の解析

 nCL-2の遺伝子クローンを単離するため、ラットnCL-2 cDNA全長をプローブとして129Svマウス遺伝子ライブラリーのスクリーニングを行った。その結果、約50kbにわたり22個のエクソンが存在してnCL-2 cDNA配列全長をコードする遺伝子領域を同定した。nCL-2とnCL-2'が同一遺伝子の選択的スプライシング産物であることが、その一次構造から示唆されていたが、その点を検討するため、nCL-2とは全く相同性を持たないnCL-2'の3'非翻訳領域と高い相同性を持つ領域の探索を試みた。その結果、nCL-2遺伝子のエクソン9と10の間にこの領域(エクソン10'と命名)が見出されたことから、nCL-2とnCL-2'のmRNAが同一遺伝子からの選択的スプライシングによって生じることが判明した。以上をまとめると、Capn8は全長約50kb、少なくとも23個のエクソンから構成され、エクソン10以降もしくは10'の選択的スプライシングによりnCL-2及びnCL-2'を生じる遺伝子であった。Capn8のエクソン・イントロン構造は他のカルパイン遺伝子と全体にわたり類似していたが、エクソン10'はCapn8に特有であった。これは長い進化の過程で、nCL-2'様のカルパインが胃にとって必須であるために残存したと考えられた。

 次に、スタンフォードG3ラジエーションハイブリッドパネルを用いて染色体マッピングを行ったところヒト1番染色体の1q32-41付近に位置することが分かった。この位置と遺伝的疾患との関連は分かっていないが、mCL、nCL-4両遺伝子と隣接してクラスターを形成していることが明らかとなった。

 Capn8の上流領域約1.2kbを含む遺伝子断片を詳細に解析したところ、TATA-box、GC-boxとして機能すると考えられるA/TまたはG/Cに富んだ配列の他に、転写因子GATA-4及びGATA-6のコンセンサス結合配列と非常に似た配列もいくつか発見した。GATA-4及びGATA-6は、zinc-fingerドメインを持つDNA結合蛋白質GATAファミリーに属し、胃分泌腺に特異的に発現し、H+/K+-ATPaseなどの遺伝子の転写調節を行っている。また、CREB(cAMP-responsive-element binding protein)のコンセンサス結合配列も見出された。CREBはGC-box結合因子であるSp1と共に、ガス卜リン(胃酸分泌刺激ホルモン)依存的なchromogranin A遺伝子プロモーター活性の調節に関わっていることが報告されている。以上の結果は、Capn8の胃特異的な発現のメカニズムを示唆するものであった。

2.nCL-2、nCL-2'の蛋白質レベルでの比較解析

 まず、解析の第一歩としてnCL-2、nCL-2'をCOS-7細胞に過剰発現させたところ、蛋白質として発現することが判明した。そして、nCL-2'が細胞破砕液の可溶性画分に回収されたのに対しnCL-2は大部分が沈殿画分に存在したことから、nCL-2の方は細胞内において不安定で凝集を起こしたか、細胞内局在が膜系であることが考えられた。免疫染色によりnCL-2の細胞内局在解析を行ったところ、核の周囲にドット状の強い染色が観察されたことから前者の可能性が強く示唆された。一方、nCL-2'についてはドット状の強い染色は見られず、核を含め細胞全体が一様に染色された。

 次に、大腸菌発現系を用いて発現、精製したnCL-2、nCL-2'の酵素学的及び生化学的解析を行った。両者にHis-tagを付し、大腸菌BL21(DE3)株を用いてT7プロモーター下で発現させたところ、COS-7細胞発現系と同様にnCL-2'は可溶性画分に発現したが、nCL-2はすべて沈殿画分に発現した。nCL-2については発現条件をさらに検討した結果、1acプロモーター下、低温条件で、可溶性画分に発現させることに成功した。発現したnCL-2、nCL-2'は、Ni-アフィニティーカラム、MonoQカラムを用いて精製を行った。結果として、1lの大腸菌培養液から0.5mgのnCL-2、15mgのnCL-2'を精製した。

 精製したnCL-2、nCL-2'はいずれもCa2+依存的カゼイン分解活性を持ち、システインプロテアーゼ阻害剤で阻害された。しかし、μ-、m-カルパインに対する特異的かつ強力な内在性阻害蛋白質カルパスタチンによる阻害は見られず、さらにカルパスタチンはnCL-2'の基質となることが明らかとなった。最大活性の50%の活性発現に必要なCa2+濃度はnCL-2が約0.3mM、nCL-2'が約1.2mMで大きな差が見られた。また、カゼインを基質とした時の比活性はμ-、m-カルパインに比べ非常に低く、自己消化も特殊なパターンを示した。これらの結果からnCL-2、nCL-2'の活性化機構はμ-、m-カルパインとは異なることが強く示唆された。

 nCL-2、nCL-2'の生理機能を知る手がかりとして、まずin vitroの基質の探索をCOS-7細胞系より行った。その結果、nCL-2はフォドリンを限定分解することが判明した。これはnCL-2とnCL-2'の間で基質選択性が異なることを示唆するものであった。しかし、フォドリンは普遍的に存在する蛋白質であることから、次に胃特異的な基質蛋白質の同定を目指し、胃抽出液からの探索を現在行っている。

3.nCL-2、nCL-2'の組織内局在

 nCL-2、nCL-2'及び、μ-、m-カルパインの胃組織内における局在を比較解析することで、これらの生理機能を間接的に予想することが可能となると考えられる。そこで、ラット胃の組織切片を用いて免疫染色による局在解析を行った。その結果、nCL-2、nCL-2'は分泌腺上部の被蓋上皮細胞(pit細胞)及び底部の主細胞、μ-カルパインは噴門付近前胃部の粘膜層、m-カルパインも分泌腺の底部が染色された。それぞれ異なる局在を示したことから、胃において各カルパイン分子が機能分担していることが示唆された。この結果からnCL-2、nCL-2'は胃細胞の組織内移動及び粘液分泌、m-カルパインは消化酵素分泌への関与が考えられたが、μ-カルパインの役割については前胃部の機能が不明なため予想できなかった。

4.Capn8遺伝子変異マウスの作製

 nCL-2とnCL-2'のin vivoでの機能を、プロテアーゼ活性に焦点を当てて明らかにすべく、nCL-2及びnCL-2'活性中心変異体(以下、CS)を発現するマウスの作製を行った。nCL-2及びnCL-2'の活性中心残基Cys105はエクソン3上にコードされることから、エクソン3〜5を含む約6.3kbの領域を組換え領域に設定した。部位特異的変異法によりCys105部分がSerをコードするように変異させ、エクソン3の上流部分にG418耐性遺伝子(neor)を、設定領域の3'末端にジフテリアトキシンA遺伝子(DT-A)を挿入することでターゲティングベクターを構築した。これをTT2ES細胞株に導入し、158個のG418耐性ES細胞を取得した。そして、サザンブロット解析の結果得られた相同組換えESクローン(Capn8+/cs)をICRマウス8細胞期胚へマイクロインジェクションすることでキメラマウスを作製した。現在、このキメラマウスからヘテロマウス(Capn8+/cs)、ホモマウス(Capn8cs/cs)の作製を行っているところである。全身にESクローンの寄与をうけたキメラマウスはすべて生後2週目で生育不全となり3〜4週目に死亡した。ヘテロマウスの表現型については現在解析中である。

III.まとめ

 本研究においてnCL-2及びnCL-2'の胃特異的発現機構を明らかにすると共に、蛋白質レベルでは初めて両者の発現・精製系を確立し、組織普遍的に発現するμ-、m-カルパインとは異なる性質を明らかとした。これらの結果及び組織抗体染色の結果は、nCL-2及びnCL-2'がμ-カルパイン、m-カルパインとは異なる制御機構のもと、胃に特殊な機能を担っていることを示唆するものであった。今後、現在作製中のターゲティングマウスを用いたin vivoの解析を通じて、nCL-2及びnCL-2'の生理的基質及び生理機能が明らかになると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、細胞内カルシウム依存性システインプロテアーゼであるカルパインの生理機能解明を目的とした解析結果について述べたものである。

 第一章では、研究の背景、目的を概説した。カルパインは細胞内で厳密に活性が制御されており、その制御機構が崩れると筋ジストロフィー症、アルツハイマー病、II型糖尿病などの重大な疾患を引き起こす一要因となることを過去の知見に基づき説明した上で、カルパインの機能の生体内における重要性を述べた。一方で、生体内における重要性が故に、カルパインの具体的な生埋機能解明が遅れている現状を述べた上で、近年同定された組織特異的に発現するカルパインが特定の組織に限定した生理機能解明に有効な材料であると指摘した。そして最後に、生体の維持に必須な消化器系組織である胃における生理機能解明を目的として、胃特異的に発現するカルパイン(nCL-2、nCL-2')の解析を行った経緯について述べた。

 第二章ならびに第三章では、本解析を行うための実検材料及び遺伝学的、生化学的、組織学的実験手法について述べた。

 第四章では、nCL-2及びnCL-2'の生化学的、組織学的、遺伝学的解析の結果及び考察を示した。まず生化学的解析の項では、カルパインでは困難とされている大腸菌発現系による両分子の発現・精製を成功させてin vitroでの解析を可能とした上で、酵素学的性質を明らかにした。中でも、一次構造上カルシウム結合領域を含まないはずのnCL-2'がカルシウム依存的活性を示したことから、プロテアーゼ領域にもカルシウムが結合してカルパインの活性を制御している可能性を示した。その他、活性化に必要なカルシウム濃度、細胞内局在の差異を明らかにすることで、両分子の異なる活性化機構ならびに細胞内における機能の可能性も示した。

 第二に組織学的解析の項では、ラット胃切片を用いた免疫染色によりnCL-2、nCL-2'が胃粘膜の被蓋上皮細胞(粘液分泌細胞)に局在することを明らかにし、その細胞の性質から両分子が被蓋上皮細胞の移動に関与する可能性について示した。また、組織普遍的に発現するカルパイン(μ-カルパイン、m-カルパイン)の局在がそれぞれ胃粘膜の壁細胞(胃酸分泌細胞)そして筋層であることも明らかにすることで、これらのカルパイン分子が胃において機能分担していることも明確にした。

 第三に遺伝学的解析の項では、nCL-2、nCL-2'の胃特異的発現機構及び具体的な生理機能解明を目的としたマウスnCL-2/2'遺伝子のクローニング、ターゲティングマウス作製について述べた。遺伝子スクリーニングの結果、全長約50kb、23エクソンからなるnCL-2/2'遺伝子(Capn8)を同定した。また5'側上流領域の塩基配列解析の結果、TATA-box、GC-box、CRE(cAMP-responsive-element)の他に、転写因子GATA-4及びGATA-6のコンセンサス結合配列と考えられる領域を見出した。GATA-4及びGATA-6は、zinc-fingerドメインを持つDNA結合蛋白質GATAファミリーに属し、胃特異的に発現しH+/K+-ATPaseなどの遺伝子の転写調節を行っている。またCREB(CRE binding protein)はGC-box結合因子であるSp1と共に、ヒスタミン(胃酸分泌刺激ホルモン)分泌制御因子chromogranin Aの遺伝子転写制御を行うことが知られている。以上の結果から、ncL-2及びnCL-2'の発現がこれらの因子によって胃特異的に制御されている可能性を示した。そしてターゲティングマウス作製については、プロテアーゼ活性に焦点を当てた機能解析を目的としてnCL-2及びnCL-2'活性中心変異体を発現するマウスの作製を行ったことについて述べた。Capn8のエクソン3〜5を含む約6.3kbの領域を組換え領域に設定し、エクソン3上にコードされている活性中心残基Cys105部分がSerをコードするように変異させることでターゲティングベクターを構築した。相同組換えESクローンの取得、キメラマウス及びヘテロマウス作製までの結果について示した上で、これまでの過程において作製したマウスに外見上異常が見られないことを示した。

 第五章では、本研究を総括すると共に、今後の研究について展望した。

 以上、本論文は、胃特異的カルパインnCL-2、nCL-2'の多方面からの解析により、胃におけるカルパインの生理機能の全容解明に向けた多くの知見と進展を与えたもので、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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