学位論文要旨



No 116490
著者(漢字) 西澤,友宏
著者(英字)
著者(カナ) ニシザワ,トモヒロ
標題(和) 水分泌組織特異的に発現する新規リン酸化タンパク質parchorinに関する研究
標題(洋)
報告番号 116490
報告番号 甲16490
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第964号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

 生体では、眼房水や涙、唾液、脳脊髄液、胃酸など様々な水分泌がなされており、生理的に非常に重要な役割を担っている。これら水分泌は、水チャネルとイオンチャネルとが有機的に結びつき、緻密な調節のもと行われている。現在、aquaporinを中心とする水チャネルについては分子生物学的手法の進歩により多くの知見が得られている。一方で、水分泌の調節に関与しているイオンチャネルにおいては、その実体に関する議論が混沌としており、特に陰イオンチャネルについては、特異的な薬理学的ツールが存在しないことから解析が進んでおらず、創薬のターゲットとしても未開拓状態である。

 私は水分泌現象における分子的メカニズムを解明するため、修士課程の研究において、胃酸分泌時に分泌側膜で強いリン酸化を受けているSDS-PAGE上120kDaのタンパク質に着目し、このタンパク質が、胃壁細胞や脈絡叢など水分泌を起こす組織に発現していること、胃壁細胞においては、多くが細胞質可溶性分画に存在し、胃酸分泌時にその一部が分泌側膜に移行することを報告した。そこで、私はこのタンパク質が、調節を受ける水分泌に重要な役割を果たしているのではないかと考え、タンパク質をコードする完全長cDNAの単離、組織分布、機能解析を行うことを本研究の目的とした。

【方法及び結果】

完全長cDNAの単離

 修士課程の研究において得られた部分長cDNAをもとに、ウサギ脳cDNA libraryのスクリーニング、5'-RACE法を行うことにより1914 bp の ORF を持つ完全長cDNAを得ることができた。一次構造を解析した結果、このタンパク質は65kDaの新規タンパク質であり、C末端約200アミノ酸が、細胞内小胞のクロライドチャネルと考えられているChloride Intracellular Channel(CLIC)familyと高い相同性を持っていた。また、このタンパク質をその組織分布にもとづいてparchorin (parchoietal cells, choroid plexus)と命名した。parchorinはN末側に15回の繰返し配列を含む、酸性アミノ酸に富んだ非常に親水性の高い特徴的な配列を有しており、この領域がSDS-PAGEによる推定分子量と計算上の分子量との相違や、可溶性分画へのターゲッティングなど、他のCLIC familyとは異った性質をparchorinに与えている可能性が示唆された(Fig.1)。

parchoirnの組織分布

 他のCLIC familyはユビキタスに存在する事が報告されているが、抗 parchorin 抗体を用いたイムノブロットの結果 parchorin は胃壁細胞や脈絡叢の他に網膜や涙腺、顎下腺、気道上皮など、水分泌を起こす組織に発現していた(Fig.2)。

 さらに組織内分布を検討するため、抗 parchorin 抗体を用いてウサギ胃底腺、顎下腺を染色し、共焦点レーザー顕微鏡で局在を観察した。その結果、parchorinは胃底腺内では胃酸分泌を起こす壁細胞にのみ存在し、また、顎下腺内においては水分泌を起こす導管(intercalatedductalcells)にのみ存在していた(Fig.3)。このように、parchorinは水分泌を起こす細胞特異的に存在していることが明らかになった。

細胞内局在変化の検討

 他のCLIC family は細胞内小胞膜に存在しているのに対し、parchorin は細胞質可溶性分画に多く存在し、胃壁細胞においては酸分泌時にその一部が分泌側膜に移行することが示されている(Fig.3)。そこで、この移行がどのような刺激により起こるのかを検討した。ブタ腎由来cell lineであるLLC-PK1細胞にGFP-parchorinを一過性に発現させ、共焦点レーザー顕微鏡で観察した。細胞内から細胞外へのCl-流出を促したところ、細胞内に均一に存在していたGFP-parchorin の一部が、細胞形質膜に移行することが観察された(Fig.4)。このことから、parchorin の局在変化はCl-の流出に連関して起こることが示唆された。CLICfamily の共通配列であるC末側のみを発現させると細胞内小胞と形質膜に存在したことからparchorinのN末側の領域が移行の制御に関与していると考えられた。

parchorinによるCl-effluxの増強

parchorinのC末領域におけるCLIC familyとの高い相同性から、LLC-PK1細胞を用いた前実験条件においてparchorinが細胞のクロライド放出活性に影響を与えるかどうか検討した。Cl- effluxをCl-の蛍光色素であるSPQを用いて測定したところ、parchorinはCl-effluxを増強することがわかった(Fig.5)。

parchorinのリン酸化

 parchorinを部分精製すると、parchorinと同じ分画にkinase活性が存在していた。このkinase成分はかなり精製を進めてもparchorinと共精製されてきたが、hydroxyapadte columnを用いて分離することができた。そこで、このkinaseの酵素学的性質を検討したところmyelin basic protein存在下で活性が増強し、genisteinで抑制された。しかし、kinaseはparchorinのセリン残基をリン酸化しておりtyrosine kinaseではないことが示された。また、阻害薬の実験によりprotein kinase A,C,phosphatidylinositol 3-kinase,Ca2+-calmodulin dependent proteinkinase IIである可能性は除外できたものの、既知か未知かを含めて同定には至っていない。また、このkinaseはparchorinのCLIC共通領域を削除したN末領域をリン酸化する事がわかった。次に、kinaseがparchorinの精製過程で共精製されてくることから、kinaseとparchorinとが結合しているかどうか検討した。胃底腺可溶性分画における抗parchorin抗体による共免沈分画はN末側リン酸化領域のGST融合タンパク質をリン酸化したことから、parchorinは胃底腺内でkinaseと直接的あるいは間接的に結合していることが示された(Fig.6)。他のCLIC familyとは異なるparchorinの特徴的な性質にはN末側の領域が大きく寄与していると思われ、このkinaseがparchorinの機能制御を通して協同的に水分泌の調節に関与している可能性が考えられた。

【まとめ】

 parchorinは水分泌細胞特異的に存在しており、水分泌刺激時におこるCl-放出に連関して膜移行し、クロライド放出活性を増強して水分泌を促進していると考えられた。また、これらの性質はkinaseなど様々なタンパク質がparchorinと有機的に結びつき、その活性を厳密に調節することで獲得されている可能性が示唆された。他のCLICファミリーとは違ったparchorinの性質はparchorin特有のN末端側に起因しているものと考えられ、この領域がparchorinの活性にどのような影響を与え、ひいては水分泌をどのように修飾しているのかがキナーゼとの関連も含め今後の課題である。

 本研究は、水分泌現象における分子的メカニズムに全く新しい知見を与えたばかりでなく、parchorinをターゲットとした新たな作用メカニズムを持つ水分泌修飾薬開発に向け分子レベルの詳細な基盤を築いたという点で極めて斬新かつ先駆的であるといえる。

【参考文献】

Nishizawa,T.,Nagao,T、,Iwatsubo,T.,Forte,J.G.,and Urushidani,T.J. Biol,Chem.275,11164-11173(2000)

Fig.1

左)recombinant parchorinをCOS-7細胞に一過性に発現させ、抗parchorin抗体でイムノブロットしたもの。S:10万xg上清、P:沈渣

右)CLIC famiIyとの比較

Fig.2

ウサギ各組織における抗 parchorin 抗体を用いたイムノブロット  S:10万xg上清、P:沈渣

Fig.3

parchorinの組織内分布。(a,b)胃底腺における休止時(a)、酸分泌刺激時(b)のparchorin

(c)顎下腺におけるparchoirn.insetは拡大図(d)顎下腺透過光像

P:parietal cells,C:chiefcells,D:ductal cells Bars:a and b,10μm;c and d,50μm;inset to c,5μm

Fig.4LLC-PK1細胞におけるparchorinの細胞内局在変化。細胞外溶液のChlorideイオンをgluconateイオンに置換してから0分(a),3分(b),6分(c)後のparchorin,(d)normal bufferに戻して15分後Bar,20μm.

Fig.5

GFP-parchorinによるCl- efnux活性の増強

Fig.6

parchorinとkinaseの相互作用。

negative controlとして抗myc抗体を用いた。

審査要旨 要旨を表示する

 涙や、脳脊髄液、唾液、胃酸などの水分泌は、生体の保護、食物消化といった生体が生命を維持していくのに必要不可欠な役割を果たしている。これら水分泌は積極的に行われている一方で、恒常性の維持という点から厳密に調節されている。水分泌はイオンチャネルなどによって細胞内外に形成される局所的な浸透圧差に従いaquaporinを中心とする水チャネルを介して水が流れることによりおこる。現在、aquaporinを中心とする水チャネルについては分子生物学的手法の進歩により多くの知見が得られている。一方で水分泌の調節に関与しているイオンチャネルにおいては、その実体に関する議論が混沌としており、特に陰イオンチャネルについては、特異的な薬理学的ツールが存在しないことから解析が進んでおらず、創薬のターゲットとしても未開拓状態である。

 本研究は胃酸分泌時にリン酸化された状態で分泌側膜に存在しているタンパク質(parchorinと命名)に着目して行われたものである。parchorinは胃壁細胞や脈絡叢など水分泌を起こす組織に発現していること、胃壁細胞においては、多くが細胞質可溶性分画に存在し、胃酸分泌時にその一部が分泌側膜に移行することが修士課程の研究で明らかになっており、水分泌への関与が示唆されていた。本研究はparchorinのさらに詳細な分布様式、cDNAクローニング、機能解析を行い、水分泌調節機構におけるparchorinの機能的役割を分子レベルで詳細に解析したものである。以下に本研究によって得られた主要な知見をまとめる。

 1.parchorinのcDNAクローニング及び機能解析

 parchoimは胃酸を分泌する胃底腺や脳脊髄液を分泌する脈絡叢、唾液腺などの水分泌組織において水分泌を起こす細胞特異的に存在しており、このことにより水分泌細胞全般に特異的に存在するタンパク質の存在が初めて明らかなった。また、cDNAクローニングの結果、parchorinは新規タンパク質であり、C末端側約1/3の領域が細胞内小胞のクロライドチャネルであるchloride intracellular chamel(CLIC)ファミリーと高い相同性があった。parchorin以外のCLICファミリーのタンパク質はユビキタスに存在し、細胞内の小胞に存在している。一方でparchorinは胃酸分泌刺激時に一部が細胞質可溶性分画から分泌側膜に移行することが明らかになっていることから、CLICファミリーの中で初めて移行が示されたタンパク質であった。また本研究ではこの移行が細胞外溶液のCl-を除去することにより起こることを培養細胞系で明らかにし、parchorinの移行が水分泌時に起こる細胞内外の局所的な浸透圧差に起因する可能性を示唆した。さらに、CLICファミリーとの相同性からparchorinが細胞のクロライド放出活性を増強することも明らかにした。これらのことはparchorinが水分泌時に細胞膜に移行し、水分泌に必要なクロライドの放出を増強することで水分泌を促進している可能性を示唆するものである。

2,parchorin特有のN末端領域の性質及びparchorinをリン酸化するkinaseの性質の検討

本研究ではCLICファミリーのタンパク質とは異なったparchorinの性質がparchorinに特徴的なN末端2/3の領域に起因していると考え、この領域に着目して研究を行っている。parchorinは胃底腺内で複合体を形成し、この複合体はN末端側の領域を介して形成されている可能性が示唆された。また、parchorinは胃底腺内でよくリン酸化されており、このリン酸化はN末端側の領域で起きることや、リン酸化するkinaseが胃底腺内でparchorinと結合していることも本研究で明らかした。また、kinaseの性質なども薬理学的に検討した。これらのことは水分泌機構におけるparchorinを介した情報伝達の解析を展開するのに十分な基盤を築いている。

 本研究は水分泌調節に関与するタンパク質の存在を初めて示唆するとともに、生理学に水分泌という新しい分野を開拓した先駆的なもので、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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