学位論文要旨



No 116694
著者(漢字) 花田,孝雄
著者(英字)
著者(カナ) ハナダ,タカオ
標題(和) 特異構造をもつミトコンドリアtRNAの翻訳機能
標題(洋)
報告番号 116694
報告番号 甲16694
学位授与日 2001.10.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5093号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 講師 鈴木,勉
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 tRNAは特定のアミノ酸と結合してコドン−アンチコドンの対合によりmRNAの遺伝情報を変換し、タンパク質として発現させる重要な分子である。一般的なtRNAの2次構造はクローバーリーフ様の構造をとり、3次元構造はL字型構造をとる。しかし、ミトコンドリアtRNAには通常のtRNAとは異なる2次構造をもつものが存在する。特に哺乳動物ミトコンドリアではセリンをコードするコドンAGY(Y=U,C)に対応するtRNASer(GCU)はDループが大きく欠けている。またアイソアクセプターtRNAであるコドンUCN(N=A,G,C,U)に対応するtRNASer(UGA)は、クローバーリーフ型であるが、アンチコドンが1塩基対長いという特徴をもっている。これらのtRNAも立体構造上は通常のtRNAに類似したL字型構造に近い構造をとることが示唆されている。これまで、これらのtRNAの翻訳における機能に関しては、主にアミノアシル化効率が調べられているのみで、翻訳活性についてはほとんど調べられていなかった。

 本研究ではtRNAsSerの翻訳活性を調べることにより、特異構造をもつtRNAの分子機能についての研究を行うことを目的とした。ウシ肝臓ミトコンドリアから調製した伸長因子とリボソームを用いて、これらのtRNAのin vitroの翻訳実験を行い、さらに翻訳反応における素過程での解析も行った。これらの結果をもとに、特異構造をもつtRNAの翻訳機能について考察を行った。

2.in vitroウシミトコンドリア翻訳系

 翻訳実験に用いるtRNAはT7RNAポリメラーゼを用いたin vitro転写合成により調製した(Fig.1)。tRNAに受容させるアミノ酸がセリンでは翻訳反応の検出において、生成したペプチドが酸不溶性画分とならないため、大腸菌のアラニルーtRNA合成酵素の基質認識部位である3G・U70ウォブルペアをアクセプタ−ステムに導入しアラニンを受容させることにした。また転写効率を上昇させるためにアクセプタ−ステムをすべてG-Cペアとした。さらにアンチコドンをGAAとし、アンチコドンループの配列を揃えるとともに、mRNAとして用いるpoly(U)を翻訳出来るようにした(以下、簡単のためにtRNASer(GCU)に対応するtRNAをAGYアナログ、tRNASer(UGA)に対応するtRNAをUCNアナログと呼ぶ)。

 アミノアシル化の効率はAGYアナログ、UCNアナログがそれぞれ、〜10%、〜50%だった。予備実験の段階において、アミノアシル化されていないtRNAが反応液中に過剰に存在すると翻訳反応が阻害されることが明らかとなったので、アミノアシル化したtRNAを過ヨウ素酸で処理後、ヒドラジンを固定化したカラムにより精製し、アミノアシルtRNAの割合を90%とした。これらのtRNAを用いて、ウシ肝臓より調製した伸長因子(mt EF-Tu/Ts、mt EF-G)、リボソーム(mt ribosome)から構成されるin vitroのウシミトコンドリア翻訳系で翻訳反応を行い酸不溶性画分に取り込まれた[3H]Alaの放射能を比較したところ、AGYアナログはUCNアナログに比べて非常に翻訳活性が低いことが分かった(Fig.2)。

3.翻訳生成物の解析

翻訳反応によって生成したペプチドの長さと量を調べるために、HPLCを用いてペプチドの解析を行った。翻訳反応を行った後、アルカリ処理によりペプチドをtRNAから遊離させ、逆相カラムにより分析を行った。その結果、UCNアナログはヘキサマー以上のペプチドも生成しているのに対して、AGYアナログではテトラマーより長いペプチドはほとんど生成していなかった(Fig.3)。in vitroの翻訳実験において、酸不溶性画分として検出したペプチドの長さを明らかにするため、UCNアナログを用いた翻訳反応の酸不溶性画分を同様にHPLCによって解析した。その結果、酸不溶性画分となるペプチドはヘキサマー以上のものであることが明らかになった。この結果から、AGYアナログはたしかに翻訳能をもつものの、UCNアナログに比べて短いペプチドしか生成できていないことから、翻訳反応の過程で律速となる段階が存在しているのではないかということが示唆された。

4.大腸菌tRNAとミトコンドリアtRNAの混合翻訳実験

 以上の実験では、単独のtRNAを用いて翻訳を行っているため、Dループの欠けたtRNAがリボソーム上に並ぶことによる活性の低下が原因ではないかと考えられた。そこで、大腸菌のフェニルアラニル(Phe)-tRNAを反応系に加え、通常のクローバーリーフ型tRNAとミトコンドリアtRNAをランダムにリボソームヘエントリーさせる条件で実験を行った。その結果、ミトコンドリアtRNA単独で反応を行うよりも、アラニンの取り込みは上昇した。しかし、取り込みの上昇の割合はUCNアナログに比べAGYアナログでは低かった(Fig.4)。Phe-tRNAを加えた場合のそれぞれの比率における生成したペプチドの量はAGY、UCNアナログともほとんど変わらないことから、AGYアナログによるアミノ酸の取り込みが低い理由として、tRNAのリボソームヘのエントリー能が低いのではないかということが考えられた。反応系に少ない割合で加えられている大腸菌tRNAによるアミノ酸の取り込みの方がミトコンドリアtRNAによるものよりも高いことは、大腸菌tRNAはミトコンドリアtRNAに比べて翻訳活性が高いという報告を確認する結果となった。

5.翻訳の素過程における実験

翻訳の伸長反応の素過程は1)アミノアシル−tRNAとEF-Tu・GTPとのternary complex形成2) Aサイトbinding 3)ペプチジルトランスファー4)トランスロケーションと大きく分けられる。AGYアナログがUCNアナログに比べ、どの素過程に問題があるのかを調べるため、まずternary comlex形成能から検討を行った。

5-1.Ternary comlex形成能

ternary complex形成能はアミノアシル−tRNAがGTP存在下にEF-Tuとコンプレックスを形成することでゲルでの移動が遅れることを利用したゲルシフトアッセイによって評価を行った。EF-Tuは加水分解しないGTPアナログであるGDPNPと結合したミトコンドリアEF-Tu(mt EF-Tu・GDPNP)を用い、[14C]で放射能ラベルされたアラニンを受容したtRNAを用いて実験を行った。その結果、解離定数はAGYアナログが14.2μM、UCNアナログが7.2μMとおよそ2倍の差があった(Fig.5)。この結果はAGYアナログの翻訳能が低下する原因となる可能性はあるが、通常、翻訳反応にはアミノアシル−tRNAに対して過剰量のEF-Tuを加えているため、これだけでペプチド生成量の低下を招いたとは考えられない。次に、tRNAのリボソームに対するbinding能についての検討を行った。

5-2リボソームを用いたbinding実験

 リボソームを用いた素過程を追う実験においてはショ糖密度勾配遠心法によって精製されたリボソームが必要となる。ミトコンドリアリボソーム(55S)を必要量、調製するのは大変困難であるため、調製の容易な大腸菌のリボソーム(70S)を用いることにした。使用にあたって、まずin vitroの翻訳実験を行い、ミトコンドリア由来のtRNAアナログと翻訳因子を用いる限り、ミトコンドリアリボソームを用いた実験と同様の結果が得られることを確認し、さらにHPLCによる解析によっても同様の結果を得た。この結果によって、AGYアナログの翻訳能の低さはミトコンドリアリボソーム特有の現象ではなく、tRNA自身に起因していると考えられた。

Pサイトbinding実験

 アミノアシル化されていないtRNAすなわち、デアシル−tRNAはまずリボソームのPサイトに結合することが分かっている。AGYアナログとUCNアナログのPサイトヘの結合能を調べたところ、ともに同程度の結合能をもつことが分かった。そこでさらに、Aサイトヘのアミノアシル−tRNAの結合能を調べた。

Aサイトbinding実験

 Aサイトヘの結合は細かく分けると、1) ternary complexのリボソームヘの結合2)コドン−アンチコドンの対合3) GTPの加水分解4) EF-Tu・GDPのリボソームからの解離とアミノアシル−tRNAのAサイトヘの結合である(Fig.6)。

リボソームのPサイトをE.coli deacyl-tRNAPheで埋めることにより自発的なトランスロケーションが起こらないようにしておくことで、Aサイトヘの結合能を評価する実験を行った。GTPの加水分解についての実験を行ったところ、AGYアナログ、UCNアナログともに同等のGTPの加水分解が起こっていた(Fig.7a)。このことから、コドン−アンチコドンの対合は同程度の効率で起こっているものと考えられる。次にEF-Tu・GTPに依存的するアミノアシル−tRNAのAサイトヘの結合をフィルターアッセイによって調べたところ、AGYアナログはUCNアナログの約1/3程度しかリボソームヘ結合しなかった(Fig.7b)。また、EF-Tu・GDPNPを用いたフィルターアッセイによっても同様の結果を得た。さらに、非酵素的なAサイトヘのアミノアシル−tRNAの結合を調べたところ、AGYアナログはほとんど結合しなかった(Fig7c)。Pサイトヘの結合能はAGY,UCNアナログともに同等であることから、翻訳効率の低下はAGYアナログのAサイトに対するアフィニティーの低さに起因することが強く示唆された。

Fig.1 Secondary structure of tRNA analogs

Fig.2 Translation activity of AGY- and UCN-specific tRNA analogs

Fig.3 Chromatogram of translation products

Fig.4 Incorporation of [3H]Alanine and [14C]Phenylananine

Open bars represent incorporated [14C]Phenylalanine and shaded bars show incorporated [3H]Alanine at each ratio(Ratio=Phe-tRNA/Ala-tRNA,Ala-tRNA:20pmol)

Fig.5 Gel shift analysis

Fig.6 A site binding

Fig.7 A site binding assay

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、動物ミトコンドリアに存在する特異構造をもつtRNAの翻訳機能を、ウシ・ミトコンドリアのイン・ビトロ翻訳系を用いることにより、明らかにしたものである。

 第1章では、本研究の背景を述べた。通常のクローバーリーフ構造とは大きく異なる2次構造をもつtRNAが動物ミトコンドリアには多く存在するが、特に後生動物においてはセリンに対応するコドンAGY(YはUまたはC)を翻訳するtRNASerGCUはDアーム部位を殆ど欠くという顕著な特徴をもっている。このような不完全なtRNAが果たして正常なtRNAと同様に機能するか否かは、tRNAの構造−機能相関の観点から大変興味深い問題である。しかしこれまではこの異常なtRNASerGCUの立体構造とアミノアシル化活性については調べられてきたが、その翻訳機能に関してはミトコンドリアのイン・ビトロ翻訳系を構築することが困難であったため、全く調べられていなかった。最近になって申請者の所属研究室でこの問題を解決した経緯を述べ、特異構造をもつtRNAの翻訳機能の解析からtRNAの構造と機能の関係について新しい知見が得られる可能性に言及した。

 第2章では、ウシミトコンドリアと大腸菌のイン・ビトロ翻訳系を構築するために必要な伸長因子(EF-Tu、EF-Ts、EF-G)とリボソームの調製法について述べ、アッセイを簡便化するために、アンチコドンとアミノ酸受容ステムに変異を導入し、ポリ(U)を鋳型とし、ポリ(アラニン)合成を行うことのできるイン・ビトロ転写によるtRNAの調製法と、アミノアシル−tRNAの精製法について述べた。

 第3章では、本研究で用いた、イン・ビトロのポリ(U)依存ポリ(アラニン)合成反応、逆相カラムを用いたHPLCでの生成ペプチドの解析、ゲルシフトアッセイによるアミノアシルーtRNAとEF-Tuとの結合能評価、リボソームヘのアミノアシルーtRNAの結合実験、ペプチド転移反応、リボソーム上でのtRNA転位反応等の実験方法について述べた。これらの実験により得られた結果から何が明らかになり、tRNAの翻訳能がどのように評価できるかについて述べた。

 第4章では、ウシミトコンドリアと大腸菌からのリボソームと伸長因子の調製法と、転写合成によるtRNAの調製法について述べ、これらを用いた翻訳実験の結果について記述した。すなわち、ウシ肝臓より調製した伸長因子(EF-Tu, EF-G)とリボソームを用いてポリ(U)依存ポリ(アラニン)合成反応を行い、Dループの欠けたtRNASerGCUはクローバリーフ型をとるtRNASer UGAと比べて翻訳活性がかなり低いことを見出した。大腸菌のリボソームを用いた場合でも同様の結果を得たことから、tRNASerGCUの低い翻訳活性はリボソームに由来するものではなく、tRNA自身に起因することがわかった。HPLCを用いて生成ペプチドの解析を行ったところ、tRNASerGCUによる合成反応ではアラニンの4量体までは生成するがそれ以上長いペプチドは生成しないことが分かった。さらに詳細に翻訳反応の素過程についての解析を行った。まずアミノアシルーtRNAとEF-Tu、GDPNPとの3者複合体形成能をゲルシフト・アッセイで調べたところ、tRNASerGCU複合体の解離定数はtRNASer UGAのそれの2倍程度に過ぎなかった。リボソームを用いた非酵素的な結合実験により、リボソームのPサイトに対する結合能はtRNASerGCU、tRNASer UGAともに同程度であったのに対して、Aサイトに対する結合能はtRNASerGCUが著しく低いことが明らかとなった。EF-Tu依存のアミノアシルーtRNAのAサイトに対する結合実験でもtRNASerGCUの結合能がtRNASer UGAのそれより著しく低いという結果が得られた。これらの結果より、tRNASerGCUのAサイトヘの結合能が低いことが翻訳能の低下の原因であることが示唆された。さらにリボソーム上でのペプチド転移反応と転位反応についても解析を行ったが、tRNASerGCUとtRNASer UGAで顕著な差は観測されなかった。以上の結果よりDループの欠けたtRNASerGCUの翻訳能の低下はリボソームのAサイトに対する結合能が低いことに起因すると結論づけられた。

 第5章では、以上の実験で得られた知見を総合して特異構造をもつtRNAの翻訳機能について考察した。特に、Dアームを欠くtRNASerGCUはそのアンチコドンステムがリボソーム小サブユニットのAサイトに位置する際に、おそらくDアームの欠如に起因して、tRNAのリボソームヘの結合能が低くなる可能性を指摘した。また、ミトコンドリアではこのような特異構造をもつtRNAが翻訳の調節因子として働いている可能性と、殆どすべてのtRNAに保存されているクローバリーフ型構造が通常の翻訳系における翻訳反応の均一性を維持している可能性とを指摘し、これらを検証するための実験系について考察した。

 以上、本論文は動物ミトコンドリアの特異構造をもつtRNAの翻訳機能をイン・ビトロの翻訳系を用いて詳細に検討したものであり、この研究により、翻訳過程でのアダプター分子としてのtRNAの構造−機能相関に関する新しい知見と、tRNAが翻訳機能を発現するための最少必須構造に関する有益な示唆が得られた。これらは翻訳機構の分子基盤の解明に貢献するばかりでなく、RNA機能に必要な構造に関する知見を提供した点でRNA工学に資するところも大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク