学位論文要旨



No 116800
著者(漢字) 原田,拓典
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,タクノリ
標題(和) Universal Chiroptical Spectrophotometerの開発及び固体試料測定
標題(洋)
報告番号 116800
報告番号 甲16800
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第358号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 大学院総合文化研究科教授 黒田,玲子
 東京大学 大学院総合文化研究科教授 赤沼,宏史
 東京大学 大学院総合文化研究科助教授 小倉,尚志
 東京大学 大学院総合文化研究科助教授 菊地,一雄
 東京大学 理学部教授 浜口,宏夫
内容要旨 要旨を表示する

 これまでに少数であるが,固体,ゲル,フィルム等つまり非液体状態におけるキラル測定1-9が行われており,さまざまな議論がされてきた。非液体状態でのキラルCD(Circular Dichroism), CB(Circular Birefringence=ORD; Optical Rotatory Dispersion)測定は,溶液では得られない情報を得ることができ,特に生体系試料の場合,溶液での測定よりもむしろin vivoに近い状態での測定が望まれ、より多くの情報を得ることができると考えられる。これまでなぜ少数の実験しか行われていないかの理由は,主たる原因は溶液状態とは異なる巨視的異方性が非溶液状態には特別な例外を除いて存在しており,それと避けられることのできない装置の非理想性とがこれら非溶液状態のキラル測定を困難にしてきたためである。

 従って非溶液状態でのキラル測定は多くの研究者たちが切望してきたが,その大きな巨視的異方性のためにあきらめざるを得なかった。そこで我々は,サンプルのchiral senseに由来するシグナルのみを得ることができるようにするため、分光計により検出されたシグナルから、非溶液状態に存在する巨視的異方性が寄与する見かけのシグナル(parasitic signal)を取り除くことができる装置と解析法を開発した。

 開発には大きな2本の柱がある。まず装置の性能,つまりサンプルのもつ巨視的異方性と,キラル測定に用いられる偏光変調分光計の各光学素子の非理想性とのカップリング効果(これが求める真のキラル測定の邪魔をしている)を最小限に抑えられる装置を作ること。なぜなら現実問題として理想的な光学素子は存在しないからである。

 もう一方は,できる限りの光学素子の厳選を行った装置で測定されたシグナルから,残留している巨視的異方性によるシグナル(parasitic signal)だけを取り除く解析方法の考案である。これはStorks-Mueller matrix analysisを用い,装置の非理想性も考慮に入れた計算を行い,検出されるシグナルにはどのようなサンプル及び,光学素子のシグナルが含まれているかを熟知した上で,解析を行う。そこで,キラル測定以外にも同じ測定装置で同時に巨視的異方性を測定できる装置が必要であることがわかった。そこで我々は2台のロックインアンプとアナライザーを分光計に導入してすべての偏光現象を測定可能なUniversal Chiroptical Spectrophotometer(UCS : J-800KCM)を構築した。さらにこの装置には固体測定用に特別にサンプルを入射光に対して垂直な面で360°高精度で回転できるサンプル回転ホルダーと、固体専用サンプルホルダーを装備している。

 本実験においては、測定装置から得られたシグナルの解析には,Mueller行列解析法10-15を用いている。Figure 1に示してある我々の測定装置は,アナライザーを挿入しない場合、50kHz、100kHzで、それぞれCD、LD(Linear Dichroism)、アナライザーを挿入した場合、それぞれLB(Linear Birefringence)、CBが測定され、検出されるシグナルは以下のように示される。

Without an analyzer

 Signal50kHz=G1(Px2+Py2)[CD+1/2(LD'LB-LDLB')]+G1(Px2-Py2)sin2a(-LBcos2θ+LB'sin2θ). ……(1)

 Signal100kHz=G2(Px2+Py2)(LD'sin2θ-LDcos2θ)+G2(Px2-Py2)sin2a{-CB+1/2(LD2+LB2-LD'2-LB'2)sin4θ+(LD'LD+LB'LB)cos4θ}. ……(2)

With an analyzer

 Signal50kHz=G3{CD+1/2(LD'LB-LDLB')-LBcos2θ+LB'sin2θ}, ……(3)

 Signal100kHz=G4{-LD'sin2θ+LDcos2θ+CB-1/2(LD2+LB2-LD'2-LB'2)sin4θ-(LDLD'+LBLB')cos4θ} ……(4)

 ここで、LD'、LB'は45°方向直線2色性、45°方向直線複屈折である。またPx2、Py2はそれぞれ、x、y軸にたいする光電子増倍管(PM)の透過率で、`'a"はx軸に関するPMの方位角である。θはサンプルの回転角。G1,G2,G3,G4、アナライザーを用いない場合と用いる場合の50kHz、100kHzそれぞれの装置定数である。

 (1)(4)式が示すように、溶液の場合は、巨視的異方性がないためそれぞれ検出されるシグナルは、CD,CBになるが、固体状態ではキラルsenseによるシグナルに加えて巨視的異方性による項が含まれている。従って固体試料の場合のキラル測定は、これらの項をいかにして取り除きキラルsense由来のシグナルだけを抽出するかが鍵となる。そこで我々はMueller matrix法を駆使し考案した固体状態における真のCD及びCBシグナルを求める解析法を用い固体試料の測定を行った。結果、我々の開発したUCSと解析法により、これまでは測定が困難であった巨視的異方性を持つ固体試料(有機、無機単結晶、高分子フィルム、生体高分子フィルム)のキラル測定も可能になり、また試料が光学的に均一なのか不均一なのかの光学的性質まで知ることができた。Figure 2は高度に延伸したPVAフィルムをCongo Redで染めたサンプルの真のCDスペクトルと巨視的異方性による見掛けのスペクトルを示している。巨視的異方性に起因する見かけのシグナルを除去し真のCDシグナルを得ることができた。

 今後さらにさまざまな知見を与えてくれるだろう、この装置及び解析法について更なる開発を進めていく。

References

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Figure 1 Block diagram of a Universal Chiroptical Spectrophotometer(J-800KCM)

L.S. : Xe-lamp Mo. : Monochromator P : Polarizer Ph : Photomultiplier M : Photoelastic modulator S : Rotatory Sample Holder D : PEM driver BA : Buffer Amplifier PS : Photomul Power Supply A : Analyzer(Glan-Tayler, Rochon) DC : dc Amplifier LA1 : 50kHz Lock-in Amplifier P.M. : Pulse motor R : Recorder(SEKONIC SS-250F) LA2 : 100kHz Lock-in Amplifier

Figure 2 Solid line : appCD spectrum of PVA-Congo Red stretched film(face); Dotted line : appCD spectrum of PVA-Congo Red stretched film(back); Broken line : CDtrue spectrum derived from analysis using of the Mueller matrix method

審査要旨 要旨を表示する

 固体,ゲル,フィルム等の非液体状態でのキラリティーCD(Circular Dichroism), CB(Circular Birefringence=ORD; Optical Rotatory Dispersion)測定は,溶液では得られない情報を得ることがでる。たとえば分子自体はキラルではないが、固体中でのパッキングによりキラルな性質を持つものがある。このようなサンプルは固体状態でしかキラリティーを測定することができない。また生体系試料の場合,溶液での測定よりもよりin vivoに近い状態での測定が望まれる。しかしこのような必要性に反して、これまで少数の実験しか行われていないが、その主たる原因は、溶液状態とは異なるサンプルの持つ巨視的異方性LB, LD(Linear Birefringence, Linear Dichroism)が非溶液状態には特別な例外を除いて存在していることであり、またキラリティー測定に使用される装置が偏光変調分光計であるために避けることのできない装置の非理想性が測定結果に影響を与えるためである。従って非溶液状態でのキラリティー測定は多くの研究者たちが切望してきたが,その大きな巨視的異方性のためにあきらめざるを得なかった。

 非溶液状態におけるサンプルのchiral senseに由来するシグナルのみを得ることができるようにするためには、分光計により検出されたシグナルから、非溶液状態に存在する巨視的異方性が関与する見かけのシグナル(parasitic signal)を取り除くことができる装置と固体試料解析法の開発が必要である。原田氏は当研究室の開発プロジェクトに参画し、光学、電子部品の選択法の検討と選択、LD, LBシグナルの検量法の考案、自動的試料回転のためのソフトの組み入れ、正しいシグナルのみを得る測定方法の開発とそれらのデータ処理のためのスペクトル演算プログラミングなどを行い、重要な寄与をした。そしてそれらを実際のサンプルに適用し、装置の正当性を確認するとともに、固体状態サンプルについて新しい知見を得た。

 開発には偏光変調分光計の開発や、検出されるシグナルの解析に有効とされている方法の一つであるStokes-Mueller matrix analysisを用いている。Stokes-Mueller matrix analysisにより、固体状態で測定されるシグナルの中には、求める試料のキラルな性質に由来するCB, CDシグナル以外にも、装置の非理想性とサンプルの持つ巨視的異方性とのカップリングの項、巨視的異方性単独のサンプルの回転に依存する項、及び、巨視的異方性同士のカップリングの項が含まれており、従ってこれら巨視的異方性が関与している項を観測されたシグナルから取り除かなければ、求めるCD, CBシグナルを得ることはできない。したがって開発には次の大きな2本の柱がある。まず装置の性能,つまりサンプルのもつ巨視的異方性と,キラリティー測定に用いられる偏光変調分光計の各光学素子の非理想性とのカップリング効果を最小限に抑えられる装置を作ること。もう一方は,できる限りの光学素子の厳選を行った装置で測定されたシグナルから,残留している巨視的異方性によるシグナル(parasitic signal)だけを取り除く解析方法の考案である。これらは、それぞれ第二章と第三章でまとめてある。

 第二章では、固体状態におけるキラリティー測定が可能な装置の開発についてまとめてある。Stokes-Mueller matrix analysisを用い、光学系では、使用される偏光変調素子(PEM),光電子増倍管(PM)を厳選し、電気系では、PEMを駆動する回路にPhased locked loop回路を設置し、避けることのできない装置の非理想性を3倍近く改善することができた。また固体の測定には、ロックインアンプでdetectされる見かけのシグナルからparasitic signalを取り除くために、CB,CD測定以外にも同じ測定装置で同時に巨視的異方性LB,LDを測定できる装置が不可欠である。そこで分光計に2台のロックインアンプとアナライザーを導入してすべての偏光現象(LB, LD, CD, CB)を測定可能なUniversal Chiroptical Spectrophotometer(UCS)を構築した。さらにこの装置にはサンプルを入射光に対して垂直な面で360°高精度で回転できるようにするため、コンピュータコントロールされたサンプル回転ホルダーを備えており、また、サンプルの裏表も測定できるようにデザインされた固体専用サンプルホルダーを装備している。UCSは、LB, LDを測定できるようにしたため、それらのキャリブレーション法を考案し、装置に適用した。

 第三章では、装置の開発同様Stokes-Mueller matrix analysisを用い、装置の非理想性も考慮に入れた計算を行い,検出されるシグナルにはサンプル及び,光学素子のどのようなシグナルが含まれているかを分析した上で,解析法を開発した。二章で開発したUCSは非理想性を最小限に抑えたが、非理想性がなくなったわけではない。従って、巨視的異方性とのカップリング効果による残存するparasitic signalを取り除かなければ求めるCD、CBシグナルを得られない。そこで検出されるシグナルから、parasitic signalを取り除きCB,及びCDシグナルのみを得られるCB, CD固体試料測定法を考案した。ここではこれらCD, CB固体試料測定法についてまとめてある。さらに、試料の光学的性質つまりそれが光学的に均一なのか不均一なのかに関する知見を与えてくれる装置としての有効性も検討した。

 第四章では、開発したUCSと解析法を用い、これまでは測定が困難であった巨視的異方性を持つ固体試料(有機、無機単結晶、高分子フィルム、生体高分子フィルム)のCB, CD測定を行った結果を示してある。光学的に不均一なサンプルは巨視的異方性に起因するシグナルと、キラルな性質に由来するシグナルを分離し、個々のシグナルとして取り出すことはできなかったが、光学的に均一な試料においては、観測されたシグナルからサンプルの持つ巨視的異方性によるシグナルを取り除き、キラルな性質に由来するCB, CDシグナルのみを得ることができた。タンパク質はフィルムになる過程で2次構造が変化し疾病に関連して注目された報告があったが、これが巨視的異方性による偽のピークによる誤りであることも見いだした。2次構造は液相−固相転移では変化しなかった。さらにこの測定装置と測定方法から試料が光学的に均一か不均一かの光学的性質に関する知見を得ることもできた。

 このように多くの分野でさまざまな知見を与えてくれる可能性をもつ、Universal Chiroptical Spectrophotometerの開発に重要な役割を果たし、実際に数種類の固体サンプルに対して応用して汎用性があることを証明した。タンパク質の固体状態への相転移における構造変化に対しても知見を得た。

 従って、本論文は博士(学術)の学位論文としてふさわしいものであると審査委員会は認め、合格と判定した。

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