学位論文要旨



No 116820
著者(漢字) 伊藤,淳司
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ジュンジ
標題(和) 動的ネットワークにおける自発的構造形成
標題(洋)
報告番号 116820
報告番号 甲16820
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第378号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 助教授 佐々,真一
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 教授 津田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

 複雑系研究において中心的な興味の対象となっているのは、要素間の相互作用を考えることによって、要素単体では見られなかった性質が新たに現れてくるという、いわゆる創発と言われる現象である。一般に、このような現象の基盤には、要素の役割分担やグループ化などの、要素間の関係性の変化が存在している。

 ところで、ネットワークとは、まさにこの、要素間の関係性そのものを表す概念であった。多数の要素が存在し、その間に相互作用があるような系は、すべてネットワークとして捉えることができるこれは、複雑系研究は不可避的にネットワークの研究をその中に含んでいることを意味している。

 しかしながら、複雑系の普遍的構造としてネットワークを捉え、その性質を明らかにしようとする研究は、未だ十分には為されていない。本論文は、このような研究のさきがけとして位置付けられる。すなわち、複雑系一般において見られるネットワークの持つ普遍的な現象を捉え、そのしくみを探ることで、複雑系一般に対する理解を深めることを目的とする。

 本研究は、動的ネットワークにおいて一般的に現れる現象を見出し、そのメカニズムを明らかにすることを目的とする。このため、モデルとしては、大自由度力学系において見られる普遍的な性質を最も簡潔に表現していると考えられる、GCMを用いる。このような、非常に単純なモデルを用いることで、動的ネットワーク一般に現れる性質をとらえることを狙うのである。

 従来のGCMにおいては、要素間の結合強度は定数であったが、これを要素の値に応じて変化させることによって、要素のダイナミクスと結合強度のダイナミクスとの間に相互作用を持たせることができる。このような相互作用は、従来のモデルには組み込まれておらず、われわれの研究によってはじめてその性質が明らかにされるべきものである。

 要素のダイナミクスや結合強度のダイナミクスの選び方で、さまざまなモデルが構成できるが、本論文では、4種類のモデルについてそのふるまいを調べた。

 第一のモデルは、ロジスティックマップを要素のダイナミクスに持ち、結合強度は要素の運動の同期を強めるように変化するものである。このモデルは以下の方程式系で表される。

aは要素のダイナミクスの非線形性を表すパラメータ、cは要素間の相互作用の強さを表すパラメータ、δは結合強度の変化のしやすさを表すパラメータ、Nはシステムサイズである。このモデルでは、パラメータ空間の広い範囲で、要素が自発的に2つのグループに分離し、一方のグループは他方へ結合を持つが、その逆の結合はほとんどないという構造が自発的に形成される。

 第二のモデルは、モデルIの結合強度のダイナミクスに遅れを入れたもので、この遅れの導入により、要素はカオス的遍歴を見せるようになる。ここでの構造形成は、ただ一つの要素が、他のほぼ全ての要素へ結合を出し、他の要素は、その要素からのみ結合を受けるというものになる。

 第三のモデルは、興奮性の振動子の結合系である。これは、第一、第二のモデルで見られる構造形成が、ロジスティックマップの結合系に特有のものではないことを示すために調べられた。このモデルは以下の方程式系で表される。

このモデルでは、系内の少数の要素が自発的にペースメーカーとなり、それぞれのペースメーカーは異なる要素のグループを同期に導く。この状態では、おのおののグループは異なる位相で振動しており、それを反映してネットワークは、それぞれのグループに属する要素がそれぞれのペースメーカーとのみ結合するという構造になっている。

 第四のモデルは、神経回路網との接点を意識しつつ構成されたモデルで、他のモデルとは異なり、外部からの入力が導入されている。このモデルは以下の方程式系で表される。

外部入力のある状態で、このモデルは自発的に階層的なネットワーク構造を形成することが見出された。この階層構造は、外部入力が印加されている要素を起点として形成され、入力が除去されると速やかに崩壊する。またこの構造は時間的に固定しておらず、要素はその階層構造のなかで、属する層を時間的に変動させている。しかしながら、そのような変動は、入力が加わっている要素に近い層(上層)ほど弱く、すなわち、上層から下層へむけて、安定性が低下していっていることが確かめられた。

 これら全てのモデルにおいて、特定少数要素から、他の多数の要素への結合の特異的な強化という現象が共通して現れている。この共通性は見かけだけのものではなく、その構造形成のメカニズムにもある程度の共通性がある。そのメカニズムを簡単に述べると、まず、要素のダイナミクスの非線形性によって要素間の相関にバラエティが生じる。それが引金となって、結合強度のダイナミクスによって各要素の他要素との結合のパターンにもバラエティが現れる。そのようなバラエティが再び要素のダイナミクスに影響を与え、しかもその影響が、もとのバラエティを増幅させるようなものである場合、すなわち、要素のダイナミクスと結合強度のダイナミクスとの間にフィードバックが働いている場合に、ネットワーク構造の自発的形成が現れる。このメカニズムは、特に第一のモデルについて詳細に調べられている。

審査要旨 要旨を表示する

 要素間の相互作用により、要素の役割分担やグループ化などの、要素間の関係性がいかに変化し、構造を作っていくかは、生命システムや社会システムを考えていく上で重要な問題である。この要素間の関係性の研究は最近、ネットワーク構造の研究として盛んになっている。しかし、これらは静的な構造の研究が主流であり、ネットワークがどのように形成ないしこわされるかのダイナミクスの研究は未だ十分にはなされていない。伊藤氏の論文は、このような研究の端緒として、あるクラスの可変な結合を持った大自由度力学系を調べ、ネットワーク構造ダイナミクスのいくつかの現象を発見、そのしくみを明らかにしたものである。

 本論文は9章107ページからなる。第1章では、これまでのネットワーク研究をふりかえり、動的ネットワーク研究が細胞生物学、神経系、生態系、社会系で必要であることが議論される。この論文では動的ネットワークにおいて一般的に現れる現象の研究のために結合の変化する大域結合写像系(GCM)が4種類導入される。従来のGCMにおいては、要素間の結合強度は定数であったが、これを要素の値に応じて変化させることによって、要素のダイナミクスと結合強度のダイナミクスとの間に相互作用を持たせたのである。

 まず第2章では、カオスを示すダイナミクス(ロジスティックマップ)を要素にとり、結合強度は要素の運動の同期を強めるように変化し、要素への結合強度が互いに競合する効果を規格化という形でとりいれたモデルが導入される。第3章ではこのモデルの相図、ネットワークの構造が調べられる。特にパラメータ空間の広い範囲で、要素が自発的に2つのグループに分離し、一方のグループは他方へ結合を持つが、その逆の結合はほとんどないという構造が自発的に形成される。この新しい構造形成のメカニズムは振動の同期とクラスター化の観点から第4章で明らかにされ、またこの現象がサイズや結合変化の時間スケールにどう依存するかは第5章で述べられる。

 ついで第6章では結合強度のダイナミクスに遅れを入れたモデルが考えられる。この遅れの導入により、要素はカオス的遍歴を示すようになり、その結果ただ一つの要素が、他のほぼ全ての要素へ結合を出し、他の要素は、その要素からのみ結合を受けるという構造が形成される。第7章では要素のダイナミクスをカオスでなく興奮性の振動子としたモデルが調べられる。ここでもネットワークの構造形成が見られるが、この場合、系内の少数の要素が自発的にペースメーカーとなり、それぞれのペースメーカーは異なる要素のグループを同期に導くという形のネットワークが形成される。ついで第8章では、神経回路網との接点を意識して、これまでのモデルに外部からの入力が加えられる。外部入力によって自発的に階層的なネットワーク構造が形成されることが示される。この階層構造は、外部入力が印加されている要素を起点として形成され、入力が除去されると速やかに崩壊する。この構造は時間的に固定しておらず、要素はその階層構造のなかで、属する層を時間的に変動させているが、そのような変動は、入力が加わっている要素に近い層(上層)ほど弱く、すなわち、上層から下層へむけて、安定性が低下していくことが確かめられる。この場合上部の構造の持続時間はべき分布をなすことが数値的に示される。

 これら全てのモデルにおいて、特定少数要素から、他の多数の要素への結合の特異的な強化という現象が共通して現れている。この共通性は以下のような構造形成のメカニズムに由来すると議論される。「まず、要素のダイナミクスの非線形性によって要素間の相関に多様性が生じ、それが結合強度のダイナミクスを通して各要素の他要素との結合の多様性に転化される。この結合変化はまた要素のダイナミクスに影響を与える。このフィードバックによって結合の違いが増幅され、支配する側とされる側に分化したネットワーク構造が形成される。」この共通性の一方で、支配する側の要素数がどのくらいあるかに応じて、支配側の要素数が比較的多く支配被支配の2極に分離するケース(3-5章)、支配側が1要素でそこに1極集中する場合(6章)、少数のペースメカーに分かれる場合(7章)、階層的な支配関係が形成される場合(8章)というように、4つのモデルで異なる構造も見出される。

 第9章では、本論文の結果をまとめ、構造形成の一般性が議論されている。このように、伊藤氏はその論文において、動的な要素の示すネットワークの構造形成について新しい現象のクラスを発見し、その機構を示している。ただし、ここで示した結果がどこまでの普遍性を持つかは将来の研究を待つ段階であり、特にここで用いたモデルの結合の競合関係の形を替えた場合にどこまで普遍的かは今後明らかにされていかねばならない。また神経ネットワークなどでの構造形成にどう関連するかも今後の研究に待たねばならない。しかし、この論文で見出されたような現象例をはじめて明示し、その機構を論じたことは今後さまざまな問題に大きな意義があると思われる。また、モデルの簡単さとそのメカニズムからいって、非線型ダイナミクスを持つ要素がその状態に依存して結合を変え、その際に結合増強に競合があるような問題に対してはかなり一般的に成り立つとも予想される。その意味から、今後生物系や社会系のネットワークのダイナミクスを考えていく上での1つの規範を与えると期待される。

 なお、本論文の第3章、第6章、第8章の結果は既にそれぞれ論文として計3篇出版されており、第4-5、7章の結果は現在論文として投稿準備中である。

 以上の点から本論文は博士(学術)の学位を与えるのにふさわしい内容であると審査委員会は全員一致で判定した。

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