学位論文要旨



No 116844
著者(漢字) 齊藤(梅野),有希子
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ(ウメノ),ユキコ
標題(和) 量子転送行列法による一次元強相関電子系の熱力学的性質の解析
標題(洋) Quantum Transfer Matrix Approach for Thermodynamic Properties of 1D Strongly Correlated Electron Systems
報告番号 116844
報告番号 甲16844
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4107号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,實
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 助教授 加藤,雄介
内容要旨 要旨を表示する

 低次元量子系の研究は物理的、および数学的な興味から多くの研究がなされている。低次元系は、従来は数学的な模型とみなされていたが、実際の物理系および人工物質等の出現により、物理学においても注目を集めるようになった。また、このような系では摂動論や平均場近似等、従来の近似手法では説明できない多体現象が数多く存在し、厳密な取り扱いは非常に重要である。そして、1次元系においては、厳密に扱うことできる模型(可積分系)が存在し、豊かな数学的な性質を持つ事が分かっている。低次元系の厳密な解析は基底状態の解析が主流となっている。有限温度ではバルクの物理量の相転移は存在しない。しかし、最近、磁場中のXXZハイゼンベルグ模型においてスピン相関関数の漸近形の振動項に整合・不整合転移が確認され、有限温度での解析の重要性が見直された。本論文においては、有限温度における相関関数等の局所的物理量の厳密な解析を目的としている。

 有限温度における厳密な解析はストリング仮説と量子転送行列によるものがあるが、前者は相関関数等を評価するのに適していなく、後者を用いることにする。有限温度での解析は可積分系においても、全ての固有状態による効果の足し合わせという非常に取り扱い難い問題であるが、量子転送行列法により、バルクの物理量や相関関数の漸近形などは行列の固有値問題に帰着する。バルクの物理量は最大固有値から、相関関数は対応する固有値と最大固有値の比により与えられる。量子逆散乱法の枠組みの中で系の可積分構造を用いることにより、量子転送行列を厳密に対角化することができる。

 量子逆散乱法による解析はスピン系において研究が発展しており、フェルミオン系においては発展途上である。量子逆散乱法の枠組みの中でフェルミオン系を直接扱う方法として、位数付き(graded)ヤン・バクスター方程式に基づく方法が存在する。この手法は可積分性を示し、転送行列の固有値を得るのには有用であるが、量子転送行列を対角化することはできない。そのため量子転送行列の解析はスピン系に変換することによって行われており、バルクの物理量においては正しい結果が得られている。しかしながら、スピン系への変換は局所的に表現されていないため、相関関数などの性質はスピン系の量子転送行列の解析によって得る事は不可能である。したがって、フェルミオン系を直接扱う新たな手法が必要となる。

 本論文では、量子転送行列を対角化しうるフェルミオン系の量子逆散乱法を開発し、有限温度における相関関数のフェルミオン系の本質的な性質を導きだすことに成功し、興味深い成果を得た。この手法では、量子逆散乱法の中核をなすヤン・バクスター方程式は、フェルミオン演算子表式のフェルミオン的R演算子から構成されている。また、ここでフェルミオン演算子にたいする"Super-Trace"および"Super-Transpose"を導入した。周期的境界条件および開境界条件のもとで可積分性を示し、転送行列と同様に量子転送行列も対角化できる。ここで注目すべき事は、位数付きヤン・バクスター方程式に基づく方法において、量子空間はフェルミオンの空間であり補助空間は位数の付いた空間であったのに対し、この手法では量子空間と補助空間ともにフェルミオンの空間となっている事である。その結果、量子空間に働く転送行列の対角化と同様に補助空間に作用する量子転送行列も厳密に対角化できる。

 まず、もっとも簡単で非自明な模型として、スピン自由度のないフェルミオン模型(XXZフェルミオン模型)を解析することにより、この手法の開発を行った。量子転送行列はフェルミオン的R演算子とその"Super-Transpose"から構成されている。量子転送行列の作用する補助的な空間はトロッター空間と呼ばれ、この空間を無限にとる事(トロッター極限)により、固有値が熱力学量の厳密な値を与えるようになる。可積分構造(ヤン・バクスター方程式)を用いた解析において、量子転送行列に対し、ある複素パラメータυが導入される。パラメーターυがゼロで通常の量子転送行列となるが、このパラメーターは非常に重要な役割を果たしており、トロッター極限をとる事が可能となる。ヤン・バクスター方程式から代数的ベーテ仮説を用いて量子転送行列は厳密に対角化され、ベーテ仮説方程式が得られる。ここで得られたベーテ仮説方程式は、スピン系に対するものと異なり、フェルミオン的な性質を特徴づけるものとなる。

 トロッター極限は、しばしば難しい作業であり、パラメーターυの導入は特記すべき点である。量子逆散乱法により定式化された量子転送行列の固有値にはトロッター数(トロッター空間の大きさ)に比例する多数の変数を含んでいる。それらの変数はベーテ仮説方程式を解くことにより与えられ、バルク量(最大固有値)やそれぞれの相関関数に対応する解(ベーテ解)を見つけることとなる。トロッター極限は無限変数の方程式を解く事を意味するが、パラメーターの導入により、有限変数の解析がトロッター極限においても意味あるものとなる。有限トロッター数でのベーテ解の分布および量子転送行列等の複素υ平面上の普遍的な解析的性質(特異点やゼロ点の様子)から、閉じた非線形積分方程式を導き出す事が可能であり、その方程式においてはトロッター数の無限極限をとることが可能となる。

 以上のような手法により、1粒子グリーン関数を評価する。最大固有値を与えるベーテ仮説方程式の解はスピン系と等価となっているが、相関関数に対応する固有解は異なるものとなっている。そのベーテ解は非対称な解であり、固有値は虚数となる。相関関数の相関長は固有値の絶対値より、振動項は偏角により与えられる事が分かっているが、虚数の固有値は、系に非整合な振動を意味しており、フェルミオン系特有の性質である"kF振動"を与える。相関長も求められ、ゼロ温度極限で共形場理論の有限温度補正に一致する結果である。こうして、本模型において、フェルミオン系と対応するスピン系の相関関数が非等価であることが明らかになった。

 次に、ハバード模型に対して解析を行った。スピンのないフェルミオン系にくらべ、非常に複雑な構造を持っているが、フェルミオン的R行列による手法により簡単化され、転送行列と量子転送行列は同じ代数構造を呈しており、同様に対角化される。ここで得られたベーテ仮説方程式によって、"原理的に"全ての相関関数を評価する事が可能である。スピン相関関数〈SzjSzk〉の漸近形の解析は物理的に非常に興味深い問題である。ハバード模型において、先に述べた振動項の不整合・整合転移の遍歴電子による効果も見られると考えられる。しかし、本論文では我々の手法が効力を発揮する1粒子グリーン関数の解析を主に行った。

 有限トロッター数でのベーテ解の性質から、有限温度における1粒子グリーン関数の"kF振動"など、定性的な性質をみた。さらに、系がhalf-fillingの場合と、他の場合において、低温での振る舞いについて議論した。温度ゼロにおいては、half-fillingのとき、系はモット絶縁体となっており、電荷励起にギャップを持ち、half-fillingから少しずれると、ギャップが閉じたことがことが分かっている。その結果、低温において相関長が前者では有限にとどまり、後者では発散すると予想され、その傾向を確認した。これらのフェルミオン系特有な有限温度の性質は、フェルミオン的R行列を用いることなしには得られない結果であると考える。

 ハバード模型の解析は本論文では、有限トロッター数においてなされたものであり、今後の発展として、無限トロッター数の解析を考えている。低温でのより信頼性のある解析が可能となり、half-fillingから少しずれたときにおいては、ゼロ温度極限での共形場理論との一致も確認されると考えている。他の相関関数の評価も興味深い課題である。我々の導入した方法では系の対称性が、フェルミオン的R行列に自然な形で組み込まれており、新たな見地を期待する。

 以上のように、本論文において、有限温度における相関関数の解析を行い、フェルミオン系特有な性質を明らかにした。厳密解析の手法と数値的計算を組み合わせることにより、導き出された系の振る舞いはより深いレベルで理解される。これらの解析は系に潜む豊かな対称性や、数学的構造により可能となるが、共形場の理論等により、その普遍性も議論できる。強相関電子系のより一般的な物理系に対しても、ユニバーサリティーの概念から新たな知見を与えると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章に別れ、1章は全体の紹介、2章は1次元スピンレスフェルミオン系の量子転送行列のフェルミオン的定式化のレヴューをしている。これは転送行列のフェルミ粒子表示の準備となるものであり、3章では本論の1次元ハバード模型の1粒子密度行列の相関距離の温度依存性を研究している。第4章は全体のまとめである。

 一般に1次元のスピンレスフェルミオン系はJordan-Wignerの変換により、XXZ模型に変換されるので、自由エネルギーの計算やスピンの相関距離の計算には通常のsix-vertex模型のR演算子の方法で十分であるが1体の密度行列にからむ相関距離の計算にはフェルミオン的定式化が必要になる。またハバード模型もJordan-Wigner変換によりスピンモデルに変換した研究がなされてきたが1体の密度行列にかんする相関距離の計算にはやはりフェルミオン的定式化が必要になってくる。

 Hubbardハミルトニアンは

であらわされる。この1次元量子模型に対応する2次元古典系はShastryによって提案された。Shastryはこれをスピン模型に変換して論じたが、1粒子密度行列を計算するためこの論文ではフェルミ演算子を用いて次のようなR演算子を導入する。

この演算子はYang-Baxter関係式

を満足するのでこれから可解の2次元模型が定義され、転送行列は

となる。ハミルトニアンは

であらわされる。また

とすると、これもYang-Baxter関係式を満足し、

も交換する転送行列である。

なので分配関数は

となる。従って量子転送行列を定義し、

最大固有値λ1を求めれば分配関数は

で与えられるのでサイト当たりの自由エネルギーは−β-1lnλ1となる。またこの行列の部分空間での最大固有値を求めれば

等の2点関数の相関距離が求められる。この論文では〈C†jCk〉の相関距離を数値計算を行った。Hubbard模型でhalf-filledかつzero-fieldの場合は絶対零度でも有限でStafford-Millisは

になると予想している。この数値計算ではN=1024までの計算を行い、低温での相関距離を評価し、この予想がよく成り立っていることを確認した。

 本研究の内容は数理物理的に興味深いだけでなく、実際の量子一次元系の物理としても重要なものを含んでいる。また一貫して厳密な手法で問題を扱っているばかりでなく、相関長の具体的な計算も行っている。論文提出者はこの分野で少なからぬ寄与をしたと評価でき、博士論文として、十分合格と判断される。なお本研究は和達三樹氏,城石正弘氏、鈴木淳史氏、堺和光氏、Heng Fan氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行なったもので論文提出者の寄与が大きいものと認められる。従って、審査員一同、論文提出者は理学博士の学位にふさわしいと判定した。

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