学位論文要旨



No 116856
著者(漢字) 野崎,真利
著者(英字)
著者(カナ) ノザキ,マサトシ
標題(和) 境界を持つ共形場理論による曲がった空間上のDブレインの研究
標題(洋) Boundary CFT description of D-branes on curved backgrounds
報告番号 116856
報告番号 甲16856
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4119号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 教授 柳田,勉
 東京大学 助教授 筒井,泉
 東京大学 助教授 松尾,泰
内容要旨 要旨を表示する

 超弦理論は,重力を含む全ての力を統一的に記述する可能性のある現在知られている唯一の理論である.しかしながら,この弦理論が現実世界を記述するためには解決すべき問題が多く残されている.もともと10次元時空を記述する超弦理論から,どのようにして我々の住む世界である4次元時空を導き出してくるのだろうか?現実に存在する粒子の質量や世代を超弦理論から予言することができるのだろうか?そもそも,我々の世界は一意的に決まるのだろうか?これらの多くの疑問に対する答えは,今のところ見つかっていない.

 しかし,近年の超弦理論の発展の中で最も大きな役割を果たしてきたもののがDブレインである.Dブレインは開弦の端が満たす境界条件(Dirichlet境界条件)で定義された高次元に広がりを持つソリトンであり,ブレイン上にはゲージ理論を誘導する.そのため,実は我々の住む世界はbulkである10次元ではなく,ブレイン上の世界なのではないかという考えが生まれるようになった.そこで本論文で具体的に取り扱う研究のテーマは,Dブレイン,特に幾つかの厳密な取り扱いが可能な曲がった空間におけるDブレインの性質を調べ,平坦な空間中のDブレインの議論からは知ることのできない曲がった空間特有の新しい現象を発見し,その性質を解明していくことである.

 一般に,曲がった空間上の弦理論は2次元共形場理論(CFT)で記述されるが,その曲がった空間にDブレインを持ち込むということは,開弦が掃く世界面に適当な境界条件を満たす境界を持ち込むことである.すなわち,曲がった空間上にDブレインが存在する系は,境界を持つ2次元CFTで記述れ,特にDブレインはboundary stateと呼ばれるもので記述される.このboundary stateは,Dブレインの閉弦のソースとしての描像を与え,弦の全ての振動モードまで取り入れた厳密なDブレインの記述を与えるものである.しかしその厳密性の一方で,boundary stateは理論にあるカレント代数が満たす境界条件の解として与えられるため幾何学的な描像を直接見ることができないという欠点を持っている.このboundary stateの幾何学的な解釈は近年の研究の中心的な課題であり,本論文においても主要なテーマとなっている.

 本論文では,3種類の曲がった空間上の弦理論を記述するCFTに対するboundary stateの解析を行った.その3種類のCFTとはSU(2) Wess-Zumino-Witten (WZW)モデル,Gepnerモデル,風間−鈴木モデル(N=2 coset model)である.

 第一に,SU(2) WZWモデルのboundary stateに対して考察をした.SU(2) WZWモデルは,標的空間がS3で,H=dB=const.のフラックスを持つような曲がった空間上の弦理論を厳密に記述しており,その上にD0ブレインとS3のconjugacy class (〓S2)に巻きついたD2ブレインが存在することが知られている.そして低エネルギー有効理論の立場から,このD2ブレインは幾つかのD0ブレインから構成できるということが予想されていた.我々は,このD0ブレインを幾つか用意したとき,実際にどのような配位をとるとconjugacy classに巻きついたD2ブレインと同一視してよいのかということをboundary stateを用いてより精密に調べた.

 我々が得た結果は,D0ブレインの位置を表す座標Xiが次のような[Xi,Xj]=i∈ijkXkという非可換な交換関係を満たしているとき(これをFuzzy sphere配位と呼ぶ),Fuzzy sphere配位のD0ブレインを記述するboundary stateが満たす境界条件は,D2ブレインを記述するboundary stateが満たしている境界条件と全く同じ条件を満たしていることを示した.この結果は低エネルギースケールを超えたストリングスケールで証明された結果であり,Fuzzy sphere配位のD0ブレインがD2ブレインと同一視できる強力な証拠を与えている.さらに半古典極限の下では,D0ブレインのFuzzy sphere配位を表すboundary stateとD2ブレインを表すboundary stateが係数まで含めて完全に一致することを示した.こうしてFuzzy sphere配位のD0ブレインからD2ブレインへの生成をboundary stateを用いて厳密に示すことができた.

 さらにSU(2) WZWモデルを10次元のType II超弦理論のNS5背景中に埋めこむと,超対称性に関する議論ができるようになりD0ブレインの配位がBPS状態なのかnon-BPS状態なのかを議論することができる.そこで得られた特筆すべき結果は,D0ブレインがFuzzy sphere配位のときに限り,BPS条件を満たしていたということである.特にこの結果は,決して平坦な空間では見ることができない非常に新しい描像を与えている.なぜならば,平坦な空間の場合はBPS状態であるD0ブレインを任意にばらまいたとしてもやはり系全体としてBPS条件を保つのである.しかし同じことを曲がった空間ですると,その系はnon-BPS状態になってしまい安定ではいられないのである.そしてそれらは最終的にBPS条件を満たす安定なFuzzy sphere配位に流れてD2ブレインを形成すると思われる.

 次にType II超弦理論におけるCalabi-Yau多様体(three-fold)上のDブレインについて考察した.このようなDブレインの考察をすることは非常に面白い.というのも,Dブレインには2つの見方があるからである.1つは古典的なCalabi-Yauのサイクルに巻きついたブレイン,もう1つはCalabi-Yau上の超弦理論を記述するものとして知られているGepnerモデルから構成されるべきboundary stateである.この2つのブレインはCalabi-Yauの体積の大きさをパラメトライズするケーラーモジュライ空間中の互いに異なる点で特徴づけられており,古典的なブレインの記述はCalabi-Yauの体積無限大での領域で有効であり,GepnerモデルはCalabi-Yauの体積が非常に小さいくなる,モジュライ空間の対称性が高くなる特殊な一点での記述を与えている.そこで我々は,このGepnerモデルのboundary stateを構成し,それらが古典的なDブレインとどのように関係しているのかを調べた.

 Gepnerモデルはもともとtoroidalコンパクト化やorbifold以外のより現実的な時空のコンパクト化を厳密なCFTで記述できないだろうかという動機から始まっている.具体的には幾つかの異なるlevelを持つN=2 minimalモデルを適当に貼り合わせることにより,内部空間であるCalabi-Yau多様体の記述を与えるモデルである.

 このGepnerモデルのboundary stateの構成は以下の通りである.一般にDブレインはspace-time SUSYを半分に保つ物体である.これをCFTの立場から記述するためには,世界面の境界上でN=2超共形代数のleft-movingとright-movingのgeneratorをSUSYが半分に保つように関係付ければ良い.さらにboundary stateがDブレインを記述するために必要なCardy条件を満たすということ要請する.この手法によって,Gepnerモデルのboundary stateはRecknagelとSchomerusによって最初に構成された.ただしGepnerモデルは,モジュラー不変な分配関数がLie代数のA-D-E型によって分類されているが,彼らはその一部であるA-型に対するboundary stateを構成した.そこで我々は彼らの仕事を更に発展させ,D-,E-型に対するboundary stateを構成し,Gepnerモデルで分類されうる全てのCalabi-Yau多様体に対するboundary stateを構成した.ただし,このように構成されたboundary stateは代数的に記述されており,たとえば何次元のブレインを記述しているのかすら分からない.

 しかしながら,boundary stateとCalabi-Yauの体積無限大でサイクルに巻きついたDブレインとの間の関係は,位相不変量を頼りにすればmapを作ることができる.その不変量とは,fermionのゼロモードの数であり,GepnerモデルではWitten indexを計算すればよく,Calabi-Yauの体積無限大ではサイクル同士のintersection numberに対応している.我々はモジュライ空間の解析が知られている幾つかのCalabi-Yauに対してGepnerモデルのboundary stateがCalabi-Yauの体積無限大でどのサイクルに何回巻きついたブレインに見えるかを決定した.

 最後に,風間−鈴木モデルにおけるboundary stateについて考察した.風間−鈴木モデルはN=2 minimalモデルをも含む非常に大きなクラスの厳密に解けるCFTで,N=2超共形対称性を持つ群のcosetで定義されたCFTである.そしてこの風間−鈴木モデルは,ある適当なsuperpotentialを持つLandau-Ginzburgモデルのnon-trivialなIR固定点で実現されるCFTだと信じられている.具体的にこの対応は閉弦理論の範囲内では良く調べられており,level 1の風間−鈴木モデルにおけるchiral ringとLandau-Ginzburgモデルにおけるpolynomial ringが等しいなどの強力な証拠がある.

 そこで我々は開弦理論の立場から,風間−鈴木モデルとLandau-Ginzburgモデルの対応関係を考察した.特に,風間−鈴木モデルのboundary stateを構成したとき,それがLandau-Ginzburgモデルのソリトンと対応することを見つけた.我々は具体的にboundary stateとソリトンの両方の持つ質量を比較することにより両者の対応関係を見つけた.

 ただしこのままではこの風間−鈴木モデルのboundary stateの幾何学的解釈,すなわちどの曲がった空間上のDブレインを記述しているのかは良くわからない.とことが面白いことに,boundary stateと対応関係がついているLandau-Ginzburgモデルのソリトンは,実はRR 4-formフラックスを持つ特異Calabi-Yau four-fold上の4−サイクルに巻きついたD4ブレインと同一視できるということがGukov-Vafa-Wittenによって提唱されていた.よって我々はLandau-Ginzburgモデルのソリトンと風間−鈴木モデルのboundary stateの対応から,風間−鈴木モデルのboundary stateはその特異Calabi-Yau four-fold上のD4ブレインを記述しているという解釈を提案した.あるいは,少なくともその特異点の情報を十分担っているD4ブレインのsub-sectorを記述していると思える.

審査要旨 要旨を表示する

 いわゆる超弦理論は、重力を含めた相互作用の統一理論へ向けてほとんど唯一の手掛かりとみなされ、様々な観点から研究されてきた。特にここ5-6年ほどのあいだに、超弦理論の捉え方自体に関してそれまでとは質的に異なった新しい段階に達しつつあると思わせるような数々の新知見が得られている。なかでももっとも目覚ましい発見として、摂動論的に可能な10次元時空における5種類の理論が、次元が一つ上がった11次元時空におけるある理論の存在を想定することにより実は一つの理論の異なった実現として理解できることが判明したことである。

 この展開のなかで、これまでの弦理論ではその意味が正しく認識されていなかった弦理論の非摂動的な励起状態であるDブレーンが不可欠な重要な役割を果たしている。Dブレーンとは、弦の端点が住むことができる様々な次元の時空領域で、それ自身が運動しエネルギーを持つ物理的実体とみなされる。弦の量子力学である2次元の共形場理論の立場からは、Dブレーンに直交する方向に関して弦の世界面の境界に設定したDirichlet型の境界条件を設定した弦の力学により扱えるためにDブレーンと呼称されている。本提出論文の目的は、このDブレーンの曲がった空間における性質をいくつかの典型的な曲がった空間の弦理論の場合について詳細に研究することにある。曲がった空間での弦理論としては、SU(2) Wess-Zumino-Witten (WZW)模型、Gepner模型、風間・鈴木模型の3つをとりあげている。また、いずれの場合も、Dブレーンをclosed stringの観点から定式化するboundary state形式の立場から調べている。

 まず、序章としての第1章で、本論文の背景、また曲がった空間のDブレーンを研究する意義を論じた後、第2章では、この論文で取り扱う弦理論の構成要素である有理共形場理論(rational conformal field theory)におけるboundary stateに関する予備知識を簡潔にレビューしている。特に、boundary stateの基底としての石橋状態、またboundary stateが満たすべき条件として最も重要なCardy条件が提示されている。

 続いて、SU(2) Wess-Zumino-Witten模型を取り扱う第3章が本論文の最も中心的な内容を含む。WZW模型でこれまで構成されているboundary stateは、chiral流れ代数の同型対応に基づいて構成されているが、本論文ではこのうち最も単純な内部自己同型対応に基づいた状態だけを取り扱う。このboundary stateは、整数L=0,1,...,k(kはWZW模型のレベル数)で番号ずけられるある特別のSU(2)群共役類(conjugacy class)と1対1対応し、群空間において共役類が占める幾何学的描像から、0次元(点)と2次元(球形)のDブレーン、すなわちD0ブレーン(L=0,k)とD2ブレーン(L=1,...,k-1)に対応するもとの解釈されている。第3章の主要な結果として、このとき、D2ブレーンは、複数個のD0ブレーンが結合した一つの複合状態とみなすことができることを示した。平坦空間においては、適当なRR(Ramond-Ramond)チャージを持つD(p)ブレーンはD(p-2)ブレーンの複合状態として表現できることは知られていたが、本論文では、そこで用いられるチャン・パトン(Chan-Paton)因子に関するウイルソンループを導入する方法を群空間に拡張した。複合状態としての幾何学的解釈を厳密に示すことは困難であるが、本論文では群空間の曲率が小さい極限(k→∞)において経路積分を用いて示している。これらの結果を、まずフェルミ自由度を含まない場合に導いた後、さらにフェルミ自由度を含み超対称な場合、また、NS5ブレーンの背景がある場合への拡張を議論している。特に後者の場合には、超対称性が保たれずタキオンが現れる場合と超対称が保たれる場合との関係についても考察が行われている。これらの結果は、曲がった空間でのDブレーンの性質、特にD0ブレーンとD2ブレーンの関係およびその時空幾何学的解釈に関して、非常に明確な描像を与えており、今後の研究にも有用な新知見を加えたと評価できる。

 次に第4章では、10次元の弦理論から4次元時空へのコンパクト化において重要なCalabi-Yau空間でのDブレーンの性質を調べる目的で、それをN=2の超共形代数の最小表現から具体的に構成するGepner模型におけるDブレーンが議論される。この場合、modular不変な超共形代数の分類における、いわゆるA型については、Dブレーンboundary stateが具体的に構成されていたが、本論文では、それを拡張して、より一般のADE類の場合について行った。さらに、その幾何学的な解釈をDブレーンのBPSチャージとCalabi-Yau空間の位相不変量とを、空間の体積が大きい極限で関係つけることにより調べている。

 最後に、第5章では、N=2超共形代数の表現の構成としてよく知られている風間・鈴木模型におけるDブレーンを議論する。具体的には、この模型のLandau-Ginzburg型模型による記述において現れるソリトン古典解とboundary stateとの関係を探ることによって調べている。いくつかの典型的な例について実際にこの関係が成り立つことをその質量の比較により示している。この関係は以前から様々な観点から予想され議論されていることであるが、具体的な例に基づいてより明示的に示したことが本論文の新しいところである。

 なお、本論文の第3章は、疋田泰章、菅原祐二、第4章は、那珂通博との共同研究に基づいているが、論文提出者が主体的に考察と計算を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

 よって、審査委員会は全員一致で本論文が博士(理学)の学位を授与するのにふさわしいものであると判定した。

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