学位論文要旨



No 116910
著者(漢字) 金野,大助
著者(英字)
著者(カナ) カネノ,ダイスケ
標題(和) 面選択予測のための理論モデルの構築
標題(洋) New Theoretical Model as a Predictive Tool of Facial Stereoselection
報告番号 116910
報告番号 甲16910
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4173号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 友田,修司
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 助教授 市川,淳士
 東京大学   佐々木,誠
内容要旨 要旨を表示する

 面選択性の起源の問題は有機合成化学における理論的に興味深い課題の一つである。近年、ジアステレオ面選択は遷移状態における安定化効果(antiperiplanar効果;AP効果)に着目することで議論が展開されてきたが、AP効果では説明不可能な例も多く報告されており未だ決着を見ていない。当研究室ではこれまでに、ケトンのヒドリド還元について分子軌道計算を用いてAP効果を定量評価することでこの効果が面選択決定因子とはなり得ないことを明らかにし、さらにこれまでとは異なる視点から面選択の問題を捉え直し、新しい面選択モデルとして「エクステリアフロンティア軌道広がりモデル」(Exterior Frontier Orbital Extension Model;EFOE Model)を開発、適用することによって反応推進力の面差が面選択性を支配していることを明らかにしてきた。本研究ではカチオン、カルベンなどの中間体を経由する反応やヘテロ原子を持つ環式ケトンに対する求核付加反応の面選択性、さらに金属錯体触媒によるエナンチオ選択的水素化反応にEFOE Modelの適用範囲を拡張し検証した。その結果、基底状態における基質の構造が面選択性を支配する重要な因子であることがわかった。

1.アダマンチル系

 5位に置換基を持つ2−アダマンチル類はそのrigidな構造により配座異性体考慮などの煩わしさを極力排除できるため面選択性の議論に適した化合物である。2−アダマンチルカチオンは2−アダマンタノールのハロゲン化反応等の中間体として存在し、カチオン中心でpyramidalizationを起こすことによりE-cation、Z-cationの平衡となっていることが知られている。そこでC5位に様々な置換基を導入した基質についてこれら2種類のカチオン構造をab initio分子軌道計算(HF/6-31G(d)//HF/6-31G(d))により求め、基底状態における立体効果および表面軌道の電子密度の定量評価を行った。その結果2種のカチオン間の平衡、pyramidalizationの大きさ、EFOE DensityおよびPDASと面選択性との間に良い相関が見られた(Figure 1)。

これらの結果より、カチオンに対する求核付加反応では基底状態の構造が面選択性を支配する重要な因子であり、面選択性は反応原系ですでに決定されていることが示唆された。

 2−アダマンチリデン類についても同様の研究を行った。2−アダマンチリデンは2−アジアダマンタンを光照射することによって発生するカルベンで、分子間または分子内挿入反応をする中間体として存在する。構造最適化(B3LYP/6-31+G(d,p)//B3LYP/6-31+G(d,p))によりこの系もアダマンチルカチオンと同様にE体、Z体の平衡にあることがわかった(Figure 2)。そこでこれらにEFOE Modelを適用したところ、この系のジアステレオ選択性はカルベン基質の構造により決定されていることがわかった。

2.ヘテラシクロヘキサノン

 シクロヘキサノンおよびそのN,O置換体の求核付加反応における面選択性はax-attack優勢であるが、3位の炭素をS,Seなどのヘテロ原子に置換するとeq-attack優勢に逆転する。この逆転現象は遷移状態におけるAP効果に由来するものであるとするCieplak Modelと、静電相互作用によるものだとするHoukらによって激しい論争がなされてきた。そこで1, 3-diheteran-5-ones(1)をLiAlH4によって還元的水素化する際の遷移状態をab initio計算によって求め、さらにIRCに沿ってNBO法を用いることによって遷移状態近傍でのAP効果の変化を定量評価してみた。その結果antiperiplanar結合の長さおよび電子の移動量は実測の面選択で観測されるのと逆の傾向を示し、しかも遷移状態に近づくにつれて減少しており、遷移状態近傍では結合の伸びも電子の移動量もかなり小さく、負の値となる場合もあることが明らかとなった(Table 1)。同様の傾向は化合物2, 3でも見られ、これらの結果よりAP効果は面選択性の起源とはなり得ず、面選択は他の因子で決定されていることが明らかである。

これらの化合物の基底状態構造を解析した結果、Figure 3に1の場合で示すように、導入されるヘテロ原子によって基質ケトンの分子構造は大きく異なることが明らかとなった。またそれに伴って立体効果とLUMOの広がりも大きく異なることがEFOE Modelにより判明した。ヘテラシクロヘキサノンにおける求核付加反応でのπ面ジアステレオ選択性はヘテロ原子の違いによる基質の分子構造の変化とそれに伴う分子軌道の変化が重要であることがわかる。

3.エナンチオ選択性への応用

 金属錯体触媒によるエナンチオ選択的反応においても、ジアステレオ面選択性と同様に基底状態にすでに選択性の情報が内在していると仮定すれば、触媒および基質の基底状態について立体効果や分子軌道の広がりを定量的に評価することで選択性は予測可能であると考えられる。そこで金属錯体触媒のエナンチオ選択性予測理論構築を目差し、その始めとしてルテニウム錯体触媒のエナンチオ選択的水素化反応の理論研究を行った。ルテニウム錯体触媒による不斉水素化反応については野依らによってFigure 4に示す遷移状態構造が考えられている。この遷移状態を基にKnowlesらのモデルを考慮すると、エナンチオ選択性はヒドリドまわりの立体および分子軌道の広がりによって決定されると考えられる。そこで構造最適化(B3LYP/6-31G(d), LANL2DZ for Ru)したルテニウム錯体触媒をRu-H(Ru)-H(N)で作られる平面で分割し(Figure 5)、それぞれの象限についてEFOE Modelを応用してヒドリドに対する接近可能空間および分子表面における電子密度の広がりの異方性を定量評価した。その結果、金属錯体触媒の立体構造がエナンチオ選択性において重要であることが定量的に示された。

Figure 1. Plot of (a) relative energy or (b) PDAS values vs facial selectivity (In(synlanti)) for 5-X-adamant-2-ly cations (HF/6-31G(d)//HF/6-31G(d)).

Figure 2. Structures of 5-hydroxy-2-adamantylidene(B3LYP/6-31+G(d,p)).

Table 1. Stractual parameters of the TS of 1, 3-diheteran-5-onesa

Figure 3. Side views of 1, 3-diheteran-5-ones(heteroatom=O,S,Se,Te)(HF/6-31G(d)).φ denotes the folding angle between the carbonyl plane and the X1-X3-C4-C6 plane. Numerical values indicated in the structures are PDAS in au3.

Figure 4. Transition structures of asymmetric transfer hydrogenation of aromatic carbonyl compounds.

Figure 5. The plane defined for EFOE calculation.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり英文で書かれている.第1章は面選択性に関する歴史的背景,研究目的,理論モデル構築のための研究モデル系の選択理由などが述べられている.

 第2章はヘテラシクロヘキサノン系のヒドリド還元のジアステレオ選択性について,遷移状態におけるアンチペリプラナー効果が面選択性の本質であるとする従来の面選択理論モデルの本質的問題点を定量的に示した上で,エクステリアフロンティア軌道広がりモデル(以下,略してEFOEモデルと呼ぶ)でその面選択性を説明している.

 第3章はアダマンチルカチオンの面選択性の起源について述べている.この系では遷移状態におけるアンチペリプラナー効果が基底状態に比べて減少する(負のアンチペリプラナー効果).このことより従来の面選択モデルが面選択性の本質を記述していないことが定量的に示されている.さらに,この系の面選択の顕現因子として,EFOEモデルで定量評価される立体効果,フロンティア軌道の広がりの他に,カチオン炭素の非平面化によって生じる2つのカチオン橋フリッピング配座平衡が重要因子となることが述べられている.

 第4章はアダマンチルカルベンの面選択について述べられている.この系でも,第3章のカチオン同様,遷移状態において負のアンチペリプラナー効果が観測され,EFOEモデルで定量評価される立体効果,軌道広がり効果およびカルベン炭素のフリッピングによるアダマンチルカルベンの配座平衡が面選択の重要因子となることが示された.

 第5章ではEFOEモデルの不斉面選択への応用例が述べられている.野依反応(キラルな有機金属触媒によるケトンへの不斉ヒドリド転位反応)をモデル反応に取り上げ,種々の不斉有機金属触媒の不斉環境が不斉面選択の程度を決定していることを定量的に示した.

 本研究により,現在,面選択を説明する理論モデルとして一般に受け入れられているモデルの本質的問題点が初めて明らかとなり,面選択理論としてのEFOEモデルの不斉面選択性予測理論としての可能性が初めて示された.

 なお,本論文第2章は千木昌人,岩岡道夫,J. Zhang, A. Zhou,との実験を含む共同研究であるが,この章で述べた理論研究はすべて論文提出者が行ったものであり論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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